アマツガミ

佐久間

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起点大君編

再始動

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「じゃあ、招也。行ってくるね!戸締りしっかりね!あと、予習復習やるのよ!あと、今日も遅くなるから、母さんの晩御飯は無理して作らなくていいからね!」

「大丈夫。いつも、通りちゃんとやるよ。それと、母さんの晩御飯も用意するからね」

 玄関先にて、自分の母親の慌ただしい身じたくを見守る、中学生の片桐少年。苦笑いを浮かべ、母の懸念に冷静に応じる。片桐少年が幼い頃、父が他界してからは頻繁に見る光景だ。慌ただしく額に汗を滲ませながらも、息子への笑顔を絶やさない。そんな女手一つで自分を支えてくれる母には、尊敬と感謝の念を抱かずにはいられない。

 ある程度身支度が完了した段階で、母は息子の身体をギュッと抱きしめる。

「ごめんね…。いつもありがとうね…」

 これも母のルーティンのような行動だ。本来なら、父、母、息子揃って共に穏やかに暮らしたいだろうし、今頃はそうなってたはずだ。しかし、現実は冷徹なもの。誰が悪いわけでもない。息子への感謝と現状に対して謝ること、そして、金銭を稼ぐこと以外に母としてできることもあまりなかった。

 そんな母は見ての通り、一人息子を育てるために仕事に奔走する毎日。そんな母の存在を見て、本能的に責任感が生まれてか、片桐少年は料理を始めとする家事全般はあらかた心得ていた。また、学業もすこぶる優秀だった。根本を辿れば母を心配させない為だったが、家事もこなせて学業も優秀というのは、この現代において非常に優秀なスキルであることは間違いない。

「ちょっと、母さん。俺、もう中学生だよ?大丈夫だって」

 年相応に照れくさそうにしつつも、優しく抱き返す。息子にしてみれば、一般的にはいわゆる思春期の年頃。親からのスキンシップを嫌がる少年少女もいるだろうが、片桐少年には関係ない。いくら歳を重ねようとも、母親の温もりというのは何物にも代え難い愛だ。

 母はいつも通りに家を後にする。片桐少年もいつも通り家事と身支度をし、学校に向かった。そしてまた明日、慌ただしくも充実した朝を迎える。

 そのはずだった。

 親子は再会した。母が物言わぬ冷たい旅人へと成って。

 どれだけ声をかけても、

 どれだけ問いかけても、

 そして、どれだけ泣き叫んでも、母は応えなかった。

 幸いと言うべきか、母の身体は傷なく綺麗だった。葬式にはたくさんの人が参列し、知り合いもいれば、見たことのない人もいた。その中には、仰々しい和風の格好をした人達も訪れていたが、片桐少年には理解できるはずもなかった。いや、どうでもよかった。何せ、誰がどれだけきて、どれだけの弔意を示そうと、

 母は戻ってこないのだから。


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 片桐はゆっくりと瞼を開けた。仰向けの目に映るのは、いつもの天井。ゆっくり起き上がらせた身体。自分の足に、数粒の雫が落ちる。俯いた顔、その目を擦り、負の感情を摩擦で拭い去る。時刻は午前9時。高校生にしては、やや起床時間が遅い気もするが、本日は土曜日。授業が休みの日だ。部活動に所属していない片桐には、学校に行く用事もない。だが、用事自体がないわけではない。正確には、用事があるの18時前後。昨日、一昨日に出会った、狐のお面を付けた同い年程度の青年。彼との取引ができるかどうか、その答えを待つこととなっている。

 片桐はいつも通りに自身で朝食を拵い、新聞に目を通す。世間一般からの評価が高そうな行動であるが、逆に言えば今時の高校生らしくないと言われれば、それも頷ける。

 片桐が真に望んだ上での行動かと言われれば、素直にイエスとは言えない。なぜなら、母からの教えだからだ。

「朝は朝ごはん食べて、新聞読んでりゃなんとかなる!」

 だ、そうな。その教えを受けたのは、小学生のころから。その時は、何を根拠にそんなことを言っているのかとは思っていた。小学生にしてみれば、朝食はともかくとして新聞はハードルが高い。

 最初はもちろん、新聞に何が書いてあるのか分からなかった。しかし、日課で続けるうちに相応に理解できてくるものだ。母が狙ってかは知らないが、ありがたいことに社会科目には強くなっていた。

