アームチェア・ディティクデブ

上板橋喜十郎

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第一章 新宿五階の探偵

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新宿三丁目。
夜の雑踏は昼よりもうるさいくせに、なぜか人の気配だけが薄い。ネオンは派手だが、その光はアスファルトの表面しか照らさない。五階建ての雑居ビルに入ると、エレベーターは必ず一度、意味もなく揺れる。
五階。
蛍光灯が一本切れかけた廊下の奥に、半分だけ影に沈んだ扉がある。
《田所雄三探偵事務所》
田所雄三は、その扉の内側で、コンビニの焼きそばパンを片手に自分の腹を見下ろしていた。
三十五歳。頭脳はまだ現役だが、体型は確実に中年のそれである。
「……最近、重力強くなってないか」
「それ、地球のせいじゃなくて先生の生活習慣です」
背後から冷静な声が返ってくる。
秘書の夏野和泉。長身で細身、黒縁眼鏡の奥の視線はいつも冷静で、無駄な感情を挟まない。
「人はな、年を取ると自然と丸くなるんだ」
と田所が詭弁を弄すると
「性格だけで十分です」
と夏野は辛らつな言葉で返す。
「ひどくない?」
と言う田所に夏野は
「たまには外に出たらどうです?」
と外出を促す。
田所が
「何しに?」
と問うと夏野は
「依頼があった時くらいは調査に出るのも良いんじゃないですか?」
と返すが田所は
「外に出なくたって解決するんだから外に出る理由がない」
と、外出する気は全くない。
デスクの上にはカップ麺の空容器と、胃薬の箱。探偵事務所というより、残業続きのサラリーマンの机に近い。
その時、ノックもなくドアが開いた。
「相変わらず、ひどい部屋だな」
と言いながら、コートの襟を立てた男が立っていた。都庁前署の刑事、山岸。無精髭に険しい顔、態度はいつも不機嫌そのものだ。
田所が
「刑事はいつも礼儀を忘れてるな。ここは一応、民間企業だぞ」
と言うと
「安心しろ、企業って言えるほど綺麗じゃない」
と言いながら、山岸は封筒を机に投げつつ続ける。
「殺しだ。社長が死んだ。警察ももちろん捜査しているが、協力して欲しい」
その言葉に、部屋の空気がわずかに沈む。
田所は焼きそばパンを置き、封筒を開いた。
「……IT企業か」
と呟く田所に山岸は
「ネクサス・リンク。新宿本社。代表取締役が会議室で死んでた」
と返し、続けて説明する。
「頭部打撲。事故に見える」
田所は資料に目を通しながら、ゆっくり言った。
「“見える”事件ほど、面倒なんだよな」
夏野が小さく息を吐いた。
「また胃が悪くなりますね」
それに対し田所が
「もう悪い」
と言うと夏野は
「では、最初から諦めましょう」
と突き放す。
「秘書としてどうなんだ、それ」
とあきれ顔の田所。
窓の外では、雨が新宿の街を静かに濡らしていた。
ネオンは今日も派手だが、真実だけは、相変わらず見えにくい。
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