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4章
17歳 -水の陽月4-
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「な、何言ってんだ!!」
私の言葉に想定外の場所から強い反発が返ってきました。その声に振り返れば桃さんが顔を真っ赤にして怒りを露わにしています。何をそんなに怒っているのか、私の脳内にクエッションマークが幾つも浮かびますが、その疑問はすぐに解決されました。
「お前があっちの世界で一度死んだってのは知っている。
だがな、命はそうやって巡るもんだ!
自分を死人みたいに言うんじゃねぇ!!
……何よりここに居ちゃいけないみたいな言い方するな……」
怒りの口調が最後には寂しそうで悲しげなものへと変わり、こんな桃さんを見たことがない私は焦ってしまいました。
「ち、違うよ、桃さん。そういう意味じゃなくてね……」
慌てて弁明するのですが、桃さんには色々と思う所があったようです。
「櫻は明確に線を引きをしますからねぇ……。
家族とそれ以外ですとか、私達三太郎とそれ以外といったように。
勿論それ以外の中にも多少は差があり、ヤマト国の双子や
緋桐のように少しだけ気にかけている者も居るようですが……」
「そのくせ自分の事はその外に配置致すのだ、あれは良くない」
いやいや、浦さんも金さんも何を言っているのよ。
「はい! そこまで!!
違うから! 私が言いたいのは私がこの世界で生まれたのではなく、
前の世界から移動してきただけじゃないかって事なの!」
私の言葉に三太郎さんは顔を見合わせてから
「いや、でも。お前は前の世界で今と同じぐらいの年齢だったし、
この世界に来た時は赤ん坊だっただろ? おかしくね??」
と言う桃さんに、金さんや浦さんも頷きます。そんな私達のやりとりを静かに見ていた龍さんは、ゆっくりと切り出しました。
「おぬしは何故そう思った?」
「質問に質問で返さないでよ」
苦笑してそう答えたものの、深呼吸を1度してから改めて言葉を紡ぎます。
「例えば私だけ身体能力が極端に低すぎるとか、
私だけ食べる量が極端に少ないとか、主に身体に関するあれこれかな。
でも皆がそれは三属性の守護を持った副作用みたいなモノだと言うから
そんなものかぁと私も納得していたんだけど……」
小さい頃は(私も大きくなったら叔父上たちのように助走なし垂直ジャンプで2階建ての屋根に飛び乗れるようになるんだ!)って思っていたけれど、どんなに頑張っても未だに50cmぐらいしか飛べません。そんな事を思いつつ、
「でもその劣っている全てが、前世基準なら普通の範囲なんだよね。
何だったらモノによっては前世の標準よりも上なモノもあるぐらいだし。
そしてそんな違和感を明確に浮き彫りにしたのは、さっきの龍さんの言葉かな」
と伝えると、龍さんは
「儂の言葉?」
と首を傾げます。
「龍さんはさっき、天人天女の例として母上を出したけれど、
それって私は天女じゃないって言っているに等しいよね?」
そう、龍さんはわざわざ沙羅と母上を名指しにしたのです。それも私の母と私を経由しておきながら、私を例にはしなかった。
「つまり私は天女じゃない。天女というこの世界の規格には当てはまらない。
なぜならそもそも私はこの世界の規格外の人間だから……。違う?」
「で、でもよ! お前は確かに赤ん坊だっただろ!」
「それは私も不思議に思ってる。……でも、龍さんなら出来るんじゃない?
変化を司る、神に等しい霊力を持つ第一世代の精霊の龍さんなら」
私の言葉に水を打ったように静かになった中、自分よりもずっと長身の龍さんの顔を見上げてしっかりと目を合わせ、嘘や誤魔化しは要らないと目に力を籠めます。
「迂闊じゃったなぁ。まぁ隠すつもりはなかったのじゃが、
話すのなら全てが終わってからの方が良いと思っていたのも確かじゃ」
龍さんは苦笑しながら言い、更に言葉を続けます。
「確かにおぬしはこの世界の人間ではない。
儂が理由あって別の世界より連れてきた人間じゃ。
ただその理由や詳細は全ておぬしの叔父を助けてから……じゃろ?」
「うん、勿論。まずは叔父上だね」
龍さんの言葉に一も二もなく同意し、意識を切り替えます。
「お、おい、大丈夫か?」
そんなふうにすっぱり切り替えた私を桃さんが心配そうに気遣ってくれてますが、心の何処かでずっと感じていた違和感の理由が判明し、むしろスッキリしたぐらいです。なので桃さんと、その後ろから心配気な視線を向けてくる金さんと浦さんに笑顔で「大丈夫」と返し、龍さんへと向き直りました。その龍さんは準備運動をするかのように腕を曲げたり伸ばしたりしたかと思うと、
「さて……。大仕事の始まりじゃな」
という言葉とともに空に向かってバッと両手を上げました。その顔が見つめる先には空に浮かぶ光の帯があります。
「今、ここに、再び!!」
龍さんの強い力が籠められた言葉が発せられると同時に、周囲にとんでもない強風が吹き荒れます。思わず身体がフワッと浮きそうになって、慌てて横に居る龍さんにしがみつきました。
「そうじゃ、そうやって儂に捕まっていろ。
三太郎たちよ、万が一にも妨害が入らぬよう警戒だけはしておいてくれよ」
