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第二部

第二章 荒川 次門

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 まじない。

 どうやら、ジモンの国では「まじない」と言う物は存在しないらしい。それに、こちらも驚く。

「じゃあ、どうするんだ」
「何が」

 ジモンは池から上がると、一体、この池はどうなっているんだと腹ばいになり、池に腕を突っ込んでいる。

「洗濯とか……」

 と聞きかけて、バサルもそうかと頭を掻く。ここ以外の場所では、やはりオルゲニア国でもまじないは見かける物ではない。
 洗濯は水場で洗う。火は神殿からもらってきた物を種火として大事に扱う。物も放っておけば腐る。ここは供物として捧げられた物を食べるから、腐ることもないが。
 考えてみればそれが普通か。

「バサル!」

 デュアがアイロと着替えを持ってきて、地面に這いつくばっているジモンを見て固まる。

「……なにしてんの」
「気にするな」

 好奇心が強いのだろう。バサルが洗ったジモンの服をアイロに渡すと、アイロも不思議そうな顔で服を広げて柄を見ている。

「しっかりした生地ですね」
「そうね。それに……重いわ」

 重いのは水に濡れたからだろうが……確かにそれでも重い。ずしりとした生地だ。

「山の民は?こういうのを着るんじゃないか?」
「うーん……なんとも。寒くなれば、毛皮だもの」
「んー」

 そうか。山の民は皮をなめした物を身に着けている。その下の下履きは同じような物だろう。それより、とデュアがバサルの腕を引く。

「あれは、なに」

 デュアがジモンの尻に食い込んだ物を、見ていい物かどうか悩みながら見ている。「フンドシというらしい」と教えてやりながら、バサルがアイロからジモンの着替えを受け取るが……。アイロが申し訳なさそうだ。

「その、シャツとズボンがなくて」

 アイロが持って来たモノは子供用のローブだ。おそらくデュアの物なのだろう。頭からすぽっと被れるのは良いが……。

「ジモン」
「……反射か?光の加減……でも、ないか」
「ジモン」
「ジモン!」

 デュアとバサルから呼びかけられて、ようやくジモンが顔を上げる。デュアが驚いた顔をした。

「あら、綺麗な顔なのね」

 バサルもそう言われ改めてジモンを見る。そして、へえと思った。確かに整った顔立ちだった。ぼさぼさだった髪も、洗われ艶が出た。顔もさっぱりしている。信じられないが、色が白くなっている気がするのはどういうことだ?よほど、洗っていなかったか。
 だが、ジモンは綺麗な顔と言われても、嬉しくないという顔をした。それはそうか。子供だが、男だ。

「ジモン、これ着て、それも洗え」

 ローブを渡して、今、履いているフンドシとやらも洗えというと、少し、心もとない顔をした。

 ◇

 なぜか、一気に子供らしくなった。
 デュアの服を着ているからだろうか。二人が並ぶと、子供が並んでいるみたいだ。デュアもそう思うのか、ジモンの顔をまじまじと覗き込んでいる。

「髪も目も真っ黒なのね」
「まぁ、日本人だからな」
「……ジモンの国の人間は皆、目も髪も真っ黒なの?」
「ん」

 へぇ、とバサルもジモンを見る。オルゲニア国はいろんな肌の色と髪の色がある。バサルが知る限り、髪も目も一色だけという国はない。
 やはり、異国だ。

「あ、あれは、どっちだ」

 ジモンが、急にバサルに聞いてきた。バサルがなんだと振り返ると、アイルがお茶を運んで来ようとしている。

「アイルだ。ブレスレットで見分ける。右が……」

 そう言う前に、ジモンが駆けだしていた。何事?とデュアとバサルが見ていると、ジモンはアイルに駆け寄ると、両手を上げて何かを言い、ぺこりと頭を下げた。アイルも一瞬固まったが、すぐに、こくこくと頷いている。
 どうやら、先程の事を謝ったらしい。

