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第5話 副団長が台所をまた燃やしました
ルーカスさんから預かった、子ども服サイズに縮んでしまった制服。
それを、ぬるま湯と柔軟作用のある薬草を混ぜたタライの中に浸し、私は一つ大きく息を吐いた。
繊維がゆっくりとほぐれるのを待つ間、次の戦場へ向かわなければならない。
玄関の靴の山と、廊下の生乾き布問題は一旦クリアした。
次に私が足を踏み入れたのは、一階の奥にある厨房スペースだった。
「さて、まずはこの凄まじい焦げ跡の原因を探らないと……」
腕まくりをして、黒焦げになった石造りの壁と、巨大な炭の塊がこびりついた鍋を見上げる。
どうすれば、単なる料理でこんな爆発跡のような惨状を作れるのだろうか。
私が掃除の段取りを頭の中で組み始めた、ちょうどその時だった。
シュゥゥゥゥッ……!
バチバチバチッ!!
「えっ?」
突然、背後から凄まじい音が響いた。
振り返ると、厨房の奥にある広い魔力炉――この世界でのコンロのような場所から、異常な高さの赤い炎が噴き上がっていたのだ。
「な、なに!?」
燃え盛る炎の前に、一人の男性が立っていた。
背が高く、細身で、隙のない漆黒の詰め襟の制服を身に纏っている。
夜の闇を溶かしたような艶やかな黒髪に、冷たく知的な銀縁の眼鏡。
まるで王宮の執務室からそのまま抜け出してきたような、隙のない完璧な美貌の青年だった。
その彼が、燃え盛る炎を前にして、ひどく冷静な顔で腕を組んでいた。
「……計算外だな。この熱量耐性では、融点に達するのが早すぎる」
「計算外じゃないですよ!? 燃えてます、燃えてますから!!」
私は悲鳴を上げながら、無我夢中で近くにあった分厚い麻布を掴み、水桶に突っ込んだ。
水を含んでずっしりと重くなった布を抱え、炎の前に立つ青年の横へ滑り込む。
「どいてください!」
「君は……?」
青年の戸惑う声を無視して、私は魔力炉の上で暴走している火の元――真っ赤に熱された火魔石と、その上に乗せられた空焚き状態の鍋に、濡れた麻布をバサァッ! と被せた。
ジュゥゥゥゥゥッ!!
けたたましい蒸気の音とともに、視界が真っ白な水蒸気に包まれる。
布で完全に酸素を遮断し、熱を奪う。
数十秒ほど押さえつけると、ようやく恐ろしい火柱はシューシューと音を立てて鎮火した。
「……っ、はぁ、はぁ……」
へなへなと腰から砕け落ちそうになるのを必死に堪え、私は荒い息を吐いた。
心臓が口から飛び出しそうなくらいバクバクと鳴っている。
「……驚いた。見事な初期消火だ。君、水属性の魔導師か?」
頭上から、ひどく落ち着いた、涼やかな声が降ってきた。
見上げると、銀縁眼鏡の青年が、感心したように私を見下ろしている。
カチン、と私の頭の中で何かが鳴った。
「魔導師じゃありません。今日からここでお世話になる寮母の香澄です。……それよりも!」
私は立ち上がり、青年の胸ぐらに掴みかからんばかりの勢いで詰め寄った。
「一体、何をどうしたらあんな火柱が上がるんですか!? 台所の壁が黒焦げになっていた原因、あなたですね!?」
青年は、私の剣幕に少しだけ目を丸くした。
彼のようなエリート騎士に向かって、こんな風に怒鳴りつける人間は珍しいのだろう。
しかし彼は悪びれる様子もなく、理路整然と答え始めた。
「私はセオドア。セオドア・アッシュフォードだ。第七分隊の副団長を務めている」
「セオドアさん。質問の答えになっていません」
私がじろりと睨みつけると、セオドアさんは眼鏡のブリッジを中指でクイッと押し上げた。
「……書類仕事が立て込んでいてね。効率を上げるために、紅茶を淹れようとしたんだ。お湯を沸かすというタスクを最も短時間で完了させるため、火魔石の出力を最大値に設定した。論理的に考えて、最大の熱エネルギーを与えれば、到達時間は最短になるからね」
「論理的に考えて、鍋の耐久値と水の蒸発速度を無視していますよね!?」
