33 / 40
後編
9 顛末
しおりを挟む
黒い渦の向こう側は、真っ黒な世界で何も見えなかった。
美琴を連れたからくり人形も見えない。ただひたすらに前(本当に前進しているのか分からないけれど)に進むだけ。
しばらくして、この暗黒の世界にようやく光の筋が見えてきた。開けかけの扉。そこから光が少しだけ漏れているのだ。
突如現れたその扉には「プライベート」という文字。冷たい鉄と重厚感のある装飾。柏木は一つ息を吐いて、その扉の中へ入っていった。
暑い絨毯の廊下が続く。柏木の嫌な予感は当たった。ここは柏木が目覚めたホテル。からくり人形と対峙したあのホテルの廊下であった。
振り返るってみると、そこには入ってきた扉はない。不気味な蛍光灯の光が漏れて、エレベーターが口を開けていたのだ。
カラカラカラ……。
廊下の反対側で音がした。「決着をつける時か」と柏木は自分を奮い立たせ、廊下を駆け抜ける。
「あの時は逃げたもんな」
今の彼に恐怖心は無い。むしろ、まるで怨霊のような強い信念の旗を掲げて廊下を突き進む。
あの憎き人形を……。
愛する美琴を……。
廊下を進んでいくと、「非常口」と書かれた窓のある突き当りに、人形の影が見えてきた。追いついたのだ。否、人形が待ち構えていたのであった。
美琴は変わらず意識はない。椅子に座ったまま、柏木の方を向いて眠っている。
「待っていたぜ」
それは例の甲高い声ではなかった。少し舌足らずな低い男の声だ。
「決着をつけてやる」
「決着? 負けたくせに……」
「まだ負けとらん!」
からくり人形――低い声の男が笑う。
「何がおかしい!」
「負けたことにさえ気が付かない愚か者が……」
からくり人形の異彩は、見えない空気の中を漂い、確実に柏木の精神を混乱させていく。
「お前はあの時、死んだんだよ」
壁に挟まれ、意味のない叫び声を上げながらな――。
柏木の心臓に、とどめの銛もりが深く撃ち込まれる。もう死んでいた。最初にこのホテルで、この廊下でからくり人形と出会った時に。
「後ろを見ろよ。まさかそれにも気が付いていないだと?」
柏木が振り向くと、数メートル後ろに血の水たまりがそこにはあった。それだけではない。両側の障子にも同じく血しぶきが見える。
まるで人ひとりがそこで押しつぶされたように……。
力を振り絞って障子を破り、この世界を抜け出したはず。だが、「現実」はそうではなかった。彼はこの廊下から抜け出したのではなく、自らの体から抜け出した精神――霊体であったのだ。
血だまりと「現実」に表情を奪われた柏木は、目の前で眠っている美琴に目を向けた。幼い我が子。あどけない血色の頬に、母親譲りのまん丸な瞳。日焼けした腕と足には、中学生にしては細すぎる。
「俺が待っていたのは……」
からくり人形の言葉を合図に、美琴の後ろにある「非常口」と書かれた窓が開いた。突風。上空の空気が一気に廊下へ流れ込んでくる。柏木は後ろに倒れないようにして踏ん張るのが精いっぱいであった。
「子供の最期をしっかりと見てもらえるようにと思ったからさ!」
からくり人形が美琴の座る椅子の脚の一つを、その小さな腕で掴むと、徐々に美琴が椅子ごと後ろに傾いていく。
後ろは窓。このままでは美琴は窓から落ちてしまうのではないか!
「やめろ!」
柏木が阻止するために風に抗って進む。しかし、今度は両端の障子を破って黒い人型の影たちが飛び出してきては、彼に飛び掛かっていった。
「そこでじっとしてな! ちゃんと看取れて嬉しいだろ? 俺って優しいだろ?」
大勢の影たちに馬乗りにされ、柏木はそれらの隙間からしか、美琴が見えなくなっていた。
「もうすぐお前のところに娘を送ってやるさ」
美琴を連れたからくり人形も見えない。ただひたすらに前(本当に前進しているのか分からないけれど)に進むだけ。
しばらくして、この暗黒の世界にようやく光の筋が見えてきた。開けかけの扉。そこから光が少しだけ漏れているのだ。
突如現れたその扉には「プライベート」という文字。冷たい鉄と重厚感のある装飾。柏木は一つ息を吐いて、その扉の中へ入っていった。
暑い絨毯の廊下が続く。柏木の嫌な予感は当たった。ここは柏木が目覚めたホテル。からくり人形と対峙したあのホテルの廊下であった。
振り返るってみると、そこには入ってきた扉はない。不気味な蛍光灯の光が漏れて、エレベーターが口を開けていたのだ。
カラカラカラ……。
廊下の反対側で音がした。「決着をつける時か」と柏木は自分を奮い立たせ、廊下を駆け抜ける。
「あの時は逃げたもんな」
今の彼に恐怖心は無い。むしろ、まるで怨霊のような強い信念の旗を掲げて廊下を突き進む。
あの憎き人形を……。
愛する美琴を……。
廊下を進んでいくと、「非常口」と書かれた窓のある突き当りに、人形の影が見えてきた。追いついたのだ。否、人形が待ち構えていたのであった。
美琴は変わらず意識はない。椅子に座ったまま、柏木の方を向いて眠っている。
「待っていたぜ」
それは例の甲高い声ではなかった。少し舌足らずな低い男の声だ。
「決着をつけてやる」
「決着? 負けたくせに……」
「まだ負けとらん!」
からくり人形――低い声の男が笑う。
「何がおかしい!」
「負けたことにさえ気が付かない愚か者が……」
