歌う小鳥と魔獣騎士 ~いらないと言われた私が幸せになるまで~

春志乃

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第4話 その背を見送る

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 開け放した窓から、美しい歌声が夜風に乗って届く。
 その歌声は、ロナルドの体の中に染み込んで穏やかに魔力を整えてくれる。
 今夜の歌声は、竪琴の演奏も追加されていて、月の明るい晩に可愛らしい子ウサギが妖精と戯れる様子を軽やかに奏でていた。
 歌はあっという間に終わってしまった。だが彼女の声はまだ聞こえてくるが、これは歌というより声出しの練習のようだ。

「演奏も出来るのですなぁ」

 向かいのソファに座ったアランが感心したように言った。

「知らなかったのか?」

「ええ。クラリスの部屋は屋根裏ですから、夜は近づくことはありませんし、昼は私たちもあの子も仕事中ですからね」

「それもそうか」

 アランやモニカの知らなかったクラリスの一面を自分が最初に知ったことに喜ぶ心を抑えながら、酒のグラスを傾ける。

「それで、私をお呼びしたのは何の御用でしょう」

 寝酒を届けに来てくれたアランが部屋に来て間もなく、クラリスの歌声が聞こえてきたので、肝心の話ができていなかった。

「俺の病気に関することだ。悪くなったとか、そういうことではなく今後のことだな」

「はい」

 一瞬、心配そうな顔をしたアランは、付け足した言葉にほっと表情を緩めた。
 離れで乳母として四六時中そばにいてくれたモニカと違い、家令として本邸で忙しくしていたアランとは、週に一、二度しか会えなかった。それでも、アランも目一杯の愛情を注いでくれ、ロナルドにとってはモニカと並んで間違いなく父親のように慕う人だ。

「今夜もクラリスのおかげでこうして、アランと面と向かって話ができているし、モニカの料理もたくさん食べられた」

「モニカもとても喜んでいましたよ」

「そうだな。俺も嬉しいよ。……だが、まだクラリスの力は、俺の病と同じように分からない部分が多すぎる。それにクラリスは何の力も持たない女性だ。だから、公表はもう少し先に、そして当面はヴィムが作った新薬でよくなったということにしておく」

「ヴィム先生はなんと?」

「ヴィムが言い出したんだ。夕方、様子を診に来てくれた時に提案された。これまで俺はあまり人と会うことができず、常に扉越しだ。俺の姿を見られるのは、討伐中か、その直後のみ。魔獣のようだと揶揄されるのも致し方ないほどの生活だった。生まれた家の位の高さと、このひたすらに強い魔力のおかげで第二師団長にまで上り詰めたようなものだ」

「いえ、それは違います。ロナルド様の努力あってこそ、今の地位があるのです」

 あまりにアランがきっぱりと言うものだから、ロナルドは返す言葉をすぐに見つけられなかった。

「謙虚であることは確かに大切ですが、必要以上に卑屈であることは貴方を慕い尊敬するコーディ様たちを馬鹿にするのと同じことですよ」

 たれ目の優しい茶色の瞳は、静かにロナルドを諭す。

「……そうだな。すまない」

「クラリスのおかげでこれからは人と関わることも増えましょう。まずは堂々としていることを目標にしてくださいね」

「ああ」

 家令として優秀なアランは、両親に見放されろくに教育を受けさせてもらえなかったロナルドに貴族としての在り方を教えてくれた人でもあるのだ。

「……でも、ロナルド様がお元気になられることは、私にとってもモニカやヴィム先生にとっても大変、喜ばしいことですが……。あの方たちが何を言い出すかは頭が痛いですね」

 アランが溜息を零す。
 あの方たち、とはロナルドが出世した途端に縁談を持ち込んでくる両親のことだ。

「おそらく、これまでよりも強く縁談を後押ししてくるだろうと思う」

「そうでしょうとも。もともと仕えていた主のことを悪し様に言いたくはありませんが、あまりに利己的な行いでございます。恐ろしいなんて馬鹿みたいな理由でロナルド様を放り出したというのに……」

「それはいいんだ。おかげでモニカやアランと穏やかな時間を過ごせた。それに兄上や姉上は、陰ながら優しくしてくれていた」

 ロナルドには、双子の兄と姉がいる。五つ年上の二人は、既に結婚して子どももいる。子どもは大人より魔力の影響を受けやすいため、万が一があってはならぬと会ったことはないが甥が三人に姪が二人、ロナルドにはいるのだ。
 兄姉に悪影響があってはいけないからと隔離されていたロナルドだったが、兄と姉は両親の目を盗んでこっそりと会いに来てくれて、モニカ立ち合いのもと、交流を重ねていた。

「なかなか父上が爵位を兄上に譲らないので、兄上も焦れているようだ。俺としても兄上が当主になってくださればとは思っているのだが」

「おそらく奥様が阻止されておられるのですよ。あの方は、社交界が大好きですから、隠居して表舞台から身を引くなど考えられぬのです」

 はぁ、と溜息交じりにアランが告げる。
 エアフォルク王国では、爵位は男しか継げない。だが、ロナルドの実家であるフェアクロフ侯爵家には、娘が二人生まれただけで男児に恵まれなかった。そこで上の娘――ロナルドの母・イライザにあてがわれたのが傍系の伯爵家の次男だった父――ゲイリーだ。
 侯爵家当主でありながらも婿という立場の父は母に逆らうことはできず、侯爵としての仕事はきっちりしているが、家の中のことは全て母の言いなりなのだ。