「……そこが計算外だった。この程度の熱で鍋の底が溶け落ちるとは」
私は、頭痛を堪えるようにこめかみを押さえた。
出力を最大にすれば、早くお湯が沸く。
それは確かに『理屈』としては合っているかもしれない。
けれど、生活というものは理屈だけで回るものではないのだ。
前世の夫である健一も、同じようなことを言う人だった。
『なんでまだご飯できてないの? 火、一番強くすればすぐ焼けるだろ』
『いや、これは弱火でじっくり火を通さないと、中まで……』
『効率悪いな! いいから最大火力にしろよ!』
健一に急かされて火を強くし、結果として表面だけが焦げて中が半生になったハンバーグを、彼は『なんだこれ、不味いな。お前は本当に要領が悪い』と吐き捨てた。
油が跳ねて私の腕に火傷ができても、彼は全く気に留めなかった。
『料理なんて、熱を加えるだけの単純作業だろ?』
そんな風に、家事を見下していた。
目の前の、涼しい顔をした副団長も同じだろうか。
家事というものを、計算式で解ける簡単な作業だと侮っているのだろうか。
「セオドアさん」
私は、低く、静かな声で彼を呼んだ。
「手を出してください」
「……手?」
怪訝な顔をするセオドアさんの右手を、私は両手でがっしりと掴み取った。
「なっ……君、いきなり何を……」
普段、女性からこんな風に強引に触れられることがないのか、彼はわずかに肩をビクッとさせて動揺した。
私はその手を裏返し、手のひらから指先まで、じっと目を凝らして観察した。
剣のタコはあるけれど、幸いなことに、水ぶくれや赤くなっている箇所はなかった。
袖口を少し捲り上げ、手首のあたりも確認する。
「……火傷は、ありませんね。煙も吸い込んでいませんか? 喉は痛くないですか」
私が真剣な顔で尋ねると、セオドアさんは、不意を突かれたような顔で黙り込んだ。
銀縁眼鏡の奥の、理知的なグレーの瞳が、わずかに揺れている。
「……君は」
「はい?」
「なぜ、私の怪我を確認したんだ? 普通なら、この厨房の惨状や、溶けた鍋の損害について私を非難する場面だろう」
セオドアさんの問いに、私は小さく息を吐き、彼の手からそっと自分の手を離した。
「鍋なんて、いくらでも代わりがききます。壁の焦げ跡だって、削って磨けば綺麗になります。……でも、火傷は跡が残るかもしれないじゃないですか。あなたたちは、王国を守る大切な体なんですから」
私は、冷たくなった灰の山を見つめながら続けた。
「火は、数字や理屈の通りには動いてくれません。ちょっと目を離した隙に、すべてを奪っていく怖いものなんです。……お湯を沸かすくらいで、怪我をしないでください」
少しだけ、説教くさくなってしまったかもしれない。
相手は私なんかよりずっと偉い、エリート騎士団の副団長だ。
生意気だと言われて、怒鳴られるかもしれない。健一がいつもそうしていたように。
私が身をすくめて、彼からの冷たい言葉を待っていると。
「……計算外だったな」
頭上から、ぽつりと呟く声が聞こえた。
恐る恐る顔を上げると、セオドアさんは、少しだけばつが悪そうに視線を逸らしていた。
耳の端が、ほんのりと赤くなっているように見える。
「まさか、赴任してきたばかりの寮母に、正論で論破されるだけでなく……心配までされるとは」
「セオドアさん……?」
「君の言う通りだ、香澄。火の特性を理解せず、机上の空論で実行に移した私の落ち度だ。……怪我を心配してくれて、感謝する」
彼は、言い訳を一つもしなかった。
自分の非を素直に認め、あまつさえ、家事しかできない私に対して頭を下げたのだ。
その誠実さに、私の胸の奥がじんわりと温かくなった。
健一とは違う。この人たちは、本当に生活の仕方が分からないだけで、私の言葉をきちんと聞いてくれる。
私の知識を、見下したりしない。
「分かってくれればいいんです。……それにしても、これでセオドアさんが厨房を燃やしたのは二度目ですね?」
