称号は神を土下座させた男。

春志乃

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本編 2

第五十話 良心を痛めた男

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「ふにゃあ、ふにゃあ、にゃああ」

「すぐ戻る」

 ふにゃふにゃ泣いている真智に真尋はそう声をかけながら、抱っこしてあやす。
 真咲がミルクを盛大に戻し、雪乃が着替えのために寝室に連れて行ったのだ。今日は朝から少し機嫌の悪かった真咲は、真智がリビングを出て言った途端、こうして泣き出してしまったのだ。

「本当に離れると泣くよね」

 サヴィラが感心したように言った。

「特別な存在なんだろうな。なにせ胎の中から一緒にいるわけだし」

 それに真智と真咲は一卵性の双子なので、より一層お互いが特別なのだろう。さすがにこの感覚は真尋にもよくわからない。
 よしよし、と声をかけて体を揺らしてあやすが、これが戻ってくるまで泣き止まないのだ。

「あらあら、ちぃちゃんも泣いているわねぇ。咲ちゃんもちぃちゃんがいないと寂しいものね」

 そういって雪乃が真咲を抱えて戻ってきた。ついて行っていたミアも一緒だ。
 真尋と雪乃が並んで腰かけると双子はお互いの存在を認識したようで、だんだんと泣き止んでにこにこし始めた。サヴィラが後ろからミアが横からのぞき込んできて、にこにこする双子に「可愛い」と声をかける。家族六人、穏やかな時間に真尋の表情も緩む。
 ナルキーサスとレベリオの騒動から早いもので三日が経った。
 レベリオは第二小隊の宿の庭で無心で草むしりをしているそうだが、ナルキーサスは吹っ切れているようで日々、魔術学や魔法薬の研究に精を出していた。時折、研究に行き詰まると双子を吸いに来る。クロードも久々の休みなので、と馬車の研究室にこもりっぱなしだ。真尋も暇を見つけては、そこに参加して、三人であーでもないこーでもない、と頭を悩ませるのはなかなかに楽しい。時折、サヴィラも参加するのだが、息子の柔軟な発想には驚かされるばかりだ。
 そうして比較的、心穏やかに過ごしていたというのに、平穏とは長く続かないものだった。

「真尋様、ウィルフレッド閣下がお越しです。コシュマール子爵ご夫妻のことでお聞きしたいことがあると」

 リビングに顔を出した園田が告げた名前に真尋はあからさまに顔をしかめた。

「一路と海斗は?」

 さすがにナルキーサスの離縁は大きな話だ。真相を確かめるべく、直接やってきてもおかしくはない。
だが、ナルキーサスも吹っ切れた様子ではあるがやっぱり落ち込んでいるし、レベリオは言わずもがなだ。なので、ブランレトゥに用事があるという一路にウィルフレッドへの直接の報告を頼んだのだ。海斗は「一路が行くなら俺も行く!」と相変わらずのブラコンを発揮してついていった。ちなみにティナも屋敷の温室に用事があるらしくついていき、ジルコンとマイカはさんざん温泉と料理、観光を楽しみ終えたようで「弟子が帰って来いってうるさいから、どうせなら記念にドラゴンで帰る」とついていった。最初から最後まで自由な夫婦であった。
ジルコンのいう通り、ポチで出かけて行ったので、戻ってくることはたやすいが昼日中に戻ってくるのは想定外だった。

「ご一緒です。いかがなさいますか?」

「サヴィ、真咲を」

 息子に小さな息子を預けて、真尋はアイテムボックスからギプスと三角巾を取り出して身に着ける。頭にも巻いたら、と雪乃が包帯を真尋の頭に巻いてくれた。そして真尋はリビングの片隅に双子の世話をするのに便利なのでと置かれたままのベッドに腰かけた。ミアが真尋の隣にやってきてちょこんと座った。可愛い。

「よし、いいぞ」

 真尋はこの家族団らん温泉療養をぎりぎりまで堪能する予定なのだ。
 全快したと分かれば、容赦なくこき使われる。優秀すぎるのも問題なのである。

「かしこまりました」

 園田が頷きリビングを出て行き、サヴィラは雪乃の隣に座りなおした。
 すぐにせわしない足音が聞こえてきて、ウィルフレッドが顔を出した。その後ろに苦笑を浮かべる海斗がいる。

