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4章
17歳 -水の極日1-
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叔父上が帰ってきた……
叔父上が返ってきた!!!
大事なことだから何度だって言いたいし、なんだったら叫びたい!
外を全力で走り回って喜びを表現したいし、どうせなら狂喜乱舞という言葉通りに踊り出したい!
そんな風に思ってしまうぐらい心の底から喜びが湧き上がってきて、居ても立ってもいられない気分なのですが、現状それらの行動は叶いません。
なぜなら……
「大人しく寝ているのですよ」
「はい……」
心配そうに表情を曇らせた母上は、私の返事を聞くと静かに部屋を出ていきます。兄上と橡も
「何かあれば呼ぶんだぞ?」
「後で冷やした甘瓜をお持ちしますね」
と一言残して母上の後に続きました。甘瓜というのは小さい頃に畑で育てていたマクワウリとそっくりな黄瓜を、特に甘いモノ同士をかけ合わせて作った新しい瓜です。サイズや形状は黄瓜とほぼ同じで、少しだけ赤みが強いかな?という瓜なのですが、甘さは段違いで前世のメロンに等しい甘さがあります。流石に日本各地にあったブランドメロンには及ばないのですが、何時かはそんなメロンも再現してみたいところです。ちなみにこの甘瓜は島から出していないので、家でだけ食べられる特別品です。
これ大変だったんですよね……。
この世界には人工受粉という考え無く、受粉は虫や風まかせなので作物の出来は完全に運なんです。そんな環境下で始めた黄瓜の品種改良は、海上生活による中断期間を抜いても10年弱の年月がかかっています。
私はそんな事を思い返しながらも三人の足音が遠ざかるのを待ち、深い溜息をついてしまいました。いつもの事ではあるのですが、今回も例に漏れず発熱してしまったのです。
私は幼い頃から長期間の旅から帰宅すると必ず熱を出してしまっていたのですが、昨日は熱を出すこともなく平気だったのです。私も17歳になったので体力がついたのだと思っていたのですが、叔父上が目覚めた事に安心した途端に頭がクラクラとしてしまい、自立できないほどに熱が上がってしまいました。
慌てた叔父上が私を抱えて運ぼうとしてくれたのですが流石にそれは周囲が止め、代わりに兄上が私を部屋まで抱えてくれました。同時に母上や橡が冷たい水と布やスポドリをテキパキとウォーターベット御帳台の横にあるサイドテーブルに準備してくれます。ずいぶんと手際が良いなぁと思っていたら、橡が
「お嬢様は戻られると何時もお熱を出されますから……。
すぐに対処できるように、前もって準備をしておいたのですよ」
と教えてくれました。その言葉に、嬉しいような悔しいような……なんとも言えない気分になります。
(そんなに身体は弱くないと言いたいけれど、
実際熱を出しちゃっているからなぁ……)
そこで、ふと気付いた事がありました。それを確認するために心の中で龍さんに呼びかけます。
<龍さん、龍さん。聞こえる??>
<聞こえておるぞ。どうした?>
<私がこうやって直ぐに熱を出してしまうのって……、
やっぱり私が異世界人だから?>
<それが全ての原因ではないのじゃが、かなり大きな要因ではある。
この世界はおぬしの居た世界に限りなく近い。
人が生きていくうえで必要な物や様々な法則も似ているじゃろ?
じゃが、全く同じではない>
そう言われて様々なモノが巨大だったり、竹だと思っていた植物の葉っぱの形が違ったり、石鹸が固形化しなかった事などを思い出します。
<そうだね。同じ事も多々あったけど、違う事も多いと思う>
<そうじゃろう?
その筆頭に精霊という存在がある訳じゃが……>
真っ先に思い至るべき存在を、うっかり忘れていました。それぐらい三太郎さんとの暮らしが普通になってしまったという事なのかもしれません。
<土地によって濃度に違いはあるのじゃが、
この世界には神の力、つまり精霊力というものが満ちている。
人々はその霊力を取り込んで回復しておるのじゃよ。微小ではあるがな。
じゃがおぬしはこの世界の霊力を取り込むようにはできておらん>
<つまり叔父上たちは補給ありのフルマラソン、
私は補給無しのフルマラソンをしているって事?>
心話でフルマラソンがどう変換されて龍さんに伝わるのかは謎です。おそらく長距離走あたりだと思いますが、何にしても(そりゃぁ、倒れるわ)と思ってしまいます。
<そういう事じゃな。
おぬしはこの世界の霊力では自身の回復はできん。
しかしおぬしの中でこの世界の精霊は霊力を回復させることはできる。
何故なら……>
<龍さんがずっと私の中に居たから?>
<正解じゃ。正確には現在進行系でおぬしの中に分体は一つ残しておるぞ?
じゃがそれを可能にしたのは、おぬしが元いた世界の特性のおかげじゃ。
おぬしの世界、おぬしの暮らした地は人が神にもなれる地だったじゃろ?>
一神教の世界は馴染みがないのでわかりませんが、日本では山も海も石も立木も、そして人も神として祀られていました。つまり前世の人なら誰でも精霊を宿すことができるという事になり世界人口80億人強が、日本限定だったとしても1億2千万人全員が天人・天女になれるという事になります。
<この世界の人間にとって、神は外にあり、
おぬしが元居た世界の人間にとって、神は内にある。
ゆえに己を律し、己が内の神に恥じぬ生き方をする>
あの世界のあの国は龍さんが言うような、そんな良いものじゃなかったような気もします。その言い方だと前世は聖人だらけで、犯罪者の一人も居ない世界のように聞こえますが、実際は争いは絶えず犯罪者だって少なくありません。勿論世界的に見れば犯罪率の低い国ではありましたが……。
<何にしても今は休め。
難しい話は元気になってからで良いじゃろ?>
<そうだね。
あっ、後でしっかり話し合いの内容は教えてね>
<わかっておる、わかっておる>
龍さんのその言葉を最後に心話を終えました。今頃みんなは今後のことを話し合っているはずです。私はこんな有り様なので、話し合いに参加する事は認められませんでしたが、後で詳しく教えてもらう予定です。
まず兄上と緋桐さんはヒノモト国へ行く必要があります。ヤマト国へは伝書鳥を飛ばして事情を伝える予定ですが、その後を追うように山吹も行った方が良いかもしれません。
(私は……私はどうしよう?)
うつらうつらとし始め、思考がプツリプツリと切れてしまいます。皐月姫殿下には心配をかけたはずなので直接会って無事を伝えたいし、ヤマト国の双子の殿下たちにも会って織春金の彫刻刀を使うことで成功したという霊石のことを詳しく聞きたい。他にもやりたい事や相談したい事が次々と浮かぶのですが、熱のせいか考えが全くまとまりません。
(流石にヤマト国とヒノモト国の両方に行くのは無理だよね……)
とチラリと思ったのを最後に、私の意識は完全に暗闇に閉ざされたのでした。
3日半しっかり寝込んだ後、私は自分も一緒にヒノモト国に行きたいと兄上たちに直談判を始めました。皐月姫殿下に無事だと報告したいという事もありますし、ソーラークッカーを使った塩事業も気になります。それに結局持ち帰れなかった油梨の木やその他の油が取れる植物をもう一度探しに行きたいですし、塩作りの副産物であるにがりを使った食品開発も進めたいのです。
