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第5話 降り積もる愛
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しおりを挟む「お帰りになられましたよ!」
アランの声にクラリスはカトラリーを磨く手を止め、モニカとともにエントランスへ向かう。キッチン前の廊下で待機していたシエルとシュティーが後をついてくる。
「「おかえりなさいませ」」
「ああ、ただいま」
モニカと並んで頭を下げれば、丁度、アランが開けたドアからロナルドが入って来た。
ぱっと見た限りでは怪我をした様子もなく、顔色も良かった。今朝、現場から戻ったばかりだというから、少しだけ疲れが見え隠れしているが、無事に戻って来てくれたことに安堵する。
「今日はどれくらいいられるのですか?」
モニカの問いにロナルドは申し訳なさそうに口を開く。
「少し忙しくて、顔を見に来ただけなんだ」
ということは、食事はとらず、すぐに戻るということだろう。
「変わりはないか?」
「はい」
ロナルドの問いにアランが応える。
シエルが飛び立つとロナルドが指を差し出し、その上に着地する。
「シエルも元気そうだ。シュティーも」
「がう」
当たり前だろ、と言わんばかりにシュティーはそっけない返事をした。シエルが再び飛び立ち、ロナルドの肩に移動する。
「ロナルド様、そういうこともあるかと思って、サンドウィッチの仕度をしてあるんです。よろしければ、あとは挟むだけですから、お待ちくださいませんか?」
モニカの申し出にロナルドは少しだけ考えるようなそぶりを見せた後、頷いた。
「分かった。俺もモニカのサンドウィッチが食べたい。ただ、その間、少しクラリスを借りても? なんてことはない程度だが魔力がピリピリしているんだ」
「ええ、ええ、もちろんですとも。ほら、アラン、手伝ってちょうだい」
「いや、クラリスとロナルド様を二人きり、あ、待って! どこからそんな力が!」
モニカは「ほら急いで!」と言いながらアランの腕を掴んで引きずるようにしてキッチンへ行ってしまった。
本当にあの細腕のどこからとクラリスが驚いているとロナルドに名前を呼ばれて振り返る。
「クラリス、その、すまないが……」
「なんの歌がよろしいでしょうか?」
その返しにロナルドは緩く首を横に振った。
「君の歌も魅力的なんだが、今は話がしたい。庭を散歩しないか?」
「お散歩、ですか?」
「ああ。まあ、然程、歩き回るような広さの庭ではないが」
そう言ってロナルドが差し出す腕にクラリスは、少し悩んだ後、手を添えた。
そのままエスコートされて外へ出る。シュティーがのしのしと後をついてくる。
今日も爽やかな青空が広がっていて、日差しが眩しいくらいだ。
このお庭は、然程の広さはないけれど、アランが丁寧に手入れをしているので、いつでも季節の花が楽しめる。本当に小さな池があり、その淵でロナルドは足を止める。
小さな池の水中では、鮮やかな黄色とピンクの花が咲いている。水中で咲くアクアロトという花だ。
「クラリス」
「はい」
花に向けていた視線をロナルドへと向ける。
ロナルドはクラリスの視線を受け止めるとクラリスが彼の腕に掛けていた手を取った。自然と彼と向き合う形になる。
「……この間は、君を追い詰めてしまって、すまない。あんなことを言わせるつもりはなかった。君のこれまでの人生を思いやれていなかった」
頭を下げたロナルドにクラリスは慌てて首を横に振った。
「か、顔をあげてくださいませ。ロナルド様は何も悪くありません……っ」
「いいや。悪いのは君に惚れてしまった俺だ」
一瞬、時が止まったかと本気で思った。
「モニカに言われていたことだ。貴族の年上の男にあれこれ言われたら、君は逆らえない、と。それを失念していた俺が悪い。でも、何をどうしても俺は君が好きだ」
「……そ、れは」
頭が真っ白になって何を言ったらよいのかも分からない。
だが鮮やかな紫の瞳が炎のような情熱を灯して、クラリスを見つめている。
「今すぐに答えをくれとは言わない。これから毎日、短い時間になってしまうかもしれないが帰って来て口説くので、それを踏まえて考えてほしいんだ」
「く、口説く? 毎日……?」
ロナルドの顔が徐々に赤くなっていく。クラリスは、理解が追い付かず、感情は置き去られたまま、ただ言葉を繰り返した。