 今日は特に興味のない記事を読み終え、ちょうど食べ終えた空の皿を台所に持って行き、丁寧に洗っていく。新品に近い光沢を誇る皿を横に置き、自然乾燥を促す。ひとまず朝食を済ませた片桐は、机に向かい教科書を開く。すでに昨日から授業が始まっているから、予習、復習と言うわけだ。

 手早く座学を終えた片桐は、今度はランニングウェアに袖を通し、ランニングを始めた。ついこの間から現在の新居に引っ越してきた片桐。周りは閑静な住宅街。それなりに木々はあり、空気も心地よい。ランニングするにはうってつけの環境だ。ランニングが終わったら、お次は筋トレに汗を流し、存分に身体を鍛えていく。

 フィジカルトレーニングが終了したのは、ちょうど昼食時。自身で昼食を準備し、いわゆる「ながら」ではなく一心に昼食に励む。

 終わったら、朝食と同じように自身で皿を洗い、食休みとして音楽を聞きながら愛読書に目を通す。

 そのまま時間は、あれよあれよという間に夕方。これが片桐の、基本的ないつもの休日の過ごし方だ。やはり現代の若者にしてはかなり健康的で、少し年不相応の生活をしている風にも見える。ただ、前述の通り、これは片桐が真に望んでやっていることではない。蓋を開けてみれば、どれもこれも母からの言葉であった。

「若いうちは、よく食べて、よく動いて、よく勉強!」

 だそうだ。人によっては蕁麻疹が出そうな教訓である。しかし、片桐にとって唯一残された母からの愛であり、生きる上での指針であり、母との絆なのだ。どれだけ口うるさいような内容でも、片桐にとっては全てが愛だ。そしてその愛は、もう直接には受け取ることが叶わない。

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 時刻は17時45分。あと15分前後で、からの電話が恐らく来る。ソワソワしているうちに、もうあと1分。そこで、片桐はふと疑問が湧き出る。

 (まてよ?彼からの番号は知ってるけど、俺から彼に番号って教えていないよな…?)

 その考えを巡らせる最中、思考を遮断するかのごとく自身の携帯電話が鳴り響く。体感で急にかかってきた電話に、思わず自分の身体が約5cmほど宙に浮く。

 恐る恐る電話に出る。

「もしもし…?」

「片桐さんですね。お待たせしました。予定通り、貴方との取引に応じるか否か、結論が出ましたのでお伝えします」

 ついに電話越しの彼から、結果が告げられる。

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 片桐が起床を迎える、その数時間前。晴馬はとある会議室の下座に立っていた。目の前の円卓には、誰もいない。閑散としていて、それでいて荘厳な雰囲気の部屋に一人立つ晴馬。もちろん、口外し難い変わった趣向での行動などではない。

 しばらくすると、円卓に次々とホログラムが投影される。

 人数にして七名。しっかりと投影されたことを確認した晴馬は、先に腰から上を床に向かって45度の角度で下げる。

「評議会員の皆々様、この度はご足労いただき、誠にありがとうございます」

 晴馬の挨拶に、誰一人返す者はいなかった。また、晴馬も気にしてはいなかった。

「今回、お集まりいただいた理由は、事前にお送りした資料の通り、私が対応に当たっている件に関してです」

 淡々と話す晴馬に、ホログラムの映像でも懸念の表情を表す者がほとんど。

「そりゃ見たけど…。あのねぇ…。正気かい?一般人に我々の情報を渡すかもって」

 ホログラムの中の、やや年老いた女性が晴馬に問いかける。その懸念も無理はない。資料に載っている一般人、片桐招也に、彼が望む伏魔師としての情報を教えること。その見返りに、晴馬が当たっている案件へ、情報提供を主とした協力の申し出についてだったからだ。

 ただでさえ、組織内のことを他者に教えることになっている為、一般企業からしても素直にゴーサインは出せない。加えて、伏魔師というマイノリティかつ、あまり表舞台に出ない業界ときた。正気を疑うのも当然。

 これが同業者や、信頼のおける人物との、具体的かつ正当なやり取りならまだわかる。しかし、相手はどこの馬の骨とも知らない一般人。変な組織と関わるよりかはマシだが、信用に値するかどうかはまた別の話。

「その価値は十分にあると考えます。お恥ずかしながら、現状の私でもあの地の手がかりは掴めていません。確かに、広範囲への情報漏洩のリスクもありますが、片桐の場合、身辺調査の結果を見る限り口外するメリットがありません。よって、リスクは少ないと思います」