勿論にがりの活用は山拠点で暮らしていた頃からしていて、例えばお肉料理に少し入れてお肉を柔らかくしたり、お野菜のアク取りなんかにも使っています。変わった所ではお風呂でかかとに塗って、ガサガサかかとの治療?にも使ったりしています。ちなみ定番の豆腐は、主原料の大豆があまり手に入らないので作れません。残念極まりないですが伝手を使っても入手できる大豆は少量ですし、その大豆も味噌にしてしまうので仕方ありません。
そうやって私達はにがりを活用していますが、ヒノモト国の海水から作られたにがりも同じように活用できるのかは謎ですし、料理に関してもヒノモト国の人の口に合うかはわかりません。なので現地に行って、直接現地の人の意見を聞きながら活用法を探るの一番なのです。
そのあたりを力説して、三太郎さんたちを常に内に宿しておく事や、緋桐さんか兄上のどちらかと常に一緒に居る事を条件に何とか許可をもぎ取りました。そんな中、最後まで反対していたのは山吹でした。山吹はヤマト国へ行く事になった為、ヒノモト国へ一緒に行くことができません。なので余計に心配だったのだと思います。
ここまではほぼ想定内だったのに対し、想定外だったのはヒノモト国についてからでした。天高くに常に存在していた光の帯が消えたことでヒノモト国はかなり情勢不安になっていて、港の警備も厳重になっていましたし道中も辻ごとに兵が数人ずつ立っていました。巡回している兵とは何度もすれ違うのに対し一般人の人影は少なく、通行人よりも兵の方が多いぐらいです。以前来た時は火の極日だった事もあり、お祭りを楽しむ人々で何処を見ても笑顔の花が咲いていたのにと思うと、あまりの違いに絶句してしまいます。
私以上に絶句していたのは緋桐さんでした。
彼は一番近くにある駅伝に向かうと、自分の随身だった柘榴さんに「あの時の宿にいる。出来るだけ早くに会いたい」と書いた文を、手間賃を余計に渡して出しました。受け取った駅伝の人は眼の前の男が緋桐さんだとは最初気づかなかったようで、短髪=犯罪者?と訝しげな視線を向けていましたが、急を要すると判断した緋桐さんが自分の紋が刻まれた木札を見せると態度が一変し、すぐさま文を届けてくれる事になりました。
そのおかげで私達が荷物をほどいていた部屋に柘榴さんが飛び込んでくるまで、1時間もかかりませんでした。
「おーまーえーは!!!
連絡ぐらいもっとこまめに入れろ!
…………心配になるだろうが…………」
「すまない。だが俺にも事情があってだな……」
緋桐さんを見るなり、彼の胸ぐらを掴んで揺さぶる柘榴さんに驚いてしまいます。なにせ前に柘榴さんと会った時、彼らは上下関係だったので特別の親しさは感じられましたが言動はとても丁寧でした。それがこの対応。それだけ二人が近しい関係であったという事でしょうし、柘榴さんが言うように心配だったのでしょう。
同時にマガツ大陸に居た間、自分ばかり連絡を入れて緋桐さんの連絡にまで気を配らなかった事を反省しました。一応兄上経由で皐月姫殿下に緋桐さんの近況を伝えてはいたのですが、兄上がヒノモトに行く頻度を考えると充分とはとても言えない頻度です。
(やっぱりヒノモト国にも連絡手段が必要だなぁ)
ヤマト国には伝書鳥で連絡が取れますが、ヒノモト国は土地柄もあって不向きです。それに伝書鳥も駅伝を使った飛脚や馬早飛脚よりは早いですが、悪天候で不着というアクシデントがあったりもします。やっぱり早急に電報の開発を進めるべきかもしれません。
私が電報のシステムを悩んでいる間に、緋桐さんは柘榴さんに出来るだけ早急に陛下か兄殿下に会えるように手配を頼みました。同時進行で兄上は商人としての正規ルートで王宮へ連絡を入れ、皐月姫殿下へ会談の申し入れをしに行きました。ついでに後日、私とも面会して欲しいと頼んでおきます。私との面会は急ぎではないので、時間のある時に……と。
荷物を片付けながら返事を待っていると、あっという間に夜になりました。
まず最初に返事が来たのは兄上で、「明日の朝3つの鐘がなる頃、王宮第3門へ来られたし」と書かれた文が届きました。ちなみに紙が全国共有で高級品、そしてこの国では木材も高級とあって、使われている材質は貝殻でした。30cmはあろうかという巨大で細長い形の貝殻は、サイズさえ小さければマテ貝のような形をしていました。外側は茶や灰・黒色で複雑な紋様が描かれていますが内側は白く、その内側に字が書いてあります。
「この二枚貝は全く同じ模様をしているんだよ。
その性質を利用してこの国では割符の代わりに使うんだ」
と緋桐さんが教えてくれました。ところ変われば……というやつですね。ただ、その割符代わりの貝殻には追加があって、詳しくは明日話すが塩作り装置が熱で歪んだという見逃せない文言が書かれてありました。
「……熱に強い金属でお願いって頼んだんだよね?」
「確かにそう頼んでおいたんだが……」
どうしてそうなったと兄上と二人で首を傾げてしまいますが、これが事実なら事業が頓挫してしまうかもしれません。これは私達家族の安全がかかっている、大事な事業です。対ミズホ国の為にヒノモト国にも対外的な力をつけて欲しいですし、この国での吉野家の影響力も上げておきたいのです。
「火の極日の神事でこの新しい塩を供えたいと姫君は仰っていて、
それに向けて万事順調に進んでいると聞いていたんだが……」
「神事で……か。 それはまずいな。
例年通りだとそろそろ神事や祭事に供える品の選定に入る時期だ。
しかも塩事業ともなれば、陛下臨席で披露したうえでの選定となるだろう」
「えぇ、そのように聞いています」
「その選定時に機器に不具合があるとなれば……」
緋桐さんの言葉に、私も兄上も血の気が引いていきます。叔父上に胸を張って報告ができるようにと頑張ってきた兄上にとって、頓挫しかねないという現状は足元の地面が崩れてしまうような気持ちでしょう。
「兄上、まだ時間はあるよ!
だからまずは話を聞きに行こう!」
兄上の手を両手で握り、顔を見上げてしっかりと目を合わせて訴えると、兄上の瞳に力が戻ります。
「そうだね。明日の朝……」
と兄上が言いかけた時、外から来客を知らせる音がなりました。その対応に出た緋桐さんは柘榴さんを伴って戻ってくると
「その事だが今から行こう。俺の方にも連絡が来た」
と言い、私達は柘榴さんの案内で王宮へと向かいました。途中で私と兄上は目隠しをされてしまいましたが、これは行く先と待っている人を考えれば仕方がありません。緋桐さんが私を、柘榴さんが兄上を馬に乗せて夜道を走り続けました。そして馬を降ろされてから少し手を引かれて歩き、ようやく目隠しを外してもらったのは宿を出てから体感で2時間弱経っていたと思います。
そこは両サイドに白く高い壁があって現在位置は良くわかりませんし、空の星も良く見えません。幅50cm程の通路は脇道が無数にあり、その通路を柘榴さんを先頭に進んでいきます。道順を知っていないと確実に迷子になる仕組みのようで、方向が解らなくなるように何度も曲がり、いい加減私の息が上がってきた頃になって眼の前に扉が現れました。
(やっと着いた?)
決して声を出してはいけないと前もって言われている為、声を出して尋ねる事はできません。なので私の後ろを守るように立っている緋桐さんを尋ねるように見上げると、緋桐さんは私と兄上を少し後ろに下がらせます。
柘榴さんはようやく現れた扉に背を向けて反対側の壁を何かを探すように指で探ると、その壁の一部がズズズッと音を立てて凹んでから横にずれていきました。
呆気に取られる私と兄上でしたが、背後の緋桐さんに促されるまま壁の中へと入っていったのでした。
叔父上が返ってきた!!!
大事なことだから何度だって言いたいし、なんだったら叫びたい!