「先代ご夫妻様は、穏やかで威厳ある方。妹のフィリス様も聡明な方でしたのに……どうしてイライザ様だけああなってしまったのか。当時から先代様も私ども使用人も手を焼いていたのですが……」

 母方の祖父母は、ロナルドが生まれる二年前に流行り病であっけなくこの世を去ってしまったので、会ったことはない。だが、二人に仕えていたアランが、よく祖父母の話をしてくれた。

「時にそういうものが生まれる時もある。俺も母上のことは、あまり得意ではないが……彼女にクラリスのことを知られるのが一番恐ろしい。この家のことは貧乏人の象徴のようで近寄りたくないと言っていたので来ないとは思うが……万が一にもあの人が来たらクラリスは隠してくれ」

「かしこまりました。モニカに共有してもよろしいですか?」

「もちろんだ。ただクラリスには、できればこう……時が来たらでいいので絹のハンカチに包んで伝えてほしい。いたずらに怯えさせたくはない」

「もちろんでございます」

「では、頼む」

 会話が途切れたところで、クラリスの発声練習も終わったようだ。

「……ピアノがあればいいのだけれどね」

 無駄に耳がいいので、彼女の話し声も聞き取れた。

「ちゅん?」

「お母さんがね、たくさんの楽器の弾き方を教えてくれたの。私は竪琴とピアノ、笛も好きだったけど、ヴァイオリンとかリュートは苦手だったわ。弦を押さえるのが下手なの。笛の小さな穴は押さえられるのに、不思議よね」

 どうやら小鳥を相手に喋っているようだ。

「ちゅんちゅん!」

「歌の練習はおしまいよ。あんまり根を詰めすぎると喉を傷めてしまうから、少しずつ、しないといけないの。私も鼻歌はともかく、ここ数年、まともに歌ってなんか来なかったから……」

 なんだか寂しそうに聞こえる。
 歌うことは多くの鳥人族にとっては本能的なことだ。鳥が囀りで交流しながら仲間と暮らし、時に求愛するという種としての本能が残っているのだ。

「ちゅんちゅちゅちゅーん」

「ふふっ、あなたもお歌が上手なのね。さあ、今夜はもう寝ないと、明日の朝も早いんだから。あ、こら、だめよ」

 だが、その言葉を最後に窓が閉められたのか彼女の声は聞こえなくなった。

「誰と話していたのでしょうかね。あまり聞こえませんでしたが、会話のような……」

 アランが首を傾げた。

「小鳥だよ。アランが庭に作った巣箱に住んでいるようだぞ」

「ああ、あの子ですか。ここへ越してきて間もなく作った巣箱なのですが、設置してわりとすぐに住み着いたのですよ」

「そうなのか」

「ちゅんちゅんと可愛らしい声で鳴くのですよ」

 アランがにこにこしながら言った。

「そうか。……ところでクラリスの素性で何か新しく分かったことはあるか?」

「新しく……そうですね、今朝、歌を披露してくれた後、歌は母親から教わったものだと言っていましたよ。それにモニカが聞いた話だと、幼い頃は母親と二人暮らしをしていたそうです」

「母親と二人で、か……。実は俺のほうでも調べているのだが、あの事故現場に居合わせる直前、八百屋で商業ギルドへの道を聞いたこと以外の情報がさっぱりなんだ」

「私も古い伝手でそれとなく調べてみたのですが、なんの収穫も。本当にどこから来たのでしょうか。モニカは、可愛い小鳥が空の上にあるという女神様のお庭から遊びに降りてきたんじゃないか、と言っているんです。……実は私もその説を押していまして」

 これは冗談なのだろうか、と思うが、アランの目が割と本気だった。

「そ、そうか。まあ、可憐な娘だものな」

 ロナルドは、出迎えてくれた時、うっかり見つめすぎて真っ赤になってしまったクラリスを思い出し、また頬が熱くなる。
 すると鋭い視線、いや、殺気を感じて目を向ければ、アランがロナルドを睨んでいた。

「手を出したら怒りますよ」

「な、なにを言い出すんだ!」

 思わず大きな声が出てしまうが、アランはロナルドを睨むのを止めない。
 帰って来てクラリスの顔を見た時、ロナルドはまた心臓の異変に襲われたのだ。コーディはそれでも病気ではないというのだが、やはりまたヴィムに相談すべきだとロナルドは思っている。

「クラリスは、例えロナルド様であろうと簡単には嫁にやりませんよ!!」

「なな、な、なんの話だ……!!」

「クラリスは、私とモニカにとって待望の娘!! 実の息子たちはどういうわけがゴリゴリの筋肉紳士……っ!! 可愛い可愛いクラリスを早々嫁にはやりませんからね……!!」

「だ、だから! なんの話なんだ!!」

「まさかの無自覚ですか!? だったら私は絶対に言いません!!」

 真っ赤な顔のままロナルドは言い返すが、アランはなんにも聞いていなかった。
 延々とクラリスがいかに良い子で可愛くて、モニカは妻として素晴らしく愛しい存在だと語り始めたアランに口をはさむ隙はなかった。
 その後、一向に戻ってこない夫を心配したモニカが「あら、この人、お酒の匂いでも酔っぱらうんですよ」と呆れたように告げた言葉に、ロナルドは脱力してしまった。

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