天国で時はゆるやかに流れて

多田莉都

文字の大きさ
7 / 18
Scene 2

2-2

しおりを挟む
 『ムーンリバー』でいつものように雪音は働いていた。
 この世界の住人になっても一晩泣き続ければ目は腫れぼったくなり、寝不足になれば肌も荒れる。

「雪音ちゃん、いつもと雰囲気が違うね」

 そんな雪音の変化に今日もカウンター席に座っていた伊沢が目ざとく気づいた。

「そうですか? いつもと同じですよ」
「雪音ちゃんがナチュラルに隠すのがうまいのはもう知ってるからなぁ」

 カウンター席に左肘で頬杖をつきながら伊沢は微笑みを浮かべながら言った。
 ナチュラルに隠す、と言っているのが雪音がメイクで目の腫れを隠していることを指すのか、昨日泣くぐらいに悲しかったことを隠しながら働いていることを指すのか、雪音はわからなかった。うまい言葉だなぁと雪音は思った。

「そうやって伊沢さんは何でも人を見通すのが得意なんですね」
「え、そんなことないよ。人が何を考えてるかオレは全然わからないよ。いつも悩んでるよ」

 その言葉に雪音はトレイを持ったまま、疑いの目を向ける。
 伊沢は雪音が考えていることを見透かすような発言をする。一度や二度ではない。

「悩んでいるようには見えないですね……」
「あれ、オレなんか疑われてる?」
「伊沢さんこそナチュラルに人の心を見透かしすぎですね」

 雪音が伊沢の目は見ずに言うと、

「もし見透かせたとしても、その心がこっちに向いてくれないんじゃあどうしようもないんだけどね」

 恥ずかしげもなくそんな台詞を言ってしまう伊沢に雪音は苦笑した。

「またそういうことを……」
「いやー気持ちは言いたいときに言っておかないとね。言えなくなってからじゃ遅いでしょ」

 雪音はズンと頭の上に重りが落ちてきたような気がした。
 言えなくなってからじゃ遅い、なんともそのとおりだと思ってしまった。

 自分が里依紗が大きくなっていくときのためにもう少し何かを残せたら、亮介の悩みも減ったのではないのだろうか。髪型の作り方のコツでもまとめておけばよかったのではないか。
 そんなことを考えていると、

「雪音さーん」

 という声がして、ハッとなる。声の方向を見てみると、テーブル席で綺羅が手を挙げているのが見えた。
 雪音は気を落ち着けて、やわらかく微笑む。
 綺羅のグラスの水が空であることに気づき、水の入ったピッチャーを持って雪音は綺羅に近づいた。
 
「今日は何時までですか?」
「今日? 4時までだよ」
「あと1時間もないぐらいですね。その後、私とお茶しないですか?」

 綺羅が雪音を誘った。ちょっと気を晴らしたかった雪音はその誘いが嬉しかった。
 
「あー、いいね。うん、終わったら声かけるね」
「OKっす。それまでゆんくんと戯れてまっす!」

 綺羅の足元にはゆんがいた。ゆんは雪音を見つけると甘い声で鳴きながら足元に擦り寄ってきた。その愛らしさに思わず笑みがこぼれるが、雪音は仕事中であることを忘れることはなく、

「ごめんね、ゆん。まだお仕事なんだー」

 と雪音はその場を離れた。
 ふとカウンターのほうに雪音が目を移すと、いつのまにか伊沢の姿はなかった。

 風のような人だなぁと雪音は思っていると、他の客に呼ばれた雪音は「はーい」と答えて、彼女を呼んだ初老の男性のもとに歩いた。消え入りそうな鳴き声をしながら、ゆんもゆっくりと雪音の後ろをついていった。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

優しい雨が降る夜は

葉月 まい
恋愛
浮世離れした地味子 × 外資系ITコンサルのエリートイケメン 無自覚にモテる地味子に 余裕もなく翻弄されるイケメン 二人の恋は一筋縄ではいかなくて…… 雨降る夜に心に届いた 優しい恋の物語 ⟡☾·̩͙⋆☔┈┈┈ 登場人物 ┈┈┈ ☔⋆·̩͙☽⟡ 風間 美月(24歳)……コミュニティセンター勤務・地味でお堅い性格 雨宮 優吾(28歳)……外資系ITコンサルティング会社勤務のエリートイケメン

