未来樹 -Mirage-

詠月初香

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4章

16歳 -無の月11-

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地上で遠くからこの巨大な水の妖を見た時、その不定形の巨体は透明度はそれなりにあるものの汚れたよごれたではなく汚れたけがれたと表現したくなる、いや~な感じのする薄黄色に見えました。ところが暗い峡谷の底で見ると色味が消えて、まるで無色透明のように見えます。桃さんの技能で明るさを確保していても少し離れたところは薄暗く、一寸先ならぬ10数m先は真っ暗闇。そんな場所では色の判別が難しく、透明度だけが目立ってしまうのかもしれません。もちろん妖の触手に絡め取られた時のように触れる事ができる距離まで近づけば色の判別はできるのですが、再びそこまで接敵されるような危険は冒したくありません。

その極めて透明に近い不定形の妖が、ウニョウニョと蠢いてはコチラを絡め取ろうと先端が手の形になった触手を繰り出してきたり、或いは強大なワニの尻尾のようなもので叩きつけてきたり、槍のように尖らせて貫こうとしてきます。

その度に桃さんの炎の壁が妨害し、金さんが作り上げた盾が弾き、小さな水滴や臭気は龍さんが風で押し返してくれます。

<浦さん、準備は良い?>

<えぇ、いつでも大丈夫ですよ。
 ですが全力で浄水を使えば貴女にもかなりの負担がかかります。
 貴女の方こそ大丈夫ですか?>

私の中に居る浦さんに声をかければ直ぐに返事がありました。その返事に私は<大丈夫だよ>と即座に返事をします。

約1ヶ月前。叔父上の魂を身体に留める為に、金さんと龍さんに常時霊力の補充をした事がありました。あの時、最初の30分程は難なくこなせ、これなら何時間でも大丈夫だと思ったりもしたのですが、時間が経つにつれてどんどんと疲労が蓄積していき、最終的には他人の手を借りても立つ時にふらついてしまう始末。それでも気を張っていた間は何とかなりましたが、島に戻った途端に寝込んでしまったことは記憶に新しく……。

あの時と同じぐらい大変なのか、それとも浦さん1人だから軽く済むか。或いは逆にあの時以上に疲労困憊になってしまうのかはやってみないとわかりません。ですがそれが必要だと判断したのなら「やる」一択で、「大変だからやらない」なんて選択肢はありません。

「やろう! 浦さん!!」

決意を胸にそう宣言すると、私を中心に水の精霊力が一気に周囲へと広がりました。まるで水面に波紋が広がっていくように、峡谷の底に浄水という技能の形をとった水の精霊力が広がっていきます。

ドクン!

そんな音が耳に届いたかと錯覚するほど、水の妖の表面が大きく波打ちました。ただ同時に私の心臓も大きく鼓動を打って、立ち眩みや貧血を起こした時のように目の前が暗くなり、キーーンと耳鳴りがします。

(あっ、まずい!)

そう思った時には平衡感覚は失われていて、しかも膝から力が抜けてガクッと崩れ落ちそうになりました。

「櫻嬢!!」

「しゃーら!」

ぐらりと大きく傾く私の身体を力強い腕が抱き寄せて支え、更になぜか膝上のあたりもギュッと抱きしめられます。幸いにも意識ははっきりとしていて、単に目の前が真っ暗になっただけなので、頭を軽く振ってからゆっくりと目を開けました。すると目の前には心配そうに顔を歪めた緋桐さんがいて、足元を見れば私の膝を全力で抱きしめている青藍がいました。

「ごめんなさい、ありがとう。
 青藍もありがとう」

緋桐さんの顔を見上げてお礼を伝えてから、足元で私を心配そうに見上げる青藍の頭を撫でながらお礼を言います。どうやら私が思っていたより、かなり多くの体力や気力を浦さんに持っていかれてしまったようです。その事に浦さん自身も驚いたようで、発した浄水の霊力が不安定に揺れていました。

