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五話 冬の香りにあたたかな雨粒
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さて、ととおるは姿勢を正す。
着物の衣擦れのしゅるりとした音はどこか上品で、紙の匂いがするこの部屋の中では文豪か何かにも思えた。
まあ、本人曰く神様なのだが。
「ええと……まず、普通に家族のように接してみてそのうえで……とか。あとは、うーん……色々度外視して、泉さんが無自覚で封じ込めていた要求やワガママに心当たりはありますか?」
「急に難題では……? 無自覚のものを自覚するって……」
「うーん……あの、泉さんが蒸し返されたくないかもしれない話をしてもいいでしょうか?」
その問いにはこくりと頷いた。
蒸し返されたくないかもしれないと思うのはとおるの主観であって、泉としては今更とおるに対して蒸し返されて嫌なことの心当たりなど無い。
なら、変に隠し事をしたりかしこまるよりは思ったことを全部言ってしまったほうが良いはずだ。
とはいえ、とおるの確認行為は大事なことだ。
相手にどのくらい踏み込んで良いかは関係性やその人の感覚によって違う。
対人関係に乏しいはずの龍神は、それを弁えているというよりは純粋にそういう気質なのだろう。
「森田さんの料理を……初めて食べたときに。お母様の手料理をしばらく食べていないと……『こんな話でドリアが冷めたら勿体ない』と気を遣って話題を打ち切ってくださいましたが、私にはどうにもあの出来事が引っかかっているのです」
不意を突かれた気がした。
気を遣ったつもりはなかったが、言われてみればあの空気を壊したくないという配慮だったかもしれない。
そうした無自覚での我慢の積み重ねこそが、今の自分を雁字搦めにしている?
泉の瞳が揺れるのを見て、龍神は息を飲んだ。
意を決したように続ける。
「本来であれば、泉さんほどの年齢はまだ子どもと見なされるものです。親に甘えるもの。ご家庭から奪い去っている私に言えた台詞ではありませんが……。泉さんは普通ではないことを当たり前にこなし、それを自覚していない。『すごいのが当たり前』になってしまっているからでは、ありませんか」
「……そんな大それたものじゃ……」
いや、そうなのか?
とおるの言葉に、泉の声色には迷いが混じりだす。
父親がいなくなって、母が働きに出て、ずっと背伸びし続けているうちに等身大の自分を見失って。
周囲よりも早く大人になることを強いられて、いや、そう在ろうと思ったのは自分自身の決意のはずだ。
母だって憔悴していたし、自分だってしっかりしていたかった。
混乱するばかりの人間にはなりたくなかった。
この屋敷に来た時もそうだった、冷静に分析して自分なりに上手く振る舞おうとした。
どうすれば自分も、母と弟も、上手く行くか。
それらを、途切れ途切れの言葉で吐き出していく。
気が付いた。
「わたし、自分の事全然優先してない……」
「……そうです。もちろん、世の中には様々な事情のご家庭があるでしょう。ですが今私は泉さんと話しています。泉さんと家族のように在りたい。……だから、されるべき優先はされて欲しいですし、甘えたい時には甘えに来て欲しい、そう思います」
「……わ、解らないです」
俯く。
声に憔悴の色が滲んだのに気が付いて、とおるは心配げに顔を覗き込もうとした。
「甘えるって具体的にどうやるんですか……? 我慢してるってどうやって気が付くんですか……?」
「……泉さん」
胸が張り裂けそうだった。
自分の都合で引き寄せた年端もゆかぬ少女は、甘え方も知らない。
この家に来た理由だって、家族を楽にさせたいという気持ちがあったなんて知らなかった。
金銭や名声だけではなく、めいっぱい考えた末に来てくれたのだと。
気が付けばとおるはまた泉を抱き寄せて、ぎゅうっと抱きしめていた。
「私が……私が先回りします。泉さんがいっぱい頑張ったものは私がめいっぱい褒めますし、その、甘やかします。どうしたら泉さんが喜んでくださるかはまだ掴み切れていませんが、人はこうして抱擁することで安堵を得ると聞きました。……もう強い泉さんだけじゃなくて、良いんですよ」
