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4章
17歳 -土の陰月3-
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(こんなに穏やかな時間は何時ぶりかなぁ……)
思い返せばこの1年と少しの間、つまり叔父上が仮死状態になって以降、小さなミスすら許されないような緊迫感や切迫感が常にありました。終わってから振り返ってみれば、小さなミスなら三太郎さんたちがフォローしてくれていただろうなとは思うのですが、渦中にいる時には気付けなかったのです。ちなみに兄上と二人っきりの時にそう零したら、
「気持ちはよく分かる。でも発端は櫻が拐かされた事だよ」
と同意と訂正を喰らいました。何にしてもようやく叔父上が目覚めたと思ったら、次は土の神に関するあれこれで文字通り世界中を飛び回ることになり、身体も精神も休まらない日々でした。なんというか私の人生が波乱万丈すぎて、もっと薄味でも良いのになんて思ってしまいます。
「どうやら世界は問題なく回っているようじゃな。
まぁ、これからも注視し続ける必要は当然あるのじゃが……」
龍さんがそう言ったのは、光の小枝を持ち帰って未来樹へと変化させたあの日から約30日後、そろそろ無の月に入ろうかという頃でした。その間、金さんは植物や海底を含む大地の様子を、浦さんは水生生物や湖海や川の様子を、桃さんは動物や世界中の火山の様子を、龍さんは鳥類や風と精霊力の流れをチェックし続けたのです。
いきなり世界のありようが根源から変わってしまったので、何時・何処で・何が起こるか全く解りません。もしかしたら何処かで海が割れているかもしれませんし、山が消えたり谷が山になったりしている可能性もあります。しかもそれらトラブルを予測することは難しく、今や神に等しい存在となった三太郎さんや龍さんでも不可能でした。
ただ幸いにもそういった致命的な変化は世界中のどこにも見当たらず、ほっと胸を撫で下ろしたのが10日程前。その後は更に細かいチェックを続け、アマツ大陸や一部の地域や海域の天候が不安定な事が気にはなるものの、この程度の天候不順は過去にもあったので大丈夫だろうという事になりました。
そして長期に渡って精霊が居なかったマガツ大陸は、過去の情報を青・赤両部族に聞くしかありませんでした。ところが彼らは金さんや山幸彦さんの技能「豊作」や浦さんや海幸彦さんの技能「豊漁」がもたらした変化が大きすぎて、天候不順は全く気にしておらず……。そもそも何代にも渡って常に過酷な環境だった為に、過酷さが少々増えたところで解らないと言われてしまいました。そんな事を平然と言う彼らに掛ける言葉が見つからず、私だけでなく一緒にいた母上や橡も絶句してしまったものです。
ただ気温や水温のチェックは先日から始めている貝や魚の養殖の試行錯誤に役立つはずなので、なにか良い方法はないかと考えています。なにせ正確な温度は三太郎さんに見てもらわないと解りません。大雑把な温度で良いのなら小学校の自由研究で作ったガリレオ温度計でどうにかなりそうですが、アレは透明度の高い容器が必須なのでこの世界のガラスではちょっと再現できそうになく……。ただ貝の養殖が始まったとされる古代ローマ時代には温度計なんて無かったので、あったら便利ですが、無くても何とかなるとは思っています。叔父上や山吹が青の部族の人たちは大変でしょうが……。
今日も午前中は浮遊島で家事や畑仕事をし、午後からは子どもたちの勉強を教える為に地上へと降りました。以前は二つの部族の間に起きるいざこざにも時間を取られていましたが、今はそういった問題は叔父上が担当してくれるようなって少し気が楽です。ただ叔父上は双方の話をよく聞いて50/50のちょうど良い落とし所を提示しているのに、青・赤両部族は納得がいかないようで、しぶしぶ従うといった感じなのです。私はその態度や叔父上に対する評価の低さに納得がいかないのですが、