 割とメチャクチャ言ってはいる晴馬だが、筋が通らなくはない見解。これがそんじょそこらの案件なら、一笑に伏せられていただろう。しかし、案件が案件だ。無下にはできない。

「例の片桐の情報が加わることで、成功率はどれくらい増す?」

 次に晴馬に問いかけた、先ほどの女性よりかは少し若めの男性。いわゆる「イケオジ」はこういう人を指すのだろうか。

「なんとも言えません。何せ、例外も例外の事態ですから。ただ、現状から着実に前進するとは思われます。それが半歩なのか、100歩近く進むかは、やってみないと分かりません」

「その根拠は?」

 晴馬の見解に対し、具体性を求める男性。当然、リスクというのはその先のリターンがあってこそ。見通しが立たないのに下手にリスクを背負うのは、バカか変態だ。ギャンブラーですらない。

「それが提示できたら、すでに提示しています。彼が、私に感じることのできない声を感じ取っている。少なくとも、これは前進と言えるかと思いますが」

 無表情で無意識の煽り文句になった晴馬の見解。これもまたメチャクチャ言っている。それは晴馬自身が百も承知だが。

「わたしは取引してもいいと思いますよ」

 停滞していた円卓に、晴馬にとっての春風を吹き込む女性。

 評議会の一員にして至印将の1人、《双影将そうえいしょう早瀬はやせ沙月さつき》。晴馬と同年代かつ、最年少での評議会員に、1と共に選出されている才女。非常に整った顔立ちと、艶のある黒いロングヘア、軍服の上からでもわかる豊満さと引き締まりを備えた抜群のプロポーションが目を引く女性。

「ホントに下手なヘマはしないでしょうし、大丈夫でしょう。そもそも、天津殿に託した時点で、それなりに覚悟を決めてます。ここまできたら尻込みするにはもったいないと思いますわ」

 自身の見解を他の評議員を諭す早瀬。

 ちなみに、早瀬が最年少の才女というだけで、他の評議会のメンツは大抵が老骨。それゆえに、若さ由来の勢いよりも、経験からくるリスク、リターンを常に考える立場である。つまり、不透明なリスクとリターンに対して懸念を示すのも、相応の経験則からくるもの。決して悪いことではない。

 しかし、それが正解かどうかは別。そしてその正解とは、晴馬がこの案件を解決すること。

「天津君」

 突然響く、ことさら低い声。円卓の最も上座。そこにホログラムとして座す、これまた老骨の男性。その一声に、その場の一同が空気を正す。評議会員にして、実質的な最高権力者、《御戒みかい千太郎せんたろう》。伏魔師の祖たる《かい源一郎げんいちろう》の子孫でもある。

 評議会では全員が全員、同一の権力を保有することとなっている。無論、誰かが表向きに権力が飛び抜ければ、議論の必要などないからだ。それでも、どうしても実質的には権力の上下が発生する。それが伏魔師の祖、その子孫となれば尚更だ。

「君の持ってきた提案は、確かに魅力的だ。これまで手をこまねいていた現状に風穴を開けられるなら、我々とて喜ばしい。だがね、同時に前代未聞でもある。それにリスクも高く、不透明だ。ゆえに、評議会も結論を出しかねる。それは理解してるね?」

「はい」

「我々とて君の提案を無下にしたくはない。だから、個人的にはある程度は、君の裁量に委ねたいと考えている。言ってる意味、分かるね?」

 ずっしりと、それでいて、不快感のない聞きやすい声が、晴馬の耳を支配する。

 晴馬の裁量。要は、晴馬が取引をするか否かを判断してもいいということ。一見すると、ありがたい判断ではあるが、その言葉の真意は

「何かあったらお前の責任だ」

 ということだ。情報漏洩の対応から片桐の処遇如何、それらを全て晴馬が背負う代わりに、今回の案件ではある程度は晴馬の好きにしていい、ということだった。

 悪く言えば放置と責任転嫁。しかし、実質的な黙認でもある。

「心得ております」

 それを十分に理解した上で、千太郎の提案に返事をする晴馬。

「さて、同志達よ。私の提案はどうだろうか」

 千太郎が他の評議会員に決議を問いかける。そこに流れたのは沈黙だが、この場合は賛成と同義。

「どうやら異議はないようだ。さて天津君、決議は出た。いい報告を待っているよ」

「ありがとうございます」

 最初の挨拶と同様に、上半身を45度に床に下げる。その間に、円卓のホログラムが、順番に消失した。最後の最後まで残ったホログラム、千太郎のずっしりとした視線が、晴馬の感覚に突き刺さる。