「良い子だわ」
「ああ」

 バサルもそう思う。だが、不思議だとも思う。バサルは、なぜか落ち着かない。
 アイルとジモンが並んでこちらに向かってくる。庭の東屋だ。日の当たる場所にはジモンの着ていた服とフンドシがひらひらとはためいている。
 アイロとソロは夕食の準備らしい。

「アイル、仲直りできた?」

 デュアが少し心配そうに聞くと、アイルがようやく笑った。肝が据わっていても、刃物を向けられれば、恐ろしい。だが、とバサルがアイルを軽く睨む。

「飛び出していくやつがいるか」
「……すいません」

 せっかく笑ったのに、また、しょぼんとしてしまったアイルにジモンが顔を顰める。

「俺が悪いだろ。いきなり、刃物出したんだから」

 悪いと言われて、バサルも困る。ジモンがしたことは自己防衛だと分かっているからだ。おそらく同じ立場になれば、相手が女性だろうが何だろうが、事情がわかるまでバサルも剣を納めない。
 バサルはジモンを見た。

 そう、なぜか、ジモンはもう事情が分かっている気がする。

「ジモン」
「なんだ」

 ジモンがアイルがお茶をポットから注ぐのをじっと見ている横から声を掛ける。今日は普段使いの木のカップではなく、陶器でできたポットとカップだ。貴族ぐらいしかオルゲニア国では使わない。

「お前、なんで、そんなに落ち着いているんだ?」

 ジモンがバサルをゆっくりと振り返る。デュアが何聞いているのよ!とバサルを蹴るが、バサルは気にしない。

「……だって」

 ジモンが軽く首を傾げたままバサルを見る。

「ここは、神の国だろ?俺は、神隠しにあって、神に攫われたんだろ?」

 かちゃんと薄い陶器が割れる音がした。見ればアイルの手からカップが落ち、石のテーブルに当たり割れている。

「し、失礼……しました」

 アイルが慌てて、拭く物を持ってまいりますと神殿に戻っていく。その後ろ姿をジモンが眺めるが、バサルとデュアはジモンから目が離せない。

 神の国だろう。神隠しにあって。

「ジモン」

 デュアが少し、驚いたという顔でジモンを見つめる。ジモンはあーあと割れたカップを手に取りながら、これはなんでできているんだろうと眺めている。

「……あんたの国では」
「ん?俺の国?」
「そう……二ホン?では」

 信じられないとバサルも口を覆う。

「神が民を攫う事が普通にあるのか」

 ジモンはどうだろうと首を傾げた。

 ◇

 ジモンは別にそうある事ではないが、聞かない話ではないと言った。

「どこどこで、子供がいなくなった。どこどこで、女がいなくなった、ってこちらではあまりないのか?」

 バサルが唖然と口を押える。いなくなった?

「探さないの?」
「そりゃ、探すさ。でも、見つからない時ってあるだろ?」
「見つからない時があるの?子供でも?」
「町でもある。でも、半年ぐらいでひょいって帰ってくるときもあれば、帰ってこない時もある」
「子供が……半年迷子だったのに帰ってくるの?」

 半年間、子供だけで?本当かとバサルは違う事を考える。
 人攫い。
 子供を攫い、子供を欲しがる家に売る。だが、どうにか子供は逃げ……家に帰る?
 
「へんだ、な」

 どう考えても、子供一人でも、人攫いでもおかしい。子供を欲しがる家だって、そうそう子供を逃がすとも思えない。そして、攫われた子供だって、自分がどこにいるかも分からないのに、家に帰ることなどできないだろう。

「変だが……ない話ではない。半年とも聞くが、三年ぐらい経ってからとも聞く」
「三年?」
「迷子になって三年経って帰ってくるの?家に?」

 ジモンがまあ、これは不思議な話だなと肩を竦める。

「出かけた時のまんまの恰好で戻ってくるらしいぞ」

 ん?とデュアとバサルが顔を見合わせる。三年経って、出かけた時のまんまで帰ってくる?

