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三話 残響と序奏
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「外に出るのは34年ぶりです……」
「それだけブランクがあれば戸惑うことも多そうですね。切り出したのはわたしですし、わたしのほうが街には詳しいですから、適当に気軽にぶらつきましょう。別にこれが最後ってわけでもないんで」
屋敷の外へ出る時点ですでに軽くおろおろしていたとおるを導く。
人の姿になる前はどうだったんだ、と尋ねたくなったが別にそれは夕食の時でも良いか、とひとまず置いておいた。
アスファルトの上を不思議そうに歩み、時折通る車には少し怯えて。
しかし、とおるは車道側を歩いてくれていた。
それは無意識なのか、男性としての配慮なのか、どちらなのかは解らない。
しかし泉にはなんとなく、男性としての配慮のように思えたのだった。
きっととおるにとって恐ろしい存在であろう車が、現代人にとっても危険であることを知っているのだろう。
だから泉がその危険に晒されないよう、いざとなれば自分が守れるよう、そちら側にいるのだと。
ほどなくして賑わいのある通りに出て、車道と歩道が柵で区切られていることにより龍神は少しほっとした様子を見せる。
「このあたりも随分変わりましたね……昔はもっと素朴な店が並んでいたものです」
「……それは、34年より前のことですか?」
意外と尋ねるチャンスが早く訪れたので訊いてみた。
するととおるは街並みに視線を配らせながら目を細め、穏やかな声で説明する。
「いいえ。この姿になってから、私は私の加護が届く範囲内であればあらゆるものを『視る』ことが出来るようになりました。34年前は、個人が経営する小規模な店が多かったんですよ。この美容院などは、確か4年ほど前に出来たばかりですね」
また神様要素を提示されたので、少し困惑してしまった。
一方的に泉を知っていたのも、その『視る』能力によるものなのだろうか。
それにしても、加護が届く範囲を認識出来るなんて相当の情報量だろうに、処理できるのはさすが神様と言うべきか。
……先日の盗み聞きも、もしかしたらバレているのかもしれない。
「ですが、こうして実際に訪れてみると、全然違いますね。香りや音、私の能力だけでは感じられないものを肌で感じ取ることが出来ます」
「文字通り、視覚情報しか解らないってことですか」
「ええ。なので今も、この……何か甘い匂いがしますが、それがどこから来るのか解りません。今の時代でこうして甘い香りを通りにまで漂わせるものが何かすら……」
言われてみれば、鼻腔を擽る甘い香りに気が付く。
ホットケーキ、クレープ、そういった小麦粉で出来た焼き菓子のものに近いがこのあたりにそんな店などあっただろうか、と泉は首をあちらこちらへ向けてその発生源を探った。
「……たい焼き」
「え?」
泉が香りの元に気付くより前に、とおるが「あれです」と指で示したのはキッチンカーだった。
それならば香りが通りに広がるのも当然だし、泉の記憶に無いのも合点がいくし、なによりでかでかと書かれた『たい焼き』の文字でとおるが判別出来るのも自然である。
「食べてみますか?」
その質問は、愚問。
解り切った答えを携えて、ふたりはキッチンカーへと歩を進めた。
「とおるさん結構俗っぽいもの食べてましたよね、あんこもありますけどカスタードも今わりとメジャーだし食べたことありますか」
「そう、ですね……カスタードクリームは解りますがたい焼きを食べたことは無い……かと……」
メニューを前にして、とおるは眉根に深い皺を寄せる。悪くないはずの目で並ぶ文字列をじっと見つめて険しい顔をしていた。
確かにたい焼きは家庭で作るものではないし、屋敷での食生活で出来合いの何かが並ぶことは無かった。
もしかして、と思い泉は提言してみる。
「……ふたりで別々のものを頼んで、半分にしませんか? それなら二種類食べられますよ」
「……! で、ですがそれでは……泉さんはどの味が食べたいのですか? 私もひとつに絞るので少々お時間を頂けたら……」
当たりだ、何味にするか迷っているらしい。
あんこもカスタードクリームも食べたことはある。しかし『たい焼きの中身として』食べたことはないのだ。
ふたりでの外出はこれで最後ではなくとも、キッチンカーはいずれどこかへと去ってしまう。
その時、泉の中でなにかがちらりと燻ぶった。
いつもいつも、とおるはこちらを優先してくれるけれど、とおるの喜びは、幸せは、些細なことで後回しにされすぎではないだろうか?
