居候の訳アリ女子高生アイドルに三日で恋をして、相思相愛になった件。【三月の雪】

月平遥灯

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芽吹く春 ミツキの告白

野々村朱莉という人

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 朝は時間差で登校すれば、という姉さんの意見を参考にして、僕が早めに家を出て、ミツキがその後裏口から出ることになった。家から学校までは歩いて三〇分ほどで、学校の前の坂は傾斜がきつい。僕が坂の中腹に差し掛かったころには、すでにミツキは僕に追いついていた。ミツキは僕のことを横目で一瞬見ただけで、何も声を掛けずに坂を上っていく。僕は立ち止まって呼吸を整えると、再び足を動かした。


 「おはよ! シュン!」


 挨拶をしてきたのは、野々村朱莉《ののむらあかり》だ。僕が坂を上っていると、毎朝声を掛けてくる。ショートボブの毛先が内側に巻いていて、大きな瞳が印象的だ。朱莉は絶対にモテるタイプで、数か月に一度、学園ドラマのように放課後になると男子に呼び出されている。そして、告られた挙句、好きな人いるから、と月並みな言葉でお断りをする。
 
 なぜ僕がそんなことを知っているのかというと、朱莉が逐一報告してくるからだ。別に知りたくもないのに。そのくせ、馴れ馴れしく触れてくる朱莉は、思わせぶりな態度からきっと陰で小悪魔なんて呼ばれているに違いない。しかも、二つ名は学園一のアイドル。ふざけている。実にふざけている。この朱莉が学園一のアイドルならば、なぜ僕なんかに付きまとうのか。


「おはよう。朱莉。そうだ、今日、ダンス部覗かせてもらうから」


 僕の隣を歩く朱莉は、小走りで前に出ると行く手を阻んだ。眉間に皺を寄せた朱莉は、腹の底から絞り出した声で大きく、はぁ、と発して僕の顔を覗き込む。愛くるしい瞳を見る限り、僕の中の印象は猫だ。うん、いたずら好きの猫。


「も、もももしかして、シュンってばやっとダンス部に入部してくれるの?」


 僕はかぶりを振って朱莉を追い抜き、歩みを進めた。僕は普通の人とは違い、少しでも進まなければ遅刻してしまうのだ。上り坂なんてとてもではないけれど、走ることはできず、速足すらままならない。


「ダンスは好きだけど、できないんだから仕方ないだろ」


「指導してくれるだけでも、なんなら振り付けを考えてくれるだけでもさぁ~」


 小走りで僕に追いつき、顔を覗きながら朱莉が両手を合わせた。まるで財布を忘れてお金を借りに来る新之助のように何度もお願い、お願い、と僕を仏様のように扱う。朱莉は、そうだ、と思い出したようにポケットからグミを取り出して僕の口に無理やり放り込んだ。僕を餌付けする気か。


「果汁が入っているから、ビタミンたっぷり! それあげたんだから、入部してよね!」


 口いっぱいに広がる葡萄《ぶどう》の風味に、思わず頬が緩んだ。笑ったわけではない。口腔内の頬の内側が葡萄のエキスに毒されたのだ。酸味が強いくせに甘いのだから仕方ない。これは朱莉の策略で、きっと僕が葡萄グミの毒気にやられたところを、無理やり入部すると言わせるに違いない。こんな美味いグミは初めてだ。


「僕なんかよりも、すごい人だから、楽しみにしててよ」


「シュンよりもすごい人なんているはずないじゃん」


 朱莉は僕の腕にしがみついて、冗談を言っては離れて、結局、昇降口の前までふざけ合っているから勘違いされるのだ。朱莉と僕が付き合っていると。そのたびに否定するのが面倒なのだからやめて欲しい。学園一のアイドルについたあだ名は、倉美月春夜の嫁。実にふざけている。いい加減、馴れ合いはやめてくれないかな。



 昼休みになれば、やはり新之助が絡んでくる。豚骨一番と大きく書かれたカップを片手に持ち、呆れた顔で僕に、お前なぁ、と言ってきた。豚骨の香りで汚染されることを防ぐために窓を開けると、窓際の席に座っていたミツキと目が合う。しかし、お互いすぐに目を逸らした。気まずいわけでもないのだが、学校ではあまり親しくしないほうがいいだろう、という僕なりの認識があった。
 
 昨日までは仲良くしようと思っていたのに、同じ敷地に住んでいると分かればこれだ。なんて僕は薄情なのだろう。ああ、自分が嫌だ。


「朱莉って、お前、ダンス部の朱莉だろ。学園一のアイドル捕まえて、それはないだろ」


 学園一どころか、日本一のアイドルがすぐそこにいるのに、新之助はなんていうことを言うのか。別に僕と朱莉がどうなろうと、ミツキには関係ない。だが、それでも同居している関係上、下手なことがミツキの耳に入れば、結果的に家族に筒抜けになってしまうことだろう。それだけは避けなければならない。とはいえ、その同居事情は、絶対に学校では漏らしてはいけない最機密事項のために、とどのつまり、新之助を止める方法はない。

 参ったな。


「いや、あいつがいつも僕に付きまとうんだ。ダンス部入れとか、顔を出せとか、アイスおごれとか」


「————だってお前の嫁だろ。絶対に春夜のこと好きだろ。逆に告っちゃえよ」


「いや、絶対そういうのじゃないんだって。朱莉は、ただ僕にダンス部の可能性を見出してほしいだけなんだよ」


「まあ、そう思うのは当然だと思うよ」


 新之助は急に真面目な表情をして、僕の顔を窺う。新之助だって、僕が一年生で転校してくる前までどんな生活をしていたのかくらい知っている。ダンサーとして、高校生ながら稼げるくらいになっていた。毎日ニューチューブにダンス動画をアップしていて、再生回数は五〇万回を超えていたのだからトップページにも躍り出ることも多かったはず。テレビに取り上げてもらったことも何度もある。
 
 そんな絶頂期に僕が倒れた、というニュースが流れて三か月くらい過ぎた頃、僕はこの学校に転校してきた。
 
 
 踊れなくなった天才ダンサー姿を消す。天才ダンサー倉美月春夜《くらみつきしゅんや》、死亡!? 少年ダンサーの早すぎる引退。


 夢を失った少年はいずこに!?


 僕のことを悪く言う人はいなかった。世の中は僕に同情する風潮があったようで、それは例外なく、この学校も同様だった。


「まあ、朱莉の性格なら、僕に同情なんてしないだろうね」


「それがあいつの良いところなんだろ?」


「うん。普通に接して欲しいんだ。自分の葬式を見ているような感覚は二度と味わいたくない」


 新之助はそれ以上何も言わず、ただラーメンを啜った。
 窓の外は今日も晴れていて、何事もなく日常が過ぎていく。それでいい。僕のことを忘れてくれて構わない。無視して欲しいとか、そういうことではない。ただ、溶け込みたいだけ。僕の中の“あの日”はもうすでに死んでいるのだから、そっとしておいてほしい。ここにいる僕は別人で、ただの身体が弱い普通の男子高校生。帰宅部の倉美月春夜だから。


 ふと、ミツキと目が合った。ミツキは食事を終えたようで弁当箱に蓋をしていた。良かった。今日はキャラ弁じゃなかったのかな。いいな。僕の弁当箱の中で黄色い熊がハチミツを食べていたけど。卵がメインで、ベストはカニカマだった。ご飯はオムライスでなかなかおいしかったけど、やっぱり恥ずかしかったな。でも、どうせ新之助くらいしか見ていないから気にすることもないのか。


 ミツキも早く溶け込めるといいな。難しいのかな。



 ホームルームが終わると、一斉に動き出す生徒たちの波で溺れないように注意する必要がある。この学校はどの部活も弱小なくせに、なぜか活気に満ち溢れていて、やる気がみなぎっている。理由は分からないけれど、みんな必死に生きているのが分かる。僕は帰宅して昼寝して、写真を現像する生活になってしまっていたので、普通の高校生がそれで楽しいわけでもない。


 人の波が引いたところを見計らって、教室に残っているミツキに目配りする。僕が席を立つと、ミツキも後をついてきた。階段を下って廊下を進み、職員室をすぎて多目的室の前で歩みを止める。


「ここでダンス部は練習しているんだけど————」


 ミツキはこくっと頷いて多目的室の中を、ドアの窓から覗いた。まだ練習は始まっていないようで、二人の女子が机を後方に移動している。

 多目的室は、天井から吊り下げられているアンプから音源を流せる環境になっていて、広くはないもののエアコンも完備されていた。環境的には悪くない。しかも、防音になっているために音が漏れ出ることがない。むしろ、ダンス部はそのために多目的室を使わせてもらえるという特権があるのかもしれない。吹奏楽と派手なヒップホップが流れる校舎で、文化部が活動するのは、想像がつかない。まして、数学部とか文学部の生徒からしたら、発狂しそうなくらい最悪な環境になってしまう。だから、多目的室なのだろう。


「なんか、緊張しますね」


 アイドルでも緊張することがあるのか、と訝しんだ。武道館や東京ドームのコンサートとどっちが緊張しますか。なんて訊きたかったが、そういう意味じゃないと言われそうなのでやめておこう。ミツキは真剣な眼差しで中を窺っている。やはり本気でダンスをするつもりなのだろう。ここにもいました。やる気がみなぎっていて、必死に生きている人。ああ、なんて羨ましい。


「あまり気乗りしないけど」


 ドアノブに手をかけて、扉を開いた。正直、ダンス部に僕が顔を出すということは、ものすごく気まずいのだ。だが、ミツキが望むなら仕方ないし、もしかしたら僕にとって一歩を踏み出すいい機会なのかもしれない。テレビでもネットでも、ダンスを見ないように、触れないように生活してきたのだから、ここでそのトラウマを克服できるならそれもいい。結局、僕の中の問題なのだ。それは自分でもよく分かっている。分かっているけど……。


「え……シュン様!?」

「ええええ!? シュン様入部ですかっ!?」


 足を開脚してストレッチをしていたポニーテールの女子とツインテールの女子が、僕を見るなり呟く。様づけはないだろう。どこの貴族か豪族、はたまた王族だよ。僕は一般市民で単なる帰宅部の倉美月春夜だ。


「えっと、朱莉はいるかな?」


「朱莉なら、着替えています」


 ポニーテール女子が指差したのは、部屋の前方にある扉だった。その扉の向こう側は音響のミキサーがある部屋で、窓から中が丸見えになっている。しまった、と思い僕はすぐに顔を逸らす。まさかそんなところで着替えているとは思いもよらなかったのだから、仕方ない。

 しかし、朱莉はすぐに出てきたために、彼女の生着替えという事故を見なくて済んだことに胸を撫でおろした。見てしまった日には、三六五日アイスを奢らされるはめになるか、女王様よろしく朱莉の座る椅子の前に四つん這いにされて、オットマンのごとく扱われるに違いない。そんなことになれば、僕は、朱莉の奴隷として毎日を過ごさなければならない。なんとおぞましく、可哀そうなアオハル生活。


「おや、本当に来たんだね。シュンさま! 入部届はこっちで書いておくから大丈夫だよ!」


 ハーフパンツと無地のTシャツを着た、サマ付けで茶化す朱莉は、不敵に笑いながら僕の腕を引いた。こっちに座って、という誘いを断り事情を話す。


「今日は、僕の入部じゃなくて」


 そこまで言いかけて、扉を開いてミツキに手招きした。ミツキは申し訳なさそうに部屋に入る。当然の反応だと思うが、女子たちが目を丸くしてミツキを取り囲んだ。やはり僕の想像通り、ゾンビたちはミツキを取り囲んで食い殺そうとするのだ。——ただし女子だけど。

 姦《かしま》しい声で花神楽美月を何かの神様のように称える信者は単に、にわかファンなのか。それとも本気で崇拝している、ミサという名のコンサートのチケットを手にすべく、欠かさず抽選販売で撃沈している本気の“花鳥風月プリズマー”なのか。プリズマーたちはこぞって言う。

 にわかファンがチケット購入してんじゃねえよ、こっちはそのせいで買えねえんだからな。


「は、花神楽美月《はなかぐらみつき》……転校してきたのは知っていたけど、まさか実在する人物だったとはっ!!」


 あまりに失礼な言葉で驚愕する朱莉は、何かに気付いたように僕に視線をむけて眉根を寄せた。腕を組んで口を尖らせて唸っているようにも見える。なんでもかんでも、僕に不平を言うなよ。今度はなんだ。


「な、なに? 朱莉どうしたの?」

「なんでシュンが、花神楽美月さんを連れてくるのよ」

「あ、いや、クラスが同じで……」

「つまり、転校してきた二日目からかわいい子に唾を付けた、と」

 なんなんだ、このひがみのようなねちっこい言い回し。朱莉は僕に詰め寄り、少し怒ったような顔をしている。なんて迷惑な話だ。僕は何か悪いことをしたのだろうか。僕だって、来たくもないダンス部にこうしてがんばってやってきたのに、あんまりだ。


「違うんです。わたしが倉美月くんにお願いして連れてきてもらったのです」


 僕と朱莉の間に割って入ってきたミツキは、そう言って朱莉から僕を守るように背を向けた。朱莉は呆気に取られたようで、しばらく目をぱちくりとして、ミツキを食い入るように見ていた。まるでなにか芸術作品でも見るように。ミツキの顔を食べたいのかな。きめ細かな肌は雪見だいふくみたいだし。気持ちは分かる。


「ほんとに綺麗で、かわいくて、なんだろう」


 朱莉の方こそなんだろう、と訊きたい。因縁をつけたいのか、それとも褒めちぎりたいのか。まさか、朱莉もプリズマーだったのか。


「すごい、すっごい悔しい。ああ、悔しい。勝てるわけないじゃん」


 学園一のアイドルと、日本一のアイドル。だが、そんなことは、どうしようもなく無駄な戦いだ。朱莉には朱莉の良いところがあるし、ミツキにはミツキのいいところがある。それでいいじゃないか、と思う。悔しがる必要がない。だって、僕からしたらどちらも綺麗でかわいいことに変わりはないんだから。
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