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第2部 おわりの話
寄り添う二人
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※本日2回目の更新です。
7時に5-5を更新しております。
カツン、と窓に小石の当たる小さな音がして、クラリスはいそいそとベッドから出る。
窓を開けて先にシエルを行かせ、その間にクラリスは簡素なワンピースに着替えて、ショールを羽織る。
クラリスは貴賓室にある二つの寝室の内、小さいほうの部屋を使わせてもらっている。ドアを開けて廊下に顔を出す。隣のアランとモニカの寝室のドアは閉ざされていて、夜は静かなままだ。
顔を引っ込めてドアを閉め、今度は窓から外を見れば、約束通り、ロナルドとシュティーがいた。
姿を見るのは、事件があった日から二日ぶりだ。シュティーは今日の昼頃、コーディがロナルドに頼まれて連れに来たのだが、それ以外の時間は基本、クラリスのそばにいてくれた。
「おいで」
彼の唇がそう動いて腕が広げられる。クラリスは翼を出し、窓枠に足を駆けてぴょんと彼の下へと飛び降りた。
力強い腕が危なげなく受け止めてくれた。
「おかえりなさいませ、ロナルド様」
「ただいま、クラリス」
ちゅっと触れるだけのキスをされて、クラリスは慣れない触れ合いに頬を染める。ロナルドは「真っ赤になっても可愛い」と笑ってクラリスを下ろしてくれた。
コーディがロナルドからの内緒の伝言を届けてくれたのは、丁度、モニカが寝室にいて、アランがシャワーを浴びている時だった。
ロナルドからのメモを渡すとコーディが忙しそうに仕事へ戻って行った。
そのメモに走り書きと思われる文字で『日付が変わるころ、窓の下で待つ。二人には内緒だ』とだけ書いてあったのだ。
クラリスが人族だったら窓から飛び降りるなんてことできなかったかもしれないが、クラリスは飛べなくても翼があるので問題ない。
クラリスはそわそわしながら、アランとモニカに「おやすみなさい」と告げて部屋で待っていたのだ。
「怪我の調子はどうですか?」
「大分いいよ、ほら」
ロナルドが手袋を外して、左手を見せてくれた。
暗いとクラリスにはよく見えないのでそっと触れてみるが、痛がる様子もなく指も少しかさつく皮膚を感じるだけだった。
「良かった……」
「ヴィムの薬はよく効くから。少し散歩をしないか? あの公園ほどのものはないが、ここにも小さな庭があるんだ」
ロナルドの腕に手を添えようとすると大きな手に手を取られた。
「恋人はこうやって手を繋ぐらしい」
指と指を絡めるようにして繋がれた手にクラリスは「特別」を感じて嬉しくなって、笑みを零した。そのまま寄り添うようにして歩き出す。
クラリスは隣を歩くロナルドの横顔を見上げる。
ほんの少しだが疲れが滲んでいるのが、クラリスのあまり良く見えない目にも映った。
「お疲れのようですね……」
紫色の瞳がクラリスに向けられる。
「町中はあれこれ報告書が多くなるから……正直、討伐遠征に行くよりも大変だ」
「そうなんですね。何かできることがあったら言ってくださいね」
「なら、あとで歌を聴かせてくれないか? 君の歌を聴いていると疲れが溶けていく気がするんだ」
「ロナルド様のためならいくらでも」
「ありがとう」
ロナルドが嬉しそうに微笑んだ。
何をして過ごしていたんだというロナルドの問いに答えながら歩いて行けば、騎士団の小さな庭園に到着した。
庭には灯りが置かれていて、柔らかなオレンジ色の光が淡く夜を照らしていた。
薔薇園のような華やかさはないが、落ち着いた雰囲気がほっとする。それにぽつぽつと花も植えられていて、クラリスはきょろきょろと辺りを見回す。
