歌う小鳥と魔獣騎士 ~いらないと言われた私が幸せになるまで~

春志乃

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第6話 吐露する想い

6-4

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※本日は1日2回更新です。
 19時に最終話を更新予定です。


「おかえりなさい、ロナルド様、クラリス」

「おかえりなさい。楽しかったですか?」

 屋敷に到着するとモニカとアランがクラリスたちを笑顔で出迎えてくれた。

「あら、シエルも一緒に行っていたの?」

 モニカがクラリスの肩の上にいるシエルに気づいて首を傾げた。

「追いかけてきてくれたんです」

「まあまあ、シエルはクラリスが大好きなのね」

 モニカの言葉にシエルが「ちゅん!」と誇らしげに鳴いた。
 玄関で立ち話ではもったいないし、夕食にも時間があるので談話室で話をしましょうと誘われて移動する。
 クラリスはいつも通り、モニカとアランの間に座り、ロナルドは向かいのソファに腰かけ、シエルはロナルドの膝の上に降り立った。

「シエル、だめよ、こっちに……」

「君が良ければこのままで。シエルは可愛いからな」

 ロナルドがそう言うので、クラリスは呼び戻すのを止めた。もともとロナルドには懐いていたが、今日一日でシエルはより一層懐いたようだ。

「クラリス、お出かけはどうだった?」

「とても楽しかったです。動く銅像がいたんですよ」

「大道芸の方ね?」

「はい。ロナルド様が教えてくださって、いきなり動いてとても驚きました」

「ふふっ、何かのお祭りが近くなったら一緒に行きましょう? もっとたくさんの大道芸人の方々がいるのよ」

「はい、楽しみです」

 ロナルドに自分の出生のことを話すこともできて、その上で「必要な人」と肯定してもらえて、クラリスは自分でも驚くほど心が軽くなったのを感じていた。
 でも、だからこそきちんとしなければ、とクラリスは顔を上げた。

「モニカさん、アランさん」

 突然、強張ったクラリスの声に二人が「どうしたの」と顔をこちらに向けてくれた。

「お、お二人にもきちんとお話をしておきたくて……私の、こと」

 毅然と言い切るつもりだったのに語尾が震えてしまった。
 それでもモニカとアランの目を順番に見つめてクラリスは先を続けた。ロナルドが心配そうにこちらを見ている。

「……母は身分ある方の愛人でした。私は、望まれて生まれてきたのかも分かりません。でも、誰かを傷つけて生まれてきたことは事実です。私は不義の子で……いらない子でした」

 母にも伯爵夫人にも真意を尋ねたことは一度だってない。でも、伯爵夫人は――ミランダは、間違いなくクラリスの存在に、母の存在に傷ついていた。

「み、身勝手なのは、分かっているんです。私みたいな人間が、本当は望んではいけないということも分かっています。……でも、私は、モニカさんとアランさんが好きです。……だから、だから……ここに、いても……いい、でしょうか……っ」

 みっともなく震えて、弱弱しく小さくなっていく声にだんだんと顔も勝手に俯いていってしまった。
 ぱたぱたと羽音がして、シエルが膝の上で握りしめられたクラリスの手の上に降り立った。

「ちゅんちゅん」

 まるで「大丈夫だよ」とでもいうようにクラリスの手の上でぴょんぴょんと跳ねた。

「わたしもね、クラリスが大好きですよ」

「私のほうが大好きですよ」

 まるで夜明けを報せるような言葉に顔を上げると、なぜかアランとモニカはにらみ合っていた。

「あなた、どうしてそう余計な一言を……!」

「事実だからですよ!」

「でしたら言いますけど、わたしのほうがクラリスを大好きですからね!」

「何をいいますか、私のほうが大好きに決まっているでしょう!」

 予想の斜め上をいく喧嘩の内容に、クラリスはぽかんと口を開けたまま二人を交互に見た。モニカとアランは、自分のほうがクラリスが大好きだ、と言って両者ともに譲らない。
 喧嘩だから止めなければと思うのに、ぽんぽんと飛び出す「大好き」という言葉にクラリスは思わずにこにこしてしまう。
 するとロナルドの紫色の瞳と目が合った。