「もし、君が俺を選んでくれたら、絶対に愛人になんかさせない。そんな悲しい思いは絶対にさせない」
ロナルドに握り絞められた手が少しだけ痛い。でも、振り払うことなんて出来なかった。握り返さないように理性で押しとどめるだけで精一杯だった。
「どう、だろうか。口説くの……許してくれるだろうか」
紫色の眼差しがクラリスの返事を伺う。
「ええと、あの……」
クラリスはどう返事をするのが正解なのか分からない。
ここで否と答えたら、ロナルドは傷ついてしまうだろうか。でも、だからと言って、はい、と言っていいような立場でもない。
「師団長、申し訳ありません! 王都南のアレフの森で緊急討伐です!」
その時、言葉通り心の底から申し訳なさそうに、いつの間にやって来たのかコーディが門のところで叫んだ。
「今、ものすごく大事なところなんだが!?」
「申し訳ありません! 承知の上です! 早くしてください! このまま現場に直行です!」
コーディが中へ入って来てこちらへやって来るとロナルドの腕を掴んだ。
「待ってくれ、今、クラリスの返事をだな……!」
「南門には通達してありますから、さっさと行きますよ! 師団長待ちなんです!」
コーディがぐいぐいと引っ張るがロナルドはびくともしない。それどころか握っていたクラリスの手を絶対に離すまいとしている。
「あ、あの、ロナルド様、お仕事へ行かないと……!」
「いや、君の返事を聞かないと!」
「師団長、帰ってからにしてください!」
今度はコーディがロナルドの腰に抱き着いて引っ張る。
「だめだ! この間、それをしたら問題はより深刻になったんだぞ!?」
梃子でも動かないロナルドにクラリスは思わず叫ぶ。
「わ、分かりました! 口説いていただいて構いませんので、今はお仕事へ行ってくださいませ!」
自分でも何を叫んでいるか、多分、この時のクラリスは分かっていなかったと後から冷静になって思った。
とにかくロナルドに仕事に行ってもらわねばと、その気持ちだけで言葉を送り出したのだ。
「本当だな!? ありがとう、俺、頑張るから!」
ぱぁっと顔を輝かせたロナルドは、一度、握ったままだったクラリスの手を引くとまるで子どものようにぎゅっとクラリスを抱きしめた。
そして「行って来る! シュティー、シエル。頼んだぞ!」と輝く笑顔で告げて、唖然としているコーディを引きずるようにして、意気揚々と出かけて行った。
ちなみに丁度、ロナルドが門のところに到着した時にアランがサンドウィッチを詰めたバスケットを持って来て、彼に渡していた。ロナルドはそれを魔法鞄に入れると馬に跨り、駆けて行った。
クラリスはずるずるとその場にしゃがみこんだ。
顔が信じられないくらいに熱くて、ちらりと池に視線を向ければ、トマトよりも赤い顔をした自分が水面に映っていた。
「え……え?」
「にゃー?」
「ちゅん?」
「……え?」
シュティーとシエルが動かないクラリスに心配そうに寄り添ってくれるが、戻らないクラリスを心配したアランとモニカが探しに来てくれるまで、クラリスはそこで「え?」と繰り返し、固まっていたのだった。
ロナルドは、クラリスが想像していた百倍くらい行動力のある有言実行の男だった。
口説いていいか宣言をされた翌日から、ロナルドは本当に毎日、飽きることなく、クラリスに好意を伝えてくれた。
ただ残念ながら本人が望んでいたように直接というのは叶わなかった。王都のそばの森で出現した魔獣討伐は成功したが、そこで出現した魔獣に何か問題があったらしく、忙しくて帰って来られなくなったらしい。
だが、王都内にはいるようで、小さなメッセージカードが添えられた一輪の薔薇の花束が毎日、届けられている。
「クラリス、今日も届きましたよ」
夕食の後片付けと翌朝の仕込みが終わった後、アランが差し出してくれた花束とメッセージカードを受け取る。
さすがにアランとモニカに「ロナルド様に口説かれています」とは言えなくて、「励ましてくださっているみたいで」と伝えてある。アランは「お優しい方ですから」と自慢げだ。モニカのほうは本当のことに気づいているようだが、何も言わないでいてくれる。
「ありがとうございます」
真っ赤な薔薇は今日もとても良い香りがする。
「今日もお疲れさまでした。おやすみなさい」
「はい。おやすみなさい」
クラリスはアランに一礼し、自室へと向かう。途中でロナルドの部屋で寝るシュティーとは別れて、自室への梯子を上る。