天を睨んだままそう告げる龍さんの声は、叫んでいる訳でもないのにゴウゴウと唸る風の音に負けずに耳に届きます。妨害が万が一ということは事前に相応の対応はしてあるのでしょうが、それでもなお妨害してくる相手に心当たりがあるのでしょう。まぁ、先程の話から察するに土の神なのでしょうが……。
強風に顔をしかめつつ空を見上げれば、風の道が天高くまで続いていました。その中心部は他の空の青よりも色が濃く、その青がどんどんと群青へ、群青から紺へ、そして紺から黒へと変わっていきます。そしてその度に風が強くなるのです。今や龍さんが周囲を守ってくれていなかったら、私は天まで高く吹き上げられていたかもしれないと思うほどの強風です。
ちなみに守りの外は暴風を通り越し、気象庁風力階級の一番上の颶風レベルのようです。なにせかろうじて守りの範囲にある名も知らぬ木々ですら根本から横倒しになってしまっていますし、横倒しになった木々の向こうに見えた海は波が連なる山のようになっています。
これから何が起こるのかと天高くにある黒い穴をじっと見つめてみると、黒の中にキラキラした何かが見え始めました。そのキラキラが徐々に数を増やしていくのと同時に、少しずつ大きくもなっていきます。それらが意味することは、光が急速にこちらに近づいてきているということです。そして最初はあまりにも小さくて判別できなかったのですが、近づくにつれ緑色を帯びた光である事がわかりました。その緑色の光が急接近してきたかと思ったら、次々と龍さんの中へと吸い込まれていきます。
そのまま四半刻が過ぎた頃。
暴風と光の乱舞がようやく落ち着いて、乱れた髪を整えながらゆっくりと空を見上げれば、17年間見続けた空の光の帯が綺麗さっぱりと消えてしまっていました。
その後、再び島に戻ると母上や兄上、それに緋桐さんまでもが血相を変えて駆け寄ってきました。そしてその勢いのまま母上は私をギュッと強く抱きしめると、その後ろでは兄上や山吹や橡、それに緋桐さんまでもが安堵の息を吐いています。
「良かった……。
天の帯が消え、何か良くないことが起きたのかと……」
(これ……ヤバイんじゃ……)
母上たちの狼狽ぶりに、嫌な汗が背中を伝います。なにせ三太郎さんといっしょに行った事を知っている母上たちですらこうなのだから、世界各国は今頃パニックになっているかもしれません。叔父上が一番は変わりませんが、だからといって世界をパニックに陥れて放置という訳にもいきません。
「山吹、今すぐ茴香殿下と蒔蘿殿下に鳥を飛ばして!
あと緋桐さんも鳥を貸すので、ってヒノモト国に行かせたこと無いかもっ?!」
焦ってしまって考えが上手くまとまりません。
「と、ともかく。天の光の帯が消えたのは凶事の前触れなどではなく、
精霊様がこの先も大地を守る為に必要だと思われたからなので安心して欲しい。
だから不必要に民が慌てるような事が無いように、
例えば食糧の買い占めや人心を惑わす変な流言にひっかからないように、
対処して欲しいと手紙に書いて送って」
前もってこうなる事が解っていたら殿下たちに事前に知らせておけたのに……と、ちょっと恨めしい視線を龍さんに向けてしまいます。
「お嬢、大丈夫ですから落ち着いて。
おそらくヤマト国の方々ならば、お嬢が仰るような方向で既に動いているかと。
念の為に確認しますが、空の帯が消えたのは三太郎様のお力で??」
アワアワとした私を落ちかせて質問してくる山吹ですが、私より先に金さんが答えてくれました。
「いや、我らではなく龍だ。
そもそもあの空に浮かんでいたのは風の精霊石、つまり織春金でな。
龍がその力を吸収致した為に消えたのだ」
その言葉にようやく心から安心したらしい山吹は、
「では私は書を認めてヤマト国へと飛ばします。
ヒノモト国へはいかが致しましょう?
それにヒノモト国には精霊語を読める者もおりませんし……」
私達が出す手紙は精霊語で書かれていて、万が一誰かに見られたとしても読めないようにしてあります。そして日本語が解る人間は私達家族と茴香・蒔蘿両殿下しかいません。
「俺がヒノモト国に戻ろう。
すまないが近くまで船を出してもらう事は出来るか?
出来るだけ早い方が良いが、今日明日でなくても構わない」
「それでしたら僕が……とはいえ、準備に5日ぐらいは頂くことになりますが」
緋桐さんの言葉に兄上が挙手しました。もともとソーラーパネル事業の関係で火の月が来る前に一度顔を出さないと駄目だったそうで、それを少し早めようということでした。そんな兄上に「かたじけない」と頭を下げる緋桐さんを見て、
(ヤマト国とヒノモト国の両方に龍さんの分体を置いておきたいけど、
精霊力の補充を考えると無理だろうなぁ……。
うーーん、でも何かしらの通信手段は切実に欲しい)
スマホみたいな高機能なモノは絶対に不可能だし、電話は龍さんが居れば可能ですが龍さん無しでは成り立ちません。
(せめて電報のようなことができれば……)
そういって頭に思い浮かべたのは何故かトン・ツーという電報定番の電気信号の音ではなく、ドン・カッといった太鼓のアレで……。
(でも音を伝えるのが風の精霊の力なら、
霊石間でドン・カッって音を伝える機能を籠められたらいけるんじゃ?
