称号は神を土下座させた男。

春志乃

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本編 2

第四十三話 慰める男

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「What happened?? Really??」

 それが真尋と雪乃の寝室でちょうど、夜中のミルクを飲み終えて、ベビーベッドで眠る双子を見た兄・海斗の第一声だった。
 一路は開いた口がふさがらないまま、ティナと顔を見合わせた。ティナも口が開いたままになっていて、サファイアの瞳はまん丸になっていた。
 一路と海斗、そしてティナとエドワードが帰宅したのは、やはり真夜中を少し過ぎた時間帯だった。家の護衛をしている第二招待にあらかじめ伝えていてくれたのだろう。夜に溶け込む真っ黒なドラゴンは、庭先に静かに降り立ち、この日の当番だったカロリーナが家の中に連れてきてくれた。
 ベッドに腰かける真尋が彼の膝の上で眠たそうにしているミアの頭を撫でながら「事実だ」と告げた。

「五日前の午後、俺と雪乃をお父さん、お母さんを呼んだかと思ったら、翌日にはこの姿だった」

「な、なんで?」

「それが分かればもとに戻ってる」

 一路の問いに真尋は首を横に振った。

「とりあえず、今夜はもう寝ろ。明日、改めて話し合おう」

「一くんも海斗くんもティナちゃんもエドワードさんも、おかえりなさい。お疲れでしょうから、ゆっくり休んでね」

 雪乃にまでそう促されて、一路たちは二人の寝室を後にする。
 真っ暗な廊下に出ても、やはり頭は混乱したままでお互い、無意味に顔を見合わせて首を傾げた。
 さすがに寝室には入れないと遠慮したヴァイパーが「どうしました?」と不安そうにしているが、答える余裕がなかった。

「おかえりなさいませ、皆さま」

 耳慣れた声に顔を上げれば、こんな真夜中にも係わらず、びしっとした執事服姿の充がキッチンからこちらへやってきた。

「みっちゃん、ただいま」
 
「お疲れ様でございます。……帰宅早々、大変、申し上げにくいのですが……家が小さいものですから生憎と満室でございまして」

「ああ、うん。そんなのは大丈夫だよ。表の馬車の中で十分」

「それよりみっちゃん、どういうこと?」

「少しでしたらお話はできますが、本当に少しです」

「頼むよ。さすがに眠れない」

「では、リビングへと言いたいところなのですが、そちらの方は?」

 充がティナの後ろに立つヴァイパーに首を傾げた。
 ヴァイパーが慌てて頭を下げる。

「あれ? 真尋くんから聞いてない?」

「……さすがの真尋様も、その、今回の件で動揺しきりでございまして……。異変が起こる前にジルコンご夫妻がいらっしゃることは聞いていたのですが」

「まあ、真尋くんにとって双子はミアとサヴィと同じだけ大事な存在だからね。紹介するよ。彼はアゼル騎士の甥っ子でヴァイパーくん。真尋くんがフットマンとして雇うことにしたんだよ」

「そうでしたか。使用人仲間が増えるのはありがたいです。……初めまして、私は真尋様ご夫妻に仕える執事の充と申します」

「は、初めまして。ヴァイパーです。こういった仕事は初めてで、至らないところもあると思いますが、ご指導のほどよろしくお願いします」

 ヴァイパーが頭を下げると充は、こちらこそと同じように頭を下げた。
 二人が顔を上げるのを待って、一行はリビングへと移動する。

「紅茶のご用意がございますが、いかがいたしますか?」

「じゃあ、お願い」

 三人掛けのソファに海斗、一路、ティナで座り、その向かいのソファにエドワードが座った。ヴァイパーは申し訳なさそうにしながら、エドワードに促されてようやく席に着く。
 充は先に紅茶をいれて、アイテムボックスにしまっていたようで、すぐに淹れたての薫り高い紅茶が五人の前に出された。

「そういえば、アゼル様は?」

「ここへ来る前にブランレトゥに一度戻ってね、アゼルには団長さんへの報告のために降りてもらったんだ。それよりみっちゃんも座りなよ」

 海斗に促されて、充が一人掛けのソファに腰を落ち着ける。

「それで、どうしてあんなことに?」

 海斗が早速、待ちきれないといった様子で尋ねる。

「話は五日ほど前に遡ります。あの日の午後、第二小隊のガストン様とケイティ様ご夫妻が、息子のダニエル様とともに真尋様の要望に応えて遊びに来てくださったのです」

「ダニエルくんは、真尋くんの名づけ子んなんだ」

 一路が補足すると海斗が、へぇ、と驚き顔で頷いた。
 正直、生物全般に「ポチ」と名付ける真尋に名づけを頼んだ時は心配したが、無事に「ダニエル」という素敵な名前を与えられてほっとしている。

「真尋様も雪乃様も喜んでおられて……双子様も興味津々といった様子でございました。ですが、ダニエル様の授乳のお時間になりまして、雪乃様が寝室を使うようにとご夫妻に貸し出したのです。私も寝室の隣のキッチンの説明をと一緒に参りました。そして、戻った際に……真智様が最初に真尋様を『お父さん』と呼んだのです。そして、真咲様が雪乃様を『お母さん』と

「みっちゃんが席を外している間に何があったの?」

 一路の問いに充は眉を下げた。彼の犬耳もしょんぼりしている。

「私もあとから聞いた話なのですが……お母さんの記憶の話をしていたんだそうです」

「お母さんの、記憶?」

「はい。赤ちゃんの頃の話になって、ミアお嬢様が、自分が赤ちゃんだったころのことは覚えていないと言ったんだそうです。それに真尋様が『オルガが覚えている』と返すと、アマーリア様が『自分の子どもが今より小さかったころのことは、天国にいても、絶対に忘れない』というようなことを言ってくださって、ミアお嬢様が『嬉しい』と……その会話の直後だったそうです」

「お母さんの記憶……」

 一路は繰り返すようにつぶやいた。

「真智様は、真尋様に『お父さんは、僕たちが産まれた時、抱っこしてくれた? 嬉しかった?』と。真咲様は、雪乃様に『お母さんは、僕たちを産んだ時のこと、覚えてる? 痛かった? 大変だった?』とそれぞれお尋ねに。ナルキーサス先生が、否定をするな、とアドバイスをくださいまして、真尋様も雪乃様もお話にのっかり、嬉しかったと、大変だったと、と答えたのです。そのあと、双子様はその答えに満足して、やりかけだった苗の移植作業へと戻られました」

「それで翌朝、赤ん坊に?」

「はい。あの日、あれ以降、ずっと双子様は真尋様と雪乃様を父母と呼び……翌朝、あのようなお姿に。発見者はジョン様で、ちょうど、私はサヴィラ坊ちゃまとレオンハルト様、護衛のアイリス様と朝市に出かけておりまして、帰ってきたらこの事実を知ったのです」

「なんだってこんなことに……」

 エドワードが呆然としながらつぶやく。
 ヴァイパーにも、双子については八歳の少年と説明してあったので、それが赤ん坊になっていたとあってより混乱しているようだった。

「お父さん呼びの当日と翌日にナルキーサス先生が健康診断をしてくださり、赤ちゃんになってからのほうではより詳しい検査もしてくださいました。幸い、お体に問題はなく、どちらも健康と判を押してくださっています。この四日間もミルクをよく飲み、よく寝て、元気に育っておりますのが、唯一の救いでございます」

 充はそう言いながら、不安そうに目を伏せた。

「真尋様もですが……とくに雪乃様が、今回の件でかなりご自分を責めておられて」

「ユキノさんが?」

 首を傾げたティナに応えるように海斗が口を開いた。

「……真尋の生存を知って雪乃は、双子を連れてくるって決意はしていたけど、ずっと迷っていたんだよ。雪乃は真奈美さん――真尋の母親ね。彼女と仲が良かったし、真奈美さんは、親父さんと違って母親として失格だったわけじゃないだろ? そりゃ、確かに双子にひどいことは言ってしまったよ。だけど、最愛の息子を突然喪って、憔悴しきってたんだ。もしも時間があれば、双子と真奈美さんの仲は解決していた可能性は大いにあったからね」