<櫻! すみません、大丈夫でしたか?!>

どうにか落ち着きを取り戻し、浄水の霊力を安定させた浦さんが慌てて問いかけてきました。何でも浦さんが思っていた以上の霊力が発動したそうで、慌てて出力を絞ろうとしたけれど遅かったのだそうです。浦さんの考察によれば、禍都地まがつちで水の神座かむくら探しと平行して第三世代精霊の霊力を吸収していった結果、当然ながら霊力が増えた訳ですが、ここ数日は特に霊力の吸収が捗っていたらしく……。その事に加え、ここが穢されてしまったとはいえ水の神座だった事も影響したようです。

<私は大丈夫。でも、浦さんの全力を支える事は今の私には無理みたい。
 だから私が倒れない程度に抑えた霊力で浄水をお願い>

私は倒れても良いから全力で! なんてお願いはできません。そんな事をすれば三太郎さんたちに迷惑をかけてしまう事が解りきっていますし、心配もかけてしまいます。だから倒れない程度に調整してと、浦さんに丸投げしてしまいました。浦さんは昔から霊力の微調整は得意としていましたし、浦さんならできるはずです。

そうやって出力に関する調整を浦さんに丸投げした私は、足元の汚水が綺麗な水に変わっている事を確認してから水の中で膝立ちになりました。僅か10cmにも満たない深さとはいえ、この寒さで水につかるのは出来れば遠慮したいところですが、倒れて頭を打つよりはずっとマシです。

まぁ……、汚水のままだったら絶対に跪きたくありませんでしたが。

「櫻嬢、これを。身体を冷やすのは良くない」

その言葉と同時に、緋桐さんは自分が着ていた外套を私の肩にかけてくれました。今朝も散々揉めたのですが、私の厚手の外套は青藍に着せているため、私自身は薄手の外套を着ています。確かに少し寒くはありますが我慢出来ない程ではありません。それに緋桐さんの外套は元々叔父上の外套なので、私が着るにはサイズが大きすぎるのです。歩く時に裾を引きずってしまうぐらいで、裾を踏んづけて転ぶ未来が見えますし、叔父上の外套を汚したくないって気持ちもあって緋桐さんに着てもらいました。

そんな外套に残る温もりが肩や背中に広がり、少しだけ気持ちが和らぎます。ですが今は気を引き締めなくてはならない時で、むしろ冷たい水のせいで痛いぐらいの足へ意識を向けました。

その間も金さんや桃さん、龍さんは各々自分の役目を果たして戦っています。だから私も自分の役目を果たして戦うのです。

「緋桐さん、今から私は浦さんの霊力の回復に集中します。
 だから何かあっても反応が遅れると思うので、青藍の事をお願いします」

あの時は会話や寝返りぐらいはできましたが、先ほどの感じからすると今回は厳しそうです。なので前もって緋桐さんにお願いをしておきます。

「……あぁ、青藍の事は任せろ。そして君のこともだ」

「ありがとうございます」

緋桐さんの力強い眼差しと言葉に、思わず安堵の笑みが浮かんでしまいました。それどころじゃないってさっき思ったばかりなのに、我ながらあまりの意思の弱さに情けなくなります。しかもここからは、その意思がものを言うのです。なので尚更気合を入れ直し、自分の頬をベチン!と勢い良く叩きました。

そんな私の足元の大地がグググッと盛り上がったかと思うと、小さな陸地ができあがりました。私と青藍が座るのにちょうど良いぐらいのサイズと高さです。しかもカビて腐ったようなグチョグチョの土ではなく、懐かしい山の温泉にあったベンチのような綺麗な石の台です。

「ありがとう、金さん」

私の言葉にチラリとだけコチラを見てすぐに視線を戻した金さんは、

<良いか、我らの一番の目的は霊力の増強にある。
 そなたが青藍の仲間を助けたいと思うておる事は承知致しておる。
 その気持を尊重し努力も致すが、状況次第ではそれは叶わぬと心得よ>

青藍に聞こえないように心話でそう伝えてきました。努力したうえでそうなったのなら、仕方がなかったと諦めもつきます。もちろん後悔は確実にするでしょうが、少なくとも最善を尽くしたと思えるのと思えないのとでは、心の持ちようが雲泥の差です。