「神父殿、どういうことだ?」

 やけに焦った様子でウィルフレッドが開口一番そう告げた。

「どう、と言われましても」

「レベリオが離縁を承諾した、と」

「ええ、ですからその言葉通りです。……まずは座ってはいかがです?」

 真尋はギプスをはめていない左手でソファを示した。

「僭越ながら紅茶もご用意させていただきました」

 ワゴンを押しながらヴァイパーがやってきた。ふわりと香った穏やかな茶葉の香りにウィルフレッドはいくらか冷静さを取り戻したようで「すまない」と眉を下げ、雪乃の向かいのソファに座った。ヴァイパーがすぐに彼の前に紅茶を出してくれる。
 そして紅茶を飲もうとして手を止めた。

「……ユキノ夫人、サヴィラ、その赤ん坊は……?」

「私と真尋さんの三番目と四番目の息子で真智と真咲ですわ」

「は?」

 雪乃の説明にウィルフレッドはいぶかし気に眉を寄せている。
 それもそうだろな、と思いながらマヒロは紅茶を飲む。今日も美味しい。

「夫人、失礼ですが……見たところ、生まれて間もないような、その赤ん坊……え? いや、まて、マチ? マサキ? それは弟君の……」

「ええ。そうです。色々ありまして、赤ちゃん返りをしてしまったんですの。それで、私と夫の息子として育てることにしたんですのよ」

 そういって雪乃が立ち上がり、ウィルフレッドの下に行くと彼の手の中のティーカップをヴァイパーに取るように言って、空いたその手に真智を抱かせた。真智はじーっとウィルフレッドを見つめている。

「ふふっ、かわいらしいでしょう? 小さい頃の真尋さんそっくり」

 のんびりと笑う雪乃とは裏腹に大混乱しているウィルフレッドにサヴィラが憐みの目を向けている。

「団長殿、あんまり考えんほうが君の胃のためだぞ」

 リビングの入り口からナルキーサスが顔を出す。そして中へ入ってくるとウィルフレッドの腕から真智を奪い取り、その腹に顔を埋めた。

「あ“~~癒される……」

「蒸しタオルで顔を拭くおっさんだぞ。うちの息子は蒸しタオルじゃない」

「うるさい。マチはいい子だから、君のパパみたいに治癒術師の言うことを聞かない見栄っ張りにはなるんじゃないぞ~」

「そうねぇ。それだけは似てほしくないわぁ。二人とも治癒術師様のいうことはちゃーんと聞くいい子になってねぇ」

 雪乃まで一緒になってそんなことを言い出し、真尋は眉を寄せる。

「わ、わた、私の知ってる、赤ちゃん返りじゃない……っ」

 両手で顔を覆ってうなだれてしまったウィルフレッドがよほど哀れに思えたのか、サヴィラが真咲を雪乃に預けると彼の隣に座って、広い背を撫でながら「あとでココア淹れてあげるよ」と慰め始めた。
 ウィルフレッドは信用のおける人なので別に真尋たちの出身地の話などをしてもいいのだが、さすがに胃に穴をあけられては困るので説明するのもためらってしまう。彼はとても繊細な胃をお持ちなのだ。
 雪乃とナルキーサスが改めて並んでソファに座り、海斗も空いている席に座った。

「はっ、それよりキース……本当に離縁するのか……?」

「ああ。やっと子爵が離縁に頷いてくれたのでな。これで彼も前を向いて生きて行けるだろう。今は……庭の草を見ているようだがな」

 そういってナルキーサスは肩をすくめた。

「なぜ、庭の草を?」

「今回の一件にはカロリーナ小隊長がかかわっているのですが、小隊長が『落ち込んでいる時にひとりでいるのはよくない』と言って、談話室か庭にいるように言ったんですよ。それでぼーっとしていてあれこれ考えてしまうのがいやなら、無心で庭の草をむしるように助言をしたそうで……」

「なるほど」

 真尋は、レベリオのあまりの優柔不断っぷりにキレたカロリーナにレベリオが担がれてやってきて、ナルキーサスとの離縁が決まり落ち込みに落ち込んで担がれて帰ったという事実は伏せておくことにした。

「あそこは庭も談話室も誰かどうかいて、面倒をみてくれますから、今はあそこに置いておくのが一番ですよ」

「そ、そうか……双方合意、なんだな?」

「ああ、私から申し出て、子爵は頷いてくれたよ」

 ナルキーサスが答える。
 夫婦のあれこれに口をはさむのは、後々面倒なので真尋や雪乃も黙って見守ったが、確かに一度、別居などではなく、離縁という社会的な形でもってナルキーサスから完ぺきに離れることがレベリオには必要に思えた。

「そうか……いや、なんとなく私個人としては、離縁となるかな、とは思っていたんだが、そうか」

「なるべくしてなっただけだ。私たち夫婦にとってはお互いに必要な決断だったと思っている」

 ナルキーサスの言葉にウィルフレッドは「そうか」とまた一言つぶやいた。

「…………だがあの、まさか……兄上も、離縁、とかは」

 青白い顔でウィルフレッドが言った。
 とはいえ、その問いに誰も答えを持つものはない。ますますウィルフレッドの顔から血の気が失せる。
 それもそうだろう。レベリオの離縁で一番問題だったのはナルキーサスという優秀な魔導師の進退だ。だが、真尋一家の主治癒術師としてブランレトゥに残ってくれるならば、彼らが望む形をとるのが一番だ。
 だが、領主夫妻の離縁問題は領地全体の問題と言っても過言ではない。

「…………そういえば、義姉上は?」

「アマーリア様は、うちの子たちにお洋服を作ると張り切って、お部屋で作業しておられますわ」

 そうなのだ。双子の可愛さに創作意欲を刺激されたらしいアマーリアは、雪乃と真尋を驚かせたいといって、この間の収穫祭に着るのとは別の服を自室でせっせと作っているらしい。

「……そ、そうか」

「問題は、ジークが領地視察と言って逃げ回っていることですかね」

 現在、ポチはこちらにいるので自力で移動しているわけだが、エルフ族の里近辺の町や村を見て回っているらしい。

「こ、困るんだ。あの二人に離縁をされると……」

 だろうなぁ、とそれは真尋でさえ想像できる。
 それでなくとも主権争いでぐらぐらだった辺境伯家だ。せっかく落ち着きを見せ始めたというのに、中立の立場であるアマーリアがいなくなれば、再びジークフリートの正妻の座を巡って争いが起きかねないし、そうなると正式な後継であるレオンハルトの身は、邪魔以外のなにものでもなくなりさらに危険にさらされることになる。

「そもそも、閣下の兄上夫婦はなぜそんなにこじれているんですか?」

「分からない。私もあれこれ考えてみたんだが……気づいたらああだった。だが、子どもまで設けているし、徹底的な不仲というわけではないと思っていたんだが、どうしてか兄上が義姉上を避けているんだ」

「……俺も聞いてはみたんですが、口を濁すばかりで」

「そうそう。土下座する意思はあるみたいなんだけどね」

 真尋の言葉を引き継ぐようにして海斗が言った。

「私もアマーリア様に聞いたのですが、初めての夜会で失敗をして以来、避けられている、としか」

「初めての夜会……ああ、伯爵夫人に義姉上がワインをかけてしまったやつか。だがあれも、優しい方だったから大した問題にはならなかったはずなんだがなぁ」

「私にも心当たりはない。まあ、それほど親交があったわけでもないしな」

 ナルキーサスも首を傾げる。

「神父殿、まだ全快でないのは分かるが、なにとぞ、なにとぞ……あの二人だけは、なんとか……っ!」

 知らんと言いたい真尋であったが、怪我を詐称している上、青い顔をしているウィルフレッドを無碍にはしづらかった。その上、彼は今、最も優秀な首席事務官のレベリオに休みを出している。彼がいないことは、ウィルフレッドにとって仕事をする上で大きな損害だろう。こころなしか、いや、確実に最後にあった時よりやつれている。