「ふ、服とか?」
「三年だろ?子供だって、大きく……」

 ジモンが手にしていた破片をテーブルに集め、バサルを見て、にやりと笑った。

「それが、子供のまんまなんだよな。三年経っているのに、なぜ、皆、自分を見て驚いているんだろうという顔で親を見て『ただいま』って言う。まぁ、びっくりするが」
「びっくりするで……いいの?」

 信じられないとデュアが目を丸くする。だって、他にどうしろと?とジモンが肩を竦める。
 まあ……信じられないが……喜ばしい事ではあるのか?

「もっとすごい話もあるぞ」

 くすくすとジモンが笑う。どうやら、話好きらしい。デュアがなに?と身を乗り出す。

「これは、もう昔話だ。ある男が海で亀を助けた。その亀がお礼に海の中にある竜宮城というお城に連れて行ってくれた」
「ちょっと、待て。ちょっと、待て……」

 色々と言いたいが、デュアが黙ってて!とバサルを睨む。

「その男は、三日三晩、その城で楽しく過ごした。さあ、家に帰ろうとして城の姫から土産をもらった。玉手箱という。だが、姫は『絶対に開けてはなりません』と念を押したそうだ」
「ちょっと、待て。ちょっと、待て!」
「なんで、土産なのに、開けたら駄目なのよ!」
「お土産ですよね?」

 いつの間にやら、アイロとアイルがいた。代わりのカップを持って来たらしい。アイルが珍しい事にアイロの後ろにいる。

「お土産なのに、開けたら駄目って言ってくれたんですか?」
「それをもらったのか?そいつは?」
「なんで、もらうのよ!」
「だーよーなー」

 けけっとジモンが笑い、ちょいちょいと指を振る。それに、皆が口を閉じる。

「亀が元の浜まで送ってくれた。だが、どうも様子がおかしい。自分が知っている浜じゃない。村はあるが、村に住んでいる人が違う」
「……亀が間違えたんでしょうか」
「いや、亀にどうやって人が乗るんだ?!」
「海の中まで、どう案内したのよ?!」
「海の中で息ができたんでしょうねぇ」

 アイロの一言に皆が絶句する。そういう…問題だっただろうか。ジモンが、こほんと咳をし、続けていいか?と首を傾げた。デュアがどうぞと口を閉じる。

「さて、その男は村人に、自分の家を知らないかと聞いた。何人かは知らんと言ったが、よぼよぼの爺様が、そう言えばと一軒のもう崩れた家を指さした。そこに三百年前に、そういう男がおったそうだが、神隠しにあって消えてしまった」

 ぽかんとなる。さん、三百年?

「三百年?!」

 さすがにデュアも椅子から飛び上がる。三日、三晩が三百年?!

「じゃ、じゃあ、その男の方は……三百歳でございますよねぇ」
「いや、無理だろ」
「ん、無理だ」

 ジモンもあっさり頷いた。皆が、ジモンの話の続きを待つ。その男は……どうしたのだろう。

「その男は海岸で泣くだけ泣いて、土産の玉手箱を思い出した。開けてはならんと言われたが、何か、助けになるモノが入っているんじゃないだろうかと考えて……」
「開けたのか?!」
「開けたの?!」
「開けたのですかっ?!」

 そんな胡散臭い物を?!