「相手よりも自分の方が得でなくては嫌だという者は
何処にでも一定数いるものです」
と、しみじみと山吹が実感をたっぷりこめて答えれば
「そうだね、ここの者たちはまだマシかもしれないよ。
世の中には相手に1すら与えたくない、
自分が100じゃないと嫌だとごねる人もいるからね」
と兄上までもが続きます。
「それどころか自分が損する訳じゃないのに、
相手が得するのは許せないとかいう意味不明な者までいますしね」
「そうそう」
そして最後には心底うんざりといった表情で二人に愚痴られてしまいました。私の身近にはそんな人はいないので「またまたぁー」って感じだったのですが、二人は行商であちこちに行くのでその時に色々とあったのかもしれません。青・赤両部族もこの先どんどん交流を深め、社会性を学んでいけば少しは変わってくれるかもしれません。
そして部族間の問題にノータッチになって空いた時間で母上や橡の手伝いをして、更には少し時間を作っては異界に通じる風の門の番をしているお父さんとお母さんに毎日挨拶に行く事にしています。ただお互いにどうにも距離感が掴めない……。確かにずっと会いたくて仕方なかった人たちなんだけど、いざ面と向かうと何を言っていいのか解らなくて、それでも会いたくて……。
どうすればもう1歩踏み出せるのかなぁ……。
そんな1日を過ごし、夕日が落ちる前に家へと戻ってきました。
私達家族だけが入ることができる風の門を通ると、目に入る景色がガラリと変わります。茜色に染まった空は澄み切っていて、紺色が混じり始めている東の空には星が煌めき、何度見てもため息が出る程の絶景です。ですがその絶景をゆっくりと楽しむ余裕はなく、寒さのあまりブルッと身体が震えてしまいます。これでも龍さんと三太郎さんの結界のおかげで暖かく保たれているのですが、それでも肌寒さを感じてしまいます。あまり寒暖差があると身体に良くないと外気温+8~10度ぐらいに設定してくれているので、結界の外は2~3度といったところでしょうか。
何故こんなに外気温が低いのか……。
それは無の月直前だからという事もありますが、何より浮遊島の高度を更に上げた事が原因です。未来樹を守るために万全を期す必要があり、今後も決して人の手が届かない高さする必要がありました。結界によって通常の手段ではたどり着けないようにはなっているのですが、なにかの拍子に結界に乱れ、そのタイミングを突かれて侵入を許すなんて事態は絶対にあってはなりません。なので今は浮遊島(下)の底が地上2000m付近になるように更に高度を上げました。これによりどんなに頑張っても手が届かないと、そもそも手を伸ばそうとする気持ちが湧かないような高さになったはずです。
「さむっ」
吐く息がうっすらと白くなっているのを見て、自分の両腕を抱えるようにして足早に向かったのはお風呂です。我が家では毎朝橡が1回分の着替えを脱衣場の籠に入れておいてくれるので、外仕事を終えた泥だらけの姿で室内に入る必要がなく、また外から脱衣場を経由せずに浴場へと直行できるような作りになっています。
浴場に入るとまっ先に汚れ落とし用の浴槽へと向かい、掛け湯をしてから少しぬるめのお湯へ入って「浄水」の霊石を光らせます。光が収まるのを確認してから浴槽を出て、脇に置いてある洗濯物用の籠に濡れた服を脱いで入れます。ちなみに洗濯室も浴場から直接向かうことができます。
「今日もお疲れ様」
そうにこやかに出迎えてくれたのは母上でした。
「まぁ、こんなに冷えて。お嬢様も早く温まってくださいな」
脱いだ服を入れた籠を洗濯室前に移動させようとしていた私から籠を受け取った橡は、偶然触れた私の指が冷え切っていたことに驚いて、すぐさまお湯に入るように促しました。私は少し迷ったのですが橡の厚意に甘えることにして、掛け湯をしてから湯船へと足を入れます。ところが冷え切った身体に浴槽のお湯が熱すぎて、思わず息を止めてゆっくりと肩までつかると「はぁあああ」と大きく息を吐きました。
