抱擁レインドロップ

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四話 心にそぼ降るにわか雨

02

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 その日は予想されたルートを大幅に逸れた台風が直撃して記録的な豪雨だったそうだ。
 交通機関も麻痺し、車を走らせようにも視界不良で危険だとして父は立ち合いに間に合わなかった。
 鳴り響く雷、夫は来られそうもない、停電したら? 生まれて来た我が子に何かあって、それを助ける方法が機能しなかったら?
 信じられないほどの痛みで意識も散り散りになって、親類の誰の付き添いもなく泉を出産し、元気に泣いてくれたことに安心して自分まで大泣きして、翌日やっと病院に来られた父も母と泉の無事に泣き崩れた。

「その時の台風は、私がわざとこの町に引き寄せました。自然発生したものに少し干渉するくらいの力しかもう残されていなかったのです。……泉さんを含め、あの時に産まれた子には、魂に『水』の力が刻まれている。あなたには……その名前も、あります」
「……!」

 やっと辻褄が合った。
 とおるにとって、泉は妻としたい女性として待ちわびた要素を兼ね備えていたのだ。
 産まれた日の台風もとおるの力の影響を受けていて、さらに名前も水にまつわるもので、とおるの水神としての力を支える存在に相応しかった。

「……どうして、それを先に……言ってくれなかったんですか? 自分が消えちゃうかもしれないっていうのに」
「だからこそ、ですよ。結果的に泉さんを不安にさせてしまったので……我ながら下手を打ったなと思っていますが」

 困ったように苦笑する。
 泉は、その苦笑と言葉で察した。察してしまった。

「話したら、わたしがすぐ頷いちゃうって思って……?」
「ええ。放っておけないでしょう? そういうひとだと、私は知っていました。それに、私が消えたとして……そこまで大きな影響はありません。ただ、私がこれからも人々を見守っていたいから。それがワガママでなければなんでしょうか。付き合う義理は、あなたには無いはず……だから、あなたの気持ちで選んで頂ける流れを組んだんです」

 ――今度は、泉からとおるの胸へと飛び込んで。
 ぎゅっと抱きしめて、感情を叩き付けるように叫んだ。

「馬鹿ですか? 馬鹿……馬鹿! 人のために生きていたいからっていうのはワガママじゃないでしょ……ずっとずっと自分の気持ち後ろに隠して、自分の事蔑ろにして、とおるさんがとおるさんのこと大切にしなかったら誰が大切にするんですか!」
「え、ぅ、すみません……」
「馬鹿! 娶りたいとかあれこれ神様って立場から言うならちゃんと責任取ってくださいよ……! ずっととおるさんの気持ちが解らなくて、振り回されて、それでも、でも……あなたにもちゃんと喜んで欲しいって思うわたしが、いて」

 どうしようもなく愛おしい、と。
 龍神の胸の中に膨らんだ思いは、抱き締め返す腕に力を込めるというかたちで表れた。

 結局、泉はこちらの事情を慮って寄り添ってくれてしまおうとしている。
 流れが見え切っていたから伏せていたのに、それどころか自分自身を大切にしないでどうする、とまで言われてしまうとぐうの音も出ない。
 泉がどんな女性に育つかはある程度知っていたが、想定以上に他者思いで、そして――自分を後ろに回すのもお互い様だ。

「改めてきちんと言わせてください。……愛しています。あなたに、妻になって欲しいと……心から思っています。この短期間のうちだけでも、私の身勝手に付き合ってくださって、私の知らない景色を見せてくださって、なによりあなたがそばにいてくれることにとてつもない安堵を感じていました。離れて欲しくないです。行かないで欲しい……」
「……とおるさん。もう一度ちゃんとやり直しましょう。わたしもちゃんとした恋したことないし、本当にお互い好きなのか、気持ちを確かめながら、ふたりでやっていけるかどうか考えましょう」
「……はい。……はい? えっ」

 それだけ言うと泉はとおるの身体をぐいと押し退けて離れ、立ち上がろうとする。そろそろ夕食の時間だ。森田に呼ばれるかもしれない。
 一方とおるはそれどころではなく、慌てて追いかけながら泉の背中に問いかける。

「あ、あの、ちょっと、えっと! お互いにっていうのは」
「だーかーらー! それもお互い性格の問題なのか本当に好きなのか解らないからもうちょっと色々時間かけてお互いの事知っていきましょうってことです」
「そこではなく! あの! 泉さんって私を……」

 ああ、ダメだ。
 そうやって確認したい素振りを見せられたら、本気で好かれているんだと確信してしまうではないか。
 産まれたときから愛していた、というのは正直若干不気味だが。
 でも、真っ直ぐに伝えられて、愛している、必要だと言われて、高鳴ってしまった鼓動がずっとうるさくて。
 不器用で自分の事後回しでなんだか似た者同士な彼のことを好きなのかもしれないと思うと頭の中がめちゃくちゃになりそうだった。

 だって、抱き締められたのも嫌じゃなかった。
 一人で抱え込んでいるのを分けて欲しいと思ってしまった。
 そばにいて支えていきたいと自分でも思ってしまった、それってやっぱり、とおるのことが――。
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