私が壁の古い焦げ跡を指差すと、セオドアさんは「……耳が痛いな」と眼鏡を押し上げた。
その仕草が、先ほどの完璧な冷徹さとは違い、どこか人間臭くて少しだけ笑ってしまった。
「とりあえず、ここは私が綺麗に掃除しておきます。セオドアさんは執務室に戻って仕事の続きをしてください」
「いや、しかし。原因を作ったのは私だ。手伝おう」
「ダメです。次にセオドアさんが台所に入る時は、私が火加減を一から教える時です。それまでは、台所立ち入り禁止を命じます」
私がビシッと言い渡すと、セオドアさんは目を瞬かせた後、小さく息を吐いた。
「……了承した。見事な采配だ。私には、論理的な反論の余地がない」
そう言って、彼は踵を返した。
厨房の入り口で一度だけ立ち止まり、背中越しのまま口を開く。
「紅茶の代わりと言ってはなんだが。……後で、君の淹れた茶を所望してもいいだろうか」
「はい。お掃除が終わったら、執務室にお持ちしますね」
私が笑顔で答えると、セオドアさんは満足そうに頷き、静かな足音を立てて去っていった。
ふう、と私はエプロンの紐を結び直した。
犬のように人懐っこい団長に、理屈っぽくて不器用な副団長。
なんだか、ものすごく手のかかる子どもたちを預かってしまったような気分だ。
けれど、その『手のかかる感じ』が、今の私にはどうしようもなく心地よかった。
「よーし。まずはこの灰を片付けて、焦げ落とし用の重曹を作って……」
私が袖を捲り上げ、気合を入れ直した、その時だった。
ドォォォォォォォォンッ!!
「ひゃああっ!?」
突如、寮の二階から、先ほどの小火騒ぎとは比べ物にならないほどの、凄まじい爆発音が鳴り響いた。
天井からパラパラと埃が落ちてくる。
また!?
今度は何事!?
「け、けほっ……! あー、くそっ! また暴発しやがった!」
二階の廊下から、柄の悪い、若い男の苛立った声が聞こえてくる。
私は頭を抱えた。
どうやら、王国最強の騎士団寮の『日常』は、私の想像をはるかに超える魔境だったらしい。
(続く)
それを、ぬるま湯と柔軟作用のある薬草を混ぜたタライの中に浸し、私は一つ大きく息を吐いた。
繊維がゆっくりとほぐれるのを待つ間、次の戦場へ向かわなければならない。
玄関の靴の山と、廊下の生乾き布問題は一旦クリアした。
次に私が足を踏み入れたのは、一階の奥にある厨房スペースだった。
「さて、まずはこの凄まじい焦げ跡の原因を探らないと……」
腕まくりをして、黒焦げになった石造りの壁と、巨大な炭の塊がこびりついた鍋を見上げる。
どうすれば、単なる料理でこんな爆発跡のような惨状を作れるのだろうか。
私が掃除の段取りを頭の中で組み始めた、ちょうどその時だった。
シュゥゥゥゥッ……!
バチバチバチッ!!
「えっ?」
突然、背後から凄まじい音が響いた。
振り返ると、厨房の奥にある広い魔力炉――この世界でのコンロのような場所から、異常な高さの赤い炎が噴き上がっていたのだ。
「な、なに!?」
燃え盛る炎の前に、一人の男性が立っていた。
背が高く、細身で、隙のない漆黒の詰め襟の制服を身に纏っている。
夜の闇を溶かしたような艶やかな黒髪に、冷たく知的な銀縁の眼鏡。
まるで王宮の執務室からそのまま抜け出してきたような、隙のない完璧な美貌の青年だった。
その彼が、燃え盛る炎を前にして、ひどく冷静な顔で腕を組んでいた。
「……計算外だな。この熱量耐性では、融点に達するのが早すぎる」
「計算外じゃないですよ!? 燃えてます、燃えてますから!!」
私は悲鳴を上げながら、無我夢中で近くにあった分厚い麻布を掴み、水桶に突っ込んだ。
水を含んでずっしりと重くなった布を抱え、炎の前に立つ青年の横へ滑り込む。
「どいてください!」
「君は……?」
青年の戸惑う声を無視して、私は魔力炉の上で暴走している火の元――真っ赤に熱された火魔石と、その上に乗せられた空焚き状態の鍋に、濡れた麻布をバサァッ! と被せた。
ジュゥゥゥゥゥッ!!