こうやって母上たちとお風呂に一緒に入るのも久しぶりです。山の家では浴場が一つしかなかった為、男性と女性で交代で入る必要があったので母上や橡と一緒に入っていました。ところが島の家になると男女別(ついでに精霊も別)のお風呂になったので手のあいた人から順に入るようになり、一緒に入る機会が激減しました。つまり母上とこうやって一緒にお風呂に入れるのも…………。
「後で久しぶりに母上の背中を流したいな」
「あら、嬉しいわ。よろしくね」
その日は幼い頃のように、お互いに髪を洗い合ったり背中を流し合ったりして、ゆっくりとお風呂を楽しみました。そして母上も何かを察したのか、以降はお風呂に入る時には声をかけてくれるようになり、できるだけ一緒にいる時間を作ってくれるようになったのでした。
無の月になると、私は三太郎さんや龍さんといっしょにヤマト国やヒノモト国へと向かうことが増えました。できるだけ晩ごはんまでには戻りたいので、船を使わずに龍さんの霊力で空を飛んで行くことにしました。その為に大きな荷物を運ぶ事はできませんが、今は家族と一緒に食べる晩ごはんのほうが大事です。
ヤマト国では殿下たちが作り上げた様々な施設のチェックをお願いされたり、複数の案件の意見を求められたりします。正確には私が求められている訳ではなく、私の中にいる三太郎さんや龍さんが求められているのですが、今のところ「問題なし」という事でした。まぁ現時点で使われている主な霊石は「浄水」の霊石ですし、施設も大衆浴場と浄水場のチェックなのでそうそう問題も起こりません。
ただ……技術大国だからこそ、この先ヤマト国は一気に文明開化や産業革命を迎える可能性があります。私の知る殿下たちなら大丈夫だとは思いますが、使い方に気をつけないと大惨事になるような技術には気を付けてね?と伝えておきます。珍しくお二人揃っていた殿下たちは、目を丸くしてから
「大丈夫だ。そういった技術管理も王家直系男子の仕事だ」
「櫻嬢を悲しませるようなことは絶対にしないから、安心して」
と頭を撫でながら言われました。相変わらずの子ども扱いに不満はありますが、この人たちとは人生の経験値が違いすぎるので仕方ないと諦める事にしました。
あとは吉野家の後継の兄上から預かってきた手紙も渡しておきます。土蜘蛛の糸に関する事なのですが、糸自体は今後も兵座経由で買い取ることになりそうです。問題は糸の加工です。昔と違って今は母上や橡も糸の加工は出来るのですが、この先を考えると加工技術を国へ提供&保護をお願いすることになるかもしれません。その事を相談したいという手紙です。
またヒノモト国へ行った時には、皐月姫殿下とお茶会をすることになりました。対等の友達を欲しがっていた皐月姫殿下はとっても喜んでくれましたが、何故か話題は兄上のことばかりで……。その兄上から姫殿下宛の手紙を預かっていたので手渡すと、一瞬すっごく良い笑顔になる姫殿下。ですが手紙を読み進めるうちに、みるみる表情がしょんぼりしたものに変わっていきます。確かソーラークッカー事業に関するお手紙だと兄上から聞いていましたが、何か問題があったのでしょうか??
首を傾げる私に
「……あの、槐って好きな女性が居たりするのかしら?」
と躊躇いがちに聞かれ、前世から鈍い鈍いと言われ続けた私でもこれは流石に理解しました。姫殿下は兄上の事が好きなんだ……って。
「どうでしょう??
あまり兄妹間でそういった会話ってしないので……。
逆に皐月様はされます??」
「私もした事はないけれど、
こういった方が好みなのかしら?って感じた事はあるわ」
ここで私達兄妹と、皐月姫殿下の兄妹の交友関係の差が明確に出ました。なにせ私は兄上が仕事以外で女性と話しているところを見たことがありません。逆に兄上も身内以外の男性と私が話しているところは見たことがないんじゃないかなぁ?