からくり人形の異彩は、見えない空気の中を漂い、確実に柏木の精神を混乱させていく。
「お前はあの時、死んだんだよ」
壁に挟まれ、意味のない叫び声を上げながらな――。
柏木の心臓に、とどめの銛もりが深く撃ち込まれる。もう死んでいた。最初にこのホテルで、この廊下でからくり人形と出会った時に。
「後ろを見ろよ。まさかそれにも気が付いていないだと?」
柏木が振り向くと、数メートル後ろに血の水たまりがそこにはあった。それだけではない。両側の障子にも同じく血しぶきが見える。
まるで人ひとりがそこで押しつぶされたように……。
力を振り絞って障子を破り、この世界を抜け出したはず。だが、「現実」はそうではなかった。彼はこの廊下から抜け出したのではなく、自らの体から抜け出した精神――霊体であったのだ。
血だまりと「現実」に表情を奪われた柏木は、目の前で眠っている美琴に目を向けた。幼い我が子。あどけない血色の頬に、母親譲りのまん丸な瞳。日焼けした腕と足には、中学生にしては細すぎる。
「俺が待っていたのは……」
からくり人形の言葉を合図に、美琴の後ろにある「非常口」と書かれた窓が開いた。突風。上空の空気が一気に廊下へ流れ込んでくる。柏木は後ろに倒れないようにして踏ん張るのが精いっぱいであった。
「子供の最期をしっかりと見てもらえるようにと思ったからさ!」
からくり人形が美琴の座る椅子の脚の一つを、その小さな腕で掴むと、徐々に美琴が椅子ごと後ろに傾いていく。
後ろは窓。このままでは美琴は窓から落ちてしまうのではないか!
「やめろ!」
柏木が阻止するために風に抗って進む。しかし、今度は両端の障子を破って黒い人型の影たちが飛び出してきては、彼に飛び掛かっていった。
「そこでじっとしてな! ちゃんと看取れて嬉しいだろ? 俺って優しいだろ?」
大勢の影たちに馬乗りにされ、柏木はそれらの隙間からしか、美琴が見えなくなっていた。
「もうすぐお前のところに娘を送ってやるさ」
0
あなたにおすすめの小説
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
行き場を失った恋の終わらせ方
当麻月菜
恋愛
「君との婚約を白紙に戻してほしい」
自分の全てだったアイザックから別れを切り出されたエステルは、どうしてもこの恋を終わらすことができなかった。
避け続ける彼を求めて、復縁を願って、あの日聞けなかった答えを得るために、エステルは王城の夜会に出席する。
しかしやっと再会できた、そこには見たくない現実が待っていて……
恋の終わりを見届ける貴族青年と、行き場を失った恋の中をさ迷う令嬢の終わりと始まりの物語。
※他のサイトにも重複投稿しています。
それなりに怖い話。
只野誠
ホラー
これは創作です。
実際に起きた出来事はございません。創作です。事実ではございません。創作です創作です創作です。
本当に、実際に起きた話ではございません。
なので、安心して読むことができます。
オムニバス形式なので、どの章から読んでも問題ありません。
不定期に章を追加していきます。
2025/12/24:『おおみそか』の章を追加。2025/12/31の朝4時頃より公開開始予定。
2025/12/23:『みこし』の章を追加。2025/12/30の朝4時頃より公開開始予定。
2025/12/22:『かれんだー』の章を追加。2025/12/29の朝4時頃より公開開始予定。
2025/12/21:『おつきさまがみている』の章を追加。2025/12/28の朝8時頃より公開開始予定。
2025/12/20:『にんぎょう』の章を追加。2025/12/27の朝8時頃より公開開始予定。
2025/12/19:『ひるさがり』の章を追加。2025/12/26の朝4時頃より公開開始予定。
2025/12/18:『いるみねーしょん』の章を追加。2025/12/25の朝4時頃より公開開始予定。
※こちらの作品は、小説家になろう、カクヨム、アルファポリスで同時に掲載しています。
灰かぶりの姉
吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。
「今日からあなたのお父さんと妹だよ」
そう言われたあの日から…。
* * *
『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。
国枝 那月×野口 航平の過去編です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
君との空へ【BL要素あり・短編おまけ完結】
Motoki
ホラー
一年前に親友を亡くした高橋彬は、体育の授業中、その親友と同じ癖をもつ相沢隆哉という生徒の存在を知る。その日から隆哉に付きまとわれるようになった彬は、「親友が待っている」という言葉と共に、親友の命を奪った事故現場へと連れて行かれる。そこで彬が見たものは、あの事故の時と同じ、血に塗れた親友・時任俊介の姿だった――。
※ホラー要素は少し薄めかも。BL要素ありです。人が死ぬ場面が出てきますので、苦手な方はご注意下さい。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる