夢で逢いましょう

待井 月

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夢の中、私は花畑の真ん中に立っていた。
草の背丈は私の膝を越えて、白い花が波のように揺れている。

「おかえり、ミオさん」

背後から声がする。
あたたかくて、包み込むような優しい声。

振り向くと、あの人が立っていた。
いつも白いシャツに黒いズボン。風にそよぐ柔らかな髪。
そして、笑っている。まるで、私だけを見ているように。

「今日も来てくれて、うれしいよ」

「……夢、見られました」

「うん。ちゃんと来られたね。えらいえらい」

まるで子どもを褒めるように、くしゃっと笑って頭を撫でてくる。
そんなこと、現実じゃ誰にもされたことないのに。

「先生、名前……教えてくれませんか?」

その言葉が口をついて出た瞬間、先生の笑顔がふっと曇った。

「それは、まだ早いよ」

「どうして……?」

「名前は、夢を閉じる鍵でもあるんだ。知ってしまったら、もう帰れなくなるよ」

「帰れなくても、いいです」

そう答えた私に、先生は少し困ったように微笑んだ。
そして、そっと私の頬に触れる。

「その気持ちが本物ならどれだけ嬉しいことか」

その言葉の意味を、私はまだ知らなかった。


——だって、私はもう現実に、帰りたくなかったから。



「ミオいらっしゃい!こっちだよ、今日はあっちの階層が開いてるから!」

声の方を振り返ると空中に浮かぶ階段の裏側から、男の子が顔を覗かせていた。
軽やかに笑って、逆さのまま手を振っている。
白髪の先が風に揺れ、重力なんて存在しないかのように。

「いってらっしゃい、いつもの場所で待ってるよ」

そう言って先生は先に歩き出した。


声をかけてきたのは、ギィ。
彼はそう名乗ったけれど、もちろん本当の名前ではない。
わたしに名前を教えることを、彼もまた、避けていた。

「ねえミオ、今日もちゃんと夢見てえらいね」
「それ、先生も言ってた」

「ふふん、先生の言うことって、いつも僕と同じすぎない??絶対真似されてる!!」

軽口を叩きながら、彼は片手を伸ばし、わたしの手を引いた。
宙に浮いた階段を一歩ずつ進むごとに、空は深くなり、足元の水は遠ざかっていく。

「今日は“花の本棚”がひらいてるんだ。君が好きそうなところだよ!」
「花の……?」

「言葉のない言葉が咲いてる本棚。君の気持ちを映す場所」

彼の言う通り、階段の先には、色とりどりの花に覆われた棚が並んでいた。
本ではなく、花が知識を抱え込んでいる図書館の一角。
一輪の花を手に取ると、そこに刻まれた文字が光る。

“わたしのいばしょはどこ。”

読んだ瞬間、胸の奥に何かがじわりと滲んでくる。
誰が書いたのでもない、きっと、わたし自身の気持ち。

「ギィ、これは……」

「うん、君の心の声。夢っていうのはね、隠してるものを咲かせる場所なんだよ」

そう言ったギィの声は、さっきまでの軽さを少しだけ失っていた。
まるで何か、知ってはいけないことを知っている人の目だった。

そのとき。

「ギィ、あまり深いところへ連れていかないで」

ふと聞こえた声に、わたしは振り向く。
階段の下から、静かに歩いてくる女性がいた。
深い青髪に透き通るような肌。目元に微かな疲れを宿したその人は、ノア。
彼女もまた、本当の名前ではない。

「ミオちゃん、あなた……少し、無理してるわよ」

ノアはわたしの手からそっと花を取り、そっと閉じるように両手で包んだ。
その瞬間、文字は淡い光を放って、静かに消えた。

「でも、私は……ここにいたいの」

「そうね。でも、心が願う場所と、身体が眠る場所は、同じじゃないのよ」

ノアの声は、いつだって優しかった。
けれどそのやさしさは、時折、痛いくらい現実を思い出させる。

わたしはふと、先生の顔を思い浮かべた。
さっきの言葉。「その気持ちが本物ならどれだけ嬉しいことか」

私の中にはまだ迷いがあるのか、分からなくなりそうだった。
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