あっ、各国の殿下方や随身の方が居たわ……。
でもあの方々相手だと立場が違いすぎて恋愛感情は抱けません。
こんな感じでヒノモト国へと行く度に年頃の女の子らしい会話をしたり、また全く年頃の女の子らしくない仕事の話をしたりと、皐月姫殿下と交友を深めました。
そうやってヒノモト国へと何度か行っていると、ある日緋桐さんから
「すまないが、少々相談したい事があるんだが……」
と声を掛けられました。なんでもミズホ国から緋桐さん宛に何度も「神の御使いへ執り成しをお願いしたい」と書簡が届いているのだとか。イヤーカフを使って蒔蘿殿下に確認したところ、殿下のところにも執り成し依頼が届いていて、ミズホ国は三国の中で自国だけ御先が選ばれていないことや、天候不順や湖の枯渇(これは既に回復済だけど)といった民の心が不安に揺れる状況にあり、それを打開したいのだろうと教えてもらいました。
「んー、私が直接向かうことは……。
あの国の人達が悪い訳じゃないって解ってはいるんだけど……」
表情を曇らせてしまった私に、
「そうか……。だがそれだけの事があったからな」
と緋桐さんは仕方ないよと苦笑します。ただ私自身いい加減前に進まないと駄目だって事も理解していますし、このまま何もしないのは絶対に後悔します。そして何より私に残された時間はそれほど多くありません。
「でも、何か考えてみるよ。ミズホ国だけが取り残されないように」
「そう伝えても良いか?」
「うん。ただ何かを教える事はできるとは思うんだけど、
それをどう活かすのか、そもそも活かせるのかはミズホ国次第……
って伝えておいてね」
「承知した」
一応、考えていたことはあるのです。ミズホ国で発生しやすいべとべとさん。その殻を加工して吸水粉と撥水液を作り出せば、全ての国で必需品として重宝されるでしょう。これは自分の経験から断言できます。
ただその加工法は未だに茴香・蒔蘿殿下にすら教えてませんし、撥水液の方は浦さんの助力がないと未だに作れません。なのでそのあたりを三太郎さんたちや叔父上とも相談し、場合によっては技術者でもある茴香殿下や蒔蘿殿下にも相談してから決めようと思います。
そんなこんなでアマツ・マガツ間を超高速で移動したり、アマツの中でもあちこちに移動する日々が続きました。
時には兄上といっしょに山奥で眠る黒松と王風のお墓参りに行ったり、家族全員で久しぶりにバーベキューをしたりもしました。
たくさんの思い出を魂に刻むように……。
そしてたくさんの思い出を覚えておいてもらえるように……。
「龍さん、私……決めたよ」
思い返せばこの1年と少しの間、つまり叔父上が仮死状態になって以降、小さなミスすら許されないような緊迫感や切迫感が常にありました。終わってから振り返ってみれば、小さなミスなら三太郎さんたちがフォローしてくれていただろうなとは思うのですが、渦中にいる時には気付けなかったのです。ちなみに兄上と二人っきりの時にそう零したら、
「気持ちはよく分かる。でも発端は櫻が拐かされた事だよ」
と同意と訂正を喰らいました。何にしてもようやく叔父上が目覚めたと思ったら、次は土の神に関するあれこれで文字通り世界中を飛び回ることになり、身体も精神も休まらない日々でした。なんというか私の人生が波乱万丈すぎて、もっと薄味でも良いのになんて思ってしまいます。
「どうやら世界は問題なく回っているようじゃな。
まぁ、これからも注視し続ける必要は当然あるのじゃが……」
龍さんがそう言ったのは、光の小枝を持ち帰って未来樹へと変化させたあの日から約30日後、そろそろ無の月に入ろうかという頃でした。その間、金さんは植物や海底を含む大地の様子を、浦さんは水生生物や湖海や川の様子を、桃さんは動物や世界中の火山の様子を、龍さんは鳥類や風と精霊力の流れをチェックし続けたのです。
いきなり世界のありようが根源から変わってしまったので、何時・何処で・何が起こるか全く解りません。もしかしたら何処かで海が割れているかもしれませんし、山が消えたり谷が山になったりしている可能性もあります。しかもそれらトラブルを予測することは難しく、今や神に等しい存在となった三太郎さんや龍さんでも不可能でした。
ただ幸いにもそういった致命的な変化は世界中のどこにも見当たらず、ほっと胸を撫で下ろしたのが10日程前。その後は更に細かいチェックを続け、アマツ大陸や一部の地域や海域の天候が不安定な事が気にはなるものの、この程度の天候不順は過去にもあったので大丈夫だろうという事になりました。