「この私が口を出したのだ。失敗は許されん」

 その無言の言葉と共に。


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 時刻は12時。会議の終了した晴馬は、何食わぬ顔で昼食の調理に取り掛かる。人によっては一息つきたくなる空気の後だったが、晴馬にとってはなんてことはない。

 今回の案件での手続き上、集まった評議会員への片桐との取引の可否を問うた晴馬。しかし、晴馬は評議会員達の話し合いでの決議など、初めから期待していなかった。

 晴馬が期待したのは、千太郎からの実質的な黙認の言質をとることだった。片桐との取引が前代未聞なのは百も承知。それに対して、考えも価値観も違う老骨と才女が計七人、雁首を揃えたところでまともな結論など出るはずもない。そこで必要なのは、一瞬で空気を変える鶴の一声。

 それがまさしく千太郎の存在。よっぽどのことがなければ異議が出ない存在感。それが必要だった。仮に千太郎がいわゆる『親の七光り』のような状態であれば、話しはまた違っただろう。しかし、祖の子孫でありつつ、至印将にも引けをとらないほどの猛者であり、多くの時間を伏魔師の為に尽力している。加えて、彼の意見はいつでも筋が通っており合理的。そんな存在の一声に、誰が異を唱えられようか。

 そのために、出来うる限りの成功率や、そのプロセスなどを詳細に明示したのだ。

 評議会員に提出した資料、実は内容が送った人によって違う作りになっている。正確に言えば、千太郎へは詳細な資料を送り、他のメンツへはぼかした内容の資料を送っていた。最初から千太郎以外のメンツの意見などどうでもいい。前述の通り、どうせまともな結論など出ないから。

 ならば、初めから相応のターゲットからの言質を取ること、そこに絞ったわけだ。晴馬にしてみれば、一定の価値の見込みを提示すれば、千太郎の腰は年齢にそぐわない身軽さを見せると考え、実際に成功した。

 要は、解決のために、晴馬の好き勝手にできる環境ができあがったわけだ。

「この私が口を出したのだ、失敗は許されん」

 だと?
 言われるまでもない。始めから失敗を前提にするバカがどこにいる。

 晴馬は晴れ晴れした気分で、昼食に勤しんだ。新たな術式発明の作業をお供に。


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「と、いうわけで、貴方との取引に応じることとなりました」

 時間は未来に戻って18時ごろ。晴馬からの結果を受け、ひとまず安堵する片桐。

「ですが、条件がいくつかございます」

 少し前のめりになる片桐。

「1つ。互いに出す情報の決定権は、互いが持っていること。要は、出せる情報、出せない情報があっても致し方なしと言うことです。可能な限り、片桐さんが納得できるような情報を提示するつもりですが、こちらも組織の一員です。本来なら、このような取引は成立しない上での譲歩です。ご理解ください」

 組織の一員と言いながら、昼間にほぼ上司のような存在を相手に好き勝手やった男が、随分と図々しいものである。片桐には知る由もないが。

「2つ。言うまでもないかと思いますが、今回の情報に関しての口外を禁じます。本来はあくまでこちらの業務の部分でありますので、情報の口外や個人的利用は控えてください。もちろん、貴方からの情報も、こちらとしては厳粛にお取り扱いをさせていただきます。もし、貴方からの情報漏洩と思しき事態になれば、相応の《罰》があるものとご覚悟ください」

 これも片桐が納得できる内容だった。また、彼の言う《罰》に関しても、決して脅しではない。そう思えた。先ほどの、教えていないハズの片桐の連絡先を知っていたこともあり、罰が身体的にしろ、社会的にしろ、下すことは造作もない世界だということを片桐は感じとった。

「では最後。これは、正確には条件ではありませんが、実際の協力体制についてです。恐らく現時点で考えられるのは、現地まで赴いて協力するか、現地には行かずに情報提供として協力するか。また、どこまで同行するか、という選択肢があるかと思います」

「……そう、だね」

 他の選択肢を一応考えつつ、異論なしの返事を返す片桐。

「これに関しては、片桐さんの判断で選択したください。申し訳ありませんが、一般人に堂々と我々の戦地へ誘う真似はできません。それに、夜の時間となれば、世間的な倫理等々、めんどう……、失礼。ルールがございますから。さすがにそこまでは見きれません。それに、貴方のプライベートや学生生活など、そちらはそちらの世界があります。仮に現場に赴かずに情報提供をしてくださるのなら、それはそれで構いません」