<うん、その時はしょうがないよ。……って思えるように努力する>

私の返答に小さくため息をついた金さんは、炎の壁を乗り越えて眼前に迫ってくる巨大な汚水球を石の槍で粉砕しました。その粉砕された水球から発生した水滴を龍さんが風で押し流し、浦さんの力で浄められてキラキラと輝きます。そうやって浄水された水が私達の周辺に集まり、汚水の塊のような水の妖の侵入を阻みます。その境目には桃さんの炎の壁や金さんの石壁、それから龍さんの風の障壁もあり、水と火と土と風といった全ての精霊の力が穢れを退けようと力を合わせます。

ただ敵も強大で一筋縄ではいきません。

浦さんの浄水が始まってからというもの、その力に対抗するように攻撃が一層激しくなりました。しかも桃さんを筆頭に精霊は攻撃対象なのに対し、私や緋桐さんや青藍は捕食対象だったので即死級の攻撃が飛んでくる事は少なかったのですが、今は私も攻撃対象になったようでバンバン攻撃が飛んできます。

「くっ! おい緋桐。俺様はデカいのから順に潰すから、
 お前は小せぇのが櫻に行かないように叩き潰せ!
 良いか! 剣で切ろうとするな。鈍器で叩き潰すつもりでやれ!」

「はっ!! 承知いたしました」

攻撃が桃さんに集中していた時は、私達の守りを金さんと龍さんに任せて桃さんは自分の役目に専念できました。ところが攻撃目標に私も加わった事で、逆に桃さんの負担が上がって余裕が無くなってしまったようです。

金さんも攻撃と防御の双方を担っているうえに、私達の足元の地面を浄めて強固にする役目も同時にこなしています。浦さんの浄水の力があるので大丈夫だとは思うのですが、念の為に地面から汚水が滲み出てきて敵に付け入る隙を与えてしまわないようにしているのです。龍さんも同様に同時進行で複数の技能を使っているため余裕は無く、私と青藍に戦闘力はありません。

ただ私に戦闘力はありませんが、別の力ならあります。




この世界の精霊は人間と密接な関係にあります。
精霊が守護や加護といった関係を結ぶのは人間だけで、動植物とそういう関係になる事は決してありません。それは人間の願いを叶える為に技能を発動させる事で精霊力に指向性を持たせ、漏出ロスが少なくなるような仕組みを大昔に神が作ったからです。金さんたちの話では、最初期の精霊には確固とした自我が無かったそうなので、その為の仕組みではないかという事でした。

漏出が少ないということは、世界に澱みよどみが溜まりにくい事を意味しています。澱みは妖を生み、自然を壊します。ただ山や海や川といった自然にも生死はある為、ある程度は澱みも必要悪だと精霊たちは思っているようですが、それはあくまでもある程度・・・・という限度のある話しです。なので澱みが生まれるような力の使い方は極力避けますし、何だったら願いを叶える以外で霊力は使わない精霊もいるそうです。



だから私はお願いをするのです、祈るのです。
そうする事で三太郎さんたちの霊力がスムーズに発現し、ロスが少ないのだから。

だから私は、今、祈るのです。
強く強く祈り、望むのは水の妖の浄化!!

(綺麗な水。浄められた水。きらきら、さらさら……)

思い浮かべるのは山の拠点にあった湖に川。そして島拠点にもある川と海です。その綺麗な水の景色が目の前にも広がるように祈ります。

直ぐ近くで青藍が「ぼくがしゃーら まもる!」と私にしがみついてきたり、緋桐さんの攻撃時の気合の声や、炎が爆ぜる音、石が叩かれる音、水が流れる音、風の渦巻く音……。そういった周囲の音が徐々に遠ざかり、自分の内側から聞こえる祈りの声と浦さんの霊力が発動する音だけになりました。

その音が心に響くのと同時に、私の中にどこまでも澄み切った大海原に浮かんでいるかのような感覚と、その大海原が波打つ波動のようなモノが満ちていくのが解ります。そして浦さんが私の中にいるのではなく、私と溶け合って一つになったような感覚……。

その感覚に導かれてゆっくりと目を開けると、私の腕に領巾ひれが見えました。浦さんが常日頃から身につけているミズホ国の正装の領巾ひれが、私の腕に絡んで精霊力を発しながらひらひらと揺蕩ったいたのでした。
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