外を全力で走り回って喜びを表現したいし、どうせなら狂喜乱舞という言葉通りに踊り出したい!
そんな風に思ってしまうぐらい心の底から喜びが湧き上がってきて、居ても立ってもいられない気分なのですが、現状それらの行動は叶いません。
なぜなら……
「大人しく寝ているのですよ」
「はい……」
心配そうに表情を曇らせた母上は、私の返事を聞くと静かに部屋を出ていきます。兄上と橡も
「何かあれば呼ぶんだぞ?」
「後で冷やした甘瓜をお持ちしますね」
と一言残して母上の後に続きました。甘瓜というのは小さい頃に畑で育てていたマクワウリとそっくりな黄瓜を、特に甘いモノ同士をかけ合わせて作った新しい瓜です。サイズや形状は黄瓜とほぼ同じで、少しだけ赤みが強いかな?という瓜なのですが、甘さは段違いで前世のメロンに等しい甘さがあります。流石に日本各地にあったブランドメロンには及ばないのですが、何時かはそんなメロンも再現してみたいところです。ちなみにこの甘瓜は島から出していないので、家でだけ食べられる特別品です。
これ大変だったんですよね……。
この世界には人工受粉という考え無く、受粉は虫や風まかせなので作物の出来は完全に運なんです。そんな環境下で始めた黄瓜の品種改良は、海上生活による中断期間を抜いても10年弱の年月がかかっています。
私はそんな事を思い返しながらも三人の足音が遠ざかるのを待ち、深い溜息をついてしまいました。いつもの事ではあるのですが、今回も例に漏れず発熱してしまったのです。
私は幼い頃から長期間の旅から帰宅すると必ず熱を出してしまっていたのですが、昨日は熱を出すこともなく平気だったのです。私も17歳になったので体力がついたのだと思っていたのですが、叔父上が目覚めた事に安心した途端に頭がクラクラとしてしまい、自立できないほどに熱が上がってしまいました。
慌てた叔父上が私を抱えて運ぼうとしてくれたのですが流石にそれは周囲が止め、代わりに兄上が私を部屋まで抱えてくれました。同時に母上や橡が冷たい水と布やスポドリをテキパキとウォーターベット御帳台の横にあるサイドテーブルに準備してくれます。ずいぶんと手際が良いなぁと思っていたら、橡が
「お嬢様は戻られると何時もお熱を出されますから……。
すぐに対処できるように、前もって準備をしておいたのですよ」
と教えてくれました。その言葉に、嬉しいような悔しいような……なんとも言えない気分になります。
(そんなに身体は弱くないと言いたいけれど、
実際熱を出しちゃっているからなぁ……)
そこで、ふと気付いた事がありました。それを確認するために心の中で龍さんに呼びかけます。
<龍さん、龍さん。聞こえる??>
<聞こえておるぞ。どうした?>
<私がこうやって直ぐに熱を出してしまうのって……、
やっぱり私が異世界人だから?>
<それが全ての原因ではないのじゃが、かなり大きな要因ではある。
この世界はおぬしの居た世界に限りなく近い。
人が生きていくうえで必要な物や様々な法則も似ているじゃろ?
じゃが、全く同じではない>
そう言われて様々なモノが巨大だったり、竹だと思っていた植物の葉っぱの形が違ったり、石鹸が固形化しなかった事などを思い出します。
<そうだね。同じ事も多々あったけど、違う事も多いと思う>
<そうじゃろう?