「そうですね。レオンハルト様やシルヴィア様のためにも……とりあえず、もう二、三日したら場所を特定して、海斗に迎えに行ってもらう予定です」

「そうそう。俺も相談に乗るって約束しちゃったしね」

 海斗の言葉にウィルフレッドが顔を輝かせる。

「パパ、ヴィーちゃんのママは、ヴィーちゃんのパパとけんかしてるの?」

 ミアが首を傾げる。

「ああ。そうみたいだ」

「ヴィーちゃんのパパ、ごめんなさいっていえないのかな? ミアいっしょにいってあげようか?」

「……ミ、ミア嬢は、ほ、ほんとに、いいこだなぁ……っ!」

「ほ、ほら団長さん、俺がココア淹れてあげるよ、ね、今日はせめて昼ご飯は食べて行ったら? 母様の作ってくれるごはん、おいしいよ」

 両手で顔を覆ってしまったウィルフレッドをサヴィラが一生懸命、慰め始める。
 さすがの真尋もなんだか可哀そうだな、と思わないでもない。だが彼にしてみれば兄夫婦(と乳兄弟夫婦)の不仲なんて、とばっちりもいいところだろう。

「そうですわ。おいしいお味噌汁を作りますからね、ね?」

 雪乃まで慰め始め、ウィルフレッドはか細い声でお礼を言った。

「……閣下はどれほど滞在予定で?」

「今夜まではいるつもりだ。実はポチ殿には近くの森に降りてもらい、そこから馬で来たんだ」

「でしたら、まあ、見ての通り、それなりに元気なので手伝える部分は手伝いますよ、何かあ」

「いいのか!? ありがとう、ありがとう神父殿!!」

 真尋の言葉を途中で遮ってウィルフレッドが半泣きの顔を輝かせた。
 なんだか本当に可哀そうだな、と真尋のなけなしの良心が痛む。

「俺もよければ手伝うよ。今日は、勉強くらいしかすることないし」

 海斗もそう告げる。

「じゃ、じゃあ、神父殿の体調もあるし、少しだけ、シケット村の報告書の確認と警備計画書の見直しを頼んでもいいだろうか? 神父殿の意見も聞きたくて……カイト神父殿は、このカイト神父殿が同行したエルフ族の里の報告書について詳しく聞きたいんだ」

「ええ、それくらいなら」

「俺も大丈夫だよ。俺、日記をつけていたんだけど、馬車の中の部屋にあるから持ってくるよ」

 ウィルフレッドが何度もお礼を言いながら、アイテムボックスから取り出した書類の分厚い束を手渡してくる。海斗は日記をとりにリビングを出て行く。
 サヴィラの視線が痛いが、ミアは真尋が元気になると仕事に行ってしまうのを理解しているため、真尋の隣にぴったりくっついている。