彼の本心が見えない。それがもどかしいのだ、結局いつだってそこに思考が帰ってくる。
同時に、彼の喜ぶところをきちんと見てみたい、とも。
「わたしはたい焼きなんていろいろ食べてきましたから。今、わたしはとおるさんとふたりで出かけてるんですよ。それなら、ふたりともが嬉しいようにしたいです。わたしは、とおるさんにもちゃんと喜んで欲しい」
「……っ」
蒼いひとみが、驚きに見開かれる。
何かを言いかけて口をわずかに開き、しかしそれは一度閉じられて。
へにゃりと笑うと、「ありがとうございます」と子どものような声色で無邪気に礼を告げられるものだから。
心臓が跳ねたことに対して、この感情を、この感覚を、どう名付けようか。
「それだけブランクがあれば戸惑うことも多そうですね。切り出したのはわたしですし、わたしのほうが街には詳しいですから、適当に気軽にぶらつきましょう。別にこれが最後ってわけでもないんで」
屋敷の外へ出る時点ですでに軽くおろおろしていたとおるを導く。
人の姿になる前はどうだったんだ、と尋ねたくなったが別にそれは夕食の時でも良いか、とひとまず置いておいた。
アスファルトの上を不思議そうに歩み、時折通る車には少し怯えて。
しかし、とおるは車道側を歩いてくれていた。
それは無意識なのか、男性としての配慮なのか、どちらなのかは解らない。
しかし泉にはなんとなく、男性としての配慮のように思えたのだった。
きっととおるにとって恐ろしい存在であろう車が、現代人にとっても危険であることを知っているのだろう。
だから泉がその危険に晒されないよう、いざとなれば自分が守れるよう、そちら側にいるのだと。
ほどなくして賑わいのある通りに出て、車道と歩道が柵で区切られていることにより龍神は少しほっとした様子を見せる。
「このあたりも随分変わりましたね……昔はもっと素朴な店が並んでいたものです」
「……それは、34年より前のことですか?」
意外と尋ねるチャンスが早く訪れたので訊いてみた。
するととおるは街並みに視線を配らせながら目を細め、穏やかな声で説明する。
「いいえ。この姿になってから、私は私の加護が届く範囲内であればあらゆるものを『視る』ことが出来るようになりました。34年前は、個人が経営する小規模な店が多かったんですよ。この美容院などは、確か4年ほど前に出来たばかりですね」
また神様要素を提示されたので、少し困惑してしまった。
一方的に泉を知っていたのも、その『視る』能力によるものなのだろうか。
それにしても、加護が届く範囲を認識出来るなんて相当の情報量だろうに、処理できるのはさすが神様と言うべきか。
……先日の盗み聞きも、もしかしたらバレているのかもしれない。
「ですが、こうして実際に訪れてみると、全然違いますね。香りや音、私の能力だけでは感じられないものを肌で感じ取ることが出来ます」
「文字通り、視覚情報しか解らないってことですか」
「ええ。なので今も、この……何か甘い匂いがしますが、それがどこから来るのか解りません。今の時代でこうして甘い香りを通りにまで漂わせるものが何かすら……」
言われてみれば、鼻腔を擽る甘い香りに気が付く。
ホットケーキ、クレープ、そういった小麦粉で出来た焼き菓子のものに近いがこのあたりにそんな店などあっただろうか、と泉は首をあちらこちらへ向けてその発生源を探った。
「……たい焼き」
「え?」
泉が香りの元に気付くより前に、とおるが「あれです」と指で示したのはキッチンカーだった。
それならば香りが通りに広がるのも当然だし、泉の記憶に無いのも合点がいくし、なによりでかでかと書かれた『たい焼き』の文字でとおるが判別出来るのも自然である。
「食べてみますか?」
その質問は、愚問。
解り切った答えを携えて、ふたりはキッチンカーへと歩を進めた。
「とおるさん結構俗っぽいもの食べてましたよね、あんこもありますけどカスタードも今わりとメジャーだし食べたことありますか」
「そう、ですね……カスタードクリームは解りますがたい焼きを食べたことは無い……かと……」
メニューを前にして、とおるは眉根に深い皺を寄せる。悪くないはずの目で並ぶ文字列をじっと見つめて険しい顔をしていた。
確かにたい焼きは家庭で作るものではないし、屋敷での食生活で出来合いの何かが並ぶことは無かった。
もしかして、と思い泉は提言してみる。
「……ふたりで別々のものを頼んで、半分にしませんか? それなら二種類食べられますよ」
「……! で、ですがそれでは……泉さんはどの味が食べたいのですか? 私もひとつに絞るので少々お時間を頂けたら……」
当たりだ、何味にするか迷っているらしい。
あんこもカスタードクリームも食べたことはある。しかし『たい焼きの中身として』食べたことはないのだ。
ふたりでの外出はこれで最後ではなくとも、キッチンカーはいずれどこかへと去ってしまう。
その時、泉の中でなにかがちらりと燻ぶった。
いつもいつも、とおるはこちらを優先してくれるけれど、とおるの喜びは、幸せは、些細なことで後回しにされすぎではないだろうか?
彼の本心が見えない。それがもどかしいのだ、結局いつだってそこに思考が帰ってくる。
同時に、彼の喜ぶところをきちんと見てみたい、とも。
「わたしはたい焼きなんていろいろ食べてきましたから。今、わたしはとおるさんとふたりで出かけてるんですよ。それなら、ふたりともが嬉しいようにしたいです。わたしは、とおるさんにもちゃんと喜んで欲しい」
「……っ」
蒼いひとみが、驚きに見開かれる。
何かを言いかけて口をわずかに開き、しかしそれは一度閉じられて。
へにゃりと笑うと、「ありがとうございます」と子どものような声色で無邪気に礼を告げられるものだから。
心臓が跳ねたことに対して、この感情を、この感覚を、どう名付けようか。
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