命短し軍靴を鳴らせ

煙 亜月

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命短し軍靴を鳴らせ・後編

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 わたしは正面玄関の吉本係長の方へ行く。一階のカーペット敷きのフロアは鈍い音をさせてヒールを沈ませる。暗い。幽霊でも出そうだな――自分の着眼点に思わず笑ってしまう。
 強い光が浴びせられた。「課長? どうしたんです? ニコニコしちゃって」
「ああ――いえ、何でもないですよ。光線の具合でしょう」
「はあ、失礼を。しかしあれですな、このまま朝になって、ライトもいらなくなりますな」
「ええ。こうなると警備会社に頼まざるを得ないでしょうね。金庫室へ行きましょう」
「ああ、課長。それに係長。お疲れっす。やっぱり、警備会社に任せることになったんです?」金庫室へ着くと外山がいった。
「外山さん。斎藤さんもお疲れさま。やむを得ないでしょうね」
 斎藤はもじもじとして、何かいいたげであった。
「斎藤さん、大丈夫?」外山が訊く。
「でも、この状況だと、ビル警備が来ても四人とも疑われます。本当に金庫室がアンロックするのか、仮にするとしてどの程度入り込めるのか確認する人間、何も持ち出さなかったことを確認する人間を配置してからでないと――電力が復旧したらしたでロックを戻すときにも立会が同様に必要です、複数人の」
「斎藤ちゃん、さすがにちょっと意識しすぎじゃないんですかね? たとえ疑う余地があっても、別に何もないでしょう。ここに来たのはどうせ外山と斎藤ちゃんだけでしょうに」と係長。
 外山が隣ではっと息をのむような音をさせる。
 わたしは横目で外山を見る。
「あの、課長。悪くいうつもりはないんですが、最初の判断の時点で我々はもうグレーなんですよ。金庫室のセキュリティは最後まで生き延びるよう設計されている。防災用よりも固いんです。具体的には漏電や火災の影響がない。まったくないんです。閉じ込めを防ぐためにね。というに、過去に閉じ込めによる酸欠で死亡事故があったんです。さらには防犯上、ダクトもなし。よって、この金庫室、今の状態だとおそらく手で開けられるんです。だから、停電中に金庫室に何かあれば、疑われるのは我々とビル警備以外に、いない」
「外山、お前」
「係長。自分、もともとはセキュリティ領域での採用だったんです。それがなぜ総務にいるかというと――」
「斎藤さんをマークしてたのね、外山さん」
「課長、ご明察。内部統制室の情報と、これまでの文言をたどったことを総合して、斎藤さんはこの金庫室を破るため、今この状態を作るよう課長を仕向けたようにしか思えない。停電はいい隠れ蓑だった。まさに絶好のチャンスでしょう。今でこそ平然としていますが、斎藤さんは私と一対一になるのを避けていたはず。ともあれ、疑いも四人と、それに加えて警備会社へと分散された。
 こうなれば私は、あなたがた全員をマークせざるを得ない。それも全員の、完全な身の潔白の証明まで。
 提案です。この件、なかったことにしませんか? 私は室長に上申します。そののち箝口令と、幾ばくかのボーナスが出るはず。私も人間です。そろそろ家に帰りたい。防犯カメラも電源が落ちている。証拠は残らないはずだ。
 ――斎藤さん。今回は金庫の中身は諦めて、代わりに内部統制室の口止め料で手を打ちませんか?」
 こつ。
 軍靴の響きがタイルの床に響く。斎藤は下がり、距離を取る。「さ、斎藤ちゃん? わたしは、外山が発狂したように思うんだけど、ど、どうなんです?」
 斎藤は右半身になり、落ち着いた声でいう。
「では外山さんは、初めからそれ狙いでここに配属されたんです?」斎藤はうつむく。前髪越しに斎藤をにらむ。「嘘。わたしなんて、まだまだ新人なのに」
「経歴なんていくらでも作れるでしょう。あなたはアンロックされた金庫室にビル警備へ立会するなどして中へ侵入し、もう一度停電を起こすなり何なりして行方不明となる。情報を派遣元の競合企業に持ち帰るんでしょう。それでもってリークしてもいいし、逆にうちへ買い取りを要求してもいい」
「外山さん。あなた、内部統制室ではないですね。違いますか?」わたしは外山を質した。
「おっしゃる通り。本来はフリーですね。今はここの内部統制室の依頼で動いていますが。産業スパイといったら聞こえは悪いですけど。私も好きでやってる訳じゃない。厳しいんですよ、このご時世。本当はね、警察官になりたかった。でもあんな薄給ではやってらんないんですよ、実際」
「それで、尻尾が出そうになって、今度は我々を買収するんですか。今後、その事実でゆすりに使うために」と斎藤が語気を強める。
「そう聞こえたなら、そうかもしれませんね」
「ゆする可能性もあるんですね。むしろ、金庫よりそっちが目当てとか」
「だから、そういってるじゃないですか。しつこいですよ。まあ、斎藤さんのようなガッツのあるひとは、割増ボーナスを上に掛け合ってもいいですがね」
「係長」
「え」
「いま何時です?」
「は? は、八時十五分」