けたたましい蒸気の音とともに、視界が真っ白な水蒸気に包まれる。
布で完全に酸素を遮断し、熱を奪う。
数十秒ほど押さえつけると、ようやく恐ろしい火柱はシューシューと音を立てて鎮火した。
「……っ、はぁ、はぁ……」
へなへなと腰から砕け落ちそうになるのを必死に堪え、私は荒い息を吐いた。
心臓が口から飛び出しそうなくらいバクバクと鳴っている。
「……驚いた。見事な初期消火だ。君、水属性の魔導師か?」
頭上から、ひどく落ち着いた、涼やかな声が降ってきた。
見上げると、銀縁眼鏡の青年が、感心したように私を見下ろしている。
カチン、と私の頭の中で何かが鳴った。
「魔導師じゃありません。今日からここでお世話になる寮母の香澄です。……それよりも!」
私は立ち上がり、青年の胸ぐらに掴みかからんばかりの勢いで詰め寄った。
「一体、何をどうしたらあんな火柱が上がるんですか!? 台所の壁が黒焦げになっていた原因、あなたですね!?」
青年は、私の剣幕に少しだけ目を丸くした。
彼のようなエリート騎士に向かって、こんな風に怒鳴りつける人間は珍しいのだろう。
しかし彼は悪びれる様子もなく、理路整然と答え始めた。
「私はセオドア。セオドア・アッシュフォードだ。第七分隊の副団長を務めている」
「セオドアさん。質問の答えになっていません」
私がじろりと睨みつけると、セオドアさんは眼鏡のブリッジを中指でクイッと押し上げた。
「……書類仕事が立て込んでいてね。効率を上げるために、紅茶を淹れようとしたんだ。お湯を沸かすというタスクを最も短時間で完了させるため、火魔石の出力を最大値に設定した。論理的に考えて、最大の熱エネルギーを与えれば、到達時間は最短になるからね」
「論理的に考えて、鍋の耐久値と水の蒸発速度を無視していますよね!?」
「……そこが計算外だった。この程度の熱で鍋の底が溶け落ちるとは」
私は、頭痛を堪えるようにこめかみを押さえた。
出力を最大にすれば、早くお湯が沸く。
それは確かに『理屈』としては合っているかもしれない。
けれど、生活というものは理屈だけで回るものではないのだ。
前世の夫である健一も、同じようなことを言う人だった。
『なんでまだご飯できてないの? 火、一番強くすればすぐ焼けるだろ』
『いや、これは弱火でじっくり火を通さないと、中まで……』
『効率悪いな! いいから最大火力にしろよ!』
健一に急かされて火を強くし、結果として表面だけが焦げて中が半生になったハンバーグを、彼は『なんだこれ、不味いな。お前は本当に要領が悪い』と吐き捨てた。
油が跳ねて私の腕に火傷ができても、彼は全く気に留めなかった。
『料理なんて、熱を加えるだけの単純作業だろ?』
そんな風に、家事を見下していた。
目の前の、涼しい顔をした副団長も同じだろうか。
家事というものを、計算式で解ける簡単な作業だと侮っているのだろうか。
「セオドアさん」
私は、低く、静かな声で彼を呼んだ。
「手を出してください」
「……手?」
怪訝な顔をするセオドアさんの右手を、私は両手でがっしりと掴み取った。
「なっ……君、いきなり何を……」
普段、女性からこんな風に強引に触れられることがないのか、彼はわずかに肩をビクッとさせて動揺した。
私はその手を裏返し、手のひらから指先まで、じっと目を凝らして観察した。
剣のタコはあるけれど、幸いなことに、水ぶくれや赤くなっている箇所はなかった。
袖口を少し捲り上げ、手首のあたりも確認する。
「……火傷は、ありませんね。煙も吸い込んでいませんか? 喉は痛くないですか」
私が真剣な顔で尋ねると、セオドアさんは、不意を突かれたような顔で黙り込んだ。
銀縁眼鏡の奥の、理知的なグレーの瞳が、わずかに揺れている。
「……君は」
「はい?」
「なぜ、私の怪我を確認したんだ? 普通なら、この厨房の惨状や、溶けた鍋の損害について私を非難する場面だろう」
セオドアさんの問いに、私は小さく息を吐き、彼の手からそっと自分の手を離した。
