未来樹 -Mirage-

詠月初香

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4章

16歳 -無の月12-

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前世では山育ちだったので、海水浴はとっても特別なレジャーでした。
時間の許す限り海に入りっぱなしで遊んでいた私は、夜になっても波に揺られ続けているような感覚が残り、その日は夢の中でも泳いだものです。

その時と同じ水に揺られる感覚が、私の身体を包み込みます。

私の視界には自分の両腕に絡む長い長い領巾ひれがあり、その領巾が私の意思を受けて右に左にゆらゆらと動きます。まるで川の流れにさらされている薄手の布のようにゆっくりと波打ち、しかも青白くキラキラと輝く光の粒が領巾にまとわりついているように見えます。

そのまま視線を前方へと向ければ、龍さんの風の壁にも緑色の光の粒があり、更にその向こうにある桃さんの火の壁や金さんの土の壁にも同様に赤や黄色の光の粒が輝いて見えました。さっきまでは無かったはずの謎の輝き、これが精霊力というやつなのでしょうか?

<もしかして浦さんとかつて無いほどに同化したから??
 これが浦さんたちが何時も見ている景色なんだ>

敵の攻撃が間断なく続いている真っ最中だというのに、場違な程に呑気な事を考えてしまいます。もちろん四方八方から押し寄せる水の妖が怖いという気持ちはあるのですが、あまりにも現実味がなくて恐怖心が麻痺してしまっているのかもしれません。

<そんな訳ないでしょう。
 私も初めてこのような景色を見ましたよ>

いきなり聞こえてきた浦さんの心話に、ビクッと肩をすくめてしまいました。なぜなら何時もなら胸の奥の方から聞こえていた声が、耳元で聞こえたからです。正確には頭の中といえば良いのか、耳の中に直接といえば良いのか……。何にしても浦さんが自分の内にいるというのは変わらないのに、何時もよりずっと近くに浦さんを感じます。

三太郎さんが私の守護について以来、私の中には三太郎さんと会話ができる部屋のようなものがあります。ただこれ、私だけなんです。母上に一度聞いてみた事があるのですが、母上には山幸彦さんや海幸彦さんが自分の内に居る感覚はあっても、私の精神世界の部屋のようなものは無いんだそうです。あえて言うのなら自分の中に祭壇を常に設けているような感じらしく、私のように双方の意見を交換したりするような場所ではないのだとか。

人によって違うのか、それとも三属性と二属性の違いか……。
或いは実はずっと私の奥底で眠っていたという龍さんのせいなのか、何が正解なのかは今の私には判断できません。確かな事は浦さんがかつて無いほどに近くに感じることと、精霊力らしきものが目で見えること。

そして

<アレだ……>

光の粒のような精霊力とは違う、黒いもやをまとった点が水の妖の中に見えました。その太陽の黒点のように見える靄が、巨大なぶよぶよした体躯の中のあちこちにあるのです。大きさは一番大きなものでも1mあるか無いかというサイズなので、太陽の黒点とは比べものにならないぐらいに小さいのですが、数はコチラのほうが多く。ざっと正面の見える範囲だけでも100個程はあり、見えないところも同じような比率で黒点があるとしたら千や2千どころか、10万個以上あるかもしれません。

水の妖は桃さんや金さんの攻撃で身体の一部を失うと、そこから一番近い黒い靄がその場所に移動していき、そこで黒い靄はほどけるようにして消えていきます。そして黒い靄が消えると、失ったはずの身体が再生・回復しているのです。つまりあの黒い靄がある限り、敵は再生し続けるのかもしれません。

水の妖はソレ自体が淀んだ精霊力、桃さんは精霊力とは呼びたくない穢れた力だと言っていましたが、それで満ちています。その中にある黒い靄は特に穢れている場所で、淀んだ精霊力のおりと呼ばれる部分なのかもしれません。

三太郎さんの戦い方は敵を攻撃して身体の一部を分離させ、その分離した身体が本体の統制を離れて霧散したところを浄化技能の浄水・浄火・浄土で清めるという方法でした。本体から少しずつ力を奪い、ソレを浄化するというやり方は相手が小さいものなら簡単&有効でしょうし、安全なやり方ではあります。

ですがこの巨大べとべとさんの場合、そのやり方では時間がどれだけあっても足りません。それに時間がかかればかかるほど危険な目にあう回数も増えますし、何より持久力で負けてしまいます。

(これは重点的に黒点を狙って浄化していくべきだよね)

そう思った途端に浦さんの力が黒点に向かっていきました。何時もなら心話で伝えなくてはならない事が、頭に思い浮かべた途端にそれが以心伝心で浦さんに伝わっているようです。便利だと思う反面、変なことを考えられないなぁなんて思った途端に<集中なさい!>というお小言が飛んできました。フラグ回収速い……。




