くそったれな人生に、僕だけの歌を。

しののめ

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6.現実の音楽のありかた

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透澄とすみアリア——。
妹の香菜が、まるで宗教のようにその名前を口にするのを聞いてから、
律の頭のどこかにその響きが残っていた。

透き通るのに芯のある声。
どこにも属していないのに、誰よりも“そこにいる”ような存在感。
実体がないのに、確かに届いてくる音。

(なんなんだろ、あの感覚。)

夜、バイトから帰ってきてベッドに寝転び、
暗がりの中スマホを開くと自然に“透澄アリア”と検索していた。

画面に並ぶサムネイルは、どれも淡い色合いで統一されている。
白と水色。まるで空の中で歌っているようだった。

再生を押すと、すぐに音が広がった。

"スマホの光が滲んで
部屋の隅に朝を拒む
「またね」の一言のあと
心が少し冷たくなった"

画面の向こうから、優しい声が降ってきた。
何千人ものコメントが書き込まれてる。
「好き」「尊い」「この声で救われた」
律は、知らない世界の熱量を前にただ息をのんだ。

(俺の音、誰にも届いてないのに……。)

スマホの再生数は15回のまま。
けれどこの人は、数万人の前で“届く”音を出している。
同じ音楽なのに、何が違うのだろう。

”誰も知らない場所で
歌い続けてる
たとえ届かなくてもいい
それでもここにいる

ねぇ、聴こえてる?
夜の隙間で呼んでる声
ほんの一瞬でも構わない
あなたに届きたい”

このラストのサビが耳に残って、
脳内で鳴り響いていた。



翌日の夕方、足が自然とあの地下のライブハウスへ向かっていた。

階段を下りるたびに、湿った空気と懐かしい音が戻ってくる。
ガチャ、とドアを開けると、
ステージとステージ袖あたりで、スタッフさん数人が何やら、せわしなく動いていた。

いつものカウンターの奥ではなく、
ステージの向かい側にある、ちょっと高いところに篠原さんの背中が見つけた。
缶コーヒーを片手に、PA台で作業をしている。

「お疲れっす。」
「おお、律。……また来たか。」

笑って振り向いた篠原さんの顔は、
以前と同じように穏やかだった。

「なんか、悩んでる顔してんな。どうした?」
「……ちょっと、相談があって。」

律がそう告げると、篠原さんはちょっと待つように促し、下まで降りてきてくれた。
そのまま篠原さんの後についていき、奥のドリンクカウンターの椅子を勧められる。

律は、椅子に腰を下ろすと、
スマホの画面を見せながら言った。

「最近、こういう“ネットの歌い手”ってやつ、
 妹が推してるんです。透澄アリアって知ってます?」

「名前くらいはな。あんまり詳しくないけど、すげぇ人気あるんだろ?」
「はい。配信で歌ってるだけなのに、めちゃくちゃ聴かれてて。
……なんか、自分がやってた“音楽”って、言い方難しいんすけど…
めちゃめちゃ視野が狭いのかなって‥‥」

篠原は少し黙ってから、
「なるほどな」とうなずいた。

「律、お前は“音楽をやる”ことが目的だよな?
まぁ時代もあるけど、やり方に別にこだわらなくていいんだよ。
あの人たちは好きが転じて、そのままの延長線で有名になってる人も多いけど…
“音を届ける”ことを上手く形にしてる人が多いんだよ。」

「……どういうことっすか?」

「ライブはさ、“ここ”に来た人にしか届かねぇ。でも配信は、スマホ一台で世界中に届く。
それだけ手軽に始められるから、乱立していて埋もれやすいけど…
どっちが上とかに捉われないから、伝えたいって気持ちが強いんじゃないかな。」

その言葉に、律は何も返せなかった。
確かに、ライブの時の自分は“自分の主張”のことで精一杯だった。
誰かにどう届いているかなんて、考える余裕もなかった。

「でも……配信って、顔も出さないし、音も加工できるし。
なんか、“本物”じゃない気もして。」

「本物ってなんだよ。」
篠原は、軽く笑ってコーヒーを一口飲んだ。

「機材を使おうが、顔出しだろうが、なかろうが
歌を聞いた誰かの心が動いたら、それが“本物”なんじゃねぇの?」

「……。」

「お前さ、何に悩んでるかわからんが…
誰かの心に刺さる音楽ができても、それが認知されるかは、運だし。
届いたとしても、時間はかかるもんだ。焦るな。」

律は、その言葉を噛みしめるようにうなずいた。

「……俺、機材も何も持ってないんですよ。パソコンもマイクもなくて。
でも、なんか……もう一回、誰かに聴いてほしいって思ってて。」

篠原は少しだけ目を細めた。

「だったらまず、“今あるもん”でやるだけやってみろ。
音楽ってのはな、環境が整ってからやるもんじゃねぇ。
音を楽しむんだから、やりたい時にやったらいいさ。」

「……スマホしか、ないですよ。」

「それでいいじゃん。」

短い沈黙のあと、篠原は肩をすくめた。

「アリアって子だって、最初はスマホ一台だったかもしれないだろ?
スマホひとつだろうが、路上で引き語りだろうが、うちでライブでもいい…
どっから始まるかなんて、誰にもわからんよ、決めすぎんな。」

律は、心の奥が少しだけ熱くなるのを感じた。

「わかりました…やるだけやってみます。
話聞いてもらって、ありがとうございました。」


店を出ると、夜風が冷たかった。
ライブハウスの階段を上るとき、リハーサルが始まったのか、
下からバンドの演奏がかすかに響いてきた。

(“やりたい時にやったらいい”……か。)

帰り道、コンビニの明かりを横目に、
律はスマホを取り出した。
画面には、透澄アリアのアーカイブ配信。
再生を押す。

”誰も知らない場所で 歌い続けてる
たとえ届かなくてもいい それでもここにいる”

アリアの声が、イヤホン越しに静かに流れた。
それは、律にとって
“音を届ける”という言葉の意味を、もう一度教えてくれるようだった。

彼はそっとポケットにスマホをしまい、
心の中で小さく呟いた。

「当たって砕けろ…だよな。」

父親からあの日アコースティックギターをもらう前の、
何にも熱中できなかった、当時中学生だった律からすると…
想像もつかないような、人間らしい表情を浮かべていた。

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