「鍋なんて、いくらでも代わりがききます。壁の焦げ跡だって、削って磨けば綺麗になります。……でも、火傷は跡が残るかもしれないじゃないですか。あなたたちは、王国を守る大切な体なんですから」
私は、冷たくなった灰の山を見つめながら続けた。
「火は、数字や理屈の通りには動いてくれません。ちょっと目を離した隙に、すべてを奪っていく怖いものなんです。……お湯を沸かすくらいで、怪我をしないでください」
少しだけ、説教くさくなってしまったかもしれない。
相手は私なんかよりずっと偉い、エリート騎士団の副団長だ。
生意気だと言われて、怒鳴られるかもしれない。健一がいつもそうしていたように。
私が身をすくめて、彼からの冷たい言葉を待っていると。
「……計算外だったな」
頭上から、ぽつりと呟く声が聞こえた。
恐る恐る顔を上げると、セオドアさんは、少しだけばつが悪そうに視線を逸らしていた。
耳の端が、ほんのりと赤くなっているように見える。
「まさか、赴任してきたばかりの寮母に、正論で論破されるだけでなく……心配までされるとは」
「セオドアさん……?」
「君の言う通りだ、香澄。火の特性を理解せず、机上の空論で実行に移した私の落ち度だ。……怪我を心配してくれて、感謝する」
彼は、言い訳を一つもしなかった。
自分の非を素直に認め、あまつさえ、家事しかできない私に対して頭を下げたのだ。
その誠実さに、私の胸の奥がじんわりと温かくなった。
健一とは違う。この人たちは、本当に生活の仕方が分からないだけで、私の言葉をきちんと聞いてくれる。
私の知識を、見下したりしない。
「分かってくれればいいんです。……それにしても、これでセオドアさんが厨房を燃やしたのは二度目ですね?」
私が壁の古い焦げ跡を指差すと、セオドアさんは「……耳が痛いな」と眼鏡を押し上げた。
その仕草が、先ほどの完璧な冷徹さとは違い、どこか人間臭くて少しだけ笑ってしまった。
「とりあえず、ここは私が綺麗に掃除しておきます。セオドアさんは執務室に戻って仕事の続きをしてください」
「いや、しかし。原因を作ったのは私だ。手伝おう」
「ダメです。次にセオドアさんが台所に入る時は、私が火加減を一から教える時です。それまでは、台所立ち入り禁止を命じます」
私がビシッと言い渡すと、セオドアさんは目を瞬かせた後、小さく息を吐いた。
「……了承した。見事な采配だ。私には、論理的な反論の余地がない」
そう言って、彼は踵を返した。
厨房の入り口で一度だけ立ち止まり、背中越しのまま口を開く。
「紅茶の代わりと言ってはなんだが。……後で、君の淹れた茶を所望してもいいだろうか」
「はい。お掃除が終わったら、執務室にお持ちしますね」
私が笑顔で答えると、セオドアさんは満足そうに頷き、静かな足音を立てて去っていった。
ふう、と私はエプロンの紐を結び直した。
犬のように人懐っこい団長に、理屈っぽくて不器用な副団長。
なんだか、ものすごく手のかかる子どもたちを預かってしまったような気分だ。
けれど、その『手のかかる感じ』が、今の私にはどうしようもなく心地よかった。
「よーし。まずはこの灰を片付けて、焦げ落とし用の重曹を作って……」
私が袖を捲り上げ、気合を入れ直した、その時だった。
ドォォォォォォォォンッ!!
「ひゃああっ!?」
突如、寮の二階から、先ほどの小火騒ぎとは比べ物にならないほどの、凄まじい爆発音が鳴り響いた。
天井からパラパラと埃が落ちてくる。
また!?
今度は何事!?
「け、けほっ……! あー、くそっ! また暴発しやがった!」
二階の廊下から、柄の悪い、若い男の苛立った声が聞こえてくる。
私は頭を抱えた。
どうやら、王国最強の騎士団寮の『日常』は、私の想像をはるかに超える魔境だったらしい。
(続く)
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