勿論、電話が可能なら一番だけど……)
この時の私はまったく気づいていませんでしたが、ナチュラルにミズホ国の事は全く考えていませんでした。王族や華族は自業自得だと思う反面、何の罪咎のない国民には申し訳ないなぁと思ってしまうのでした。
家に戻った私達は、全員で叔父上が封じられた巨大な震鎮鉄を浜辺へと運びました。これから叔父上を復活させるために、地・水・火・風、それぞれが存分に力を発揮できる場所が必要です。例えば火なら巨大な篝火を焚く必要があり、流石に室内でという訳にはいきません。
龍さんの指示通りに河口がある砂浜に巨大な篝火を焚くと、火の粉が強い風に舞って空高くまで上っていきました。私達が篝火の準備をしている間に金さんは地面に円を描くような溝を掘り、そこに川から水を流し入れて流れる水と火の中央に震鎮鉄を置きました。その地面はまっさきに山幸彦さんの力で、砂ではなくて豊かな土へと変えられています。そして何故か大量の魚介類が海幸彦さんによって八足と呼ばれる台の上に並べられています。ふと見れば畑で取れた野菜も同じように並べられていて、まるで神饌のようです。ですが綺麗に洗ってから供えられる神饌とは違い、野菜はまだ土がついたままですし魚介類たちもまだ生きています。
神饌のような野菜や魚介類の意味はわかりませんが、火良し、水良し、土良し、そして風も良し。
いよいよです。
心臓がドキドキと痛い程に脈打ち、あまりの緊張に吐き気すらしてきました。
まずは山さん主導で叔父上が封じられた震鎮鉄から、霊力をゆっくりと山さんへと戻していきます。その補助に金さんと龍さん、それに浦さんが入って確実に……それでいて中に居る叔父上や震鎮鉄となった叔父上の守護精霊の負担にならないように慎重におこなっていきます。
実際に経過した時間はそれほどではないのでしょうが、喉がカラカラになるほどに長い時間が経過したような気がします。
それは唐突に起こりました。
急に震鎮鉄の輪郭が朧げになったかと思ったら、そのまま山さんの足元に小玉西瓜サイズの金色の球体=叔父上の守護精霊が現れました。
そして実に半年以上ぶりに叔父上の姿が、あの時のまま……。
あの時の苦しげな表情のまま……。
「お……じ…うえ……」
私が小さく呟く横で、母上が息を飲んだのがわかります。母上の元に叔父上が戻って来た時、叔父上はすでに震鎮鉄によって状態維持が施された状態でした。なので叔父上の血の気の引いた顔や、ボロボロの身体を初めて目にしたのです。ただ私と違って気丈にも表情を大きく変えることなく、精霊のみんなが叔父上を回復させていくさまをじっと見詰め続けています。なので私も倣うように叔父上へと視線を戻しました。
叔父上は全方向からまんべんなく精霊力を受ける為なのか、地上1m半ぐらいのところに立つように浮いていました。更にしっかりと見れば、精霊力がキラキラと輝きながら叔父上の中へと入っていくのが見えます。緑色の龍さんの光は鼻や口から入るとそのまま胸のあたりへと向かって留まり、それから再び口や鼻へと戻ってきます。対し浦さんの青い光は全身をくまなく巡っていて、その光のラインは前世の生物の授業で習った人間の血管を見ているようで、大きい血管を真っ青に染めた後は細い血管までもを青く染めていきます。金さんの黄色い光は、叔父上の背後から後光のように光って見えます。おそらく叔父上の背中の怪我を直しているのかもしれません。そして桃さんの赤い光は叔父上の胸のほぼ中央、心臓と思われる場所で何度も何度も強く明滅しています。
知らず知らずのうちに私は両手を合わせて、神様に祈るようなポーズになっていました。私の横にいる母上や橡も、私の斜め前方にいる兄上や山吹も、そして緋桐さんまでも同じように手を合わせています。
ヒュッ
という小さな息の音がした次の瞬間、
「ゴホッ!! ガホッゲホッッッ!!」
と大きく叔父上が咳き込み始めました。今まで龍さんの力で呼吸を行っていましたが、ようやく自分で呼吸を始めたのです。それをきっかけに、生気をほとんど感じられなかった顔に徐々に赤みがさしていきます。
黄・青・赤・緑の光がどんどんと強くなり、私の目にはまるで叔父上が光の中に消えてしまったかのように見え、あまりの不安に息をするのを忘れて凝視しました。そしてその光がフッと消えたかと思うと、元気だった頃と変わらない叔父上が大地へ寝そべるようにゆっくりと降ろされているところでした。
「もう大丈夫じゃろう。
そしてすまんが流石に疲れた。悪いが少し休ませてもらう」
龍さんはそう言うと姿を消しました。同時に私の中に龍さんの気配を感じます。そして金さん・浦さん・桃さんの姿も消えて、次々に私の中へと戻ってきました。消費した霊力だけならばマガツ大陸での大妖戦の方が多かったのでしょうが、問題は消費量よりも繊細を極めた霊力の使用法だったようで、特に桃さんが疲労困憊といった感じでした。
後は推測ですが、私達家族に気を使ってくれたのだと思います。自分たち精霊に対する礼よりも再会を優先し喜べるように……。それを裏付けるように、二幸彦さんもいつの間にか消えていました。