その筆頭に精霊という存在がある訳じゃが……>
真っ先に思い至るべき存在を、うっかり忘れていました。それぐらい三太郎さんとの暮らしが普通になってしまったという事なのかもしれません。
<土地によって濃度に違いはあるのじゃが、
この世界には神の力、つまり精霊力というものが満ちている。
人々はその霊力を取り込んで回復しておるのじゃよ。微小ではあるがな。
じゃがおぬしはこの世界の霊力を取り込むようにはできておらん>
<つまり叔父上たちは補給ありのフルマラソン、
私は補給無しのフルマラソンをしているって事?>
心話でフルマラソンがどう変換されて龍さんに伝わるのかは謎です。おそらく長距離走あたりだと思いますが、何にしても(そりゃぁ、倒れるわ)と思ってしまいます。
<そういう事じゃな。
おぬしはこの世界の霊力では自身の回復はできん。
しかしおぬしの中でこの世界の精霊は霊力を回復させることはできる。
何故なら……>
<龍さんがずっと私の中に居たから?>
<正解じゃ。正確には現在進行系でおぬしの中に分体は一つ残しておるぞ?
じゃがそれを可能にしたのは、おぬしが元いた世界の特性のおかげじゃ。
おぬしの世界、おぬしの暮らした地は人が神にもなれる地だったじゃろ?>
一神教の世界は馴染みがないのでわかりませんが、日本では山も海も石も立木も、そして人も神として祀られていました。つまり前世の人なら誰でも精霊を宿すことができるという事になり世界人口80億人強が、日本限定だったとしても1億2千万人全員が天人・天女になれるという事になります。
<この世界の人間にとって、神は外にあり、
おぬしが元居た世界の人間にとって、神は内にある。
ゆえに己を律し、己が内の神に恥じぬ生き方をする>
あの世界のあの国は龍さんが言うような、そんな良いものじゃなかったような気もします。その言い方だと前世は聖人だらけで、犯罪者の一人も居ない世界のように聞こえますが、実際は争いは絶えず犯罪者だって少なくありません。勿論世界的に見れば犯罪率の低い国ではありましたが……。
<何にしても今は休め。
難しい話は元気になってからで良いじゃろ?>
<そうだね。
あっ、後でしっかり話し合いの内容は教えてね>
<わかっておる、わかっておる>
龍さんのその言葉を最後に心話を終えました。今頃みんなは今後のことを話し合っているはずです。私はこんな有り様なので、話し合いに参加する事は認められませんでしたが、後で詳しく教えてもらう予定です。
まず兄上と緋桐さんはヒノモト国へ行く必要があります。ヤマト国へは伝書鳥を飛ばして事情を伝える予定ですが、その後を追うように山吹も行った方が良いかもしれません。
(私は……私はどうしよう?)
うつらうつらとし始め、思考がプツリプツリと切れてしまいます。皐月姫殿下には心配をかけたはずなので直接会って無事を伝えたいし、ヤマト国の双子の殿下たちにも会って織春金の彫刻刀を使うことで成功したという霊石のことを詳しく聞きたい。他にもやりたい事や相談したい事が次々と浮かぶのですが、熱のせいか考えが全くまとまりません。
(流石にヤマト国とヒノモト国の両方に行くのは無理だよね……)
とチラリと思ったのを最後に、私の意識は完全に暗闇に閉ざされたのでした。
3日半しっかり寝込んだ後、私は自分も一緒にヒノモト国に行きたいと兄上たちに直談判を始めました。皐月姫殿下に無事だと報告したいという事もありますし、ソーラークッカーを使った塩事業も気になります。それに結局持ち帰れなかった油梨の木やその他の油が取れる植物をもう一度探しに行きたいですし、塩作りの副産物であるにがりを使った食品開発も進めたいのです。
勿論にがりの活用は山拠点で暮らしていた頃からしていて、例えばお肉料理に少し入れてお肉を柔らかくしたり、お野菜のアク取りなんかにも使っています。変わった所ではお風呂でかかとに塗って、ガサガサかかとの治療?にも使ったりしています。ちなみ定番の豆腐は、主原料の大豆があまり手に入らないので作れません。残念極まりないですが伝手を使っても入手できる大豆は少量ですし、その大豆も味噌にしてしまうので仕方ありません。