「まあ、ね。真奈美さんは真尋君くんが『母さん』って呼んでいる通り、お母さんとしての愛情はちゃんと持っていた人で、惜しみなく真尋くんにも双子にも注いでいたからね」

 離れて暮らしていた親子だった。双子は雪乃を母のように慕っていたけれど、真奈美のこともちゃんと母として愛していたのを一路は知っている。

「……さて、そうはいっても今夜はもうお休みください。皆さまが体調を崩されては、大変ですし……一路様は病み上がりだと」

「ちょっと風邪を引いただけ。ゆっくり休んで、治癒術師にもOKをもらったから大丈夫だよ。ありがとう、みっちゃん」

「いえ、雪乃様も心配しておられましたので」

 そう告げて充が立ち上がり、それを皮切りに全員、席を立つ。
 見送ってくれた充に、おやすみ、と声をかけ、一路たちは先ほど降りたばかりの馬車へと戻ったのだった。






「可愛い、可愛いねぇ」

「ふにゃふにゃですねぇ」

 一路とティナの腕にそれぞれ抱かれた双子は、ご機嫌な様子だ。
 
「すまないな、急な帰還になってしまって」

 真尋はベッドに並んで腰かける海斗に顔を向ける。
 先に双子を堪能した海斗は「いいよ」と肩をすくめた。

「逆に、ちぃと咲がこんなことになってんのに、呼んでもらえなかったら、それこそ怒るよ」

「そうか。……ありがとう」

 真尋の感謝の言葉に海斗は笑って返してくれた。
 リビングのドアが開いて、園田と、その後ろをヴァイパーがついてきた。ヴァイパーはワゴンを押していて、ワゴンの上には人数分の紅茶の仕度がしてあった。
 今、リビングにいるのは真尋と雪乃、双子と海斗と一路とティナ、そして、ナルキーサスだけだ。
 子どもたちは、ジルコンとマイカ、リックとエドワード、そして、アマーリアたちとともに(無論、護衛付き)町のほうへと出かけている。テディとタマとポチは姿が見えないので、多分、温泉につかっている。ポチはまた今夜、エルフ族の里に戻る予定だ。

「ヴァイパー、君もすまないな。本当に急で……制服も準備できず」

 真尋は私服姿のヴァイパーにも謝罪を口にする。

「いえ、とんでもありません。雇っていただけただけでも、ありがたいです」

「人手が足りなくて、本当に困っていたんだ。立候補してくれて、ありがたい。制服は今朝、ブランレトゥの贔屓の仕立て屋に発注したから、その内届くと思う。必要とあれば、グラウの店で服も買ってくれ」

 今朝、園田にヴァイパーの寸法を測ってもらい、真尋が贔屓にしている店(主に子ども服)に制服を頼んだのだ。もともと、フットマンとメイドの制服のデザインはできていたので、あとはあそこのマダムがなんとかしてくれるだろう。

「いえ、服は十分にありますので、ご安心ください。……それより、あの……なんとお呼びすれば? 神父様のままで?」

 ヴァイパーが少し照れながら尋ねてくる。

「好きに呼んでくれてかまわん」

「でも、ヴァイパーくんは私たちに仕えてくれるのでしょう? 神父様じゃなくて、名前のほうがいいんじゃないかしら?」

 ナルキーサスと一緒にソファに並んで座る雪乃が言った。

「確かに。では名前で」

「かしこまりました。マヒロ様、ユキノ様、よろしくお願いいたします」

「ああ、こちらこそ」

「色々とお願いしますね」

 ヴァイパーは「はい」と頷いて、真尋たちに紅茶をサーブしてくれる。

「ん、おいしいな」

 早速、口をつけたナルキーサスが目を丸くする。

「でしょー、先生。僕も兄ちゃんも満足の紅茶を出してくれるからさ、絶対、真尋くんに雇ってもらおって決めてたんだよね」

 一路が自慢げに言った。
 真尋もカップに口をつける。みずみずしい葡萄の香りと甘さが、茶葉の品の良い香りと相まって、口いっぱいにさわやかに広がる。甘いものが苦手な真尋だが、そんな真尋でも美味しいと思える、自然な甘さだ。

「……うまいな」

 真尋がつぶやくと固唾を飲んで見守っていたヴァイパーが安堵の息をもらした。

「だから言ったろ? ヴァイパーの紅茶は、真尋も認めるだろうって。こいつ、マジで味にうるさいから、お世辞は言わないよ」

「本当にいい味だ。この茶葉もシケット村で?」

「ありがとうございます。村では茶葉は作っていません。茶葉は、色々なところのもので、今回のものは南の地方のものです。行商に仲の良い方がいて、その方に仕入れを頼んでいたんです。それの味や風味を確認しているんです。これは我が家の葡萄と合わせていますが、他にも茶葉同士であったり、他の果実や花などと混ぜ合わせて、調合しているんです。もちろん、茶葉のみのものもありますので、その日の気分で香りや味などの好みをお申し付けください」

「あらあら、楽しみだわ。私、果物系の香りがついた紅茶が好きなの」

「私は、花やハーブ系が好きだな」

 雪乃とナルキーサスが言った。

「かしこまりました。マヒロ様は?」

「俺は茶葉のみだな。これは実に有益だ。別途、予算を出すから、紅茶の研究は続けてくれ」

「は、はい! ありがとうございます!」

 充が喜ぶヴァイパーに「よかったですね」と声をかけている。
 それからヴァイパーは、馬たちが出かけているうちに馬小屋の掃除をしてきますと言って部屋を出て行った。実家でも親族同士で共用だが馬を飼って居るので、世話もできるというのがありがたい。

「それにしても、なんだって急に赤ちゃんになっちゃったのかな。……そりゃあもうこの上なく可愛いけどさ」

 一路が言った。ティナが隣で、うんうん、と頷いている。
 今朝、一路には、ティナに自分たちのこと(異世界にやってきたこと)を話したと聞いたし、真尋もナルキーサスとリックには話したと教えてあるので、ヴァイパーがいなくなったので切り出してくれたのだろう。ちなみにエドワードにはもう少し彼が落ち着きを覚えたら話をするそうだ。

「ねえ、海斗くん、何か知らないかしら」

「俺も考えてみたんだけどねえ……」

 海斗が困ったように眉を下げて、足を組みなおす。

「そもそもお前たちはどうやって転生してきたんだ? 俺と一路は、ティーンクトゥスに、この世界で産まれなおして赤ん坊からやるか、そのままかって聞かれてそのままを選んだ以外はとくに注文はしていないんだ」

「俺たちは赤ん坊の一から転生も提案されなかったな。体を作りますがどうします的な。ただ、真尋と一路ほど特別には作れないって言われて、俺は『丈夫で元気であればいい』って答えたよ」

「私は『真尋様の犬になりたい』と……ティーンクトゥス様は、とても理解を示してくださいまして」

 海斗の言葉に続くようになぜか少し頬を赤らめながら園田が言った。
 ナルキーサスの冷たい目が痛いし、一路はティナの耳をふさいでいる。
 真尋は親友からの冷たい目から逃れるように、雪乃に顔を向けた。

「私は真尋さんの子どもを産めるくらい丈夫な体にってお願いしたのよ」

「……初めて聞いたんだが?」

「だって、あなたったら、そんな大けがしてるんだもの。子どもどころの話じゃないわ。でもね、これは双子ちゃんには言っていないのよ。ティーンクトゥス様は、詳細は個別で面談しながら決めてくれたから。さすがに真尋さんと私の赤ちゃんになりたいっていうこの子達の前で、真尋さんの子どもを産みたいなんて言えないもの……それに私だってすぐにとは考えてなかったのよ? 双子ちゃんが落ちついて、こちらでの生活も落ち着いたらって考えていたから年単位で先の話よ」

 そういって雪乃が眉を下げた。
 とりあえず明るい家族計画(仮)は後日、夫婦で話し合うとして、今は双子の話だ。

「じゃあ、その個別面談の時に二人が何かあいつにお願いをした可能性があるということか?」

「それがさぁ、双子は未成年だし、精神的に不安定だったから、俺が同席したんだよ」

 海斗が言った。

「双子はやっぱり、真尋と雪乃のこどもになりたいって言った。俺も説得したけれどでも、ティーンクトゥス様が、幼い二人ではこれまでの記憶を、俺たちのように受け継ぐことは難しいって。二人に、これまでの楽しかったこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、辛かったこと、全部忘れてもいいのかって聞いたんだ。そうしたら、二人は『それはやだ』って。自分たちが真尋と雪乃の子どもになりたいと思ったのは、その記憶があるからこそだって」

 真尋は一路とティナの腕の中にいる双子に視線を向けた。
 彼の言う通り、真尋の人生がそうであったように双子の人生も喜怒哀楽、様々なものに恵まれた人生だった。そのすべての積み重ねの果てに、真尋と雪乃を両親のように慕ってくれていたのだから、それを無くしてしまうことは確かに、二人が望むことではないのかもしれない。

「だけど、やっぱりお兄ちゃんに甘えたいっていうから、ティーン様が赤ちゃんは無理だけど、少しだけ若返りましょうか、って提案してくれて、三歳若返ったんだ」

「その時、副作用のような話はなかったのか? 体を作り変えるなんて、普通の話じゃない」

 ナルキーサスが首を傾げる。

「ないんだよ。俺だって双子に関しては三歳若返ることに対してあれこれ質問したけど、気になるようなことはとくになにも。みっちゃんと雪乃は、種族が変わったわけだけど、あった?」

「ございません」

「私もないわ」

 海斗の問いに二人が首を横に振る。
 真尋は「そうか」とつぶやき、溜息をつく。

「……双子は、母さんがすべてを忘れてしまうことは、承知していたのか?」

 その問いに三人はそろって頷いた。

「俺が全てを知りながら、一路を選んだように。双子も全てを承知の上で、お前と雪乃を選んだんだよ」

「でも、やっぱり忘れられてしまったことが辛かったのかしら……だって、私たちを突然、お母さん、お父さんって呼んだのは、そういうお話をしていた時だもの」

「……ユキノ。人はな、後悔せずには生きていけないんだよ」

 ナルキーサスが、膝の上で握りしめられていた雪乃の手に自分の手を重ねる。

「後悔というのは、失敗を乗り越え、不安を抱えた先にあるものだ。失敗のない道を選んで、安心だけを優先すれば……まあ、それなりに平和には暮らしていけるだろうが、それが本当の幸せとは限らない。人はいつだって、選ばなかった道の先のほうが、もっと明るくて、幸せで、豊かだったのではないかと思ってしまう。だが……本当にそうだろうか?」

 黄色の眼差しが、優しく雪乃の顔をのぞき込む。

「例えばの話だが、真尋がいなくなった世界で、君もいなくなったとして、例え母親と仲直りしたとしても、本当に双子は幸せだっただろうか? 自分たちを誰より愛してくれて、何からも守ってくれていた存在がいなくなってしまった世界なのに」

 雪乃は言葉を詰まらせて、目を伏せた。
 母は双子を愛している。それは間違いない。
 だが、真尋という完ぺきな後継を喪った水無月家は、そのすべての期待や重圧を双子にかけるだろう。とくに次男である真智には、これまで真尋に向けられていたすべてが向けられる。
 果たしてそれは本当に、幸せな結果を招いてくれるだろうか。
 真尋は自分自身が、飛びぬけて優秀な、それこそ異質なほど秀でた人間であった自覚がある。健康に問題もなく、だからこそ後継者としての教育を幼いころから受けて育った。
 そもそも真尋の異常な優秀さが、父と母が夫婦でいられた理由である。父は両親と周囲の反対を押し切って、一般家庭で生まれ育った母と結婚した。結婚当初の母への風当たりはすさまじかったと聞いたことがある。だが、真尋という男子が産まれ、それが健康で、なおかつ優秀であったため、一族の関心は真尋へ向けられ、父と母は夫婦でいられた。ゆえに父は、真尋への教育に関しては手を抜くことを嫌った。
 だが、真尋がそれに従順に従ってきたのは、真智と真咲を守るためだ。それまでは利用できるものは利用してやろうという心づもりだったが(父の用意した教師たちは軒並み優秀だったのだ)、双子が誕生してからは双子を守るために従ってきた。だから真智にも真咲にも、できる限り父も――水無月も、関わらせないように生きてきたのだ。
 それが突然、真尋という保護を喪い、雪乃という母のような存在も喪った世界で、耐えられるだろうか。
 母は双子を守ろうとしてくれるだろうが、父は――ミナヅキは大きな家だ。それから完ぺきに守り切るのは、難しい。離婚に踏み切っても、父は法務部を動かして、必ず真智の親権を取るだろう。会社と家を存続させるためだけに。