三太郎さんが消えた途端、真っ先に山吹が駆け出しました。兄上も母上も橡も叔父上に向かって駆け出します。そして山吹が叔父上の上半身を抱きかかえて起こすと、叔父上の瞼がピクリと動きゆっくりと開いていきました。
「若!!!」
「鬱金……」
「若様!」
「叔父上ぇ」
口々に呼びかける皆の顔を叔父上はゆっくりと見回してから、
「すまない、ずいぶんと心配をかけたようだ」
と掠れた声で答えました。
「心配なんてものじゃありません!!」
母上の叱咤に「すみません」と謝る叔父上。良かったと叔父上の手を握る兄上にも「すまないね」と謝る叔父上。山吹にも橡にも……
でも、一番謝らないと駄目なのは私です。
私さえもっと強ければ。そもそも私があの時攫われなければ……。
そんな「たられば」が頭の中を渦巻いて、そして叔父上に嫌われてしまっていたらどうしようと思うと私は足が一歩も前に出ません。もちろん叔父上に嫌われてしまったとしても、叔父上を助けたいと思う気持ちや助かって良かったと思う気持ちが揺らぐ事はありませんし、この先も助けたいと思い続けると思います。
それでも……。
「どうした? 櫻嬢はいかないのかい?」
すぐ横にまで様子を見に来た緋桐さんが、不思議そうに私の顔を覗き込みます。
「後で良い……」
「櫻嬢はそうやってすぐに自分から引こうとする癖があるな。
それ、相手に寂しい思いをさせているかもしれないぞ?」
その言葉に緋桐さんの顔を見上げれば、苦笑しつつも優しい目で私を見ていました。
「もっと自分を前に出して良いと思うぞ?
それにあそこにいる人たちは他の誰でもなく、櫻嬢の家族だ」
そう言うと緋桐さんは私の背中をポンと押して前へと進ませます。たたらを踏むように前へ数歩進んでしまいましたが、それでも足を進める勇気はなく。それどころか叔父上を見る勇気すら……。
「櫻」
呼びかけられた声にビクッと肩が震えます。
「櫻?」
その声は以前と変わらない優しさと温かさに満ちていて、思わず顔を上げてしまいました。叔父上は何時ものように優しく微笑んでいて、ギュッと心臓が鷲掴みにされたかのように苦しくなります。返事をしない私に首をかしげた叔父上は山吹の手を断って自力で座り直すと、ゆっくりと両手を広げ
「おいで」
と私へ向かって言いました。
あの日、あの時。海の上でそうしてくれたように。
「叔父上……。叔父上っっ!」
最初は半歩だけ、次はもう少し、その次は……と少しずつ早くなる歩みに、かろうじて叔父上に飛び込むのはまずいという自制心が働きます。普段なら私が全力でタックルしたって微動だにしない叔父上ですが、流石に今は駄目です。
叔父上の直ぐ近くまで駆け寄ると、その場に膝をついてゆっくりと叔父上へ腕を伸ばします。軽いポスッという音とともに叔父上の胸に顔を寄せると、そのまま叔父上の腕に包まれました。
「ごめんなさい……。 叔父上、ごめんなさいっ!」
「櫻が謝る事じゃない。私の力が足りなかっただけだよ」
「でもっ!!」
そう言って顔を上げようとしたのですが、それを防ぐように叔父上がギュッと私を抱きしめました。
「私の方こそ、すまない。知っていたはずなのに……。
残される者の苦しみも辛さも、私は知っていたはずなのに……」
叔父上の声は微かに震えていて、私がそうであるように泣くのを堪えているかのようです。そんな叔父上の声に私の方は堪えきれず、涙が零れ落ちてしまいました。私が悪いのに涙を流すなんて、絶対に嫌だと思っていたのに……。
私は残す方も残される方も両方知っているけれど、どっちも辛くて悲しいのです。そしてその辛さを共有できる人が居るだけでも救いではあるのですが、今の私のように17歳だった叔父上を抱きしめてくれる人は誰もいませんでした。家族の長として誰よりも強く、誰よりもしっかりとしなければならなかった叔父上。唯一、姉にあたる母上なら抱きしめてくれたかもしれませんが、当時の母上は今のように元気ではありませんでした。
「叔父上……」
金さんたちが怪我をしっかりと治してくれたと思うけれど、それでも身体に負担にならないようにそっと叔父上を抱きしめます。叔父上の心の傷も癒えるようにと願いを籠めて……。
「さぁ、櫻。鬱金におかえりなさいってしてあげて」
優しく頭を撫でられてゆっくりと顔を上げれば、ようやく止まりそうな涙で滲む視界に母上が映りました。母上は微笑んでいましたが、その目には私と同様に涙が浮かんでいます。私は小さく頷くと、今度こそしっかり叔父上を見て
「おかえりなさい、叔父上」
と笑顔で伝え、叔父上もそれに笑顔で
「あぁ、ただいま」
と応えたのでした。
私の言葉に想定外の場所から強い反発が返ってきました。その声に振り返れば桃さんが顔を真っ赤にして怒りを露わにしています。何をそんなに怒っているのか、私の脳内にクエッションマークが幾つも浮かびますが、その疑問はすぐに解決されました。
「お前があっちの世界で一度死んだってのは知っている。
だがな、命はそうやって巡るもんだ!
