アマツガミ

佐久間

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起点大君編

大君

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 御戒みかい千太郎せんたろう。彼は伏魔師の組織、その上位意思決定機関、評議会の一員である。また、伏魔師の祖、戒源一郎の子孫にあたる。

 今、彼が座している書斎の机には、彼の正面のスペースを空にして、左右両側に山積みの書類が積まれている。彼は1つ1つその書類に目を通して、物によっては筆を走らせ、物によっては自身を証明する判を押す仕事をしていた。いずれの書類も伏魔師の組織に於いて、重要かつ千太郎が最終の承認者である。彼は時間をかけて確認し、丁寧に処理していく。

 その作業の最中、書斎の扉が外側からノックされた。

「はい。どうぞ」

 誰がノックしたかはなんとなく分かっている。それに、千太郎の書斎を擁するこの屋敷には、千太郎よりも地位の高い人間はいない。それでも誰がノックをしようと、端的かつ丁寧な返事を返すことは千太郎にとっては常識だ。

「失礼します」

 千太郎の返事を受け、静かに、ゆっくりと扉を開けて入る、執事姿の青年。端正な顔立ちに、水色の髪の毛が目を引く青年。

 彼は《那須なす霜司そうし》。至印将の一角である《銀弓将ぎんきゅうしょう》。至印将でありつつ、千太郎の執事としても活動している。

「千太郎様。お茶を淹れましたので、一息つかれては如何でしょう」

 那須は恭しく頭を下げて、千太郎へ休憩を提案する。那須の提案を受け、千太郎は書斎に備え付けの時計に目を移す。

 かれこれ3時間近く、書類と格闘を続けていたことに気がついた千太郎。

「そうだな、そろそろ一息つくとしよう。持ってきてもらえるかな」

「かしこまりました」

 千太郎の返事を聞き、那須は扉の外側より、光沢の輝くカートを書斎の中に入れる。

「失礼します」

「ありがとう」

 千太郎の机に、飲むにはちょうど良い温度のお茶が、千太郎のお気に入りの茶碗に入れられて用意される。千太郎は那須の仕事に端的に感謝を示しつつ、少し口をつける。いつも通り、自分の舌に合った、慣れ親しみつつも絶品の茶だ。

 千太郎は茶の味を楽しみつつ、前日の評議会の内容を頭に浮かべる。

「千太郎様。何か、ご興味を惹かれる事でもございましたか?」

 那須より、千太郎へ問いかけが入る。どうやら気が付かぬ内に、千太郎の頬が少し緩んでいたようだ。それに気がつく那須も那須だが。

「ああ、まぁな」

 千太郎は机に備え付けの引き出しから、数枚の束の書類を取り出して、那須に差し出す。

「失礼します」

 閲覧許可が降りたことと解釈して、那須は丁寧に書類を手に取り、少し眺める。

「あ!これ、ハルさんが担当されている案件に関してですよね!」

「そうだ」

 先ほどの冷静沈着な所作とは打って変わって、まるで新しいゲームを前にした子供のように、テンションを上げる那須。ちなみに「ハルさん」とは晴馬のことである。そのまま一心不乱に書類を読み進める那須。

「へぇ…!一般人と情報の取引ですか…!さすがハルさん…!やることが前代未聞だ…!」

「相変わらず、面白い男だろう?」

 内容は前代未聞だが、目を輝かせて資料に目を通す那須。その姿を見て、茶を啜りながら微笑む千太郎。資料の最後のページまで読み終えた那須は、ふと首をかしげる。

「どうした?」

 那須の動作に、千太郎も気がついて問いかける。

「あ、いえ、ハルさんも大胆で面白いんですが、それ以上に取引相手の一般人が気になりまして」

 千太郎へ丁寧に資料を返却し、一般人に対して思慮を続ける那須。千太郎も興味深そうに、那須の見解を聞いていた。

「多分、この取引、一般人から持ちかけられたものですよね?」

「なぜそう思う?」

「ハルさんの性格的に、他者に協力を求めるのは考えにくいからです。ましてや相手は一般人ですから。詳しい事情は分かりませんが、一般人からハルさんに取引を持ちかけたという方が、まだ納得できます」

 那須の見解に、千太郎も真剣にうなずく。

「まぁ、それはそれで不気味ではありますが」

「それは私も気になるところではあるな。確か母親がジャーナリストという身辺調査の結果だから、その姿を継いでいるという見方が一番自然だろう。しかし、ここまで首を突っ込んでくる者だ。多少の警戒はするべきだろうな」

 千太郎は那須の思慮に対し、自分なりの見解を示しつつ茶を啜る。

「なんにせよ、あの男がなんの考えもなしに一般人の協力を受け入れるとも思えん。いずれ、何かしらの答えは出るだろう」

 空の茶碗を那須に差し出し、千太郎は書斎から窓の外を眺める。外は曇天で、昼間であるにも関わらず、太陽からの光が制限される景色を魅せていた。

 (「異端」には「異端」が集まる、というわけか)

 書斎の窓に、数粒の雫が張り付く。やがて千太郎の景色は、ガラス越しの大粒のカーテンに包まれた。


 --------------------------------------


 黒い沼のような床に包まれた先、晴馬のたどり着いた場所は、灰色の景色を擁する荒野のような場所。晴馬の見据える先、黒い岩でできた椅子のようなところに座す魔属。

「どうも、お初にお目にかかります」

「お前…、イカれてんのか…?」

 魔属に挨拶をする晴馬。その魔属は晴馬の挨拶に対し、嘲笑を含んだ笑いを浮かべる。

 その魔属は、人間の形をしながら全身は黒く、上背も2mはあろうかという高さだ。特徴的なのは、腰付近まであろうかと思われる美しい白い長髪。目は見当たらずに、全身の黒さとは対照的に口角を上げる口から見える歯が、これまた白く輝く。また、両手は太く鋭い爪を携えていた。

「心外ですね。せっかく貴方の挑戦状を受けてあげたというのに」

「あー、すまんすまん。何せ、あんなに分かりやすい罠に引っ掛かるなんて思わなくてよ」

 そんな人外の存在を相手に、臆することなく自分の意見を述べ続ける晴馬。両者、あくまで自分のペースやスタンスを崩さない。

「では、そろそろ仕事にかかっても?」

「おいおい。まぁ、待てよ」

 戦闘態勢に入る晴馬に、黒い魔属は制止をかける。やや面倒くさそうに戦闘態勢を解く晴馬。

「せっかくおいでになったんだ。少しくらい、世間話に付き合ってくれてもいいんじゃねぇの?」

 黒い魔属に対して、晴馬は少し考え込む。といっても、3秒あったかどうかの時間だが。

「そうですね。報告書に書く内容も、それなりにほしいですし」

 晴馬の言葉に、眼を欠いた顔が眉を顰める。

「お前、ここから生きて帰れると思ってんのか…?」

「当然でしょう。勝算がなければここには来ませんよ」

 晴馬の言葉は、あくまでここを生きて帰ることを前提としたもの。それが黒い魔属にとっては信じ難い自信だった。晴馬も真剣な眼差しで黒い魔属を見据える。両者の間にピリついた空気が流れる。

「ま、それはこれからの結果を見ればいいだけだ」

「それもそうですね」

 一転、フランクな雰囲気へ戻る両者。

「んじゃ、話を変えて。お前、俺の目的はもう分かってんだろ?」

「ええ、《受肉》でしょう?」

「まぁ、あんだけヒント出てりゃな」

 そのフランクなまま会話を続ける両者。

 《受肉》
 それは、魔属が生命体の身体を乗っ取ること。人間をはじめとする生命体の世界である日中では、魔属は100%の力を発揮しづらい。そして、力を持つ魔属であればあるほど、その差は顕著となる。

 そんな魔属が生命体の世界で力を発揮するための手段、それが《受肉》。人間の身体を乗っ取ることで、通常の魔属が活動する夜に加えて、日中の世界でも自身の力を存分に発揮できる。

 魔属にとって非常に魅力的な手段ではあるが、前例はそうそうない。相応の条件が必要となる、本来は罷り通らない願いだからだ。

 その条件は大きく分けて4つ

 1つ。言わずもがな、魔属の身体。

 2つ。質が高く、膨大な《練気れんき》。練気とは、魔属が持つ霊気と対をなすエネルギー。生命体が持っているエネルギーと置き換えてもいい。伏魔師もこの練気をもって、術式などの術を使用している。

 3つ。現在、晴馬達が誘われた場所。ここは、高ランクの魔属が有することのある《裏界りかい》と呼ばれる固有の空間。作り出した魔属にとってのホームグラウンドといったところだ。正確には、この裏界に入らずとも受肉自体は可能。だが、前述の通り本来は許されない非常にシビアな儀式。この場所であれば、より受肉の精度は高まる為、より着実な場所を選定することは実質的に必要な条件と言えよう。

 そして4つ、

「彼が《器》というわけですか」

 晴馬が指した対象は、黒いモノの隣に浮かぶ形で座す水晶。その中で眠るように存在している片桐だった。

 受肉には、その魔属に適した生命体の器が必要。器に練気を流し込み、そこに受肉する形となる。そう、この黒い魔属が片桐を呼んでいた理由はまさしく、彼が黒い魔属の器だったからだ。

「そ。かなり待ったんだぜ?器となる存在と、相応の練気を持った奴が来るのを」

「そのようですね」

 質と量を伴う練気。即ち、優れた伏魔師と同義。そして、晴馬はそれに当てはまる。加えて器となる片桐が揃った。今が黒い魔属にとっての好機というわけだ。

 ここで、晴馬の影から飛び出てくるヤミ。

「ほう!それはもしや、《練成体れんせいたい》か!?」

 出てきて早々、黒い魔属に目をつけられて、晴馬の背後に隠れるヤミ。

「あまり怖がらせないでください。貴方が自分の見た目をどう認識しているか知りませんが、客観的に見て単純に怖いですよ、貴方」

「そうか?自慢じゃないが、『泣く子も黙る』ってのが当てはまるくらい、チャーミングだと思うんだがなぁ」

「それ、自分で怖いって言ってるのと同じですよ」

 なんとも呑気なやりとりだ。その最中、ヤミが晴馬の背後から少し顔を覗かせる。

「晴馬様、個人的に気になることなんですが、校舎の平たんな強さの魔属達ってなんだったんでしょう。結局、分からずじまいでしたので」

 ヤミの気になることとは、初日から晴馬も気になっていた、校舎内の平たんな強さの魔属たちだ。一箇所に集まりつつ、序列ができている訳でも共食いが起こっている訳でもない。そうそう見ない光景だ。

「ああ、それに関してですが、始めから魔属達なんていなかったんですよ」

「え…?」

 当然驚くヤミ。

「正確には、あの魔属達はアレ黒い魔属が作り出した言わばダミーです。本当の意味での魔属じゃありません。でしょう?」

「まーな」

 晴馬の見解に、黒い魔属は軽く笑いながら肯定する。

「一応、その上でなぜそんなことをしたのか、ですが。結論からすれば、最終的に相応の伏魔師を呼ぶことが目的だったのですよ。ダミーの魔属を配置し、不気味な環境を作り出せば、腕利の伏魔師を誘き寄せる。そうすれば、質が良く、多量の練気が手元に来ることと同義。グッと受肉に近づける。でしょう?」

 ヤミには説明しつつ、最終的に黒いモノに答え合わせを持ちかける。

「……スゲェな、お前。前のヤツもそこそこだったが、お前は何か違う。質としちゃ想像以上だ」

 軽く笑いながら、晴馬の答案にマルをつける。

「お褒めに預かり光栄です。しかし、私にも理解できないことはあります。なぜ、そこまでして受肉にこだわるのか、ということです。受肉できれば、確かに思いのままに自分の力を振るえるようになるでしょう。しかし、リスクとリターンを考慮すると、正直、現実的ではありません」

 その晴馬の問いに、黒い魔属の雰囲気が変わった。

「好き放題言ってくれんなぁ…。なぁ、逆に聞きてぇんだが、この世界をどう思う?」

 黒い魔属が見ることを促す景色。黒い荒野が続く、なんの変哲もない世界。

「つまんねぇだろ?そう、つまんねぇんだ。ああ、もうぶっ壊してぇくらいつまんねぇ。それに対して、テメェらの世界はどうよ。喜怒哀楽と文明が蔓延る社会。楽しそうじゃねぇの。ここまで言えば、なんとなく理由は察するだろう?」

 『隣の芝は青く見える』

 それは何も、人間にだけ当てはまるものではないらしい。蓋を開ければ単純で、晴馬にも理解はできる。

 しかし、そうは問屋が卸さない。

「なるほど、お気持ちは理解できます。しかし、そうはいきません。仮に貴方ほどの者が受肉すれば、ここら一帯は地獄絵図と化すでしょう。それは阻止させてもらいます」

「ま、そらそうだわな」

 互いの雰囲気が『雑談』から『戦闘』へ変わったことを、両者感じ取った。

 前述の通り、魔属は高ランクであればあるほど、日中での力に制限がかかる。仮に裏界を作り出せるほどの魔属が受肉を完了させた場合、その制限が取り払われ、まさしく地獄絵図と化す。現時点で最も避けるべき事態だ。

「シンプルにいきましょう。貴方が私に勝てば、晴れて受肉。私が貴方に勝てば、貴方の命は少なくとも私の掌の上です」

「ああ、そうだな。世の中、表も裏も、行き着く先は暴力よ。


 なぁ、


 そうだろォッッ!!?」

 《黒海嘯くろかいしょう》!!

 《黒色術式・北風きたかぜ

 黒い魔属と晴馬の術がぶつかり合う。黒い魔属は黒い津波のような術。晴馬はその波を弾く、冷たい暴風のような術をぶつける。

 拮抗しあう、黒い津波と暴風。しかし、晴馬はその物量で勝負するだけとは考えなかった。

 晴馬は低い姿勢を取り、足に力をこめて自身で作り出した暴風の中に突っ込む。風に乗り、拳を構えて突進。そのまま先制の拳を喰らわせる、

 つもりだった。

 同じことを思ったのは、何も晴馬だけではないらしい。

 突如、晴馬の眼前に現れた黒い魔属。彼も、自身の作り出した黒い波に乗って、晴馬へ奇襲しに来た模様。お互い、やや驚きを表情に映し、咄嗟に両者拳を構え、互いの拳が互いの頬に激突する。

 クロスカウンターとなった両者の身体は、大きく後方へ飛ばされる。黒い魔属は立ったまま地面に着地し、自分の身体を払う。

 対して晴馬は、片膝をつきつつ受け身をとり、地面の終着点を迎える。

 (さすがは、と言ったところですね)

 晴馬は自分の口の中に広がる鉄分の味を感じ取り、唾と共に吐き出した。


 --------------------------------------


 雨の景色を書斎から眺める千太郎。その書斎の机の上には、評議会員に対して、前代未聞の提案を突きつけた男の仕事の資料。

 最後のページにあった記載。

 《対象推定難易度》

 それは、伏魔師の案件において、推定の難易度を示す。魔属を討伐することが多い世界で、ここでは魔属のランクとほぼ同じとなる。そもそも、魔属には伏魔師が定める基準となるランク付けがある。これによって、適切な伏魔師が任務にあたることとなる。

 ランクは大きく分けて4段階。

 《雑魔ぞうま
 人に対して、イタズラ程度の力しか持たぬ魔属。軽く怪我を負わせることはできるが、喰らうまではいかない。

 《あやかし
 一般人を食らうなど、一般人にとってやや脅威の可能性のある魔属。伏魔師はこの妖クラスを相手取ることが多い。

 大抵は、雑魔と妖の2つのランクを相手取ることが多い伏魔師の仕事。一般人にとっては脅威であっても、それなりに実力のある伏魔師であれば、難なく対処は可能。

 しかし、ここから上のランクは話が異なってくる。

 《幻妖げんよう
 高い知能を持ち、人語を話し、相応の術も使う強力な個体。魔属の組織態を作り出す、頂点個体もこのランクが多い。この幻妖ランクとなると、至印将が対処をするべき個体となる。その至印将をもってしても、場合によっては任務失敗となりかねない個体だ。

 組織態まで含めると、この3段階に分かれることが大半だ。

 そう、。そして、魔属のランクは4


 千太郎が受け取った資料。その推定難易度の欄の記載は、それらの例に倣い幻妖級、

 ではなかった。


 --------------------------------------


 黒い魔属の拳を食らい、後退を余儀なくされた晴馬。口の中の血を吐き出して、改めて対象を見据える。

「晴馬様!」

 ヤミが晴馬の元へ駆け寄る。ヤミは晴馬の邪魔にならないよう、晴馬の術の影響外へ離れていた。

「問題ありません。軽いご挨拶と言ったところですよ。それにしても、さすがは《大君たいくん》級と言ったところですね」

 《大君たいくん
 幻妖を上回る強力な個体で、討伐には至印将数人を含めた相応の人数でなんとか対処するレベル。

 過去の目撃例は少なく、長い伏魔師の歴史を見ても、両手の指を使えば数えることが可能な程度。大君の目撃例が少ないこともあり、実質的な頂点のランクは幻妖ではあるが、いずれも間違いなく幻妖を上回る。

 校舎内で確認した加護も、この大君級から持ちうる権能である。

 千太郎が資料をもらった時「面白い」と、感じたのは、一般人との取引だけではない。前代未聞はもう1つあった。本来なら、至印将を含めた腕利き複数人で挑む大君級を相手に、1人で挑むと宣言しているようなものだったからだ。尚、千太郎以外の評議会員の資料には、今回の件が大君級と明記されていなかった。理由は無論、千太郎と他の評議会員とで資料の内容を変えた時と同様、変に干渉されると面倒だからだった。無論、仕事をする者としてはとてつもない自分本位。バレればどんな厳罰が待っているか分からない。しかし、千太郎がばらさなければ、真実は闇に葬られる。執事の那須も、千太郎への資料を見ていることを考慮しても、ばらすような人物ではないと考えての行動だ。

 ただ、本来、大君級は晴馬であっても1人で挑む相手では到底ない。片膝をついて距離をとりつつ、冷静に作戦を整える晴馬。

 (技も肉弾戦も手痛いですね…。さすがは大君級)

「晴馬様…」

 普段から冷静で口数の少ない部類である晴馬だが、ヤミには今回はそれ以上に、晴馬に緊張が走っているように思えた。

 晴馬はどんな案件でも気は抜かない。相応の準備と実力、アイデアを以ってこなしてきた。

 しかし、今回のは今までにない様子。たとえ油断していなくても、万全の準備をしていたとしても、行動一つ間違えればゲームオーバー。そんな緊張感が漂っていた。

「大丈夫です。たとえ大君級だとしても、勝算はあります。変に尻込みする必要はありません」

 立ち上がり、自身の軍服についた埃を払う。

「むしろ、噛み千切る勢いで行きましょう」

 軽く息を吐き、緊張の面持ちの晴馬。対して、口角を上げてその場に留まる黒い魔属、もとい大君。

 かかってこい。そう言わんばかりだ。

 晴馬は身体と術の体勢を整え、大君に向かって走り出す。

 大君は、向かってくる晴馬に対し、押し寄せるように黒い波をぶつける。晴馬は突発的な風を発生させる術式をぶつけて対応。波と風がぶつかり合い、凄まじい轟音が響く。

 それでも、晴馬は走りを止めることなく、大君に近づく。

 (こんなさざなみじゃ、コイツは止められねぇか)

 晴馬が近接戦闘の構えを見せると、大君も 拳を構えた。

 肉薄する晴馬。その拳には風を纏わせ、待ち構える大君の拳には、黒い水のような物が纏う。

 《白色術式・颯拳そうけん

 《渦纏うずまとい

 風と水を纏った両者の拳がぶつかり合う。正確には、それぞれ纏った風と水がせめぎ合っていた。拳に呼応するように押し寄せる波と、それを弾く突風のような風が衝突する。一見すると互角だが、それぞれの内心はそうではない。口角を上げて拳を押し付ける大君に対し、少し歯を食いしばる晴馬。

 元々の腕力や術の出力もそうだが、それぞれの術の燃費も関係していた。

 大君の水は、継続的に相手に押し付けるような技であるのに対し、晴馬の風は、瞬発的な火力を出して水を弾いていた。

 最初の黒海嘯を弾いた北風を除き、1回1回火力をこめて繰り出す晴馬の術は、想像以上に練気を消耗するものだった。晴馬の風も、継続的な火力を押し続けることも可能ではある。しかし、それでは大君の波には押し負ける。瞬間、瞬間に火力をぶつけることで、この均衡は成立していた。

 このままでは晴馬が押し負ける。ただ、無策なわけではない。晴馬はなにも、からだ。

 晴馬はとある存在に意識を飛ばす。

 (ヤミさん!頼みます!)

 ぶつかり合う両者の上空。そこに浮遊するヤミ。その小さな手で術式陣を構築し、2人に向けて放つ。

 《結界術けっかいじゅつ奏箱そうしょう》!

 上空から舞い降りたのは、2人を取り込む、透明な箱のような結界術。結界術は、基本的に2つの役割を担うことが多い。

 1つは、結界内に入れないこと、逃さないこと。要は外界からの断絶だ。

 2つ目は結界内の条件を変更すること。

 そして、その条件の中で多いのが、結界内の存在に対する強化と弱体化。俗っぽい言い方をすれば、いわゆる「バフ」「デバフ」というやつだ。

 ただ、今回のヤミが展開した結界内には、今のところ何も起こっていない。

 無論、それで終わりなわけがない。結界が展開された直後、晴馬が変化を加える。

 両手の拳を開き、風を纏った手のひらで大君の両手を掴む。正確には、自身の風をもって大君が纏う水ごと、拳を間接的につかんでいる。更に迸る、互いの風と水。

「なんのつもりだ」

 さすがに不気味がって、引きはがそうとする魔属だが、晴馬はそれを許さない。不気味な状態に苛立ちを隠せない大君は、自身の比較的自由の利く足を使って、晴馬の腹部、正確には鳩尾付近に蹴りを加える。

 晴馬の身体に走る激痛、口角からは血があふれ出る。しかし、晴馬は大君の手から離す気はなく、悲鳴を上げる様子もない。

「オラ、 

 オラ、

 オラ、

 オラオラオラァ!!」

 次々と晴馬の腹部付近に打ち込まれる大君の蹴り。晴馬の口からどんどん泡を含んだ血液があふれ出る。

 だが、依然として晴馬は離す気はない。

 そして、好機は訪れた。
 何か鳴動するように、結界内に練気が迸る。晴馬が大君に肉弾戦を挑む前、ヤミにとある作戦を伝えていた。


 --------------------------------------


「…と、いう作戦なので、ヤミさんには結界をお願いしたいです」

「待ってください!それじゃ、晴馬様も無事では済みません!」

 ちょうど、大君とのクロスカウンターの直後の会話。大君を見据えつつ傍らのヤミに、自身の作戦を伝える晴馬。ただ、何やらリスクを伴う非常に危険な作戦の模様。

「それは百も承知です。ですが、相手は格上。そんな存在を相手に、なんのリスクも負わずに勝利というのはあり得ません。一緒に腹を括りましょう」

 ヤミは苦渋の表情で、晴馬の作戦に賛同した。


 --------------------------------------


「テメェ…!まさか…!」

「ご明察、恐れ入れます…!せっかくの機会ですので、共に歯ァ、食いしばりましょう…!」

 ヤミは少し躊躇するが、決死の覚悟で作戦を遂行する。

 《積鬼共鳴せっききょうめい》!

 結界内に降り注ぐ、強大な練気の嵐。その練気の嵐を受ける両者。晴馬はダメージを負いつつも、ある程度の準備ができていた模様で何とかしのぐ。

 対して魔属にとっては、まさに不意打ち。もろに練気の嵐を食らう。

 魔属が使う霊気とは反対に位置する、練気というエネルギー。これは本来、魔属が苦手としているエネルギーでもある。それをもろに食らう大君。練気の嵐が過ぎ去り、片膝をつく晴馬と、全身に傷を負い膝から崩れ落ちる魔属。

「テ…メェ…!」

「お味は……、いかがでしたでしょうか…!?」

 満身創痍の両者。

 晴馬のこの一連の目的は、自分の身を犠牲にした攻撃。ヤミの展開した結界は、結界内で発生した練気及び霊気を吸収し、呼応する量の練気を無差別に結界内に放つこと。

 利点として、結界内に発生した練気と霊気に比例して、場合によっては自分で出せる以上の火力を出せること。

 欠点は、まさしく無差別ということ。また、この結界は何も外界から断絶されているわけではないという点。要は、逃げることもできる。

 晴馬の憶測では、大君が直前に結界の仕組みに気付けば、瞬時に結界外へ逃げることが可能。つまり、誰かが足止めする必要があった。よって、晴馬は自爆のような形で練気をぶつけることにしたというわけだ。