そして長期に渡って精霊が居なかったマガツ大陸は、過去の情報を青・赤両部族に聞くしかありませんでした。ところが彼らは金さんや山幸彦さんの技能「豊作」や浦さんや海幸彦さんの技能「豊漁」がもたらした変化が大きすぎて、天候不順は全く気にしておらず……。そもそも何代にも渡って常に過酷な環境だった為に、過酷さが少々増えたところで解らないと言われてしまいました。そんな事を平然と言う彼らに掛ける言葉が見つからず、私だけでなく一緒にいた母上や橡も絶句してしまったものです。
ただ気温や水温のチェックは先日から始めている貝や魚の養殖の試行錯誤に役立つはずなので、なにか良い方法はないかと考えています。なにせ正確な温度は三太郎さんに見てもらわないと解りません。大雑把な温度で良いのなら小学校の自由研究で作ったガリレオ温度計でどうにかなりそうですが、アレは透明度の高い容器が必須なのでこの世界のガラスではちょっと再現できそうになく……。ただ貝の養殖が始まったとされる古代ローマ時代には温度計なんて無かったので、あったら便利ですが、無くても何とかなるとは思っています。叔父上や山吹が青の部族の人たちは大変でしょうが……。
今日も午前中は浮遊島で家事や畑仕事をし、午後からは子どもたちの勉強を教える為に地上へと降りました。以前は二つの部族の間に起きるいざこざにも時間を取られていましたが、今はそういった問題は叔父上が担当してくれるようなって少し気が楽です。ただ叔父上は双方の話をよく聞いて50/50のちょうど良い落とし所を提示しているのに、青・赤両部族は納得がいかないようで、しぶしぶ従うといった感じなのです。私はその態度や叔父上に対する評価の低さに納得がいかないのですが、
「相手よりも自分の方が得でなくては嫌だという者は
何処にでも一定数いるものです」
と、しみじみと山吹が実感をたっぷりこめて答えれば
「そうだね、ここの者たちはまだマシかもしれないよ。
世の中には相手に1すら与えたくない、
自分が100じゃないと嫌だとごねる人もいるからね」
と兄上までもが続きます。
「それどころか自分が損する訳じゃないのに、
相手が得するのは許せないとかいう意味不明な者までいますしね」
「そうそう」
そして最後には心底うんざりといった表情で二人に愚痴られてしまいました。私の身近にはそんな人はいないので「またまたぁー」って感じだったのですが、二人は行商であちこちに行くのでその時に色々とあったのかもしれません。青・赤両部族もこの先どんどん交流を深め、社会性を学んでいけば少しは変わってくれるかもしれません。
そして部族間の問題にノータッチになって空いた時間で母上や橡の手伝いをして、更には少し時間を作っては異界に通じる風の門の番をしているお父さんとお母さんに毎日挨拶に行く事にしています。ただお互いにどうにも距離感が掴めない……。確かにずっと会いたくて仕方なかった人たちなんだけど、いざ面と向かうと何を言っていいのか解らなくて、それでも会いたくて……。
どうすればもう1歩踏み出せるのかなぁ……。
そんな1日を過ごし、夕日が落ちる前に家へと戻ってきました。
私達家族だけが入ることができる風の門を通ると、目に入る景色がガラリと変わります。茜色に染まった空は澄み切っていて、紺色が混じり始めている東の空には星が煌めき、何度見てもため息が出る程の絶景です。ですがその絶景をゆっくりと楽しむ余裕はなく、寒さのあまりブルッと身体が震えてしまいます。これでも龍さんと三太郎さんの結界のおかげで暖かく保たれているのですが、それでも肌寒さを感じてしまいます。あまり寒暖差があると身体に良くないと外気温+8~10度ぐらいに設定してくれているので、結界の外は2~3度といったところでしょうか。
何故こんなに外気温が低いのか……。
それは無の月直前だからという事もありますが、何より浮遊島の高度を更に上げた事が原因です。未来樹を守るために万全を期す必要があり、今後も決して人の手が届かない高さする必要がありました。結界によって通常の手段ではたどり着けないようにはなっているのですが、なにかの拍子に結界に乱れ、そのタイミングを突かれて侵入を許すなんて事態は絶対にあってはなりません。なので今は浮遊島(下)の底が地上2000m付近になるように更に高度を上げました。これによりどんなに頑張っても手が届かないと、そもそも手を伸ばそうとする気持ちが湧かないような高さになったはずです。