そうやって私達はにがりを活用していますが、ヒノモト国の海水から作られたにがりも同じように活用できるのかは謎ですし、料理に関してもヒノモト国の人の口に合うかはわかりません。なので現地に行って、直接現地の人の意見を聞きながら活用法を探るの一番なのです。
そのあたりを力説して、三太郎さんたちを常に内に宿しておく事や、緋桐さんか兄上のどちらかと常に一緒に居る事を条件に何とか許可をもぎ取りました。そんな中、最後まで反対していたのは山吹でした。山吹はヤマト国へ行く事になった為、ヒノモト国へ一緒に行くことができません。なので余計に心配だったのだと思います。
ここまではほぼ想定内だったのに対し、想定外だったのはヒノモト国についてからでした。天高くに常に存在していた光の帯が消えたことでヒノモト国はかなり情勢不安になっていて、港の警備も厳重になっていましたし道中も辻ごとに兵が数人ずつ立っていました。巡回している兵とは何度もすれ違うのに対し一般人の人影は少なく、通行人よりも兵の方が多いぐらいです。以前来た時は火の極日だった事もあり、お祭りを楽しむ人々で何処を見ても笑顔の花が咲いていたのにと思うと、あまりの違いに絶句してしまいます。
私以上に絶句していたのは緋桐さんでした。
彼は一番近くにある駅伝に向かうと、自分の随身だった柘榴さんに「あの時の宿にいる。出来るだけ早くに会いたい」と書いた文を、手間賃を余計に渡して出しました。受け取った駅伝の人は眼の前の男が緋桐さんだとは最初気づかなかったようで、短髪=犯罪者?と訝しげな視線を向けていましたが、急を要すると判断した緋桐さんが自分の紋が刻まれた木札を見せると態度が一変し、すぐさま文を届けてくれる事になりました。
そのおかげで私達が荷物をほどいていた部屋に柘榴さんが飛び込んでくるまで、1時間もかかりませんでした。
「おーまーえーは!!!
連絡ぐらいもっとこまめに入れろ!
…………心配になるだろうが…………」
「すまない。だが俺にも事情があってだな……」
緋桐さんを見るなり、彼の胸ぐらを掴んで揺さぶる柘榴さんに驚いてしまいます。なにせ前に柘榴さんと会った時、彼らは上下関係だったので特別の親しさは感じられましたが言動はとても丁寧でした。それがこの対応。それだけ二人が近しい関係であったという事でしょうし、柘榴さんが言うように心配だったのでしょう。
同時にマガツ大陸に居た間、自分ばかり連絡を入れて緋桐さんの連絡にまで気を配らなかった事を反省しました。一応兄上経由で皐月姫殿下に緋桐さんの近況を伝えてはいたのですが、兄上がヒノモトに行く頻度を考えると充分とはとても言えない頻度です。
(やっぱりヒノモト国にも連絡手段が必要だなぁ)
ヤマト国には伝書鳥で連絡が取れますが、ヒノモト国は土地柄もあって不向きです。それに伝書鳥も駅伝を使った飛脚や馬早飛脚よりは早いですが、悪天候で不着というアクシデントがあったりもします。やっぱり早急に電報の開発を進めるべきかもしれません。
私が電報のシステムを悩んでいる間に、緋桐さんは柘榴さんに出来るだけ早急に陛下か兄殿下に会えるように手配を頼みました。同時進行で兄上は商人としての正規ルートで王宮へ連絡を入れ、皐月姫殿下へ会談の申し入れをしに行きました。ついでに後日、私とも面会して欲しいと頼んでおきます。私との面会は急ぎではないので、時間のある時に……と。
荷物を片付けながら返事を待っていると、あっという間に夜になりました。
まず最初に返事が来たのは兄上で、「明日の朝3つの鐘がなる頃、王宮第3門へ来られたし」と書かれた文が届きました。ちなみに紙が全国共有で高級品、そしてこの国では木材も高級とあって、使われている材質は貝殻でした。30cmはあろうかという巨大で細長い形の貝殻は、サイズさえ小さければマテ貝のような形をしていました。外側は茶や灰・黒色で複雑な紋様が描かれていますが内側は白く、その内側に字が書いてあります。