「パパ……またおしごといっちゃうの?」

「行かん。ここで少し、これを読むだけだ」

「ミアもここにいていい?」

「ああ」

「すまないな、ミア嬢。少しだけパパを貸してくれ……ところで、義姉上に挨拶に行ってもいいだうか?」

「もちろん。ヴァイパー、案内を頼む」

「かしこまりました」

 紅茶を出した後、入り口に控えていたヴァイパーがこちらにやってくる。

「閣下、紹介がまだでしたね。新しく我が家で雇うことになったフットマンのヴァイパーです。アゼルの甥にあたるんですよ。ヴァイパー、彼はクラージュ騎士団の団長閣下だ」

「ウィルフレッドという。アゼル五級騎士の……あまり似ていないな?」

「私は父親似なので、母は叔父と同じ鼬系の獣人族です。アマーリア様はお部屋にいらっしゃいますので、ご案内いたします」

「ありがとう。それでは一度、失礼する」

 そう告げてウィルフレッドが去っていく。サヴィラが「ココア淹れておくね」と声をかけて同じく部屋を出てキッチンのほうへと行った。

「大丈夫かしら、団長さん」

「……なんだか私も申し訳ないな」

 雪乃とナルキーサスが、腕の中の双子をあやしながら言った。

「ユキノ、何かこう、元気の出るものを食べさせてやってくれ」

「そうね」

「だが、あの調子だとまだ胃が痛いんだろうな……消化が良くて優しい感じのやつにしてやってくれ」

 ナルキーサスの言葉に雪乃が「そうねぇ」と頭を悩ませる。

「……なら、お雑炊とかがいいかしら。お味噌汁がお好きだから、おじやでもいいし……真尋さん、子どもたちをお願いね。ちょっと材料の確認をしてくるわ」

 そういって雪乃は、真尋の腰かけるベッドに真咲を寝かせるとキッチンへ行った。

「……特別にこの私が胃薬でも煎じてやるか」

 さすがのナルキーサスもウィルフレッドのやつれ具合に思うところがあるようで、真智を真咲の隣に寝かせると治療室へとリビングを後にする。
 真尋はミアを膝にのせて、魔法で浮かせた書類を確認していく。時折、右手は犠牲になっているので左手でペンを走らせ、ミアと雑談しながら仕事を進める。

「パパ、これむずかしいね」

「そうだな。さすがにミアにはまだ早い」

「サヴィならわかる?」

「サヴィラなら、説明すればわかるだろうな」

「ふふっ、サヴィすごいねえ」

 自分のことのように嬉しそうに笑う娘のなんと可愛いことか。
 元気になって仕事に復帰したら、騎士団に行く時も膝の上に載せるために連れて行こうか、と割と真剣に悩みながらミアの頭を撫でる。
 しかし、六歳児には退屈な書類にミアは途中で膝を下りると、隣にいる双子のそばに行ってしまった。
 だが「えほんよんであげるね」と、とても簡単な言葉で、ミアが最近読めるようになった絵本を寝室から持ってくると読み聞かせを始めた。娘の愛らしい朗読を聞きながら、真尋もさっさと書類を片付けるべく手と頭を動かすのだった。








「レオンもヴィーも楽しそうだ」

 ウィルフレッドのしみじみとした言葉に真尋は書類から顔を上げる。
 リビングで仕事をしていたら機密情報もあったものじゃないわ、と雪乃に怒られたので、真尋たちは庭にいた。穏やかな秋の日差しが降り注ぐそこに園田が作った布と棒の簡易のテントの下で真尋と海斗、ウィルフレッドとで仕事をこなしていた。
 そして、庭では子どもたちが鬼ごっこをして遊んでいるのである。ちなみに鬼ごっこは真尋が教えた日本の遊びだ。王国に鬼という生き物はいないが、とりあえず追いかけまわす役の名称が鬼だと子どもたちは思っている。ルールが単純なので、割と好評である。
 レオンハルトもシルヴィアもこちらに来てからは、外で遊ぶときは庶民が着るような木綿の服を着ている。アマーリアがサヴィラにすすめられて作ったものだ。汚れるのを気にしなくていいとあって、もともと活動的であった二人はより元気に飛び回っている。
 
「まあ、元気ですよ。一日中、何かどうかして遊んでいます」

「そうか……。城にいるときは、勉強やレッスンばかりだった上、同年代の子どもがお互いしかいなかったからな。……その不自由に文句を言うような子たちではなかったが」

 ウィルフレッドが優しく目を細める。

「やはりああして、同年代の子どもたちと触れ合うことは大事だよな。私もアルトゥロや使用人の子どもたちと庭で遊んだものだ。二人のこんなにも生き生きした顔を見られるとは、予想外の産物だ」

 レオンハルトがジョンに抱き着き、鬼がジョンになったようだ。ジョンが十秒数えてから走り出す。
 ふと見れば、雪乃とアマーリアがそれぞれ赤ん坊を抱えて庭へと出てきた。園田とヴァイパーが二人に日傘をさしかけ、リリーとアイリスが椅子の支度をする。午後の日光浴に来たようだ。

「……ところで、なんで赤ん坊に? 二人はジョンと同い年だっただろう?」

 ウィルフレッドが振り返る。

「まあ、色々とありまして……閣下にはお話してもいいと思っているのですが、閣下の胃は大丈夫ですか? もしあれなら、領主夫妻のあれこれがせめて解決したら、領主様含めて一緒に話そうかと考えていたのですが……」

 真尋の提案に、昼食の席で味噌汁を半泣きですすっていたウィルフレッドは自分の胃のあたりをなでた。

「何か、その、悪意あってとかではないのか? 呪いとか……」

「そういうことではありません。奇跡と愛情の賜物、が妥当な表現かと。あの子たちが……本来望んでいた通り、私と雪乃の息子として育てようと思っておりますし、クロードが来てくれて、すでにそのように手続きをしました」

「そうか。いや、悪いものでなければいいんだ。……そうだな、話は兄上と一緒に聞かせてもらいたい。私も、自分の胃にたまには優しくしてやってもいいと思うんだ」

「そうだね。自分に優しくするのも時には大事だよ」

 憐みの眼差しを浮かべながら海斗が言った。
 ウィルフレッドが「ありがとう」と返す。

「そういえば、リックとエディは? エディはイチロ見習い神父殿と一緒か?」

「いえ、色々と用事を言いつけてありまして、グラウの町のほうに」

 例の四級騎士のあれこれについて話そうとも思ったが、もっときちんと確証と資料をそろえてからのほうがいい。なにせ彼は騎士団のトップなのであるからして、早々とここで彼を使うのは勿体ないというものだ。

「そもそも……お前の弟は何しに行ったんだ?」

 正直なところ、真尋も一路が何をしに行ったのかは知らず、海斗に尋ねる。

「ああ、一路ならレーズンパンをリックの実家に頼みに行ったんだよ。どうしても食べたかったみたいで。ティナは、温室に用事があったみたいだけど」

「ご執心だな、レーズンに」

「弟があれだけ気に入るんだから、あれは人気商品になるよ」

 そういって海斗はけらけら笑った。

「レーズン……?」

 ウィルフレッドが首を傾げる。

「アゼルの故郷のシケット村の特産品です。ワインの陰に隠れてしまっていますが、大粒で美味しいのですよ。夕食のときにワインのあてにでもお出ししましょう」

「それは楽しみだ」

 ウィルフレッドが嬉しそうに顔を綻ばせた。
 それから三人は黙々と手を動かし、時折、意見を交わし合いながら仕事を進めた。シケット村からの報告書は、真尋も寝込んでいたため未確認の部分があり、改めて被害の大きさを実感する。

「カースバットの毒を浄化できたのは、本当に大きい。本来、あれはベテランと呼ばれるCランクかBランク以上の冒険者が相手にするのが好ましい魔獣だからな。あれの血がまき散らされると、その毒で向こう二十年は草木が育たなくなるんだ」

「そうみたいだね。村長さんも同じことを言っていたよ。とはいえ、あの時は無我夢中で退治していたのだから、しょうがないと言えばしょうがないんだろうけれどね。むしろ、死者が出なかったことが奇跡だよ」

 ウィルフレッドの言葉に海斗が続き、その言葉に真尋たちも頷く。
 本当にタイミングよく真尋たちがあそこに訪れることができたのだ。

「生活を最低限保証する程度は、予算を出して、見舞金を贈ったほうがいいでしょうね。最も被害の大きな家は、生活の糧である葡萄畑の半分以上を失っています。植え付けから収穫までの周期が短い野菜と違い、果樹である葡萄は再び植えて、収穫が安定するには五年はかかりますからね」