 これも理解はできる。携帯越しで頷く片桐。これらは全て、伏魔師の組織としての安全性や、片桐本人の安全性などを考慮しての条件となっている。

「分かった。基本的に俺も同行するよ」

 ここまできて、尻込みするのはむしろもったいない。迷わず同行にサインする片桐。

「分かりました。よろしければ、これにて取引成立です。早速ですが、私は今夜22時から仕事で校舎へ向かいます。先ほども申し上げましたが、来ても来なくても結構ですので」

 時刻は18時半。意外と早く片付いた印象だ。22時となると、未成年云々に引っ掛かる。しかし、昨日、一昨日も同じ時間に校舎に行っていたこともあり「今更なにを」という心持ち。

「分かった、俺も行くよ」

 決意を新たに、彼の世界へ飛び込む決意をして、

「では、また後で」

 彼との通話は終了した。

 天井を見上げ、思わず大きく息を吐く片桐。覚悟はしていたが、実際に直面すると緊張するものだ。しかも、これでもう、後戻りはできない。

 ひとまず、今日の夜のために、家のことを片付けるために動き出す片桐。

 その口角が少し上がっていたことは、本人も知らない。
 

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 対して晴馬は、通話が終了次第、淡々と夜の仕事の準備を進める。

 これまでで分かったことは、理由が何にせよ《星空》の機能をうまく活かせない現場であること。というか、ここまで来たらあまり使っても意味がないという方が正しいだろう。

 ちなみに星空が弱いと言うわけではない。要は使い分けである。星空は広範囲の魔属や生命体を認識し、他の術式での干渉が可能。非常に便利ではあるが、本命がかなり慎重に気配を隠した場合、干渉できないこともある。今回の相手はまさしくソレ。そもそも星空自体、本来は索敵用ではないこともあるが。

 実際に見て感じなければ、分からないこともある。

 その傍ら、晴馬は1枚の資料を手に取る。その資料の中身は、片桐についての身辺調査の結果だった。

 片桐招也。年齢は晴馬と同い年。両親は既に他界。父親は物心つく前に、母親は2年前に。現在は、親戚の支援で一人暮らし。そして、一番目に付いた項目。母親の元職業は、ジャーナリスト。

 (なるほど。変な度胸と交渉術に関しては、母親譲りか)

 最初に会った時からそうだが、一般人にしては度胸があり、拙いながらも交渉術に心得を感じた。仮に彼に対して、頂点個体の魔属の声が響いていたとして、夜の学校に単身乗り込み、さらに晴馬という存在を前に「依頼」ではなく「協力」を申し出たその神経の図太さが気になっていた。

 本来ならまず、医療機関などの相応の機関に相談するだろう。その結果、最終的に伏魔師を始めとする、スピリチュアル関係にたどり着くのが普通だ。だというのに、彼の行動は一般人としては常識を外れている。

 母親がジャーナリストであれば、危険な事に首を突っ込みかねないジャーナリストの姿を見ていたり、遺伝子レベルでの継承などあってと不思議ではない。

 通常であれば、一般人が首を突っ込むことは迷惑以外の何者でもない。しかし、やはり事情が事情だ。

 晴馬は基本的に、ヤミやヨミは別として、一人で任務などに当たってきた。それが最も効率的だからだ。下手な助力は事態を悪化させるだけ。同業者でもそうだし、一般人など論外。

 それでも尚、今回は一般人を頼らざるを得ない。晴馬は人生で初めて『猫の手も借りたい』というフレーズを実感していた。


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 時刻は早くも22時手前。晴馬は先に間立高校の校舎へ来ていた。いつも通り、仕事着の軍服と狐のお面を着けていた。いつもの癖である、遠視で校舎を見るその眼には、数体の魔属の情報が映りこんだ。ここでとある晴馬の考察が当たる。それは、仮に校舎内の魔属を討伐しても、すぐに同数の魔属が翌日に蔓延るという点だ。その原因もなんとなく推測は経つ。しかし、その答え合わせができるのは、頂点個体に接触できた時だろう。討伐にしろ、答え合わせにしろ、やることは変わらない。