「この二枚貝は全く同じ模様をしているんだよ。
その性質を利用してこの国では割符の代わりに使うんだ」
と緋桐さんが教えてくれました。ところ変われば……というやつですね。ただ、その割符代わりの貝殻には追加があって、詳しくは明日話すが塩作り装置が熱で歪んだという見逃せない文言が書かれてありました。
「……熱に強い金属でお願いって頼んだんだよね?」
「確かにそう頼んでおいたんだが……」
どうしてそうなったと兄上と二人で首を傾げてしまいますが、これが事実なら事業が頓挫してしまうかもしれません。これは私達家族の安全がかかっている、大事な事業です。対ミズホ国の為にヒノモト国にも対外的な力をつけて欲しいですし、この国での吉野家の影響力も上げておきたいのです。
「火の極日の神事でこの新しい塩を供えたいと姫君は仰っていて、
それに向けて万事順調に進んでいると聞いていたんだが……」
「神事で……か。 それはまずいな。
例年通りだとそろそろ神事や祭事に供える品の選定に入る時期だ。
しかも塩事業ともなれば、陛下臨席で披露したうえでの選定となるだろう」
「えぇ、そのように聞いています」
「その選定時に機器に不具合があるとなれば……」
緋桐さんの言葉に、私も兄上も血の気が引いていきます。叔父上に胸を張って報告ができるようにと頑張ってきた兄上にとって、頓挫しかねないという現状は足元の地面が崩れてしまうような気持ちでしょう。
「兄上、まだ時間はあるよ!
だからまずは話を聞きに行こう!」
兄上の手を両手で握り、顔を見上げてしっかりと目を合わせて訴えると、兄上の瞳に力が戻ります。
「そうだね。明日の朝……」
と兄上が言いかけた時、外から来客を知らせる音がなりました。その対応に出た緋桐さんは柘榴さんを伴って戻ってくると
「その事だが今から行こう。俺の方にも連絡が来た」
と言い、私達は柘榴さんの案内で王宮へと向かいました。途中で私と兄上は目隠しをされてしまいましたが、これは行く先と待っている人を考えれば仕方がありません。緋桐さんが私を、柘榴さんが兄上を馬に乗せて夜道を走り続けました。そして馬を降ろされてから少し手を引かれて歩き、ようやく目隠しを外してもらったのは宿を出てから体感で2時間弱経っていたと思います。
そこは両サイドに白く高い壁があって現在位置は良くわかりませんし、空の星も良く見えません。幅50cm程の通路は脇道が無数にあり、その通路を柘榴さんを先頭に進んでいきます。道順を知っていないと確実に迷子になる仕組みのようで、方向が解らなくなるように何度も曲がり、いい加減私の息が上がってきた頃になって眼の前に扉が現れました。
(やっと着いた?)
決して声を出してはいけないと前もって言われている為、声を出して尋ねる事はできません。なので私の後ろを守るように立っている緋桐さんを尋ねるように見上げると、緋桐さんは私と兄上を少し後ろに下がらせます。
柘榴さんはようやく現れた扉に背を向けて反対側の壁を何かを探すように指で探ると、その壁の一部がズズズッと音を立てて凹んでから横にずれていきました。
呆気に取られる私と兄上でしたが、背後の緋桐さんに促されるまま壁の中へと入っていったのでした。
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ローブ男たちの目的とは?そして、その黒幕とは一体...?
不定期なので、楽しみにお待ち頂ければ嬉しいです。
拙い文章なので、誤字脱字がありましたらすいません。報告して頂ければその都度訂正させていただきます。
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