「よかったな」

 彼が笑いながら言った言葉に、クラリスは「はい」と笑顔で頷いた。
 だが、両隣の喧嘩が一向に終わらない。
 今は「わたし・私が経験した、クラリスの可愛いところ」をどっちが知っているかという争いになっている。寝起きのぽやぽやしたところ、とか、好物を食べた時にふにゃんとした顔で頬を押さえているところ、とか、ちょっとクラリスも聞くのが恥ずかしくなってきて、ぱたぱたと手で顔を仰いだ。
 ロナルドが止めてくれないかと彼に視線を向けると、なぜかとても真剣な顔で二人の喧嘩を聞いていて、助けてくれそうにはなかった。

「シエル、どうしたらいいかしら」

 膝の上のシエルに相談すると、シエルは「ちゅんちゅちゅん」と軽やかに囀った。

「そうね、それがいいかもしれないわ」

 クラリスは、ふふっと笑って頷き、深呼吸を一つしてから、息を吸い軽やかに歌いだす。
 クラリスが歌い始めるとモニカとアランは、ぴたりと口を閉じ、ロナルドは目を閉じてクラリスの歌に聞き入ってくれているようだった。
 この胸にあふれる喜びが伝わりますように、と願いながら、とびきり楽しくて、軽やかな船乗りの歌を歌った。
 長い船旅を終えて、ようやく祖国に戻り、家族に会える喜びを称えた歌だ。
 ここへ来られてよかった。あなたたちに出会えてよかった。ここに帰って来られる喜びが、どうかどうか伝わりますように、と想いを込めてクラリスは歌った。
 歌い終えて、ふうと息を吐く。

「やっぱりクラリスの歌は上手ですね」

「ええ、ええ。本当に」

 にこにこと笑うアランとモニカにクラリスは「ありがとうございます」と笑みを返す。

「魔力過多症云々を抜きにしても、やっぱり君の歌は心地よい。聞かせてくれてありがとう」

 ロナルドが拍手とともに賛辞を送ってくれて、モニカとアランも彼に倣って拍手をしてくれた。シエルが「ちゅんちゅーん!」と楽しそうに鳴く。

「クラリス、わたしの好きな『愛の願い』を歌ってくれるかしら」

「はい!」

 モニカからのリクエストに元気よく頷いて、クラリスは再び喉を震わせる。
 再び歌を与えてくれた彼らが、どうか幸せでありますようにと願いながら、クラリスは歌うのだった。




 夜の風がふわりと窓から入り込んできて、乾かしたばかりのクラリスの髪をふわりと揺らした。

「ちゅんちゅん」

 モニカがくれたいらないボウルをシエルの浴槽にしているので、そこで水浴びを済ませたシエルも夜風に心地よさそうに体を揺らす。
 クラリスはモニカが服を譲ってくれた時に一緒にくれた深い蒼色のショールを羽織り、窓辺へと足を向け、窓を閉める前に外へと顔を出す。
 夜空には無数の星が輝き、柔らかに吹く夜風が庭の木々の葉をたわむれに撫でていく。
 するとシエルが小さな翼を広げて飛び立つ。庭の巣箱に帰るのかと思ったがそのまま彼は斜め下へ下りて行き、シエルを追いかけた視線の先にロナルドがいた。

「やあ、シエル。夜の散歩か?」

 ロナルドが差し出した指にシエルが降り立った。シエルはちゅんちゅんとご機嫌に鳴いて、翼を広げ、再び飛び立ち、今度はクラリスの下へと戻って来る。
 するとロナルドがクラリスに気づいて、小さく手を挙げた。クラリスもショールを片手でおさえ、もう片方の手で小さく手を振り返した。

「クラリス、そちらへ行ってもいいだろうか?」

「はい」

 クラリスは頷き、夜は必ず鍵をかけること、とアランに言われているのでドアにかけた鍵を外さなければと気づく。
 だが、ロナルドはその場で欄干に足をかけて、飛び跳ね、屋根を掴むと腕の力でひょいと屋根の上に上り、こちらにやって来た。
 まさかの方法にクラリスは目を丸くする。