 斎藤の軍靴が響く。ライトを外山の目に向けた。
「外山修吾、二〇時十五分、証拠隠滅罪、および恐喝未遂罪、現行犯逮捕」
 わたしは急に引き倒される。――息ができない。
「ちぇっ、せっかく害虫を削除できたのに。公務員の給料なんてたかが知れてるのにさ」
 後ろから外山に首を絞められているのだ。
 かん、かん。
 足許が、軍靴が覚束なくなっている。「下郎、いい加減にしろッ、外山!」係長がとびかかる。すぐにその場でうずくまった。
「やめようよ、ね。鎖骨だけでは済まなくなるよ」外山はわたしを盾にし、そのまま肘の内側で首を絞める力を強くする。
「斎藤。そこで腹這いになって、ライトを遠くに投げて。暴力は嫌いだし、あんたも今後一生後悔するっての、嫌でしょ。これ、やろうと思えばこの人殺せる状況だよ? いいの?」
 外山はライトを斎藤の顔に浴びせ続ける。視力を奪うためだ。
「外山! もう執行猶予はつかないぞ。ただちにわたしに出頭しろ!」

 手探りで壁に触れる。
 あった。わたしはそれを押す。
 強烈なサイレン音が鳴り渡る。
『火事です。火事です。三階金庫室より出火しました』
 自動音声がけたたましく告げる――防災用の電源系統も、別回路なのだ。
「ふん、外山。じきに野次馬がやってくる。今なら間に合うぞ!」斎藤が警報音の中、大声を出す。
 斎藤がライトを外山の目に当てる。外山が手の力を一瞬緩めた。

 軍靴は――、
 ヒールで思い切り踏みにじる。割り箸を折ったような感触がする。
 ――固い。
 外山が耳許で叫び、腕の力を緩める。わたしはがくっと下を向き、そこから後頭部を思い切り振って外山の顔面を打つ。「ああ!」外山はわたしを放す。力任せに背中を殴る。倒れこむわたしの横を斎藤が一気に跳びこみ、外山の顎を右の掌底で一打、次いで両掌で、肘を寄せるようにして両耳を叩く。途端に外山はぐにゃりと倒れ、床でミミズのように動いた。鼓膜を破られたのだ。
「課長さん!」
 斎藤が駆け寄る。「大丈夫ですか!」
「斎藤、さん――?」
「外山修吾、現逮!」
 平衡感覚を完全に喪失した外山を警戒しつつ、わたしの目や首、後頭部、背中を懐中電灯で照らしたり触診したりして素早く調べた。
「異常ないですね。ご協力感謝します。いい動きでした」
「あなた――警、察?」
「まあ、そうなります。でも――」
 斎藤が頬笑む。

 あなたの部下でも、楽しかったですよ。


『命短し軍靴を鳴らせ』 了
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