小さな池もあって、小さな魚が泳いでいるのを見つける。
「ここは、団内の有志で管理しているんだ。なかなか血生臭い仕事だから、こういう自然に癒されるらしい」
「ええ。確かにとても素敵なところです」
クラリスはロナルドと二人、池の傍に置かれたベンチに腰かけた。もちろん手はつないだまま。
「あ、シュティー!」
どういうわけか池に飛び込もうとしたシュティーはロナルドに叱られ、渋々、探索に出かけ、シエルもそれについて行く。
「穴を掘ったり、爪を研いだりするなよ!」
ロナルドがその背に声をかけるが、シュティーはふわふわの尻尾を不機嫌そうに、ぶんと振っただけで返事はしなかった。
「ったく、あいつとくれば……」
呆れたように笑いながらロナルドが溜息を零した。
「そういえば、あの蛇さんたちはどうなったんですか?」
「あいつらは近隣の森に生息している種だと確認できたが、石を取り出した傷が完治してから戻すことになったので、今はまだ保護施設にいる」
「そうですか。その後は元気でしょうか」
「ああ。俺が見に行った時は、元気に飯を食べていた」
「ご飯が食べられるなら一安心ですね。良かったです」
シュティーたちも蛇たちも酷く苦しそうだったので、彼らが健やかに過ごせているなら何よりだと思う。
「ロナルド様もきちんとご飯は食べられていますか?」
「ああ。書類仕事で基本は執務室にいるから、コーディが運んできてくれるんだ。食堂の料理も美味いが、やはり屋敷に帰って君たちと食事を楽しみたいな」
「私もです。モニカさんは、今から私たちのお祝いのためのごちそうに頭を悩ませていますよ」
「それは楽しみだな。モニカのチキンのトマト煮が好きなんだ。リストに入れておいてくれ」
「ふふっ、それはすでに絶対作るリストに入っていましたよ」
「……モニカにはお見通しというわけだな。なんだか悔しいな」
子どものように唇を尖らせたロナルドにクラリスはくすくすと笑みをこぼす。
「モニカさんがよくロナルド様の小さい頃のお話をしてくださるんですよ」
「え? へ、変なことは聞いていないか? 大丈夫なやつなのか、それは?」
途端に慌てだすロナルドにクラリスは「大丈夫ですよ」と返す。
「とても微笑ましいお話しばかりですよ。毎日お外で元気に遊んでいたとか、小さい頃から剣術が得意だったとか……ロナルド様のほうが年上なのでどうやっても無理ですが、私もお小さい頃の可愛いロナルド様に会いたくなってしまいました」
「そんなに可愛い子どもではなかったと思うが……」
なんだか照れくさそうにロナルドが鼻の下を指で掻いた。
「俺より絶対にクラリスのほうが可愛いかったはずだ」
やけに自信満々にロナルドが言い切った。
クラリスは小さい頃のことを思い出してみる。母は「わたしの可愛い小鳥ちゃん」と呼んでクラリスをことあるごとに「可愛い」と言ってくれていたが、親の欲目もあるだろうし、まさか自分で「可愛かったんですよ」と言うのははばかられる。
「……すまない。思い出したくないところに踏み込んでしまっただろうか」
しょぼんとしたロナルドがクラリスをのぞき込んできて、クラリスは慌てて首を横に振る。
「ち、違います。小さい頃の私は母としか関わりがなかったので……母は『可愛い』と言ってくれていたのですが、なんだか自分でそれを言うのは恥ずかしくて」
「クラリスの母君は正しい。絶対に可愛かったはずだ」
真顔で断言されてクラリスは自分の頬がじわじわと熱くなるのを感じる。
「え、ええと、ありがとう、ございます?」
何が正解か分からず、とりあえずお礼を言うとロナルドはうんうんと頷いて姿勢を戻した。
「小さい頃のクラリスは何をしているのが好きだったんだ?」
その問いに、そうですねえ、と記憶のページをめくる。