 そこに近づく足音。晴馬が振り返ると、ジャージ姿の片桐が敷地に入ってきたところだった。

「えーっと、こんばんは、かな?」

 改めての邂逅に、どう話してよいものかしどろもどろする片桐。「今更何を」と、晴馬は思ったが、指摘する時間も労力ももったいない。

「どうも。ご協力のほど、よろしくお願いします。さて、まずは前払いと参りましょうか。いや、について教えていただいた事に対する、対価でしょうかね」

 晴馬は念の為に着けていた、狐のお面を外す。その顔は、やはりと言うべきか、片桐が見た顔だった。

「ご明察の通り、天津晴馬です。改めましてよろしくどうぞ」

 同年代にしては端正な顔と、どこか影のある雰囲気。片桐の偏見かもしれないが、やはりどこか自分の住む世界とは別の住人の印象を受ける。

 日中に会った天津晴馬と、夜の校舎で会った狐のお面の男性。片桐にすれば、ほぼほぼ確定ではあったが、改めて同一と認識すると、なんとも不思議な感覚になるものだった。

「なんか、多分、あの時点では踏み込んじゃいけなかったよな…?すまん」

 『あの時点』とは、昼間の学校にて晴馬の正体を問いただしたことだ。改めてではあるが、自分の正体を含めて大っぴらに情報を公開することは、あまり良しとされていない世界だと言う事は、ここ数日で察した片桐。

「まぁ、イラつきはしましたが、過ぎたことです。そんなことより、さっさと仕事にかかりましょう」

 淡白と言うか、遠慮がないと言うか。そのまま校舎内に足取りを進める晴馬と、ついていく片桐。

 中は当然、漆黒の世界。せいぜい、月明かりが照らす程度。しかし初日もそうだったが、片桐は自然と怖さを感じなかった。

「先に言っておきますが、貴方に話しかける声の主はなんとなくわかっています。我々の世界では、魔属と呼んでいる存在です。悪霊、妖怪のような存在だと思ってください。今回のは、その中でことさら強力な、頂点個体という存在だと思われます。要は、初日に貴方が見たバケモノがたじろぐような、本物のバケモノとでも思ってください」

 晴馬の説明を遮らずに、沈黙を続ける片桐。

「今回の仕事は、その頂点個体の魔属を探し出すこと。それが鍵となります。しかし、面倒なことに私には声は聞こえません。さらに、気配という気配もほぼない。よって、貴方の情報が割と一番重要な手がかりでもあるんですよ」

 思った以上に重要な役割を担っていたことを自覚する片桐。それを察してか、晴馬は半身で片桐を一瞥する。

「まぁ、実際に対処するのは私ですし、何かあれば守りますので。貴方は、できうる限りの情報を提供してくだされば結構です」

 淡々と歩みを進める晴馬。

「ああ、そうだ。ヤミさん、居ますか?」

 突然、月明かりに照らされた自身の影に話しかける晴馬。すると、晴馬の影から何かが飛び出てきた。

「お呼びでしょうか!」

 その姿は、まるで漫画の世界から出てきたような存在。犬のような猫のような、ただ、黒い翼で宙を浮いていたり、それこそ人語を話した時点で、片桐の理解は超えていた。

「紹介します。こちら、私の助手のヤミさんです」

 まるで友人を紹介するかの如く、その生物(?)を紹介する晴馬。

「あなたが、片桐さんですね?協力は感謝しますが、あまり晴馬様に馴れ馴れしくしないように!」

「は、はぁ…」

「ヤミさん…、そういうのはよしてください…」

 やろうと思えば、いわゆる「お手」ができそうな小さな両腕を組んで、尊大な態度を見せるヤミと、色々と反応に困る片桐。そして、面倒くさそうな晴馬。

 ひとまずの自己紹介を終えたところで、晴馬が立ち止まる。

「さて、慣れてきたと思いますので、ここらでについて、今の状態を教えてください」

 いくら変な度胸のある片桐とはいえ、夜の世界に踏み込んだ上では、どうしたって緊張するものだろう。なので、情報収集はもちろんとして、少し環境に慣れてもらう為の軽い散歩としてしばらく歩いていたのだった。

 片桐は改めて例の声に集中する。

「うん。やっぱり校舎に来ると、声が強くなる」

 片桐の頭に響く声。依然として具体的な言語は聞き取れない。ただ、片桐を呼んでいることは確かだった。

 晴馬は片桐への取引成立の際、校舎に来るか来ないかは片桐の判断に一任している。しかし、本来であれば、原因の地へ赴くのが一番。片桐に選択肢はあったが、晴馬の目論みでは現地同行一択。見事的中といった具合だ。

「では、作戦に移しましょう。と、言っても、やることはシンプルです。ひとまず、片桐さんは例の声が強くなる方向へ歩いてみてください。その間、何かあれば私が後ろからフォローしますので」