「クラリス、屋根に上ったことは?」

 クラリスは首を横に振った。
 すると「おいで。俺の手を両手で掴んで」と大きな手が差し出されて、言われた通りにその手を両手で掴めばいとも簡単に引っ張り上げられ、ロナルドに支えられながら屋根の上に座る。

「上、見てごらん」

「……っ!」

 言われるがまま、夜空を見上げて息を呑む。
 何も隔てるものがない夜空を見たのは初めてだった。空はいつも見上げるばかりのもので、ここから飛び降りるときだって、飛べないクラリスは着地するための地面を見ていて、上を向く余裕はなかった。
 隔てるものがない世界は、あまりに広くて、自分がとても小さい存在のように思えた。

「シエルは、こんな広いところを飛んでいるんですね」

「ああ」

「ちゅんちゅーん!」

 ロナルドとシエルが同時に頷いて、シエルが飛び立つ。月の灯りのおかげで、シエルがどこを飛んでいるかは見える。

「なあ、クラリス。何か歌ってくれないか?」

「どこかお加減が?」

 そのお願いにロナルドを振り返る。ロナルドは慌てて首を横に振る。

「違うよ、元気だ。……ただ、君の歌が聞きたいんだ。だめかな?」

「もちろん、大丈夫ですよ。何かリクエストはありますか?」

 クラリスが安堵に微笑むとロナルドも笑みを返してくれた。

「歌はあまり知らないんだ。でも、そうだな、何かこの夜に似合う歌がいいな」

「この夜に似合う歌……でしたら、これがいいかもしれません」

 クラリスは夜空を見上げて、息を吸う。
 ひとりぼっちだった女の子が月のお姫様に出会って、友達になり、夜空を旅する童謡。
 キラキラ輝く一番星に、かけっこが大好きな流れ星、おしゃべりが大好きな星たちに、星の子どもたちが眠る星色の雲。
 夜の空はどこまでも広くて、星たちはそれぞれが美しく輝く、素晴らしい世界。
 そこで女の子は気づくのだ。ひとりぼっちだと思っていた夜の世界に、こんなにもたくさんの星がいて、暗闇に飲み込まれないように輝く月が寄り添ってくれていること。
 優しく軽やかで、けれど、少し切ないメロディーにクラリスは歌声を乗せる。
 ここへ来る前は、この歌の意味なんて分からなくて、けれど、同じひとりぼっちの女の子が月のお姫様と旅をするのが羨ましかった。
 だってクラリスは、ひとりぼっちだったから。
 でも、今はひとりじゃない。クラリスを大切にしてくれる人が三人もいて、可愛い小鳥まで一緒だ。
 たったひとりの寂しい夜、母の部屋のクローゼットの中、膝を抱えていた小さな小さなクラリスを抱きしめるように歌う。
 もう大丈夫。寂しくないから、愛をくれる人がいるから。
 だからもう泣かないでとクラリスは、心の中で語り掛ける。

「あなたが寂しい夜はわたしがそばにいて あなたの幸せを願うわ……」

 歌い終えて、クラリスはふうと息を吐く。

「……やっぱり君の歌は素晴らしい」

 ぱちぱちと拍手とともにロナルドが贈ってくれた賛辞にクラリスは振り返り、会釈を返す。

「ありがとう、ございます」

 気恥ずかしさに少し詰まってしまったが、ロナルドは気にした様子もなく「本当に素晴らしいよ」と褒めてくれた。
「なあ、クラリス。お願いがあるんだが」

 もう一曲リクエストかしらと首を傾げながら「なんですか?」と先を促す。

「俺が家に帰ってきた日だけでいいんだが、こうして夜、話しをしたり、歌を聞かせてもらったりする時間が欲しいんだ。ここで」

「ここで、ですか?」

 話しや歌はともかくとして、指定された場所にクラリスは驚く。

「密室で話していると、未婚の男女がってモニカとアランが怒るだろう?」

 確かに年嵩のマナーの家庭教師がシェリーや、侍女として同じ部屋に控えていたクラリスたちに絶対に男性と密室で二人きりになってはいけませんと口を酸っぱくして言っていた。密室でたとえ何もなくても、証言する人がいなければ、何かあったと判断されて、お互いの瑕になりかねないからだと耳にタコができるほどだった。
 それに十五歳でシンディが社交界にデビューしてからは、ミランダがそれこそシンディに口うるさく注意していた。