自分を死人みたいに言うんじゃねぇ!!
……何よりここに居ちゃいけないみたいな言い方するな……」
怒りの口調が最後には寂しそうで悲しげなものへと変わり、こんな桃さんを見たことがない私は焦ってしまいました。
「ち、違うよ、桃さん。そういう意味じゃなくてね……」
慌てて弁明するのですが、桃さんには色々と思う所があったようです。
「櫻は明確に線を引きをしますからねぇ……。
家族とそれ以外ですとか、私達三太郎とそれ以外といったように。
勿論それ以外の中にも多少は差があり、ヤマト国の双子や
緋桐のように少しだけ気にかけている者も居るようですが……」
「そのくせ自分の事はその外に配置致すのだ、あれは良くない」
いやいや、浦さんも金さんも何を言っているのよ。
「はい! そこまで!!
違うから! 私が言いたいのは私がこの世界で生まれたのではなく、
前の世界から移動してきただけじゃないかって事なの!」
私の言葉に三太郎さんは顔を見合わせてから
「いや、でも。お前は前の世界で今と同じぐらいの年齢だったし、
この世界に来た時は赤ん坊だっただろ? おかしくね??」
と言う桃さんに、金さんや浦さんも頷きます。そんな私達のやりとりを静かに見ていた龍さんは、ゆっくりと切り出しました。
「おぬしは何故そう思った?」
「質問に質問で返さないでよ」
苦笑してそう答えたものの、深呼吸を1度してから改めて言葉を紡ぎます。
「例えば私だけ身体能力が極端に低すぎるとか、
私だけ食べる量が極端に少ないとか、主に身体に関するあれこれかな。
でも皆がそれは三属性の守護を持った副作用みたいなモノだと言うから
そんなものかぁと私も納得していたんだけど……」
小さい頃は(私も大きくなったら叔父上たちのように助走なし垂直ジャンプで2階建ての屋根に飛び乗れるようになるんだ!)って思っていたけれど、どんなに頑張っても未だに50cmぐらいしか飛べません。そんな事を思いつつ、
「でもその劣っている全てが、前世基準なら普通の範囲なんだよね。
何だったらモノによっては前世の標準よりも上なモノもあるぐらいだし。
そしてそんな違和感を明確に浮き彫りにしたのは、さっきの龍さんの言葉かな」
と伝えると、龍さんは
「儂の言葉?」
と首を傾げます。
「龍さんはさっき、天人天女の例として母上を出したけれど、
それって私は天女じゃないって言っているに等しいよね?」
そう、龍さんはわざわざ沙羅と母上を名指しにしたのです。それも私の母と私を経由しておきながら、私を例にはしなかった。
「つまり私は天女じゃない。天女というこの世界の規格には当てはまらない。
なぜならそもそも私はこの世界の規格外の人間だから……。違う?」
「で、でもよ! お前は確かに赤ん坊だっただろ!」
「それは私も不思議に思ってる。……でも、龍さんなら出来るんじゃない?
変化を司る、神に等しい霊力を持つ第一世代の精霊の龍さんなら」
私の言葉に水を打ったように静かになった中、自分よりもずっと長身の龍さんの顔を見上げてしっかりと目を合わせ、嘘や誤魔化しは要らないと目に力を籠めます。
「迂闊じゃったなぁ。まぁ隠すつもりはなかったのじゃが、
話すのなら全てが終わってからの方が良いと思っていたのも確かじゃ」
龍さんは苦笑しながら言い、更に言葉を続けます。
「確かにおぬしはこの世界の人間ではない。
儂が理由あって別の世界より連れてきた人間じゃ。
ただその理由や詳細は全ておぬしの叔父を助けてから……じゃろ?」
「うん、勿論。まずは叔父上だね」
龍さんの言葉に一も二もなく同意し、意識を切り替えます。
「お、おい、大丈夫か?」
そんなふうにすっぱり切り替えた私を桃さんが心配そうに気遣ってくれてますが、心の何処かでずっと感じていた違和感の理由が判明し、むしろスッキリしたぐらいです。なので桃さんと、その後ろから心配気な視線を向けてくる金さんと浦さんに笑顔で「大丈夫」と返し、龍さんへと向き直りました。その龍さんは準備運動をするかのように腕を曲げたり伸ばしたりしたかと思うと、
「さて……。大仕事の始まりじゃな」
という言葉とともに空に向かってバッと両手を上げました。その顔が見つめる先には空に浮かぶ光の帯があります。
「今、ここに、再び!!」
龍さんの強い力が籠められた言葉が発せられると同時に、周囲にとんでもない強風が吹き荒れます。思わず身体がフワッと浮きそうになって、慌てて横に居る龍さんにしがみつきました。
「そうじゃ、そうやって儂に捕まっていろ。
三太郎たちよ、万が一にも妨害が入らぬよう警戒だけはしておいてくれよ」
天を睨んだままそう告げる龍さんの声は、叫んでいる訳でもないのにゴウゴウと唸る風の音に負けずに耳に届きます。妨害が万が一ということは事前に相応の対応はしてあるのでしょうが、それでもなお妨害してくる相手に心当たりがあるのでしょう。まぁ、先程の話から察するに土の神なのでしょうが……。