「私はやっぱり歌うのが好きでした。母の歌を聴くのも大好きで、母に楽器を教わったり、歌を教わったり……教わった歌を母と一緒に歌うのがとくに好きでした。私、字を覚えるより先に楽譜の読み方を覚えたんですよ」
「それはすごいな」
「母は読み書きを先に覚えてほしかったようですが……幼い頃の私は楽器を奏でて、歌を歌うほうが楽しかったんです」
「俺も勉強より剣術のほうが楽しかったから、あれこれ言えないな。こんなところも似た者同士だ」
「ふふっ、本当ですね」
似ている共通点を発見してご機嫌なロナルドにクラリスも自然と嬉しくなる。好きな人と同じ部分があるのが、こんなに嬉しいことだとは知らなかった。
それから他愛のない話をして、ロナルドのリクエストに応えて歌い、時間が来てしまった。
「名残惜しいが部屋に戻らねば……」
「……はい」
繋いだ手を離したくなくて、二人は来た時よりもゆっくり、ゆっくり歩いて行く。
どれほどゆっくり歩いても、部屋の窓の下に到着してしまう。クラリスたちを追い越して行ったシュティーとシエルが「まだー?」とでも言いたそうな顔で待っていた。
ロナルドが苦笑交じりに彼らの頭をシエルはそっと指先で、シュティーは手でがしがしと撫でた。
そして、クラリスを振り返る。
「あと数日は騎士団に宿泊してもらうことにはなると思うが、一週間以内には屋敷に帰れると思う」
「はい」
向き合って両手を繋ぐ。つないだ手を離すのが名残惜しくて、クラリスはきゅっとその手を握る。
「あー、離れたくない」
ぐいっと腕を引かれて、手を離されたかと思えば力強く抱きしめられる。クラリスもロナルドの広い背に腕を回す。
彼の胸に耳が当たる格好になるから、ロナルドの心臓の音が聞こえる。どくどくと少し早い鼓動は、きっとクラリスも同じだ。
「クラリス……俺の恋人になってくれて、ありがとう」
噛みしめるように告げるロナルドにクラリスは、彼の背に回した腕に力を込める。
「私のほうこそ、お傍においてくださって、ありがとうございます」
ふふふっと笑って顔を上げれば、紫色の瞳が優しく細められる。
当たり前のように近づいてきたその眼差しに目を閉じれば唇に柔らかなキスが降って来る。
ゆっくりと離れていく唇に目を開ければ、鼻先が触れ合ったままの距離で紫色の瞳がじっとクラリスを見つめていた。
「……今度、兄上と姉上に会う約束があるんだ」
少しだけ躊躇うような口調でロナルドが告げる。
「病気が良くなったことを知って、会いたいと言ってくれた。会ったことのなかった甥っ子たちも一緒に。……彼らには君を恋人だと紹介したい」
「……それは」
「兄や姉は俺の味方だ。俺の一番の敵である母には絶対に話さないし、口も堅い」
「……ですが、お兄様やお姉様はお嫌かもしれません」
「嫌だという相手ならそもそも俺が会わせない。アランとモニカ以外の俺の家族に、俺の可愛い恋人を紹介させてほしいんだ」
すがるような眼差しにクラリスは大分弱い自覚がある。
だが自分の意思でロナルドの想いを受け入れると決めたのだからと、クラリスは一度目を閉じて覚悟を決めて、彼を見つめ返す。
「……お二人の好きな歌、教えて頂けますか?」
ぱぁとロナルドの顔が輝いて、苦しいくらいに抱き締められる。
「ありがとう! 聞いておく!」
クラリスもえいっと思いっきり抱きしめ返すが、立派な筋肉に覆われているロナルドにあまり効果はないようだった。
「ちゅんちゅん!」
それまで黙っていたシエルが「時間だよ!」とでも言うかのようにロナルドの頭の上で鳴く。シュティーもロナルドの体をふさふさの尻尾でバシバシと叩いた。
「分かった、分かったよ。……おやすみ、クラリス」
「おやすみなさいませ、ロナルド様」
もう一度、キスをしてクラリスとロナルドは離れる。シエルがクラリスの肩へ移動する。
ロナルドに窓の下に立つように言われてその通りにするとシュティーがふーっと息を吐きだした。