「……僕はね、雪ちゃん」

 一路が真智をあやしながら口を開いた。

「五歳でイギリスから引っ越してきて以来、ずっと真尋くんと雪ちゃんのそばにいた。だからこそ、真智と真咲がどれだけ二人を慕っていたのかも知っているし、逆に君たち夫婦が二人をどれほど大切に思っていたのかも知っている。……赤ちゃんって可愛いけれど、無力でしょ。守ってくれる人がいなければ、呆気なく死んでしまうんだ」

 真智の小さな手が一路に伸ばされる。一路は片腕で真智を抱えて、空いた右手の人差し指を彼に差し出した。小さな、小さな手が一路の指をぎゅうっと握る。

「僕にもどうして、双子がこの姿になってしまったのかは、分からないけれど……それでもこんな無力で無防備な姿になっても大丈夫だっていう安心が、根底にあるんじゃないかな?」

「あんしん?」

 雪乃が呆然と聞き返す。

「そう、安心」

 一路は柔らかに笑う。

「雪ちゃんと真尋くんなら、赤ちゃんになったって大丈夫っていう安心」

 ティナが立ち上がり、雪乃のもとへ行くとその腕に抱えていた真咲を彼女の腕に返した。
 真咲は雪乃を見上げている。

「もちろん雪乃が、真奈美さんに対する罪悪感を抱えるのは、しょうがないよ」

 海斗が一路のもとへ行き、真智を抱き上げた。

「でも……実の両親に傷つけられた記憶を、きれいさっぱり消して、これからも元気に生きていけるなら、それはそれで幸せだと俺は思うよ。……なぁ、真智」

 真智は海斗にも手を伸ばして、彼の高い鼻をぎゅっとつかんだ。海斗が鼻息を、ふんっと出せば、びっくりして真智が手を放し、ご機嫌ににこにこと笑う。そうすれば海斗も優しい笑みを浮かべて、真智の額にキスをする。
 それを見ていた雪乃が、ゆっくりと真咲に視線を戻した。真尋は立ち上がり、ゆっくりと雪乃のもとに歩み寄る。ナルキーサスが立ち上がり席を譲ってくれたのに礼を言い、彼女の隣に腰かけた。
 真咲は、にこにこしながら雪乃を見ていた。真尋が手を伸ばせば、小さな手が真尋の指をぎゅうっと握る。薄い爪が刺さって、じわりと痛い。
 それでも、その痛みさえ愛しいと感じてしまう。

「……わたしたちで、いいの?」

 雪乃のか細い声が問う。
 真咲は「あー」と喉を鳴らすように声を出す。雪乃は、なんだか泣きそうな顔で微笑んで、真咲の頬にキスをした。

「俺たちもできることは手伝うしさ」

「あんまり気負わないでね、雪ちゃん」

「私も微力ながらお手伝いします!」

 海斗、一路、ティナと順に声をかけられて、雪乃は「ありがとう」と震えるような小さな声で返した。











 ベビーベッドに寝かしつけた双子に毛布をかけなおし、雪乃がベッドに座る。
 ミアは真尋が絵本を読んでいる間に寝てしまった。

「ぐっすりね。おやすみ、ミア」

 雪乃がミアにキスをして布団をかけなおした。
 ろうそくの灯りだけが部屋の中を照らしていて、薄暗い。

「……ティーンクトゥス様には、いつ会えるかしら」

「こればっかりはな。……だがせめて、この双子の成長の有無や、後退の有無は知りたいな」

「ええ」

 雪乃が頷いて隣のベビーベッドをちらりと振り返った。

「……もし、このまま普通のこどもと同じように成長するなら、君は……どうしたい?」

「そう、ね。それも早く決めておかないとね……」

 雪乃はベビーベッドに――真智と真咲を見つめていて、その表情はうかがい知れない。
 これまで雪乃との間に落ちる沈黙に戸惑ったことなど一度もなかった。だが、今はこの沈黙が少しだけ怖かった。