 その作戦通りに、先頭を片桐、後ろから晴馬とヤミが続く。後ろから見ていたが、改めて、この夜の世界でも平然と歩みを進める片桐の度胸には、一般人としてみればいささか常識離れしている。さすがはジャーナリストの息子。そんな評価を下したところで、晴馬は、また別の作戦に取り掛かろうとしていた。 

 前方を歩く片桐に、とある狙いを定める晴馬。そして、

 《黒色術式・黒蜂くろばち

 片桐の背中に向かっていく、小さな黒い針。その針が片桐に刺さる、

 直前で片桐の背中に弾かれる。正確には、片桐の背中と針との間に、何か盾のような物が一瞬、展開された。そして黒蜂が弾かれた。

 片桐は少し感じ取ったのか、周りをキョロキョロ見渡す。しかし、気のせいと断定してか、再び歩みを進める。そもそも気付かれないように、最低限の術式を使ったのだ。一般人の身で、今の一連に気が付ける時点で大したものだ。

 (晴馬様…)

 (やはり、ですか…。今のは《加護かご》ですね。予想通り、面倒なことになりそうです)

 晴馬が暗殺未遂じみたことをしたのは、この《加護かご》の反応があるかどうかを見るためだ。

 《加護かご》はその名の通り、対象を護ったり、力を与える能力、いや、権能と呼ぶべきだろう。から持ちうる権能でもある。

「ん?どうした?」

 晴馬のため息を感じ取り、振り返る片桐。

「いえ、大丈夫です。その時になったら説明します」

「ああ、そう?」

 そのまま再度、歩みを進める片桐と、警戒と考察をしながら後ろからついていく晴馬。今思えば、ではあるが、片桐は歩みを止めることはない。もっと正確に言うと、どこか道を迷ったりすることはなく、淡々と歩みを進める。恐らくは、もう目的地に向かっている。いや、誘われている、が近いか。

「ここだな」

 歩みを止めた片桐。そこは、校舎内ではなく、建物の外にある中庭だった。校舎内とは違って、少し夜風が耳を優しく包む。春先ならではの心地よい空気だった。

「ちょっと失礼します」

 晴馬は片桐の前に出る。向かった先は、中庭にある1本の大きな木。その前に立ち、右手で『印』を作って縦に払う。呼応するように、大きな木を含んだ空間が裂け景色が変わった。

 現れたのは、地面に埋め込んである扉のような物。錆びついている扉の真ん中に、それこそ古びたいわゆる『札』が貼ってあった。

 (………ふむ)

 晴馬はその扉へ向かって2歩ほど進み、その札を見つつ顎に右手を当てて、思慮に耽る。約3秒前後の思慮の後、晴馬はその札を躊躇なく剥がす。

「え…!?ちょ…!そういうのって剥がしちゃいけないもんじゃ…!?」

「問題ありません。この札が健在ならば、貼ったままが得策でしょうけど、ここまで古びてしまってはもうほとんど効力はありませんから」

 思わず驚く片桐。よく伝承や小説、体験談、作り話も含めれば「札」というのは重要な意味を持つ。一般人が勝手に剥がしてとんでもない厄災を引き起こすと言うオチは、一般人からすればなんともスリリングである。実際、伏魔師からしてもその認識は間違いではない。

 ただ、晴馬はその道のプロ。片桐からも反論の余地などない。そのまま躊躇なく扉を開ける。

 扉を開けた瞬間、突如として晴馬に襲いかかるこれまでとは違った空気。さすがに少しだけ静かにたじろぐ晴馬。

 (これはまた…、中々の《霊気れいき》ですね)

 晴馬が感じた《霊気れいき》。魔属を含めた、いわゆるこの世ならざるモノが発するエネルギーに近い空気。魔属の強さによってその濃さが変わっており、縄張りのマーキングにも使われることがある。

 冷たく、それでいて、心にまとわりつくような、嫌な空気。単純に晴馬が感じた霊気の強力さもそうだが、この霊気を今まで感じなかったことが、晴馬にとっては何よりも驚きだった。

 ただ、驚きはしたものの、冷静になればカラクリはなんとなく分かっていた。

 (随分…、ナメた真似をしてくれる…)

 奥歯を少し噛み、この霊気を発生させたモノに苛立ちを募らせる晴馬。

 恐らくではあるが、晴馬単独ではこの霊気は感じられなかっただろう。仮に霊気をダダ漏れにしてしまっていたら、晴馬に気が付かれないように隠れている意味がない。片桐と共に来てこそ、この霊気を感じ取ることができた。逆に言えば、片桐と共に来なければ、晴馬の仕事は徒労に終わった可能性すら芽生える。