すると足元に氷の柱が顔を出し、クラリスをそのまま持ち上げる。
クラリスは窓から中へと入り、外を見ればあっという間に氷の柱は溶けてしまった。
ロナルドが手を振り、シュティーが不満そうに彼の反対の手を甘噛みしている。おそらくクラリスのところへ来たいのだろう。
ロナルドがジェスチャーで窓を閉めてと伝えてくる。クラリスの安全を第一に考えてくれているからだろうと素直に従うが、窓を閉める手はとてもゆっくりになってしまった。
ガラス越しに暗闇に消えていく広い背中を見つめながら、信じられない気持ちが幸せに上書きされていく。
正直に言えば、まだ逃げ出したい気持ちはある。自分が本当にロナルドに相応しいとは心から思えてはいない。
それでもクラリスは自分で覚悟を決めたのだ。もちろんそこには真っ直ぐに誠実に向き合ってくれたロナルドの愛情や不器用に励ましてくれたヴィムの優しさ、そして、背中を押して、幸せになることを許してくれたモニカの愛がある。
「ねえ、お母さん。私、幸せになってもいいかしら」
「ちゅん!」
返事は肩の上から聞こえて、クラリスはふっと笑みをこぼす。
「ありがとう、シエル。……もう寝ましょうか」
小さな頭を指先でそっと撫でてカーテンを閉め、クラリスはベッドへと向かう。
夢の中でもロナルドに会えたらいいのにな、と願いながらクラリスは眠りの世界へと飛び立つのだった。
おわり
ーーーーーーーーーーーーーーー
ここまで読んでくださって、ありがとうございました!
閲覧、ブクマ、いいねなどなど励みになりました(*´▽`*)
感想、レビューなど頂けますと、作家としての寿命が延びますので、よろしければお願いいたします!
まだまだ問題は色々とあるけれど、どうにか今回、二人がくっつきました。
色んなあれこれ乗り越えて、ロナルドとクラリスには幸せになってほしいなと思っておりますので、作者としても頑張りたいと思います!
次のお話も楽しんで頂ければ幸いです。
7時に5-5を更新しております。
カツン、と窓に小石の当たる小さな音がして、クラリスはいそいそとベッドから出る。
窓を開けて先にシエルを行かせ、その間にクラリスは簡素なワンピースに着替えて、ショールを羽織る。
クラリスは貴賓室にある二つの寝室の内、小さいほうの部屋を使わせてもらっている。ドアを開けて廊下に顔を出す。隣のアランとモニカの寝室のドアは閉ざされていて、夜は静かなままだ。
顔を引っ込めてドアを閉め、今度は窓から外を見れば、約束通り、ロナルドとシュティーがいた。
姿を見るのは、事件があった日から二日ぶりだ。シュティーは今日の昼頃、コーディがロナルドに頼まれて連れに来たのだが、それ以外の時間は基本、クラリスのそばにいてくれた。
「おいで」
彼の唇がそう動いて腕が広げられる。クラリスは翼を出し、窓枠に足を駆けてぴょんと彼の下へと飛び降りた。
力強い腕が危なげなく受け止めてくれた。
「おかえりなさいませ、ロナルド様」
「ただいま、クラリス」
ちゅっと触れるだけのキスをされて、クラリスは慣れない触れ合いに頬を染める。ロナルドは「真っ赤になっても可愛い」と笑ってクラリスを下ろしてくれた。
コーディがロナルドからの内緒の伝言を届けてくれたのは、丁度、モニカが寝室にいて、アランがシャワーを浴びている時だった。
ロナルドからのメモを渡すとコーディが忙しそうに仕事へ戻って行った。
そのメモに走り書きと思われる文字で『日付が変わるころ、窓の下で待つ。二人には内緒だ』とだけ書いてあったのだ。
クラリスが人族だったら窓から飛び降りるなんてことできなかったかもしれないが、クラリスは飛べなくても翼があるので問題ない。
クラリスはそわそわしながら、アランとモニカに「おやすみなさい」と告げて部屋で待っていたのだ。
「怪我の調子はどうですか?」