Emerald

藍沢咲良
恋愛
教師という仕事に嫌気が差した結城美咲(ゆうき みさき)は、叔母の住む自然豊かな郊外で時々アルバイトをして生活していた。 叔母の勧めで再び教員業に戻ってみようと人材バンクに登録すると、すぐに話が来る。 自分にとっては完全に新しい場所。 しかし仕事は一度投げ出した教員業。嫌だと言っても他に出来る仕事は無い。 仕方無しに仕事復帰をする美咲。仕事帰りにカフェに寄るとそこには…。 〜main cast〜 結城美咲(Yuki Misaki) 黒瀬 悠(Kurose Haruka) ※作中の地名、団体名は架空のものです。 ※この作品はエブリスタ、小説家になろうでも連載されています。 ※素敵な表紙をポリン先生に描いて頂きました。 ポリン先生の作品はこちら↓ https://manga.line.me/indies/product/detail?id=8911 https://www.comico.jp/challenge/comic/33031

あなたの片想いを聞いてしまった夜

柴田はつみ
恋愛
「『好きな人がいる』——その一言で、私の世界は音を失った。」 公爵令嬢リリアーヌの初恋は、隣家の若き公爵アレクシスだった。 政務や領地行事で顔を合わせるたび、言葉少なな彼の沈黙さえ、彼女には優しさに聞こえた。——毎日会える。それだけで十分幸せだと信じていた。 しかしある日、回廊の陰で聞いてしまう。 「好きな人がいる。……片想いなんだ」 名前は出ない。だから、リリアーヌの胸は残酷に結論を作る。自分ではないのだ、と。

橘若頭と怖がり姫

真木
恋愛
八歳の希乃は、母を救うために極道・橘家の門を叩き、「大人になったら自分のすべてを差し出す」と約束する。 その言葉を受け取った橘家の若頭・司は、希乃を保護し、慈しみ、外界から遠ざけて育ててきた。 高校生になった希乃は、虚弱体質で寝込んでばかり。思いつめて、今まで養ってもらったお金を返そうと夜の街に向かうが、そこに司が現れて……。

冷遇妃ライフを満喫するはずが、皇帝陛下の溺愛ルートに捕まりました!?

由香
恋愛
冷遇妃として後宮の片隅で静かに暮らすはずだった翠鈴。 皇帝に呼ばれない日々は、むしろ自由で快適——そう思っていたのに。 ある夜、突然現れた皇帝に顎を掴まれ、深く口づけられる。 「誰が、お前を愛していないと言った」 守るための“冷遇”だったと明かされ、逃げ道を塞がれ、甘く囲われ、何度も唇を奪われて——。 これは冷遇妃のはずだった少女が、気づけば皇帝の唯一へと捕獲されてしまう甘く濃密な溺愛物語。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

【完結】ジュリアはバツイチ人生を謳歌する

ariya
恋愛
エレン王国の名門貴族・アグリア伯爵家に嫁いだジュリア・アグリア(旧姓ベルティー)。 夫のアベル・アグリア伯爵は、騎士として王妃の護衛任務に没頭し、結婚翌日からほぼ別居状態。 社交界のパーティーでは妻のエスコートを代理人に任せ、父の葬儀にも顔を出さず、事務的な会話と手紙のやり取りだけの日々が続く。 ジュリアは8年間の冷遇に耐え抜いたが、ある朝の食事中、静かに切り出す。 「私たち、離婚しましょう」 アベルは絶句するが、ジュリアは淡々と不満を告げる。 どれも自分のしでかしたことにアベルは頭を抱える。 彼女はすでに離婚届と慰謝料の用意を済ませ、夫の仕事に理解を示さなかった「有責妻」として後腐れなく別れるつもりだった。 アベルは内心で反発しつつも、ジュリアの決意の固さに渋々サイン。 こうしてジュリア・アグリアは、伯爵夫人としての全てを置き去りにし、バツイチ人生を開始する。

処理中です...