「そうだな。だが、こればかりは私ではなく、兄上の領分だからな。……兄上は、いつ帰ってくるんだろうか」

「もう三日ほど泳がせたら、海斗を送り込んで連れ戻しますよ。収穫祭も始まりますしね」

「だが、居場所は? 兄上はあちら側の周辺を回っているんだろう?」

「クイリーンがそばにいて逐一、報告をくれているので場所は分かっています。超速達便でのやりとりなので、時差もそれほどないですしね」

「な、なるほど」

「それに俺も相談に乗るって約束しちゃったしね。でも、双子のことで急遽、こっちに戻ったから話す余裕がなくてさ。約束は守らないとね」

「ありがとう。カイト神父殿」

 ウィルフレッドがほっとしたように目じりを下げた。

「私も兄上も、まさか健康そのものだったセオフィラス兄上が亡くなるなんて考えたこともなかったんだ。兄上は騎士として、私は東の隣国で和平のために生きていくのだと思って育った。だが……突然、セオフィラス兄上は事故で帰らぬ人となった。繰り上げで兄上は領主に私は騎士団長に。予想外過ぎて、当時は本当に大変だった。セオフィラス兄上と私たち兄弟が異母兄弟なのは知っているだろう? 私たちの母と彼の母では王国内における派閥が違ってね。領主家は基本的にはセオフィラス兄上側の人間ばかりだった。だから……誰を信じていいかも分からなくてね」

 彼の顔に苦い笑みが浮かぶ。

「それでも私も……兄上も必死になんとか体裁を取り繕ってここまでやってきた。私はともかく、兄上の心労はいかばかりだろう。とくに領主家の中がゴタゴタしていて、本当に、本当に大変だったと思う。だから、マヒロ神父殿と気安く話す兄上を見た時は嬉しかったよ。彼にも私やレベリオ兄弟以外で信頼できる人ができたのだ、と」

 真尋は「光栄なことです」とだけ返した。

「だんだんと領主家は安定を見せ始めている。だからこそ、義姉上とも仲良くやってほしいんだ。あの子たちのためにも」

 ウィルフレッドがテントの外に顔を向ける。
 子どもたちは、芝生の上に寝ころんで休憩をしているようだ。

「あなた」

 雪乃が真智を抱えてこちらにやってきた。

「どうかしたか?」

「ちょっと見ていてちょうだいな。あの子たちの着替えを出してこようと思って。もう芝生まみれなんだもの。汗もたっぷりかいている様子だし、遊び終わったら温泉に直行してもらうわ」

 ふふっと雪乃がどことなく嬉しそうに笑う。子どもたちが元気で飛び回っているのは、確かに親としてはこの上なく喜ばしいことだ。

「雪乃、俺が抱いてるよ。真尋はまだ右腕が動かないしね」

 そういって立ち上がった海斗が真智をさらっていく。
 雪乃が「お願いね」と笑ってテントを出て行き、園田とともに家の中に入っていく。

「もともと似ていた兄弟だから、神父殿の子どもと言われても違和感がないな」

 ウィルフレッドが海斗の腕の中をのぞき込んで言った。

「確かにね。でも真尋と違って可愛いけどね」

「ははっ、それは確かに。……私も抱っこしていいだろうか」

 なかなか真尋に失礼なやり取りの後、ウィルフレッドの申し出に真尋が「どうぞ」と頷くと存外、慣れた手つきで真智を抱いた。彼は騎士として大柄なので、真智が余計に小さく見える。

「可愛いな。レオンたちが小さかったころを思い出すよ。私も婚約者殿との間に、いずれ子どもが持てるだろうか。こればかりは天からの贈り物だから分からないが……」

「団長さん、婚約者がいるんだ」

 海斗が驚いたように言った。

「ああ。私の父と彼女の父が決めた結婚だ。貴族としては成人しているが、年齢的にはまだ未成年で、彼女が十八になったら結婚するつもりだ。彼女は王都より西に住んでいるので、会ったことは二度しかないのだが、素敵な人だよ。基本的には手紙でやりとりをしているんだ。こんな年の離れたおじさんで申し訳ないが、彼女は責任感のある人で『貴族としての責務です。それにあなたは人として信頼できます』と言ってくれる。だからこんな遠くに嫁いできてくれる彼女を尊重して、家庭を築けたらと思っているよ」

「……ジークに団長閣下の爪の垢を煎じて飲ませればいいのでは?」

 割と真剣に言い放った真尋の言葉にウィルフレッドはなんとも言えない顔をした。
 そして、ウィルフレッドはこの後、仕事をなんとか片づけ、雪乃お手製の夕食を食べ、温泉を堪能するとポチとともにブランレトゥへと帰っていったのだった。


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