出雲の駄菓子屋日誌

にぎた

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中編

3 なぞなぞ

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 再び、からくり人形が叫び始める。

 柏木は耳を塞ぐことを我慢して、「連中」の視線と小さな人形に耐えていた。

(なぞなぞだって? そんな遊びに付き合ってられるか!)

 心で思うことは簡単でも、得体の知れない恐怖に支配された体の方は正直者で、彼は身動き一つとれずに固まってしまったのだ。
 からくり人形は、そんな彼にはお構いなしに、再び甲高い声で叫び始める。

「問題だよ!」

 バタバタバタ――と、今度は赤い手跡が障子を覆いつくしていく。

「第1問! 一日には二度あるのに、一年に一度しかないものは?」

 大きな揺れが襲った。柏木は転んでしまいそうになりながらも、足に力を入れてなんとかバランスを取る。そこでようやく気がついた。

 障子が迫ってきている!

「謎解きは三問だよ! はやくしないと潰れちゃうよ! あはははは。 ぐちゃぐちゃになっちゃう!」

 柏木のいる狭い廊下。赤い手跡が――障子の奥の連中が、彼を潰さんとばかりにせっせと押しているのだ。

 柏木は、自分の早くなる鼓動に気持ちが悪くなった。落ち着け。冷静になって考えるんだ。こんな子供だましななぞなぞ、簡単じゃないか。

「あーあ! 潰れちゃう! 壊れちゃうよ!」

 からくり人形の奇声が、さらに彼を焦らせる。

「一日に二度。一年に一度。一日、一年。一日、一年……」

 口を動かすだけで、頭は動いてくれない。

――一日。一年。いちにち……。いちねん……。

 迫りくる障子の壁は、もう半分くらい狭くなっていたが、彼はようやくひらめいた。

「わかったぞ! 答えは『ち』だ!」
「ピンポン! ピンポン! 大当たり!」
「さあ次だ! 急いでくれ」

 障子と障子の間は、2メートルも無い。額の汗を感じつつ、彼の心は一問解けたという余裕が生まれていた。

「第2問! 母上様には会えるけど、父上様には会えない悲しいものは?」

 柏木は思わずガッツポーズをしそうになった。

 それは知ってるぞ。昔聞いたことがある。有名な古典のなぞなぞだ。間抜けな人形め! 私を誰だと思っている。会社を背負い、社員を背負い、そして見事に立ち直らせたこの私を! 

「答えは唇だ!」
「ピンポン! ピンポン! 大当たり!」

 からくり人形は表情は変えずとも、機械の動きで大袈裟に驚く動作をしてみせた。驚くふり。その人形はこの状況を楽しんでいるようにも見える。

 あと1問。障子もいよいよ彼の肩幅くらいまで来ている。柏木がふと横を見ると、障子の穴から覗いている連中の目と合ってしまった。

「さあ最後だ! はやくしろ!」
「最後だよ! 第三問! 僕のことが大好きで大好きで仕方がない人は?」

 頭をフルに回転させる。しかし思考の速度は、もはや壁に挟まってしまうまで間に合わない。

「お前を作った技師!」
「ブー!」
「お前の持ち主!」
「ブー!」

 思いつくままの言葉を叫んでも、彼は正解へ足を進めることはできない。
 柏木の叫びが狭い廊下に響きわたる。廊下はもはや彼の背中と腹を圧迫し始めた。

「あー! 潰れちゃう! 潰れちゃうよ!」

 いつの間にか、エレベーターのドアが開いている。

「僕はひとまず撤退! 撤退だよ!」

 からくり人形はそう叫ぶと、カラカラカラと音を立てながら、エレベーターに向かって一目散に走っていってしまった。

「おい!」

 彼も挟まれながらも、なんとかエレベーターに向かっていくが、体が挟まれているから上手く進めない。そして、からくり人形が乗ったところですぐにドアが閉まり始める。

「ばいばーい!」

 柏木はドアがしまる寸前まで手を振る人形を凝視していた。

 血が体の中心に集まっていくのが感じる。吐き気。めまい。非情なまで強い力が彼を無視して押し続ける。目が熱い。
 圧死――もはや息ができない。彼の頭の中はすでに走馬燈を見せ始めた。若かりし頃。辛い時期。……幸せな顔。

「美琴……」

 そうだ。彼は自分の命に代えてでも守りたいもの。守らなければならないものに気が付いた。

「くそ!」

 唯一動く指に全神経を集めた。破れろ! 破れろ! 破れろ!

 徐々に障子が破れていく。
 こんなところで死んでたまるか!

 大きく開いた障子の穴に腕を入れると、彼は内側の木の格子に手をかけてしっかり支点にする。
 必死の……いや、必ず生きてやるという一心で、全体重をかけて障子へ寄りかかった。

 「生きる」という強い思いが功を奏したのか、さっきまで強く堅かったはずの障子が、いとも容易く破れてしまい、彼は勢い余ってそのまま奥へと転んでしまった。

 体中から痛みが消え、柏木は息を大きく吸い込む。

 見事脱出――だが、すでにこの世界はさらなる追い打ちを仕掛けてきていた。荒れた息を整えようと、柏木は何度か咳払いをしてから周囲を見渡した。

 そこはだった。

 先ほどまで宿泊ホテルの上階にいたはずなのに、彼の目の前には土産物屋が並んでいる。屋根の付いた商店街には、肩を並べた店たちが連なり、通りを挟んだその真ん中には観光客が休むためのベンチや、ごみ箱などが置かれている。

 だが、それを利用する者はいない。彼はその商店街に一人。店先には「氷」と書かれた旗が一つ垂れ下がっている。

 白く、薄暗い世界。後ろを振り返っても、先ほどまで格闘していたホテルの廊下なんてあるはずもない。しじまの世界は、安堵していた彼の精神をゆっくりと侵略していく。

 今、柏木がいる場所がホテルの「外」であったとしても、雄一や真太郎と同じく、ここはまだ異界の「内」なのである。屋根に隠れてはいるが、雄一と真太郎の見た大穴が、柏木紳士の頭上にも同じく広がっているのだ。

柏木紳士は立ち上がった。

「美琴を探さなくては」

 美琴がこの世界にいるかどうかはわからない。さらにはこの「異界」のことなど、彼にとっては二の次だ。なんにせよ、まずは愛する一人娘を探すことが先決。

 柏木は、まだ落ち着かない呼吸をそのままにして、熱海の急な坂道を下くだり始めた。



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