「とおる、さん」
目頭が熱くなるのを感じる。
声を押し殺して瞼からぽつりと零れた雨粒。
それは冬空に冷えたものではなく、あたたかな涙だった。
「まずは、第二でいいので家族になりましょう? 泉さんの帰る家はふたつあります。えっと、ご実家に帰られてしまうのは寂しいですが、ここも第二の家だと思って欲しいんです。私の隣を、居場所だと思ってください。泉さんの席は、いつだってここにあります」
「……はい」
「私も、家族らしいなんたるかは解りません。でも、型に嵌まる必要も無いと考えます。もとより神と人が共に暮らすわけですから……なので、私達らしいかたちを見付けましょう。泉さんが少しでも寂しくないように、我慢しなくていいように」
気持ちにいくつも嵌められた枷を、ひとつひとつ丁寧に外されていくような感覚。
心の底から泉のことを思いやって、言葉を選んで、嘘を吐かずに真っ直ぐ伝えて来てくれる。
それは、恋愛的なものではないかもしれなくとも確かに愛だと感じられた。
異性としてどうとか、今更だんだんどうでも良くなってくる。
とおるはこんなにも自分のことを知ろうとしてくれて、大切にしてくれて、愛してくれているのだから。
だからこそ、自分の気持ちに名前を付けられない事がもどかしかった。
「とおるさん、あの……ありがとうございます。わたし、ずっとはっきりしなくて申し訳ないんですけど……これだけは言えます」
恥ずかしくて、とおるの胸に顔は埋めたまま。
顔を見て言えた台詞ではないから。
「個人として、とおるさんのことすごく好きだなってのは確かです。男の人としてとか結婚とかそういうのは……ピンと来ないんですけど、とおるさんがすごく良い人で優しくてあったかいから、そういうところが好きなのは事実だ……って言えます」
そうぼそぼそと告げると、とおるが抱き締める腕を少し緩ませる。
無言。
どうしよう、何か言い方をまずっただろうか。
そう思いそっととおるの胸から顔を離して見上げると、龍神は今までに見た事がないほどに顔を真っ赤にしていた。
かち合った視線。
龍神は唇を震わせて、答えた。
「……あの、どうしようもなく嬉しいです……!」
着物の衣擦れのしゅるりとした音はどこか上品で、紙の匂いがするこの部屋の中では文豪か何かにも思えた。
まあ、本人曰く神様なのだが。
「ええと……まず、普通に家族のように接してみてそのうえで……とか。あとは、うーん……色々度外視して、泉さんが無自覚で封じ込めていた要求やワガママに心当たりはありますか?」
「急に難題では……? 無自覚のものを自覚するって……」
「うーん……あの、泉さんが蒸し返されたくないかもしれない話をしてもいいでしょうか?」
その問いにはこくりと頷いた。
蒸し返されたくないかもしれないと思うのはとおるの主観であって、泉としては今更とおるに対して蒸し返されて嫌なことの心当たりなど無い。
なら、変に隠し事をしたりかしこまるよりは思ったことを全部言ってしまったほうが良いはずだ。
とはいえ、とおるの確認行為は大事なことだ。
相手にどのくらい踏み込んで良いかは関係性やその人の感覚によって違う。
対人関係に乏しいはずの龍神は、それを弁えているというよりは純粋にそういう気質なのだろう。
「森田さんの料理を……初めて食べたときに。お母様の手料理をしばらく食べていないと……『こんな話でドリアが冷めたら勿体ない』と気を遣って話題を打ち切ってくださいましたが、私にはどうにもあの出来事が引っかかっているのです」
不意を突かれた気がした。
気を遣ったつもりはなかったが、言われてみればあの空気を壊したくないという配慮だったかもしれない。
そうした無自覚での我慢の積み重ねこそが、今の自分を雁字搦めにしている?
泉の瞳が揺れるのを見て、龍神は息を飲んだ。
意を決したように続ける。
「本来であれば、泉さんほどの年齢はまだ子どもと見なされるものです。親に甘えるもの。ご家庭から奪い去っている私に言えた台詞ではありませんが……。泉さんは普通ではないことを当たり前にこなし、それを自覚していない。『すごいのが当たり前』になってしまっているからでは、ありませんか」
「……そんな大それたものじゃ……」
いや、そうなのか?