「…………ずっと、ずっとね」

 やんわりと静寂が破られる。

「ずっと……ちぃと咲が、私と真尋さんの子どもだったらいいのにって、思ってたの。あなたにそっくりで、とても可愛いんだもの。雪ちゃん、雪ちゃんって心から私を慕ってくれるこの子たちが、愛おしくてたまらなかった。ううん、今だって愛おしくてたまらないわ。でも、」

「でも?」

「同時になんて自分勝手なんだろうって思っていたの。この子達には、優しくて素敵な本当のお母様がいるのに、って」

「それは……だが、自由を選んだのも、仕事を選んだのも、母さん自身だ」

「……でも、でもね。お義母様は、私にとって特別な人だったの」

 雪乃が俯いて、長い髪がさらりと揺れた。

「父も母も、私のことを憐れむばかりで、私の未来なんて諦めきっていたわ。でも真尋さんとお義母様だけは、ずっと私の未来を信じていてくれた。私がね、七歳くらいの頃、両親とお義母様に言ったの。将来の夢は、真尋さんのお嫁さんになることなのって……父と母は『そうか』『そうなのね』って頷いてくれたけど、その目には憐れみしかなくて、それ以上の言葉もなかった。でも、お義母様は『本当? 雪ちゃんみたいな娘ができるなんて、嬉しいわ! ウェディングドレスのデザインは任せて……だめね。私の息子、私以上に雪ちゃんの服にうるさいし、譲ってくれなさそう』って、言葉通り嬉しそうに笑って、未来の話をしてくれたの」

 それがなにより嬉しかったのよ、と雪乃は小さな声で告げた。

「お義母様のこと、大好きだったの……だから、罪悪感が、消えないの……っ。だって、きっと、お義母様にとって一番大切なものを私は奪ってしまったわ」

「雪乃」

「でも、真智のことも真咲のことも、愛しているのは本当なの。もし……二人があなたと私の子どもになって、この子たちが将来私を……『お母さん』って呼んでくれたら、嬉しくて、うれしくて泣いてしまうわ」

 振り返った雪乃は、不器用な笑みを浮かべていた。
 抱きしめに行けない代わりに腕を広げれば、雪乃はほんの一瞬、ためらった後、ミアを踏まないように気を付けながら真尋の胸に飛び込んできた。その華奢な体を精一杯抱きしめる。

「あの子たちを、これまでと変わりなく……これまで以上に愛すれば、お義母様への償いになるかしら」

 涙にぬれた声が問う。

「君が償う必要はないと俺は思っているが、君はそれでは納得できないんだろう? だったら、それでいいと思う。母さんは、いつも俺たちの幸せを……もちろん、娘の幸せも、ずっと、ずっと何よりも、願ってくれていた」

 ミアや双子が起きないように、声を押し殺してなく雪乃を抱きしめて、真尋はそのつむじにキスをし、背をさする。それしかできないことがもどかしい。彼女を苦しめ、悲しませるすべてを取り除けたらいいのに。
 そう願いながら真尋は、彼女の涙が止まるまで雪乃を慰め続けた。
 雪乃が落ち着くを待って、二人はミアを間に挟んで眠りについた。
そして、真尋と雪乃は、次に目を開けた時、完ぺきな土下座を決める神の姿を見下ろすことになるのだった。


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ここまで読んでくださって、ありがとうございます!
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次回の更新は23日(木・祝)を予定しております。
頑張って書きます!!!!!

次のお話も楽しんでいただければ幸いです。
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