強風に顔をしかめつつ空を見上げれば、風の道が天高くまで続いていました。その中心部は他の空の青よりも色が濃く、その青がどんどんと群青へ、群青から紺へ、そして紺から黒へと変わっていきます。そしてその度に風が強くなるのです。今や龍さんが周囲を守ってくれていなかったら、私は天まで高く吹き上げられていたかもしれないと思うほどの強風です。
ちなみに守りの外は暴風を通り越し、気象庁風力階級の一番上の颶風レベルのようです。なにせかろうじて守りの範囲にある名も知らぬ木々ですら根本から横倒しになってしまっていますし、横倒しになった木々の向こうに見えた海は波が連なる山のようになっています。
これから何が起こるのかと天高くにある黒い穴をじっと見つめてみると、黒の中にキラキラした何かが見え始めました。そのキラキラが徐々に数を増やしていくのと同時に、少しずつ大きくもなっていきます。それらが意味することは、光が急速にこちらに近づいてきているということです。そして最初はあまりにも小さくて判別できなかったのですが、近づくにつれ緑色を帯びた光である事がわかりました。その緑色の光が急接近してきたかと思ったら、次々と龍さんの中へと吸い込まれていきます。
そのまま四半刻が過ぎた頃。
暴風と光の乱舞がようやく落ち着いて、乱れた髪を整えながらゆっくりと空を見上げれば、17年間見続けた空の光の帯が綺麗さっぱりと消えてしまっていました。
その後、再び島に戻ると母上や兄上、それに緋桐さんまでもが血相を変えて駆け寄ってきました。そしてその勢いのまま母上は私をギュッと強く抱きしめると、その後ろでは兄上や山吹や橡、それに緋桐さんまでもが安堵の息を吐いています。
「良かった……。
天の帯が消え、何か良くないことが起きたのかと……」
(これ……ヤバイんじゃ……)
母上たちの狼狽ぶりに、嫌な汗が背中を伝います。なにせ三太郎さんといっしょに行った事を知っている母上たちですらこうなのだから、世界各国は今頃パニックになっているかもしれません。叔父上が一番は変わりませんが、だからといって世界をパニックに陥れて放置という訳にもいきません。
「山吹、今すぐ茴香殿下と蒔蘿殿下に鳥を飛ばして!
あと緋桐さんも鳥を貸すので、ってヒノモト国に行かせたこと無いかもっ?!」
焦ってしまって考えが上手くまとまりません。
「と、ともかく。天の光の帯が消えたのは凶事の前触れなどではなく、
精霊様がこの先も大地を守る為に必要だと思われたからなので安心して欲しい。
だから不必要に民が慌てるような事が無いように、
例えば食糧の買い占めや人心を惑わす変な流言にひっかからないように、
対処して欲しいと手紙に書いて送って」
前もってこうなる事が解っていたら殿下たちに事前に知らせておけたのに……と、ちょっと恨めしい視線を龍さんに向けてしまいます。
「お嬢、大丈夫ですから落ち着いて。
おそらくヤマト国の方々ならば、お嬢が仰るような方向で既に動いているかと。
念の為に確認しますが、空の帯が消えたのは三太郎様のお力で??」
アワアワとした私を落ちかせて質問してくる山吹ですが、私より先に金さんが答えてくれました。
「いや、我らではなく龍だ。
そもそもあの空に浮かんでいたのは風の精霊石、つまり織春金でな。
龍がその力を吸収致した為に消えたのだ」
その言葉にようやく心から安心したらしい山吹は、
「では私は書を認めてヤマト国へと飛ばします。
ヒノモト国へはいかが致しましょう?
それにヒノモト国には精霊語を読める者もおりませんし……」
私達が出す手紙は精霊語で書かれていて、万が一誰かに見られたとしても読めないようにしてあります。そして日本語が解る人間は私達家族と茴香・蒔蘿両殿下しかいません。
「俺がヒノモト国に戻ろう。
すまないが近くまで船を出してもらう事は出来るか?
出来るだけ早い方が良いが、今日明日でなくても構わない」
「それでしたら僕が……とはいえ、準備に5日ぐらいは頂くことになりますが」
緋桐さんの言葉に兄上が挙手しました。もともとソーラーパネル事業の関係で火の月が来る前に一度顔を出さないと駄目だったそうで、それを少し早めようということでした。そんな兄上に「かたじけない」と頭を下げる緋桐さんを見て、
(ヤマト国とヒノモト国の両方に龍さんの分体を置いておきたいけど、
精霊力の補充を考えると無理だろうなぁ……。
うーーん、でも何かしらの通信手段は切実に欲しい)
スマホみたいな高機能なモノは絶対に不可能だし、電話は龍さんが居れば可能ですが龍さん無しでは成り立ちません。
(せめて電報のようなことができれば……)
そういって頭に思い浮かべたのは何故かトン・ツーという電報定番の電気信号の音ではなく、ドン・カッといった太鼓のアレで……。
(でも音を伝えるのが風の精霊の力なら、
霊石間でドン・カッって音を伝える機能を籠められたらいけるんじゃ?
