抱擁レインドロップ

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四話 心にそぼ降るにわか雨

01

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 屋敷に帰るころには、とおるの表情はすっかり和らいでいた。緊張、不安、そういったものが吹き飛んで、心の底から安堵していることが誰が見ても解るくらいに。
 一方、泉は浮かない顔をしている。もちろんそれに気付かない龍神ではなく、話がしたい、と言って自室へと泉を招いた。

「泉さん、改めて今日はありがとうございました。とても楽しかったですし……あなたの言葉が、本当にうれしくて。……だから、どうしてそんなに浮かない顔をしているのかと……私のせい、ですか」

 気持ちまでは視えないらしい。もちろん視えたら困るのだが、かといって話すのもそれはそれで気まずかった。
 でも、そんなことはお互いに同じだろう。とおるだって自分のせいで泉が複雑な思いをしているのであれば確かめるのは怖いはずだ。それでも確かめようとするのは、泉のことを想ってからのことだとは理解出来る。
 問題は、もっと踏み込んだところに。

「結論から言っちゃうと、そう……ですね。とおるさんが悪いというわけではなくて、わたしが……色々噛み砕けずにいるだけなんですけど」
「っ……そう、でしたか。ですがそれは……噛み砕けないのは、私がきちんとした説明をしていないから。解らないことが多いから、ですよね」

 頷く。
 泉の仕草を見て、龍神は意を決したように口を開いた。

「私はあなたが産まれた時から……今も、同じくあなたを愛しています。私には、あなたがどんな女性に育つかが視えていました。思慮深く、賢く、周囲を気遣える優しいひとになる、と。……突拍子もないことに聞こえるかもしれませんが」

 そこまで話して、ひと呼吸置く。

 泉の頭の中では、混乱の渦がぐるりぐるりとさらに複雑に巻かれ始めていた。
 生まれたときからとおるに見初められていて、だからこんなにも求婚されている?
 しかし、泉の心中をさらにかき回す言葉がとおるの口から放たれる。

「……ですが、あなたの気持ちはあなたのもの。私と共に過ごすのが苦しいのなら、いつ去られても、それを責めたりはしません」
「……意味が、解らないです。去ってもいいって、なんですか。第二候補がいるから? とおるさんにとって簡単に手放しても平気な存在なら、代わりがいるなら、『愛してる』とか言われても響きませんよ」

 喉の奥が震え、声が揺れた。
 気が付けば瞬きと共に頬を雫が滑り落ち、それを見た神が、反射的に華奢な身体を抱き寄せる。

「ごめんなさい、違う、違うんです……! 手放したくなんてない……! 私が16年ずうっと見ていて待っていたのは泉さん、あなただけで……私を救ってくれるのはあなたしかいないんです。……本当に、ごめんなさい。あなたに無理強いをしたくなくて……かえって酷いことを言いました」

 男性に抱き締められるなんて初めてだった。
 自分の身体がすっぽり収まってしまうほどの肩幅。少し骨ばった身体は自分のそれと比べると硬くて、こんな状況なのになぜだかそれをひどく愛おしいと、安堵さえしてしまっている。
 彼の羽織をぎゅっと握りしめて、涙声を絞り出した。

「わ、わたしだって……ちゃんと恋愛したことないから解りませんけどっ……とおるさんはいつも私のこと大切にしてくれて、私の気持ちを最優先してくれて、それは嬉しくてもとおるさんのことが解らない……あの、私を妻にしたい理由について、ちゃんと教えて頂けませんか……」

 思いを吐き出すと、髪を軽く撫でられる。
 優しく、大きな手。人ではないからだろうか、体温はあまり高くないけれど。
 改めてぎゅっと抱き締めた後に、とおるはゆっくりと身体を離した。
 潤んだ瞳でじっと見上げてくる泉から視線は逸らさない。

「……では、ご説明します。まず、私はこのお寺の周囲を加護下とし、主に雨や川など水にまつわるものに干渉することが出来ます。……しかし、龍の実在も信じられないようになり、私の伝承の知名度も薄れるにつれて、この力はどんどんと弱っていきました」
「……雨」

 思い出した。
 参龍寺に伝わる龍の伝承は、旱魃かんばつによって生命の危機に瀕した人々を救うために雨を降らせた龍に感謝をする、という流れだ。
 その龍こそが、とおるだとするならば。

「はい。龍神は水神でもあります。私は死後に龍から龍神となり、水を司る力によって人々の生活を守ってきました。……ですが貯水技術の発展や、人々から信仰という概念そのものが薄れたり……といったことが後押しして、龍神としての私はこのままでは消えてしまうというところまで追いつめられていました。それを防ぐために、『水』の素養を魂に強く刻まれた女性を娶ることしか思いつかなかったんです」
「……それが、わたし……?」
「泉さんは、ご自分が産まれた日のことをお母様から聞いたことはありますか」

 ――聞いたことがある。いや、忘れるはずもない。
 母にとっては初めての出産だというのに、不安だらけのまま乗り越えたという話を。
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