「でも、ここは確実に密室ではない」

 悪戯を思いついた子どものような顔でロナルドがぴんと人差し指を立てる。

「ふふっ、そうですね。屋根の上ですもの」

「だんだん暖かくなっていく季節だし、俺は魔法は得意だから今も実は魔法を使っているんだ。寒くないだろう?」

 言われて初めてクラリスは、ちっとも寒くないことに気が付いた。そう言えば風さえも感じない。
 驚くクラリスにロナルドが喉を鳴らして笑った。

「空間魔法の一つで、俺と君を覆うように風の壁のようなものがあるんだ。風だから目に見えないけど、その壁の中なら心地よい温度にできるし、夜風も感じなくなる。それにいくら大声で話していても、外には聞こえないんだ」

「すごいです。そんな魔法があるのですね!」

 今度はクラリスが拍手を贈るとロナルドは照れくさそうに頬を指で掻いた。

「ありがとう。……それで、どうだろう、了承してくれるかい?」

「はい。私でよければ」

 クラリスの返事にロナルドがほっとしたように表情を緩めた。
 そして、おもむろにズボンのポケットに手を入れると何かを握った拳がクラリスに差し出された。

「手を」

 そう言われてクラリスが両手を差し出すと、ぽとんと何かが落ちてきた。
 暗くて良く見えず首を傾げるとロナルドが呪文を唱えて光の玉を出してくれた。

「髪飾り、ですか?」

 手のひらに落とされたのは、バレッタだった。
 銀色の雲を背に小さな青い小鳥が翼を広げている綺麗なバレッタだ。

「今日、あの雑貨屋で買ったんだ。本当はラッピングしてもらえればよかったんだが、時間がなくて、そのままで済まない。君が我が家に来てくれたお祝いだ」

「で、ですが……」

「気に入らなかったかい? 女性への贈り物はモニカを除くと初めてで……」

「いえ、シエルみたいで可愛いです!」

 しょぼんとしてしまったロナルドにクラリスは慌てて首を横に振った。

「良かった」

 するとロナルドがあまりにも嬉しそうに笑うので、クラリスは受け取れないなんて言えなくなってしまう。
 クラリスは改めてバレッタに視線を落とす。小鳥が本当にシエルにそっくりで、銀色の雲が浮かぶ空を飛んでいるかのようだ。

「ちゅん、ちゅーん」

 空を飛び回っていたシエルがクラリスの手のひらに降り立ち、不思議そうにバレッタをのぞき込む。

「……あまり難しく考えないでいいんだよ、与えられるものを受け取ったって、誰にも怒られないから」

 優しいその言葉にクラリスは、そっとバレッタを握りしめて顔を上げる。

「……でしたら、とてもとても嬉しいので、お礼にもう一曲、いかがですか?」

「それは嬉しいな、ぜひ」

 本当に楽しみだと言わんばかりに頷いたロナルドにクラリスは、バレッタを早速、髪につけた。シエルがロナルドの頭の上に移動する。

「うん、良く似合う」

 伸びてきた大きな手がクラリスの頬にかかった髪を耳にかけてくれた。その時、わずかに触れた彼の指先の熱を感じ取って、なんだか落ち着かない気持ちになる。

「お、お礼の歌、何がいいですか?」

 ざわめく心を誤魔化すように問いかける。

「じゃあ、もう一度、先ほどの歌を。とても気に入った」

「はい!」

 クラリスは元気よく頷いて、息を吸い、再び歌声を夜空に響かせた。
 ロナルドは隣に寝ころび頭の後ろで手を組んで目を閉じている。穏やかな表情を浮かべていて、クラリスの歌に聞き入ってくれているのが伝わって来る。
 さきほどは母の部屋のクローゼットの中にいた小さなクラリスに向けて歌った。
 だから今度は、たくさん辛い思いをしながらも、優しく真っすぐなままあってくれるロナルドのために、母親の言葉に傷ついて、モニカを傷つけてしまったことに恐怖し、誰かを傷つけてしまうこと怯える優しい彼を想って、クラリスは歌ったのだった。


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