 ジモンがうんと頷く。アイル達はひっ!と口に手を当て息を飲み、バサルは思い切り顔を顰め、デュアは額を押さえて深い溜息を吐いた。

「玉手箱の中から白い煙が立ち上り、その男を包んだそうだ。その煙に包まれた男は……」
「男は?」

 どうせ、死んだんだろうとバサルが投げやりに言うと、ジモンがにっと笑う。

「鶴になって飛んでいきましたとさ」

 ツルと言われても分からんが、おそらく鳥か、何かだろうが……。
 皆で、ジモンを見る。ジモンが変な話だよなとけけっと笑うが、その話をしたジモンを皆で眺める。

 けったいな国から来たらしい。まじないはないというが、神とやらはいる国で、その神が結構……。

「うん」

 デュアが、なんか疲れたという顔で、ジモンを見る。

「ん?」

 デュアがアイルが渡してくれたお茶を口にしながら言う。

「まあ、ここも、一種の竜宮城みたいな所かしらね」
「え?!」

 デュアの言葉に、バサルの方が驚く。なんで、お前が驚くんだとジモンが変な顔をする。

「竜宮城は海の中だが、ここもそういうとこだろ?」
「え?!」

 今度はアイロが驚くが、アイルはん?と考え込んだ。だが、バサルもようやく気が付く。
 汚れが落ちる池。消えない火。供えられた物が腐らない祭壇。

「そうか……」

 それぞれ考え込んだバサル達に、ジモンがなんだ一体という顔をする。住んでいる者が分かっていなかったのかという顔だ。

 考えた事もなかった。

 ソロとマヌーサがそろってやってきて、一体どうしたという顔をした。

 ◇

 食事ができたと呼びに来たソロ達と一緒にバサル達は神殿に向かった。ジモンはマヌーサに許されたらしい。
 だが、神殿に入ろうとした時に、ジモンがサンダルを脱ごうとして、また、ひと騒動あった。
 どうやら、建物の中に入る時、日本では履物を脱ぐらしい。

「裸足で家の中に入るの?」
「それは……足が凍りませんか?」

 石造りだ。石に体温を奪われる。ジモンがそうかと呟き、恐る恐るサンダルのまま神殿に入る。「お邪魔します」と小さな声で言ったのが不思議で、なんだそれは?と聞けば、人の家に入る時の挨拶みたいなものだと返された。

 そうは見えないが、結構、礼儀正しいか?

 後で部屋には案内すると言い、とりあえず、食堂に向かう。ジモンがコメを食べるとバサルがソロに伝えてあったからだろう。この間、バサルが失敗したリゾットがテーブルの上に並んでいた。
 だが、ジモンはきょとんとしている。

「コメだろ?」
「……米だが」

 これは、またと不思議そうだ。ソロがどうやって、コメを食べていた?と聞けば、炊くと返事があった。だが、今度はバサル達が炊くが分からない。

「煮ないの?」

 デュアがスプーンでリゾットを混ぜながら聞くと、違うとジモンが言う。

「味は?」
「米を水で炊くだけだ」

 は?となる。コメを水で炊くだけとは……。

「シンプルだな」
「主食だからな」
「主食なの?パンじゃなくて?」
「ああ」

 バサルがへぇとリゾットを眺めながら思う。ソロはコメを知っているうえに、料理までできたが、バサルはコメを知らなかった。ジモンがまた違う食べ方を教えてくれるだろう。

 これは……どうやって、食べるんだとジモンがアイルに聞いている。アイルがスプーンを手渡すと、これで?と左で皿をかき混ぜた。

「……何が入ってるんだ?」
「トマトと干し肉。野菜スープで煮てある」
「……なんで、赤いんだ?」
「トマトよ。トマトって言う野菜。知らない?」
「……知らない」

 バサルがこれだとサラダに入っている角切りにしたトマトを見せてやる。初めて見たと目を丸くし、そろそろとスプーンを口に運ぶ。

「ん」
「……お口に合うかの」

 ソロが心配そうにジモンを見る。ジモンは最初の何口かはゆっくりと食べていたが、そのうち、すごい勢いで食べ始めた。腹は減っていないと言っていたが、考えてみれば、あれから結構時間が経っている。
 腹も減っただろう。

「ソロ。美味しい」

 デュアがジモンの横でいつもより、勢いよくスプーンを動かす。

「あ、ああ……」

 マヌーサがやったと皺だらけの額を押さえる。見れば、デュアのローブにも、ジモンのローブにもトマトソースが跳ねている。

 アイロが吹き出し、ソロもほっとしたようにお茶を口にする。
 とりあえずは子供達が満腹になるまで、大人は待つことにした。

 
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