「さむっ」
吐く息がうっすらと白くなっているのを見て、自分の両腕を抱えるようにして足早に向かったのはお風呂です。我が家では毎朝橡が1回分の着替えを脱衣場の籠に入れておいてくれるので、外仕事を終えた泥だらけの姿で室内に入る必要がなく、また外から脱衣場を経由せずに浴場へと直行できるような作りになっています。
浴場に入るとまっ先に汚れ落とし用の浴槽へと向かい、掛け湯をしてから少しぬるめのお湯へ入って「浄水」の霊石を光らせます。光が収まるのを確認してから浴槽を出て、脇に置いてある洗濯物用の籠に濡れた服を脱いで入れます。ちなみに洗濯室も浴場から直接向かうことができます。
「今日もお疲れ様」
そうにこやかに出迎えてくれたのは母上でした。
「まぁ、こんなに冷えて。お嬢様も早く温まってくださいな」
脱いだ服を入れた籠を洗濯室前に移動させようとしていた私から籠を受け取った橡は、偶然触れた私の指が冷え切っていたことに驚いて、すぐさまお湯に入るように促しました。私は少し迷ったのですが橡の厚意に甘えることにして、掛け湯をしてから湯船へと足を入れます。ところが冷え切った身体に浴槽のお湯が熱すぎて、思わず息を止めてゆっくりと肩までつかると「はぁあああ」と大きく息を吐きました。
こうやって母上たちとお風呂に一緒に入るのも久しぶりです。山の家では浴場が一つしかなかった為、男性と女性で交代で入る必要があったので母上や橡と一緒に入っていました。ところが島の家になると男女別(ついでに精霊も別)のお風呂になったので手のあいた人から順に入るようになり、一緒に入る機会が激減しました。つまり母上とこうやって一緒にお風呂に入れるのも…………。
「後で久しぶりに母上の背中を流したいな」
「あら、嬉しいわ。よろしくね」
その日は幼い頃のように、お互いに髪を洗い合ったり背中を流し合ったりして、ゆっくりとお風呂を楽しみました。そして母上も何かを察したのか、以降はお風呂に入る時には声をかけてくれるようになり、できるだけ一緒にいる時間を作ってくれるようになったのでした。
無の月になると、私は三太郎さんや龍さんといっしょにヤマト国やヒノモト国へと向かうことが増えました。できるだけ晩ごはんまでには戻りたいので、船を使わずに龍さんの霊力で空を飛んで行くことにしました。その為に大きな荷物を運ぶ事はできませんが、今は家族と一緒に食べる晩ごはんのほうが大事です。
ヤマト国では殿下たちが作り上げた様々な施設のチェックをお願いされたり、複数の案件の意見を求められたりします。正確には私が求められている訳ではなく、私の中にいる三太郎さんや龍さんが求められているのですが、今のところ「問題なし」という事でした。まぁ現時点で使われている主な霊石は「浄水」の霊石ですし、施設も大衆浴場と浄水場のチェックなのでそうそう問題も起こりません。
ただ……技術大国だからこそ、この先ヤマト国は一気に文明開化や産業革命を迎える可能性があります。私の知る殿下たちなら大丈夫だとは思いますが、使い方に気をつけないと大惨事になるような技術には気を付けてね?と伝えておきます。珍しくお二人揃っていた殿下たちは、目を丸くしてから
「大丈夫だ。そういった技術管理も王家直系男子の仕事だ」
「櫻嬢を悲しませるようなことは絶対にしないから、安心して」
と頭を撫でながら言われました。相変わらずの子ども扱いに不満はありますが、この人たちとは人生の経験値が違いすぎるので仕方ないと諦める事にしました。
あとは吉野家の後継の兄上から預かってきた手紙も渡しておきます。土蜘蛛の糸に関する事なのですが、糸自体は今後も兵座経由で買い取ることになりそうです。問題は糸の加工です。昔と違って今は母上や橡も糸の加工は出来るのですが、この先を考えると加工技術を国へ提供&保護をお願いすることになるかもしれません。その事を相談したいという手紙です。
またヒノモト国へ行った時には、皐月姫殿下とお茶会をすることになりました。対等の友達を欲しがっていた皐月姫殿下はとっても喜んでくれましたが、何故か話題は兄上のことばかりで……。その兄上から姫殿下宛の手紙を預かっていたので手渡すと、一瞬すっごく良い笑顔になる姫殿下。ですが手紙を読み進めるうちに、みるみる表情がしょんぼりしたものに変わっていきます。確かソーラークッカー事業に関するお手紙だと兄上から聞いていましたが、何か問題があったのでしょうか??