 しかし、問題はここからだ。魔属はダメージこそ負ったが、致命傷にはなっていない。現に、晴馬の前で立ち上がる大君。大君の目の前には、膝をついた伏魔師。ここで手を下せば、もしかしたら殺せるかもしれない。しかし、今しがた自爆のような攻撃を食らったばかりだ。何かしらまだ作戦を持っているかもしれない。

 そこで、大君は別の方法をとった。本来の目的、と言い換えてもいいだろう。大君は大きく跳躍し、自身の鎮座していた岩の座、その傍らにある片桐の入った水晶のそばに来る。

 そう、受肉。それが叶いさえすれば、少なくとも今の晴馬は、恐らく瞬殺可能。大君は片桐の入った水晶に手を伸ばす。紫色に輝きだす水晶。

 晴馬にとって厄介なことに、受肉の条件が整っていた。受肉に必要な条件は、魔属本体と乗り移る器、そして練気。黒い大君の本体と器たる片桐。この2つがそろった以上、必要なのは練気。

 実はこの裏界。晴馬が入ってから、晴馬より少しずつ練気を吸収していた。もちろん、気が付いていた晴馬だったが、それを承知で大君の土俵に乗ったのだった。

 そして今、練気が揃い、受肉が開始された。

 絶体絶命。

 その姿を見て、冷静に自分の腰に手を伸ばす晴馬。取り出したのは、1枚の札。それを、魔属に向かって投げる。まるで吸い寄せられるように、その札は魔属に向かっていく。

 晴馬が待っていたのは、むしろ魔属のこの行動、受肉を開始すること。

 受肉を行う際、自身の魂を器に移動させる必要がある。そして、魂は器から出る瞬間が最も脆い。受肉を完遂させてしまうとアウトではあるが、逆に千載一遇のチャンスでもある。

 晴馬の投げた札、《封印札ふういんふだ崩意ほうい》。それは、『封印』に重きを置いた札。対象を檻のような札に封じ込めるためのもの。現状の伏魔師にとって、最も強力な封印方法の1つがこの《崩意》。理論上はどんな魔属にも有効な代物だが、やはり相応に対象を弱らせる必要がある。

 晴馬は初めから討伐を目的にしていない。前述の通り、大君を相手にほぼタイマンは無謀だ。であれば、隙をついて『封印』にて対処する。

 今がそのチャンス。

 札が輝き、光輝く檻のような骨組みが札から出現し、大君に向かっていく。タイミングは完璧。後は対象が封印圏内まで弱るのを術でカバーする。そんな心持ちで術を準備する。

 しかし、現実はそううまくいかない。

 突如、大君が触れていた水晶の輝きが消失。そして、大君は水晶から目を離し、札に目を移す。

 その表情は、恍惚に満ちていた。

「かかったなぁ」

 魔属はそのまま、自身の力を以て札と檻を破壊した。受肉をしようとした動きはダミー。晴馬を誘い出したのだった。魔属は高笑いを上げる。

「残念だったなぁ!!つくづくお前は罠にかかるのが好きなようだ!!」

「……」

 魔属の高笑いに、晴馬は黙って見つめていた。

「でも、やっぱり凄かったよ、お前。一歩間違えてりゃ負けていたのは俺だ」

 魔属は再び水晶に手を伸ばす。輝く水晶と、魔属の身体から徐々に魂が延び、水晶に溶け込む。魔属の魂が歓喜の産声を上げ始め、徐々に器である片桐へ流れ込んでいく。

 この時をどれほど待ち望んだか。
 何年、何十年、いや、この際、歳月などどうでもいい。いまここで、全てが叶う。

 この力があれば、きっとを…。

 裏界に響く力の波動。
 着実に片桐との融合を進めていく。

 そんな姿を、晴馬は満身創痍の身体で見つめていた。

「……仕方ありませんね」

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