「大分いいよ、ほら」
ロナルドが手袋を外して、左手を見せてくれた。
暗いとクラリスにはよく見えないのでそっと触れてみるが、痛がる様子もなく指も少しかさつく皮膚を感じるだけだった。
「良かった……」
「ヴィムの薬はよく効くから。少し散歩をしないか? あの公園ほどのものはないが、ここにも小さな庭があるんだ」
ロナルドの腕に手を添えようとすると大きな手に手を取られた。
「恋人はこうやって手を繋ぐらしい」
指と指を絡めるようにして繋がれた手にクラリスは「特別」を感じて嬉しくなって、笑みを零した。そのまま寄り添うようにして歩き出す。
クラリスは隣を歩くロナルドの横顔を見上げる。
ほんの少しだが疲れが滲んでいるのが、クラリスのあまり良く見えない目にも映った。
「お疲れのようですね……」
紫色の瞳がクラリスに向けられる。
「町中はあれこれ報告書が多くなるから……正直、討伐遠征に行くよりも大変だ」
「そうなんですね。何かできることがあったら言ってくださいね」
「なら、あとで歌を聴かせてくれないか? 君の歌を聴いていると疲れが溶けていく気がするんだ」
「ロナルド様のためならいくらでも」
「ありがとう」
ロナルドが嬉しそうに微笑んだ。
何をして過ごしていたんだというロナルドの問いに答えながら歩いて行けば、騎士団の小さな庭園に到着した。
庭には灯りが置かれていて、柔らかなオレンジ色の光が淡く夜を照らしていた。
薔薇園のような華やかさはないが、落ち着いた雰囲気がほっとする。それにぽつぽつと花も植えられていて、クラリスはきょろきょろと辺りを見回す。
小さな池もあって、小さな魚が泳いでいるのを見つける。
「ここは、団内の有志で管理しているんだ。なかなか血生臭い仕事だから、こういう自然に癒されるらしい」
「ええ。確かにとても素敵なところです」
クラリスはロナルドと二人、池の傍に置かれたベンチに腰かけた。もちろん手はつないだまま。
「あ、シュティー!」
どういうわけか池に飛び込もうとしたシュティーはロナルドに叱られ、渋々、探索に出かけ、シエルもそれについて行く。
「穴を掘ったり、爪を研いだりするなよ!」
ロナルドがその背に声をかけるが、シュティーはふわふわの尻尾を不機嫌そうに、ぶんと振っただけで返事はしなかった。
「ったく、あいつとくれば……」
呆れたように笑いながらロナルドが溜息を零した。
「そういえば、あの蛇さんたちはどうなったんですか?」
「あいつらは近隣の森に生息している種だと確認できたが、石を取り出した傷が完治してから戻すことになったので、今はまだ保護施設にいる」
「そうですか。その後は元気でしょうか」
「ああ。俺が見に行った時は、元気に飯を食べていた」
「ご飯が食べられるなら一安心ですね。良かったです」
シュティーたちも蛇たちも酷く苦しそうだったので、彼らが健やかに過ごせているなら何よりだと思う。
「ロナルド様もきちんとご飯は食べられていますか?」
「ああ。書類仕事で基本は執務室にいるから、コーディが運んできてくれるんだ。食堂の料理も美味いが、やはり屋敷に帰って君たちと食事を楽しみたいな」
「私もです。モニカさんは、今から私たちのお祝いのためのごちそうに頭を悩ませていますよ」
「それは楽しみだな。モニカのチキンのトマト煮が好きなんだ。リストに入れておいてくれ」
「ふふっ、それはすでに絶対作るリストに入っていましたよ」
「……モニカにはお見通しというわけだな。なんだか悔しいな」
子どものように唇を尖らせたロナルドにクラリスはくすくすと笑みをこぼす。
「モニカさんがよくロナルド様の小さい頃のお話をしてくださるんですよ」
「え? へ、変なことは聞いていないか? 大丈夫なやつなのか、それは?」
途端に慌てだすロナルドにクラリスは「大丈夫ですよ」と返す。