勿論、電話が可能なら一番だけど……)
この時の私はまったく気づいていませんでしたが、ナチュラルにミズホ国の事は全く考えていませんでした。王族や華族は自業自得だと思う反面、何の罪咎のない国民には申し訳ないなぁと思ってしまうのでした。
家に戻った私達は、全員で叔父上が封じられた巨大な震鎮鉄を浜辺へと運びました。これから叔父上を復活させるために、地・水・火・風、それぞれが存分に力を発揮できる場所が必要です。例えば火なら巨大な篝火を焚く必要があり、流石に室内でという訳にはいきません。
龍さんの指示通りに河口がある砂浜に巨大な篝火を焚くと、火の粉が強い風に舞って空高くまで上っていきました。私達が篝火の準備をしている間に金さんは地面に円を描くような溝を掘り、そこに川から水を流し入れて流れる水と火の中央に震鎮鉄を置きました。その地面はまっさきに山幸彦さんの力で、砂ではなくて豊かな土へと変えられています。そして何故か大量の魚介類が海幸彦さんによって八足と呼ばれる台の上に並べられています。ふと見れば畑で取れた野菜も同じように並べられていて、まるで神饌のようです。ですが綺麗に洗ってから供えられる神饌とは違い、野菜はまだ土がついたままですし魚介類たちもまだ生きています。
神饌のような野菜や魚介類の意味はわかりませんが、火良し、水良し、土良し、そして風も良し。
いよいよです。
心臓がドキドキと痛い程に脈打ち、あまりの緊張に吐き気すらしてきました。
まずは山さん主導で叔父上が封じられた震鎮鉄から、霊力をゆっくりと山さんへと戻していきます。その補助に金さんと龍さん、それに浦さんが入って確実に……それでいて中に居る叔父上や震鎮鉄となった叔父上の守護精霊の負担にならないように慎重におこなっていきます。
実際に経過した時間はそれほどではないのでしょうが、喉がカラカラになるほどに長い時間が経過したような気がします。
それは唐突に起こりました。
急に震鎮鉄の輪郭が朧げになったかと思ったら、そのまま山さんの足元に小玉西瓜サイズの金色の球体=叔父上の守護精霊が現れました。
そして実に半年以上ぶりに叔父上の姿が、あの時のまま……。
あの時の苦しげな表情のまま……。
「お……じ…うえ……」
私が小さく呟く横で、母上が息を飲んだのがわかります。母上の元に叔父上が戻って来た時、叔父上はすでに震鎮鉄によって状態維持が施された状態でした。なので叔父上の血の気の引いた顔や、ボロボロの身体を初めて目にしたのです。ただ私と違って気丈にも表情を大きく変えることなく、精霊のみんなが叔父上を回復させていくさまをじっと見詰め続けています。なので私も倣うように叔父上へと視線を戻しました。
叔父上は全方向からまんべんなく精霊力を受ける為なのか、地上1m半ぐらいのところに立つように浮いていました。更にしっかりと見れば、精霊力がキラキラと輝きながら叔父上の中へと入っていくのが見えます。緑色の龍さんの光は鼻や口から入るとそのまま胸のあたりへと向かって留まり、それから再び口や鼻へと戻ってきます。対し浦さんの青い光は全身をくまなく巡っていて、その光のラインは前世の生物の授業で習った人間の血管を見ているようで、大きい血管を真っ青に染めた後は細い血管までもを青く染めていきます。金さんの黄色い光は、叔父上の背後から後光のように光って見えます。おそらく叔父上の背中の怪我を直しているのかもしれません。そして桃さんの赤い光は叔父上の胸のほぼ中央、心臓と思われる場所で何度も何度も強く明滅しています。
知らず知らずのうちに私は両手を合わせて、神様に祈るようなポーズになっていました。私の横にいる母上や橡も、私の斜め前方にいる兄上や山吹も、そして緋桐さんまでも同じように手を合わせています。
ヒュッ
という小さな息の音がした次の瞬間、
「ゴホッ!! ガホッゲホッッッ!!」
と大きく叔父上が咳き込み始めました。今まで龍さんの力で呼吸を行っていましたが、ようやく自分で呼吸を始めたのです。それをきっかけに、生気をほとんど感じられなかった顔に徐々に赤みがさしていきます。
黄・青・赤・緑の光がどんどんと強くなり、私の目にはまるで叔父上が光の中に消えてしまったかのように見え、あまりの不安に息をするのを忘れて凝視しました。そしてその光がフッと消えたかと思うと、元気だった頃と変わらない叔父上が大地へ寝そべるようにゆっくりと降ろされているところでした。
「もう大丈夫じゃろう。
そしてすまんが流石に疲れた。悪いが少し休ませてもらう」
龍さんはそう言うと姿を消しました。同時に私の中に龍さんの気配を感じます。そして金さん・浦さん・桃さんの姿も消えて、次々に私の中へと戻ってきました。消費した霊力だけならばマガツ大陸での大妖戦の方が多かったのでしょうが、問題は消費量よりも繊細を極めた霊力の使用法だったようで、特に桃さんが疲労困憊といった感じでした。