部屋の窓際に置かれたモニカが用意してくれた花瓶へと薔薇を生ける。
今日で十二本目の薔薇だった。
毎朝、水を換えて手入れをしているおかげか、最初にもらった薔薇もまだ綺麗に咲いている。
花束と一緒にもらったメッセージカードを花瓶のそばに置き、そのあとは先にシャワーを浴びて寝る支度を整えて、再び自室に戻る。
メッセージカードを手に、ベッドに腰かけ、可愛らしい薄ピンクの封筒を開けてカードを取り出す。薔薇の絵が描かれたメッセージカードにはロナルドの筆跡でクラリスへのメッセージが書かれている。
『クラリスへ
美味しいものを食べた時に綻ぶ頬が好きだ
ロナルドより』
じわりと頬が熱を持つ。指先で彼の『口説き文句』を撫でると、胸がドキドキと高鳴る。
クラリスはベッドヘッドの引き出しを開ける。
そこには同じメッセージカードの入った封筒が十一枚入っていて、それらすべてにクラリスの好きなところが書かれている。
一枚目には『君の恥じらいながら微笑んだ姿に一目ぼれした』
二枚目には『君の声が好きだ。聞いているだけで心が和らぐ』
三枚目には『アランとモニカを大切にしてくれるところが好きだ』
四枚目には『シエルと遊んでいる時の楽しそうな様子が好きだ』
五枚目には『裁縫の腕前にはとても感心している。仕事が丁寧なところが好きだ』
六枚目には『青みがかった黒髪が月光の下で青く輝くのが好きだ』
七枚目には『何事にも真剣で頑張り屋なところを心から尊敬している』
八枚目には『シュティーを可愛がってくれるところが好きだ』
九枚目には『楽しそうに洗濯をしている姿がとても可愛くて好きだ』
十枚目には『俺の過去を話した時、俺は悪くないと言ってくれたの嬉しかった』
十一枚目には『君の笑う声は柔らかくて心地よくて好きだ』
直接言われて居たら、クラリスはどうなってしまっていただろう。きっと彼の顔をまともに見ることはできないに違いない。
今でさえ、ロナルドが帰ってきたらどうしようか、どんな顔をすればいいかしら、何を言えばいいかしら、とどれも全く思いつかないままでいるというのに。
好きだと言われるたびに、どうしようもなく喜んでいる自分がいる。だめよ、と押しとどめようとしても、ロナルドからの言葉は何よりも強くクラリスが押しとどめようとする恋心を引っ張り出してくる。
「……私、どうしたらいいの」
クラリスがこぼした言葉に当たり前だが返事はない。
薔薇の上にちょこんと座って、花を楽しんでいたシエルがクラリスに顔を向けると、こちらに飛んできてクラリスの膝に着地する。
「ねえ、シエル……私、どうするのが正解なのか、分からないの」
「ちゅん?」
シエルがきょとんとして首を傾げる。
「……だって、私、逃げることばかり考えているの。こんなに真っ直ぐなロナルド様から」
どんな顔をして、何を言えば良いのか分からないのは本当だ。
だが、心の底ではずっとどんな顔で、なんと言って断ればいいのか、とそればかりを考えている。
身勝手なことにクラリスは、ロナルドを傷つけたくないのだ。優しい彼を、誠実に向き合ってくれる彼を傷つけたくないから、優しい断りの言葉を探してばかりいる。
「いいえ、違うわ……本当に傷つきたくないのは……私自身なの」
クラリスは祈るようにロナルドからの手紙に額をくっつける。
ヴィムの言う通りだ。
クラリスに足りないのは、ロナルドが広げてくれている腕の中に飛び込む勇気だけ。
「……私、幸せになっても、いいのかな」
ぽつりとこぼした言葉に返事はなかったけれど、シエルの小さなぬくもりがクラリスに寄り添ってくれているのを感じる。
クラリスを「いらない」と言う前のお母さんだったら、クラリスの記憶の中で最も鮮やかに存在するお母さんなら、きっとクラリスが幸せになることを望んでくれている。
父が母に向けた一方的な好意とは、全然違う。真っすぐで優しくて、クラリスの心を大事にしてくれるロナルドの愛情を、きっと母は喜んでくれる。
でも、自分自身が傷つくことも怖いけれど、クラリスを受け止めてくれたロナルドにどれほど苦労をかけてしまうかと思うと、素直になれない。
「……どうしよう、シエル」
答えはどこにも見当たらないまま、クラリスは何度目ともつかぬ溜息を零すのだった。
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