首を傾げる私に
「……あの、槐って好きな女性が居たりするのかしら?」
と躊躇いがちに聞かれ、前世から鈍い鈍いと言われ続けた私でもこれは流石に理解しました。姫殿下は兄上の事が好きなんだ……って。
「どうでしょう??
あまり兄妹間でそういった会話ってしないので……。
逆に皐月様はされます??」
「私もした事はないけれど、
こういった方が好みなのかしら?って感じた事はあるわ」
ここで私達兄妹と、皐月姫殿下の兄妹の交友関係の差が明確に出ました。なにせ私は兄上が仕事以外で女性と話しているところを見たことがありません。逆に兄上も身内以外の男性と私が話しているところは見たことがないんじゃないかなぁ?
あっ、各国の殿下方や随身の方が居たわ……。
でもあの方々相手だと立場が違いすぎて恋愛感情は抱けません。
こんな感じでヒノモト国へと行く度に年頃の女の子らしい会話をしたり、また全く年頃の女の子らしくない仕事の話をしたりと、皐月姫殿下と交友を深めました。
そうやってヒノモト国へと何度か行っていると、ある日緋桐さんから
「すまないが、少々相談したい事があるんだが……」
と声を掛けられました。なんでもミズホ国から緋桐さん宛に何度も「神の御使いへ執り成しをお願いしたい」と書簡が届いているのだとか。イヤーカフを使って蒔蘿殿下に確認したところ、殿下のところにも執り成し依頼が届いていて、ミズホ国は三国の中で自国だけ御先が選ばれていないことや、天候不順や湖の枯渇(これは既に回復済だけど)といった民の心が不安に揺れる状況にあり、それを打開したいのだろうと教えてもらいました。
「んー、私が直接向かうことは……。
あの国の人達が悪い訳じゃないって解ってはいるんだけど……」
表情を曇らせてしまった私に、
「そうか……。だがそれだけの事があったからな」
と緋桐さんは仕方ないよと苦笑します。ただ私自身いい加減前に進まないと駄目だって事も理解していますし、このまま何もしないのは絶対に後悔します。そして何より私に残された時間はそれほど多くありません。
「でも、何か考えてみるよ。ミズホ国だけが取り残されないように」
「そう伝えても良いか?」
「うん。ただ何かを教える事はできるとは思うんだけど、
それをどう活かすのか、そもそも活かせるのかはミズホ国次第……
って伝えておいてね」
「承知した」
一応、考えていたことはあるのです。ミズホ国で発生しやすいべとべとさん。その殻を加工して吸水粉と撥水液を作り出せば、全ての国で必需品として重宝されるでしょう。これは自分の経験から断言できます。
ただその加工法は未だに茴香・蒔蘿殿下にすら教えてませんし、撥水液の方は浦さんの助力がないと未だに作れません。なのでそのあたりを三太郎さんたちや叔父上とも相談し、場合によっては技術者でもある茴香殿下や蒔蘿殿下にも相談してから決めようと思います。
そんなこんなでアマツ・マガツ間を超高速で移動したり、アマツの中でもあちこちに移動する日々が続きました。
時には兄上といっしょに山奥で眠る黒松と王風のお墓参りに行ったり、家族全員で久しぶりにバーベキューをしたりもしました。
たくさんの思い出を魂に刻むように……。
そしてたくさんの思い出を覚えておいてもらえるように……。
「龍さん、私……決めたよ」
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