とおるの言葉に、泉の声色には迷いが混じりだす。
父親がいなくなって、母が働きに出て、ずっと背伸びし続けているうちに等身大の自分を見失って。
周囲よりも早く大人になることを強いられて、いや、そう在ろうと思ったのは自分自身の決意のはずだ。
母だって憔悴していたし、自分だってしっかりしていたかった。
混乱するばかりの人間にはなりたくなかった。
この屋敷に来た時もそうだった、冷静に分析して自分なりに上手く振る舞おうとした。
どうすれば自分も、母と弟も、上手く行くか。
それらを、途切れ途切れの言葉で吐き出していく。
気が付いた。
「わたし、自分の事全然優先してない……」
「……そうです。もちろん、世の中には様々な事情のご家庭があるでしょう。ですが今私は泉さんと話しています。泉さんと家族のように在りたい。……だから、されるべき優先はされて欲しいですし、甘えたい時には甘えに来て欲しい、そう思います」
「……わ、解らないです」
俯く。
声に憔悴の色が滲んだのに気が付いて、とおるは心配げに顔を覗き込もうとした。
「甘えるって具体的にどうやるんですか……? 我慢してるってどうやって気が付くんですか……?」
「……泉さん」
胸が張り裂けそうだった。
自分の都合で引き寄せた年端もゆかぬ少女は、甘え方も知らない。
この家に来た理由だって、家族を楽にさせたいという気持ちがあったなんて知らなかった。
金銭や名声だけではなく、めいっぱい考えた末に来てくれたのだと。
気が付けばとおるはまた泉を抱き寄せて、ぎゅうっと抱きしめていた。
「私が……私が先回りします。泉さんがいっぱい頑張ったものは私がめいっぱい褒めますし、その、甘やかします。どうしたら泉さんが喜んでくださるかはまだ掴み切れていませんが、人はこうして抱擁することで安堵を得ると聞きました。……もう強い泉さんだけじゃなくて、良いんですよ」
「とおる、さん」
目頭が熱くなるのを感じる。
声を押し殺して瞼からぽつりと零れた雨粒。
それは冬空に冷えたものではなく、あたたかな涙だった。
「まずは、第二でいいので家族になりましょう? 泉さんの帰る家はふたつあります。えっと、ご実家に帰られてしまうのは寂しいですが、ここも第二の家だと思って欲しいんです。私の隣を、居場所だと思ってください。泉さんの席は、いつだってここにあります」
「……はい」
「私も、家族らしいなんたるかは解りません。でも、型に嵌まる必要も無いと考えます。もとより神と人が共に暮らすわけですから……なので、私達らしいかたちを見付けましょう。泉さんが少しでも寂しくないように、我慢しなくていいように」
気持ちにいくつも嵌められた枷を、ひとつひとつ丁寧に外されていくような感覚。
心の底から泉のことを思いやって、言葉を選んで、嘘を吐かずに真っ直ぐ伝えて来てくれる。
それは、恋愛的なものではないかもしれなくとも確かに愛だと感じられた。
異性としてどうとか、今更だんだんどうでも良くなってくる。
とおるはこんなにも自分のことを知ろうとしてくれて、大切にしてくれて、愛してくれているのだから。
だからこそ、自分の気持ちに名前を付けられない事がもどかしかった。
「とおるさん、あの……ありがとうございます。わたし、ずっとはっきりしなくて申し訳ないんですけど……これだけは言えます」
恥ずかしくて、とおるの胸に顔は埋めたまま。
顔を見て言えた台詞ではないから。
「個人として、とおるさんのことすごく好きだなってのは確かです。男の人としてとか結婚とかそういうのは……ピンと来ないんですけど、とおるさんがすごく良い人で優しくてあったかいから、そういうところが好きなのは事実だ……って言えます」
そうぼそぼそと告げると、とおるが抱き締める腕を少し緩ませる。
無言。
どうしよう、何か言い方をまずっただろうか。
そう思いそっととおるの胸から顔を離して見上げると、龍神は今までに見た事がないほどに顔を真っ赤にしていた。
かち合った視線。
龍神は唇を震わせて、答えた。
「……あの、どうしようもなく嬉しいです……!」
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