黒い靄を集中的に浄化する作戦はかなり有効だったようで、どんどんと敵を後退させていきました。そして浄化した水の精霊力は直ぐに浦さんが吸収するため、浦さんの霊力もグングンとあがっていきます。

ただそんな快進撃も最初の内だけで、すぐに行き詰まってしまいました。
巨大べとべとさんは知恵や知識を持たない、本能に基づいて行動する妖に見えていたのですが、自分の弱点をピンポイントで攻撃されている事に気づいた途端、黒い靄を自分の奥深くへと集めだしたのです。浦さんの浄水技能は発動させる際に対象に触れる必要は無いのですが、離れ過ぎれば効果は落ちてしまいます。しかも黒い靄の周辺も穢れている為に浄化の霊力がそちらにも流れてしまい、黒い靄だけに浄化の力を集中させられないのです。

また私(と浦さん)は黒い靄を視認できますが、金さんや桃さんやは見えないようで、そのために彼らに黒靄攻略の助太刀を頼むこともできません。逆に龍さんには見えているようですが、風向きの違う複数の風の維持や私や青藍や緋桐さんにかけている保護の維持で手一杯だそうで……。

ならば……と浮かんだ疑問を浦さんに投げかけます。

<浦さん、この領巾ってどれぐらいまで伸ばせる?>

<伸ばすだけなら、かなりの距離まで伸ばせますよ>

途端に脳裏に答えが響きます。そのレスポンスの良さに思考が少し遅れてしまいましたが、それならやってみたい作戦があります。

「龍さん、ちびっ子を1人貸して!」

私の言うちびっ子とは龍さんの分体の事です。龍さんは私の要請に分体を一つ作りだすと、私に向かって「管理は自分でしてくれ」とだけ告げて投げ飛ばしてきました。

「ありがと!」

分体を受け取った私は、次に左手を横一文字に薙ぎ払いました。それに合わせて領巾も新体操のリボンのように横一文字にたなびきます。

(そうすればこう・・なる)

そう思うと同時に私の足元にあった浄められた水が土へと染み込み、敵の下で広範囲に広がりました。そして左手をグンッ!と勢い良く上にあげると、領巾がまるで空間を縦に切り裂くかのように跳ね上がりました。

それと同時に敵の下に潜り込んでいた浄水が、一気に鋭い刃となって敵の下面を突き刺します。巨大べとべとさんの巨躯がブルンっと大きく振動しますが、追い打ちをかけるように浦さんがその刃によってできた傷に浄水の力を流し込みました。

すると予想通り一部の黒い靄は回復のために下へと移動しますが、残りの黒い靄は下の攻撃から逃げるように上部へと移動していきます。それをしっかり確認してから、右手の領巾を前へと飛ばすように勢い良く右腕を前へ突き出しました。

(これで、こう・・すると……)

そう思うと領巾がぐんぐんと伸びていきます。この領巾は実際の布ではなく、浦さんの霊力で作り上げられたモノです。だから浦さんの霊力次第でどこまでも延ばすことができる……はずです。試したことが無いので上限はわかりませんが、少なくとも届いてほしいところまでは延ばせそうです。

領巾は一直線に巨大べとべとさんの上部へと向かい、私はその領巾に足を乗せて一度感触や上に乗れる事を確認してから、一気に領巾の上を駆け上がりました。後ろから緋桐さんや青藍の私を呼び止める声が聞こえてきますが、今は気にしている余裕はありません。

領巾の幅は30cm強もあるのですが、浦さんと一緒じゃなかったら精神的にも身体能力的にも領巾の上を疾走するなんて無理だったと思います。でも今は浦さんが一緒なうえに、保険として受け取った龍さんの分体の力も借りる事ができるため、ふらつくことなく駆け上がる事ができました。そしてべとべとさんの巨体の上へ到着すると、再び左手を大きく振るって領巾から水の刃を雨のように降らせます。目標は当然ながら黒い靄が集合している場所です。

そして下部への攻撃と同じように刃の傷跡に浄水の力を流し込めば、巨大べとべとさんは攻撃を受けた部分を切り離して逃げ出しました。

<逃さない、金さん、桃さんお願い!!>

<承知!>

<了解!!>

少し離れたところから土砂が崩れ落ちるような音が地響きと共に聞こえてきて、それと同時に火柱が上がるのが見えました。二人が霊力を発動させることのできる最大距離で壁を作ってくれたようで、うまい具合に巨大べとべとさんを分断できたようです。

(大きなキャベツを一玉まるまるの状態で千切りにするのは大変だけど、
 四分の一とか小分けにすれば簡単になるのと同じよね)

この時の私は目の前の事で頭がいっぱいで、自分が金さんと桃さんへ同時に心話を発信していた事に気付きませんでした。後になって気づいて「アレはどういう事なんだろう?」と三太郎さんたちと一緒に首を傾げることになるのですが、それはまた別の話し。