「とても微笑ましいお話しばかりですよ。毎日お外で元気に遊んでいたとか、小さい頃から剣術が得意だったとか……ロナルド様のほうが年上なのでどうやっても無理ですが、私もお小さい頃の可愛いロナルド様に会いたくなってしまいました」
「そんなに可愛い子どもではなかったと思うが……」
なんだか照れくさそうにロナルドが鼻の下を指で掻いた。
「俺より絶対にクラリスのほうが可愛いかったはずだ」
やけに自信満々にロナルドが言い切った。
クラリスは小さい頃のことを思い出してみる。母は「わたしの可愛い小鳥ちゃん」と呼んでクラリスをことあるごとに「可愛い」と言ってくれていたが、親の欲目もあるだろうし、まさか自分で「可愛かったんですよ」と言うのははばかられる。
「……すまない。思い出したくないところに踏み込んでしまっただろうか」
しょぼんとしたロナルドがクラリスをのぞき込んできて、クラリスは慌てて首を横に振る。
「ち、違います。小さい頃の私は母としか関わりがなかったので……母は『可愛い』と言ってくれていたのですが、なんだか自分でそれを言うのは恥ずかしくて」
「クラリスの母君は正しい。絶対に可愛かったはずだ」
真顔で断言されてクラリスは自分の頬がじわじわと熱くなるのを感じる。
「え、ええと、ありがとう、ございます?」
何が正解か分からず、とりあえずお礼を言うとロナルドはうんうんと頷いて姿勢を戻した。
「小さい頃のクラリスは何をしているのが好きだったんだ?」
その問いに、そうですねえ、と記憶のページをめくる。
「私はやっぱり歌うのが好きでした。母の歌を聴くのも大好きで、母に楽器を教わったり、歌を教わったり……教わった歌を母と一緒に歌うのがとくに好きでした。私、字を覚えるより先に楽譜の読み方を覚えたんですよ」
「それはすごいな」
「母は読み書きを先に覚えてほしかったようですが……幼い頃の私は楽器を奏でて、歌を歌うほうが楽しかったんです」
「俺も勉強より剣術のほうが楽しかったから、あれこれ言えないな。こんなところも似た者同士だ」
「ふふっ、本当ですね」
似ている共通点を発見してご機嫌なロナルドにクラリスも自然と嬉しくなる。好きな人と同じ部分があるのが、こんなに嬉しいことだとは知らなかった。
それから他愛のない話をして、ロナルドのリクエストに応えて歌い、時間が来てしまった。
「名残惜しいが部屋に戻らねば……」
「……はい」
繋いだ手を離したくなくて、二人は来た時よりもゆっくり、ゆっくり歩いて行く。
どれほどゆっくり歩いても、部屋の窓の下に到着してしまう。クラリスたちを追い越して行ったシュティーとシエルが「まだー?」とでも言いたそうな顔で待っていた。
ロナルドが苦笑交じりに彼らの頭をシエルはそっと指先で、シュティーは手でがしがしと撫でた。
そして、クラリスを振り返る。
「あと数日は騎士団に宿泊してもらうことにはなると思うが、一週間以内には屋敷に帰れると思う」
「はい」
向き合って両手を繋ぐ。つないだ手を離すのが名残惜しくて、クラリスはきゅっとその手を握る。
「あー、離れたくない」
ぐいっと腕を引かれて、手を離されたかと思えば力強く抱きしめられる。クラリスもロナルドの広い背に腕を回す。
彼の胸に耳が当たる格好になるから、ロナルドの心臓の音が聞こえる。どくどくと少し早い鼓動は、きっとクラリスも同じだ。
「クラリス……俺の恋人になってくれて、ありがとう」
噛みしめるように告げるロナルドにクラリスは、彼の背に回した腕に力を込める。
「私のほうこそ、お傍においてくださって、ありがとうございます」
ふふふっと笑って顔を上げれば、紫色の瞳が優しく細められる。
当たり前のように近づいてきたその眼差しに目を閉じれば唇に柔らかなキスが降って来る。