 このタイミングで、ここまでの霊気を出すということは、片桐と共に「誘われている」ということだろう。

「晴馬?大丈夫か?」

 あからさまに気付かれるリアクションをとった覚えはないが、片桐が勘づく。何気に、初めて片桐から「晴馬」と、下の名前かつ呼び捨てで呼ばれた晴馬。もっとも、そんなことを気にしている場合ではない。

「ええ、大丈夫です。貴方はなんともないのですか?」

「うーん。確かにいやーな寒気はしたけど、なんともない」

 この霊気の強さならば、耐性のない一般人では人によっては即気絶レベルだ。しかし、平然としている片桐。

 さすがは《加護かご》を受けているだけある。そう評価する晴馬。無論、晴馬にしてみれば、確かに霊気の強さには驚かされたが、それで怖じ気づく根性なしではない。むしろ、ほぼこの場所が到達点という手がかりを掴めて喜ぶべきところだ。

 扉の中は、地下に続く階段となっており、中を進む一行。たどり着いた先は、何もないただの六畳前後の一室だった。壁は石造りで、無機質というより、独特の圧を感じさせる部屋。周りを見渡すが、めぼしい物はない。

「片桐さん。例の声はどうですか?」

 で、あれば、一番の情報源を頼りにするしかない。ここにきたのは、片桐の頭の中に響く声を当てにしたからだ。

「あ、そっか。えーっと、あれ…?」

「どうしました?」

「声が消えた…?」

 片桐の回答に、眉をひそめる晴馬。目的地に来たのだから、声が消えてもおかしくはない。しかし、不気味なのは、ここまできて他にという点だ。

 理由は分からないが、片桐を呼んでいる以上、何かしらの目的があると踏んでしかるべきだ。仮に「呼んだだけ」という可能性もなくはないが、それを期待するのはあまりに楽観的。

 晴馬は、閑散とした空間で考え込む。

 なぜ片桐を呼んだ?

 なぜ晴馬も待っていた?

 その上で、揃ったのになぜ、何もしてこない?

 そのことが頭を駆け巡る。

 いや、待てよ。

 視点を変えてみよう。

 ピースは揃った。あとは《何かの一歩》のみだとしたら?

「なるほど」

 呟いた晴馬。そしてゆっくり腰を上げる。

「ひとまず、ここを出ましょう。やることは決まりました」

「ああ、分かった」

 突然の提案に、片桐も応じる。片桐から見ても、ここで特別やることはなさそうに見えていた。石造りの階段を登り、中庭に戻って来た直後、

「片桐さん。少し扉の方に近寄ってもらえますか?」

「え?ああ…?」

 晴馬は片桐に、少し扉の方に近づくよう促す。片桐は不思議に思いながら、扉の閉まっていない先ほどの部屋の前にその身を晒す。

 晴馬は片桐の背中に張り付いた。

「片桐さん。これから、私のやることを信じてください。悪いようにはしませんので」

「え…?」

 その直後、片桐の身体は、後ろからの物理的な力によって前進を余儀なくされる。そのまま部屋の中へ。

 宙を舞いながら、地下室へ落ちていく片桐の身体。思考する暇もなく、片桐の身体が石造りの部屋に叩きつけられる。

 直前、

 何者かの巨大な《手》が、片桐の身体を掴む。結果として片桐の身体は、石造りの床に叩きつけられることはなかった。しかし、救済の蜘蛛の糸でもなかった。その《手》は片桐の胴体を包み込み、そのまま部屋の奥、先ほどまではなかった深淵の闇に引きずり込む。片桐の悲鳴は、晴馬に届いていた。しかし、晴馬はその現象自体をどうこうする気はなかった。

 むしろ逆。

 晴馬は階段の前で、両手を前方に差し出す。

「さ、《挑戦状》は受け付けました。さっさと始めましょう。時間が惜しい」

 何かに話しかける晴馬。その足元、中庭の地面だったところは、黒い沼のような場所に変わっていた。徐々にその黒い沼に呑まれる晴馬。足、胴体、そしてついに頭、全身が飲み込まれる。抵抗はしない。そう、これから覚悟を決めて戦地に赴こうというのだ。抵抗などあろうはずがない。

 黒い沼に呑まれるその瞳は、まるで戦闘を前にした戦士のようであった。


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