そうやって金さんと桃さんが分断してくれている間に、私と浦さんは共同作業で限界まで伸ばした領巾を眼前の見捨てられた巨大べとべとさんへ巻き付けました。もっともっと小さければ切り離した途端に霧散したのでしょうが、このサイズだと周囲から穢れた霊力を取り込んで回復しようとするチカラのほうが強く。のたうち回るべとべとさんの断片を完全に包んでしまうように何重にも領巾を巻き付け、時折ギュッと締め上げます。そうして浄水技能を発動させて、全方位から浄化していきました。

巨大べとべとさんは最初こそ領巾から逃れようと暴れていましたが、本体から切り離されている為に回復が追いつかず、次第に大人しくなっていきました。そうなれば残っている穢れた霊力を一気に浄化して、浦さんに取り込んでしまえます。


後はそれの繰り返しでした。


分断された巨大べとべとさんに攻撃と黒い靄の浄化を同時進行で行い、ある程度ダメージを与えられたところで領巾で梱包。問答無用の全方位浄化で穢れを祓ったら、浦さんが即座に霊力を取り込むという事を繰り返します。

稀に金さんたちによる分断が上手く行かず、大きなままの巨大べとべとさんを相手にしなくてはならない事もありましたが、最初期に比べれば小さくなっているので十分に対応が可能でした。それにある程度まで敵が小さくなれば緋桐さんでも対応が可能となって、ますますコチラの戦力が充実していきます。


最後のべとべとさんの塊が領巾に包まれて消えた時、私達は全員一言も発せずにその場にへたり込んでしまいました。一番気になるのは、本当に今のが最後なのかという事でした。何せべとべとさんは吠える事もなければ鳴き声を上げることもありません。なので断末魔というものもなく、静かに消えていったので倒しきったという実感が無いのです。

周囲を浦さんの水の探査技能で数回探り、本当にあの妖の気配が無いと解るまで長いようで短い時間が過ぎていきました。その間に青藍は立ったままコックリコックリと眠り始めていて、慌てて抱き上げようと腕を伸ばしたのですが、私も膝がガクガクと震えていてその場に座り込んでしまいました。

バシャバシャと水音を立てて近寄ってきた緋桐さんが左手で青藍を軽々と抱き上げると、右手に持っていた剣の鞘だったモノを捨てて私の事も抱き上げてくれます。

「ご、ごめんなさい。ありがとう」

「気にするな」

そう笑顔で言う緋桐さんですが、こうやってくっついてみれば解ります。あの緋桐さんが肩で息をする程に疲れ果てているって事が。それに緋桐さんが持っていた剣はすでに原型を留めておらず、途中からは鞘で殴って戦っていたのですが、その鞘は装飾どころか長さも足りません。

(今直ぐには無理だけれど、
 お礼として駄目にしてしまった剣の代わりを贈ろう)

叔父上たちの話しによれば、武器は自分の腕の長さや好みの重心などがあるのでサプライズプレゼントには不向きなんだそうです。でもだからこそ、どこまでも緋桐さんの好みと使い勝手に特化した剣を作って贈りたいと思います。

そう心に決めて地の底から空を仰ぎ見れば、真っ暗だったはずの裂け目が明るくなっていて、いつの間にか夜が明けていた事に気付きました。船を出発したのが同じような空の色をしていた朝だったので、なんだかんだで丸一日弱、地の底で奮闘していたことになります。そりゃぁ疲れ果てて眠りもします。むしろ水分補給も食事もなおざりで、よく戦い続けることができたなと我ながら呆れてしまいます。極限状態だったからどうにかなったのでしょうが、大事に至る前に慌てて青藍を起こして水だけでも飲ませます。

そんな私達の直ぐ側で

「つっかれたぁぁぁ…………」

と言って地面にどかりと座り込んだのは桃さんでした。ただ心底つかれたという表情の桃さんですが、私達の中ではマシな方です。何せしっかり水のない岩の上を選んで座っていますし、何より声を出す体力も残っています。

体力が残っているといえば、未だ精霊力を使って安全な地面の確保をしてくれている金さんや、新鮮な空気を地上からこの地底まで循環させてくれている龍さんも体力が残っているようです。

もっとも金さんと龍さんが精霊力が使えなくなるほどに疲労困憊になった場合、地の底のここは一気に危険度が上がるので早急に地上に戻る必要があります。そこをちゃんとふまえて、体力や精霊力を残しておいてくれた二人には感謝しかありません。

<櫻。すみませんが私は少し眠りにつきます。
 霊力の総量は増えましたが、使用した量も多く……。
 とはいっても吸収もしていますから1日程で大丈夫だと思いますが……>

そう浦さんから心話が届いたので返事をしたつもりでしたが、最後まで聞く直前ぐらいで私も意識を手放してしまったのでした。
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