後は推測ですが、私達家族に気を使ってくれたのだと思います。自分たち精霊に対する礼よりも再会を優先し喜べるように……。それを裏付けるように、二幸彦さんもいつの間にか消えていました。
三太郎さんが消えた途端、真っ先に山吹が駆け出しました。兄上も母上も橡も叔父上に向かって駆け出します。そして山吹が叔父上の上半身を抱きかかえて起こすと、叔父上の瞼がピクリと動きゆっくりと開いていきました。
「若!!!」
「鬱金……」
「若様!」
「叔父上ぇ」
口々に呼びかける皆の顔を叔父上はゆっくりと見回してから、
「すまない、ずいぶんと心配をかけたようだ」
と掠れた声で答えました。
「心配なんてものじゃありません!!」
母上の叱咤に「すみません」と謝る叔父上。良かったと叔父上の手を握る兄上にも「すまないね」と謝る叔父上。山吹にも橡にも……
でも、一番謝らないと駄目なのは私です。
私さえもっと強ければ。そもそも私があの時攫われなければ……。
そんな「たられば」が頭の中を渦巻いて、そして叔父上に嫌われてしまっていたらどうしようと思うと私は足が一歩も前に出ません。もちろん叔父上に嫌われてしまったとしても、叔父上を助けたいと思う気持ちや助かって良かったと思う気持ちが揺らぐ事はありませんし、この先も助けたいと思い続けると思います。
それでも……。
「どうした? 櫻嬢はいかないのかい?」
すぐ横にまで様子を見に来た緋桐さんが、不思議そうに私の顔を覗き込みます。
「後で良い……」
「櫻嬢はそうやってすぐに自分から引こうとする癖があるな。
それ、相手に寂しい思いをさせているかもしれないぞ?」
その言葉に緋桐さんの顔を見上げれば、苦笑しつつも優しい目で私を見ていました。
「もっと自分を前に出して良いと思うぞ?
それにあそこにいる人たちは他の誰でもなく、櫻嬢の家族だ」
そう言うと緋桐さんは私の背中をポンと押して前へと進ませます。たたらを踏むように前へ数歩進んでしまいましたが、それでも足を進める勇気はなく。それどころか叔父上を見る勇気すら……。
「櫻」
呼びかけられた声にビクッと肩が震えます。
「櫻?」
その声は以前と変わらない優しさと温かさに満ちていて、思わず顔を上げてしまいました。叔父上は何時ものように優しく微笑んでいて、ギュッと心臓が鷲掴みにされたかのように苦しくなります。返事をしない私に首をかしげた叔父上は山吹の手を断って自力で座り直すと、ゆっくりと両手を広げ
「おいで」
と私へ向かって言いました。
あの日、あの時。海の上でそうしてくれたように。
「叔父上……。叔父上っっ!」
最初は半歩だけ、次はもう少し、その次は……と少しずつ早くなる歩みに、かろうじて叔父上に飛び込むのはまずいという自制心が働きます。普段なら私が全力でタックルしたって微動だにしない叔父上ですが、流石に今は駄目です。
叔父上の直ぐ近くまで駆け寄ると、その場に膝をついてゆっくりと叔父上へ腕を伸ばします。軽いポスッという音とともに叔父上の胸に顔を寄せると、そのまま叔父上の腕に包まれました。
「ごめんなさい……。 叔父上、ごめんなさいっ!」
「櫻が謝る事じゃない。私の力が足りなかっただけだよ」
「でもっ!!」
そう言って顔を上げようとしたのですが、それを防ぐように叔父上がギュッと私を抱きしめました。
「私の方こそ、すまない。知っていたはずなのに……。
残される者の苦しみも辛さも、私は知っていたはずなのに……」
叔父上の声は微かに震えていて、私がそうであるように泣くのを堪えているかのようです。そんな叔父上の声に私の方は堪えきれず、涙が零れ落ちてしまいました。私が悪いのに涙を流すなんて、絶対に嫌だと思っていたのに……。
私は残す方も残される方も両方知っているけれど、どっちも辛くて悲しいのです。そしてその辛さを共有できる人が居るだけでも救いではあるのですが、今の私のように17歳だった叔父上を抱きしめてくれる人は誰もいませんでした。家族の長として誰よりも強く、誰よりもしっかりとしなければならなかった叔父上。唯一、姉にあたる母上なら抱きしめてくれたかもしれませんが、当時の母上は今のように元気ではありませんでした。
「叔父上……」
金さんたちが怪我をしっかりと治してくれたと思うけれど、それでも身体に負担にならないようにそっと叔父上を抱きしめます。叔父上の心の傷も癒えるようにと願いを籠めて……。
「さぁ、櫻。鬱金におかえりなさいってしてあげて」
優しく頭を撫でられてゆっくりと顔を上げれば、ようやく止まりそうな涙で滲む視界に母上が映りました。母上は微笑んでいましたが、その目には私と同様に涙が浮かんでいます。私は小さく頷くと、今度こそしっかり叔父上を見て
「おかえりなさい、叔父上」
と笑顔で伝え、叔父上もそれに笑顔で
「あぁ、ただいま」
と応えたのでした。
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