ゆっくりと離れていく唇に目を開ければ、鼻先が触れ合ったままの距離で紫色の瞳がじっとクラリスを見つめていた。
「……今度、兄上と姉上に会う約束があるんだ」
少しだけ躊躇うような口調でロナルドが告げる。
「病気が良くなったことを知って、会いたいと言ってくれた。会ったことのなかった甥っ子たちも一緒に。……彼らには君を恋人だと紹介したい」
「……それは」
「兄や姉は俺の味方だ。俺の一番の敵である母には絶対に話さないし、口も堅い」
「……ですが、お兄様やお姉様はお嫌かもしれません」
「嫌だという相手ならそもそも俺が会わせない。アランとモニカ以外の俺の家族に、俺の可愛い恋人を紹介させてほしいんだ」
すがるような眼差しにクラリスは大分弱い自覚がある。
だが自分の意思でロナルドの想いを受け入れると決めたのだからと、クラリスは一度目を閉じて覚悟を決めて、彼を見つめ返す。
「……お二人の好きな歌、教えて頂けますか?」
ぱぁとロナルドの顔が輝いて、苦しいくらいに抱き締められる。
「ありがとう! 聞いておく!」
クラリスもえいっと思いっきり抱きしめ返すが、立派な筋肉に覆われているロナルドにあまり効果はないようだった。
「ちゅんちゅん!」
それまで黙っていたシエルが「時間だよ!」とでも言うかのようにロナルドの頭の上で鳴く。シュティーもロナルドの体をふさふさの尻尾でバシバシと叩いた。
「分かった、分かったよ。……おやすみ、クラリス」
「おやすみなさいませ、ロナルド様」
もう一度、キスをしてクラリスとロナルドは離れる。シエルがクラリスの肩へ移動する。
ロナルドに窓の下に立つように言われてその通りにするとシュティーがふーっと息を吐きだした。
すると足元に氷の柱が顔を出し、クラリスをそのまま持ち上げる。
クラリスは窓から中へと入り、外を見ればあっという間に氷の柱は溶けてしまった。
ロナルドが手を振り、シュティーが不満そうに彼の反対の手を甘噛みしている。おそらくクラリスのところへ来たいのだろう。
ロナルドがジェスチャーで窓を閉めてと伝えてくる。クラリスの安全を第一に考えてくれているからだろうと素直に従うが、窓を閉める手はとてもゆっくりになってしまった。
ガラス越しに暗闇に消えていく広い背中を見つめながら、信じられない気持ちが幸せに上書きされていく。
正直に言えば、まだ逃げ出したい気持ちはある。自分が本当にロナルドに相応しいとは心から思えてはいない。
それでもクラリスは自分で覚悟を決めたのだ。もちろんそこには真っ直ぐに誠実に向き合ってくれたロナルドの愛情や不器用に励ましてくれたヴィムの優しさ、そして、背中を押して、幸せになることを許してくれたモニカの愛がある。
「ねえ、お母さん。私、幸せになってもいいかしら」
「ちゅん!」
返事は肩の上から聞こえて、クラリスはふっと笑みをこぼす。
「ありがとう、シエル。……もう寝ましょうか」
小さな頭を指先でそっと撫でてカーテンを閉め、クラリスはベッドへと向かう。
夢の中でもロナルドに会えたらいいのにな、と願いながらクラリスは眠りの世界へと飛び立つのだった。
おわり
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ここまで読んでくださって、ありがとうございました!
閲覧、ブクマ、いいねなどなど励みになりました(*´▽`*)
感想、レビューなど頂けますと、作家としての寿命が延びますので、よろしければお願いいたします!
まだまだ問題は色々とあるけれど、どうにか今回、二人がくっつきました。
色んなあれこれ乗り越えて、ロナルドとクラリスには幸せになってほしいなと思っておりますので、作者としても頑張りたいと思います!
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