1 / 6
第一章 新宿五階の探偵
しおりを挟む
新宿三丁目。
夜の雑踏は昼よりもうるさいくせに、なぜか人の気配だけが薄い。ネオンは派手だが、その光はアスファルトの表面しか照らさない。五階建ての雑居ビルに入ると、エレベーターは必ず一度、意味もなく揺れる。
五階。
蛍光灯が一本切れかけた廊下の奥に、半分だけ影に沈んだ扉がある。
《田所雄三探偵事務所》
田所雄三は、その扉の内側で、コンビニの焼きそばパンを片手に自分の腹を見下ろしていた。
三十五歳。頭脳はまだ現役だが、体型は確実に中年のそれである。
「……最近、重力強くなってないか」
「それ、地球のせいじゃなくて先生の生活習慣です」
背後から冷静な声が返ってくる。
秘書の夏野和泉。長身で細身、黒縁眼鏡の奥の視線はいつも冷静で、無駄な感情を挟まない。
「人はな、年を取ると自然と丸くなるんだ」
と田所が詭弁を弄すると
「性格だけで十分です」
と夏野は辛らつな言葉で返す。
「ひどくない?」
と言う田所に夏野は
「たまには外に出たらどうです?」
と外出を促す。
田所が
「何しに?」
と問うと夏野は
「依頼があった時くらいは調査に出るのも良いんじゃないですか?」
と返すが田所は
「外に出なくたって解決するんだから外に出る理由がない」
と、外出する気は全くない。
デスクの上にはカップ麺の空容器と、胃薬の箱。探偵事務所というより、残業続きのサラリーマンの机に近い。
その時、ノックもなくドアが開いた。
「相変わらず、ひどい部屋だな」
と言いながら、コートの襟を立てた男が立っていた。都庁前署の刑事、山岸。無精髭に険しい顔、態度はいつも不機嫌そのものだ。
田所が
「刑事はいつも礼儀を忘れてるな。ここは一応、民間企業だぞ」
と言うと
「安心しろ、企業って言えるほど綺麗じゃない」
と言いながら、山岸は封筒を机に投げつつ続ける。
「殺しだ。社長が死んだ。警察ももちろん捜査しているが、協力して欲しい」
その言葉に、部屋の空気がわずかに沈む。
田所は焼きそばパンを置き、封筒を開いた。
「……IT企業か」
と呟く田所に山岸は
「ネクサス・リンク。新宿本社。代表取締役が会議室で死んでた」
と返し、続けて説明する。
「頭部打撲。事故に見える」
田所は資料に目を通しながら、ゆっくり言った。
「“見える”事件ほど、面倒なんだよな」
夏野が小さく息を吐いた。
「また胃が悪くなりますね」
それに対し田所が
「もう悪い」
と言うと夏野は
「では、最初から諦めましょう」
と突き放す。
「秘書としてどうなんだ、それ」
とあきれ顔の田所。
窓の外では、雨が新宿の街を静かに濡らしていた。
ネオンは今日も派手だが、真実だけは、相変わらず見えにくい。
夜の雑踏は昼よりもうるさいくせに、なぜか人の気配だけが薄い。ネオンは派手だが、その光はアスファルトの表面しか照らさない。五階建ての雑居ビルに入ると、エレベーターは必ず一度、意味もなく揺れる。
五階。
蛍光灯が一本切れかけた廊下の奥に、半分だけ影に沈んだ扉がある。
《田所雄三探偵事務所》
田所雄三は、その扉の内側で、コンビニの焼きそばパンを片手に自分の腹を見下ろしていた。
三十五歳。頭脳はまだ現役だが、体型は確実に中年のそれである。
「……最近、重力強くなってないか」
「それ、地球のせいじゃなくて先生の生活習慣です」
背後から冷静な声が返ってくる。
秘書の夏野和泉。長身で細身、黒縁眼鏡の奥の視線はいつも冷静で、無駄な感情を挟まない。
「人はな、年を取ると自然と丸くなるんだ」
と田所が詭弁を弄すると
「性格だけで十分です」
と夏野は辛らつな言葉で返す。
「ひどくない?」
と言う田所に夏野は
「たまには外に出たらどうです?」
と外出を促す。
田所が
「何しに?」
と問うと夏野は
「依頼があった時くらいは調査に出るのも良いんじゃないですか?」
と返すが田所は
「外に出なくたって解決するんだから外に出る理由がない」
と、外出する気は全くない。
デスクの上にはカップ麺の空容器と、胃薬の箱。探偵事務所というより、残業続きのサラリーマンの机に近い。
その時、ノックもなくドアが開いた。
「相変わらず、ひどい部屋だな」
と言いながら、コートの襟を立てた男が立っていた。都庁前署の刑事、山岸。無精髭に険しい顔、態度はいつも不機嫌そのものだ。
田所が
「刑事はいつも礼儀を忘れてるな。ここは一応、民間企業だぞ」
と言うと
「安心しろ、企業って言えるほど綺麗じゃない」
と言いながら、山岸は封筒を机に投げつつ続ける。
「殺しだ。社長が死んだ。警察ももちろん捜査しているが、協力して欲しい」
その言葉に、部屋の空気がわずかに沈む。
田所は焼きそばパンを置き、封筒を開いた。
「……IT企業か」
と呟く田所に山岸は
「ネクサス・リンク。新宿本社。代表取締役が会議室で死んでた」
と返し、続けて説明する。
「頭部打撲。事故に見える」
田所は資料に目を通しながら、ゆっくり言った。
「“見える”事件ほど、面倒なんだよな」
夏野が小さく息を吐いた。
「また胃が悪くなりますね」
それに対し田所が
「もう悪い」
と言うと夏野は
「では、最初から諦めましょう」
と突き放す。
「秘書としてどうなんだ、それ」
とあきれ顔の田所。
窓の外では、雨が新宿の街を静かに濡らしていた。
ネオンは今日も派手だが、真実だけは、相変わらず見えにくい。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる