5 / 61
芽吹く春 ミツキの告白
高鳴る鼓動
しおりを挟む
「ええっと。わたし入部したいのですけれど」
申し訳なさそうに告げるミツキに、朱莉《あかり》は我に返ったようで、え、と声を漏らした。朱莉は現状を呑み込めずに、しばらく瞬きを繰り返す。他の部員たちも一斉に、声を上げていた。まさか、ダンス部に現役のアイドルが入部することになるなんて、夢にも思わなかったのだろう。僕もここに来るまで、信じられなかったくらいだから。
「まじか。シュン、これはまじか」
「多分、まじでガチなやつ」
「えっと、花神楽《はなかぐら》さん、うちは部員三人だけど大丈夫? それに、指導者もいないから本当に下手なの。顧問の小野先生はダンス経験ないし」
「大丈夫です。あ、わたし花山充希と言います。よろしくお願いします」
「野々村朱莉です。こちらこそッ!! よろしくお願いしますッ!!!!!」
「朱莉、よろしく頼むよ。じゃあ、僕はこの辺……」
踵を返し、退出しようとした僕のブレザーの袖を摘まむミツキは、俯きながら上目遣いをして僕に待って、と漏らす。さすがの上目遣い。かわいくて、かわいくて失神しそうだった。狙ってやっているなら、なんて恐ろしい魔術だ。一瞬で人を操る禁忌魔法に違いない。ケセラセラ。
「もう少しだけ、付き合ってもらえませんか?」
横を見ると、面白くなさそうな顔をした朱莉が僕を睨んでいた。そして、朱莉は僕の肘を力強く掴んで、角の椅子に座らせる。ああ、これがいわゆる監禁ってやつなのか。逃げ出したいのに逃げることができない。朱莉はこの後、ダンスを見せつけて精神的に追い詰めて僕を発狂死させるに違いない。その名も、トラウマ電気椅子。ダンスを見るたびに頭の中に電気が流れて、瞳を閉じても光景が浮かんでしまう最悪にして最凶の拷問方法。僕は無実です。
その後、着替えてストレッチを終えたミツキ含めた部員たちは、ひと呼吸を置いてから曲を流し始めた。ボーカロイドが歌うニューチューブでよく目にするキャッチ―なメロディが室内を包む。この曲に振り付けがあることは知っていたが、僕は当然見たことはない。曲はすごく好きだ。
「ものすごおおく、お見苦しいとは思うのですが、一応これを来週の桜まつりで披露するので、見てくださると……」
本当に申し訳なさそうに朱莉が告げる。曲に合わせてフォーメーションが入れ替わるのだが、どうもぎこちない。三人のテンポは一見合っているように見えて、コンマ数秒ずれている個所も見受けられた。でも、必死に練習したことは十分伝わった。指先の動きまで精錬されていて、振り付けも完ぺきだった。だからこそ惜しい。
久々に見るダンス——ど素人が真剣に取り組んだ練習風景が目に浮かぶ——に心を打たれた。確かに、人に見せるにはどうかと思うが、それでも僕は素直に応援したくなった。絶対さくら祭りは見に行くから。
息を切らして座り込む部員たちに、僕とミツキは盛大に拍手を送った。この振り付けは難しい。パーツがところどころ振付師の癖が入っていて、リズムの裏拍で合わせる箇所もいくつかあるのだから、難儀して当然だ。
「この振り付けをここまで踊れるんだからすごいよ朱莉」
「……そうやって優しくするんだから、シュンは。自分たちでも分かってるよ。これじゃだめだって」
「そうでしょうか? わたしには、とても輝いて見えましたよ?」
「花山さんまで。本当に悔しい。もっと上手になりたい」
朱莉は向上心が強い子だ。おそらく、イベントに出演すれば他の高校やダンススクールが遠征してくるに違いない。その時、必ず比べてしまうのだ。自分たちとどれくらい差があるのかを。点数が出ない分、どれくらい差がついているのか理解することも難しい。そうやって泥沼にはまっていく。これは、点数がつく大会に出ないダンサーにとっては死活問題だ。
逆に言えば、そこまで問題が見えている子は上達も早い。大多数は自分たちの出番が終われば他人事のように他のチームのパーフォーマンスを見ているだけなのだから、朱莉の向上心はすごいと思う。
「朱莉、一つ訊いていいか?」
「な、なに?」
「練習をカウントでやっているか? ちゃんと口に出して」
「一応……でも、カウントもよく分からなくて、合わないの」
俺とミツキは顔を見合わせた。カウントが取れなければ、いくら振り付けが上手にできたとしても合うはずがない。たまに自然と踊れてしまう天才がいるのだが、成長がそこまで止まりで、決してそれより先に行くことはない。リズムが分からなければ、当然ダンスなどできるはずもない。つまり、カウントとは楽器で言う音符と同義だと僕は思っている。
「じゃあ、カウントを取る練習からしたらどうでしょう?」
ミツキの言葉に、部員たちは頷く。ミツキは優しく手ほどきするように、部員たちに曲のカウントを教えた。部員たちははじめて、ボーカロイドのこの曲のはじめの小節がカウントにしてみれば、一からではなく、四からはじまることを知ったみたいで、ミツキが来て本当に良かったと朱莉は言う。また表拍と裏拍があることを知ったという朱莉の言葉も、僕には衝撃的だった。
「わたしも混ざっていいですか?」
ミツキが訊ねると、部員たちは、えぇぇ、と合わせたように声を上げた。もう振り付けを覚えたのですか、とポニーテールの子が驚愕していたが、ミツキにしてみれば当然だと思う。振り付けを覚えることは、さほど難しいことではなく、ダンス脳に改造された僕やミツキであればすぐに覚えられる。ただし、完璧にとまではいかないとは思うが。やはり練習してきた人にかなうはずはないのだ。
曲が流れた瞬間、ミツキの柔らかい表情が一瞬こちらを睨むように変わって、すぐに笑顔になった。スイッチが入ったように、動き、表情、気迫、すべてが一心不乱にミツキの周りの空気を一変させる。とてもダンス部員たちと同じダンスとは思えず、まるでミツキの上からスポットライトが当たっているかのように一人浮き出ていた。
花山充希《はなやまみつき》の顔ではない。確実に花神楽美月《はなかぐらみつき》だ。
部員は唖然としていた。ミツキのダンスを間近で見た朱莉は悔しそうに頭を抱えて座り込んでいた。他の部員二人は羨望《せんぼう》の眼差しをミツキに向けて、じっとしている。ミツキの周りの空気が張りつめていて、恐ろしいまでに愛おしく、強く、ボーカロイドの歌う切なさと儚さと、突き進む力を身体全体で表現していた。
花神楽美月は死んでいない。まだこの大海原を悠々と泳いでいる。その目は常に獲物を捉えていて、輝いている。
とんでもないキレッキレのダンスを披露したミツキは、少しも疲れた様子を見せずに僕の横に座る。踊っていたときの表情が嘘のように笑顔で僕に優しく微笑みかけた。それはまるで、地獄の真っただ中にいる僕に手を差し出す女神のように。ああ、やはり女神はいたのですね。こんなに近くにも。僕はあなたの顔を真っ直ぐに見ることができません。
「シュン君も少しだけやりませんか?」
思わず口に出したであろう呼称が、朱莉にも届いていたようで、シュン君? と声を漏らすのが聞こえて来た。僕は聞こえなかった振りをして、ミツキに無理だよ、と返す。
できるはずがない。できるはずがない。できるはず————。
「歩けるくらいの活動量の振り付けでも難しいのですか?」
「————正直、ダンスをしちゃうのが怖いんだ。できるかもしれないし、できないかもしれない。でも、しちゃったら、今まで抑えていたものが溢れちゃうかもしれないし」
自分でも何を言っているのか分からなかった。医者には倒れた当初こそ、絶対運動はだめだと言われていた。しかし、最近は、運動はしないほうがいいけど、多少なら大丈夫かもしれない、とどっちつかずの意見を述べられて、僕はどうしたらいいのか悩んだ。多少がどれくらいなのか。学校まで歩くのは大丈夫なのだから、ダンスだって少しくらいなら、と思ったことは何度もある。
だけど、もし本当にできなかったら? ダンスをしている最中に倒れてしまったら? あの時のように僕は息もできずに、苦しいまま気付くとベッドの上で人造人間のように管を張り巡らされて、生死を彷徨うの?
希望を見出した直後に、やはりできなかった、という結果に陥れば、再び絶望を味わうことになる。きっと僕は再起不能になってしまう。僕はもう二度と部屋から出てこられなくなってしまう。せっかく、志桜里が僕を引っ張り出してくれたのに。
僕は怖いんだ。絶望することが怖いんだ。本当はダンスがしたい。みんなと一緒にステージに立ちたい。汗を流したい。みんなと感動を分かち合いたい。ぶっ倒れるまで、朝まで踊りあかしたい————でも怖いんだ。
「じゃあ、無理しないくらいでやってみましょう」
ミツキは僕の手を取って立ち上がらせると、壁際にちょこちょこと走り、スイッチを押して音楽を掛けた。振り付けはすでに覚えたが、僕の身体は恐怖でおののいている。冷たい汗が背中と脇腹を伝っていき、身体の細胞が拒絶を始める。脳は無理だ、と言い張って、僕の全身に電気を送っている。震えろ、と。恐怖に支配された身体は、力が入らず、今すぐにここを飛び出して、部屋に戻って鍵を掛けたい。だれか助けて。
「ストレッチしてないから、軽く、ね?」
だが、右手の指先を伸ばした瞬間、身体は遠隔操作されているように自然と動き始めた。流れるような動作と、視線、足の指で地面を掴む感覚、そして心臓がリズムに乗る。呼吸は少しだけ乱れたけれど、腹筋あたりに酸素を送り込んでカバーする。忘れていた感覚が一気に身体の中の細胞を刺激する。
朱莉、ポニーテールの子、ツインテールの子が、真顔で僕を見ていた。まるで息を吸うことを忘れてしまったように、微動だにしていない。その表情はまるで、目の前に天使、もしくは悪魔が降り立ったかのように動きを封じられてしまったようだ。
結局、すべて踊り切ってしまった。息切れが激しく、僕は倒れこんだ。肩をぶつけてしまい、猛烈に痛いはずだったが、それも感じなかった。ただただ、やり切ったという爽快感が頭のてっぺんからつま先までを支配する。心臓も少しだけ喜んでいるように高鳴っていた。僕は踊れたのか。僕は勝ったのか。自分に打ち勝てたのか。良かった、死んでない。生きている。あの時のように、気を失ったりしていない。
やればできるじゃないか。
「シュン君、大丈夫ですか?」
ミツキが心配そうに僕の前髪を上げて、顔を覗き込んだ。まるで僕が戦地から命からがら帰還した兵士のようにミツキは僕に微笑みかけて、言葉には出さなかったけど、がんばったね、と瞳が言っていた。僕は泣きそうだった。ミツキに抱きついて、子供のように泣きたかった。ミツキは僕のことを子供のように見ているのだろうか。僕のことを、まるでできないだめなやつが、ようやくがんばったと、そう思っているのだろうか。どちらにしても、ミツキは僕に優しかった。
「シュン……ちょっとすごいんだけど。感動しちゃった」
朱莉は泣いていた。なぜ泣いているのか、僕には理解できない。そんなに僕はすごいことをしていたわけではないのに。ただ、みんなと同じく少しだけ踊っただけで、なにもすごいことはしていない。自信がない弱気な人間が、ちょっと勇気を出しただけ。僕は、みんなと同じなのに。
僕は高鳴る鼓動を抑えるのに必死だった。火照る身体の毛穴という毛穴から希望の雫があふれ出す。身体の真ん中あたりでくすぶっていた炎が僅かに着火したのを感じた。
僕は、その後、ミツキに言われるがまま入部させられることとなった。
申し訳なさそうに告げるミツキに、朱莉《あかり》は我に返ったようで、え、と声を漏らした。朱莉は現状を呑み込めずに、しばらく瞬きを繰り返す。他の部員たちも一斉に、声を上げていた。まさか、ダンス部に現役のアイドルが入部することになるなんて、夢にも思わなかったのだろう。僕もここに来るまで、信じられなかったくらいだから。
「まじか。シュン、これはまじか」
「多分、まじでガチなやつ」
「えっと、花神楽《はなかぐら》さん、うちは部員三人だけど大丈夫? それに、指導者もいないから本当に下手なの。顧問の小野先生はダンス経験ないし」
「大丈夫です。あ、わたし花山充希と言います。よろしくお願いします」
「野々村朱莉です。こちらこそッ!! よろしくお願いしますッ!!!!!」
「朱莉、よろしく頼むよ。じゃあ、僕はこの辺……」
踵を返し、退出しようとした僕のブレザーの袖を摘まむミツキは、俯きながら上目遣いをして僕に待って、と漏らす。さすがの上目遣い。かわいくて、かわいくて失神しそうだった。狙ってやっているなら、なんて恐ろしい魔術だ。一瞬で人を操る禁忌魔法に違いない。ケセラセラ。
「もう少しだけ、付き合ってもらえませんか?」
横を見ると、面白くなさそうな顔をした朱莉が僕を睨んでいた。そして、朱莉は僕の肘を力強く掴んで、角の椅子に座らせる。ああ、これがいわゆる監禁ってやつなのか。逃げ出したいのに逃げることができない。朱莉はこの後、ダンスを見せつけて精神的に追い詰めて僕を発狂死させるに違いない。その名も、トラウマ電気椅子。ダンスを見るたびに頭の中に電気が流れて、瞳を閉じても光景が浮かんでしまう最悪にして最凶の拷問方法。僕は無実です。
その後、着替えてストレッチを終えたミツキ含めた部員たちは、ひと呼吸を置いてから曲を流し始めた。ボーカロイドが歌うニューチューブでよく目にするキャッチ―なメロディが室内を包む。この曲に振り付けがあることは知っていたが、僕は当然見たことはない。曲はすごく好きだ。
「ものすごおおく、お見苦しいとは思うのですが、一応これを来週の桜まつりで披露するので、見てくださると……」
本当に申し訳なさそうに朱莉が告げる。曲に合わせてフォーメーションが入れ替わるのだが、どうもぎこちない。三人のテンポは一見合っているように見えて、コンマ数秒ずれている個所も見受けられた。でも、必死に練習したことは十分伝わった。指先の動きまで精錬されていて、振り付けも完ぺきだった。だからこそ惜しい。
久々に見るダンス——ど素人が真剣に取り組んだ練習風景が目に浮かぶ——に心を打たれた。確かに、人に見せるにはどうかと思うが、それでも僕は素直に応援したくなった。絶対さくら祭りは見に行くから。
息を切らして座り込む部員たちに、僕とミツキは盛大に拍手を送った。この振り付けは難しい。パーツがところどころ振付師の癖が入っていて、リズムの裏拍で合わせる箇所もいくつかあるのだから、難儀して当然だ。
「この振り付けをここまで踊れるんだからすごいよ朱莉」
「……そうやって優しくするんだから、シュンは。自分たちでも分かってるよ。これじゃだめだって」
「そうでしょうか? わたしには、とても輝いて見えましたよ?」
「花山さんまで。本当に悔しい。もっと上手になりたい」
朱莉は向上心が強い子だ。おそらく、イベントに出演すれば他の高校やダンススクールが遠征してくるに違いない。その時、必ず比べてしまうのだ。自分たちとどれくらい差があるのかを。点数が出ない分、どれくらい差がついているのか理解することも難しい。そうやって泥沼にはまっていく。これは、点数がつく大会に出ないダンサーにとっては死活問題だ。
逆に言えば、そこまで問題が見えている子は上達も早い。大多数は自分たちの出番が終われば他人事のように他のチームのパーフォーマンスを見ているだけなのだから、朱莉の向上心はすごいと思う。
「朱莉、一つ訊いていいか?」
「な、なに?」
「練習をカウントでやっているか? ちゃんと口に出して」
「一応……でも、カウントもよく分からなくて、合わないの」
俺とミツキは顔を見合わせた。カウントが取れなければ、いくら振り付けが上手にできたとしても合うはずがない。たまに自然と踊れてしまう天才がいるのだが、成長がそこまで止まりで、決してそれより先に行くことはない。リズムが分からなければ、当然ダンスなどできるはずもない。つまり、カウントとは楽器で言う音符と同義だと僕は思っている。
「じゃあ、カウントを取る練習からしたらどうでしょう?」
ミツキの言葉に、部員たちは頷く。ミツキは優しく手ほどきするように、部員たちに曲のカウントを教えた。部員たちははじめて、ボーカロイドのこの曲のはじめの小節がカウントにしてみれば、一からではなく、四からはじまることを知ったみたいで、ミツキが来て本当に良かったと朱莉は言う。また表拍と裏拍があることを知ったという朱莉の言葉も、僕には衝撃的だった。
「わたしも混ざっていいですか?」
ミツキが訊ねると、部員たちは、えぇぇ、と合わせたように声を上げた。もう振り付けを覚えたのですか、とポニーテールの子が驚愕していたが、ミツキにしてみれば当然だと思う。振り付けを覚えることは、さほど難しいことではなく、ダンス脳に改造された僕やミツキであればすぐに覚えられる。ただし、完璧にとまではいかないとは思うが。やはり練習してきた人にかなうはずはないのだ。
曲が流れた瞬間、ミツキの柔らかい表情が一瞬こちらを睨むように変わって、すぐに笑顔になった。スイッチが入ったように、動き、表情、気迫、すべてが一心不乱にミツキの周りの空気を一変させる。とてもダンス部員たちと同じダンスとは思えず、まるでミツキの上からスポットライトが当たっているかのように一人浮き出ていた。
花山充希《はなやまみつき》の顔ではない。確実に花神楽美月《はなかぐらみつき》だ。
部員は唖然としていた。ミツキのダンスを間近で見た朱莉は悔しそうに頭を抱えて座り込んでいた。他の部員二人は羨望《せんぼう》の眼差しをミツキに向けて、じっとしている。ミツキの周りの空気が張りつめていて、恐ろしいまでに愛おしく、強く、ボーカロイドの歌う切なさと儚さと、突き進む力を身体全体で表現していた。
花神楽美月は死んでいない。まだこの大海原を悠々と泳いでいる。その目は常に獲物を捉えていて、輝いている。
とんでもないキレッキレのダンスを披露したミツキは、少しも疲れた様子を見せずに僕の横に座る。踊っていたときの表情が嘘のように笑顔で僕に優しく微笑みかけた。それはまるで、地獄の真っただ中にいる僕に手を差し出す女神のように。ああ、やはり女神はいたのですね。こんなに近くにも。僕はあなたの顔を真っ直ぐに見ることができません。
「シュン君も少しだけやりませんか?」
思わず口に出したであろう呼称が、朱莉にも届いていたようで、シュン君? と声を漏らすのが聞こえて来た。僕は聞こえなかった振りをして、ミツキに無理だよ、と返す。
できるはずがない。できるはずがない。できるはず————。
「歩けるくらいの活動量の振り付けでも難しいのですか?」
「————正直、ダンスをしちゃうのが怖いんだ。できるかもしれないし、できないかもしれない。でも、しちゃったら、今まで抑えていたものが溢れちゃうかもしれないし」
自分でも何を言っているのか分からなかった。医者には倒れた当初こそ、絶対運動はだめだと言われていた。しかし、最近は、運動はしないほうがいいけど、多少なら大丈夫かもしれない、とどっちつかずの意見を述べられて、僕はどうしたらいいのか悩んだ。多少がどれくらいなのか。学校まで歩くのは大丈夫なのだから、ダンスだって少しくらいなら、と思ったことは何度もある。
だけど、もし本当にできなかったら? ダンスをしている最中に倒れてしまったら? あの時のように僕は息もできずに、苦しいまま気付くとベッドの上で人造人間のように管を張り巡らされて、生死を彷徨うの?
希望を見出した直後に、やはりできなかった、という結果に陥れば、再び絶望を味わうことになる。きっと僕は再起不能になってしまう。僕はもう二度と部屋から出てこられなくなってしまう。せっかく、志桜里が僕を引っ張り出してくれたのに。
僕は怖いんだ。絶望することが怖いんだ。本当はダンスがしたい。みんなと一緒にステージに立ちたい。汗を流したい。みんなと感動を分かち合いたい。ぶっ倒れるまで、朝まで踊りあかしたい————でも怖いんだ。
「じゃあ、無理しないくらいでやってみましょう」
ミツキは僕の手を取って立ち上がらせると、壁際にちょこちょこと走り、スイッチを押して音楽を掛けた。振り付けはすでに覚えたが、僕の身体は恐怖でおののいている。冷たい汗が背中と脇腹を伝っていき、身体の細胞が拒絶を始める。脳は無理だ、と言い張って、僕の全身に電気を送っている。震えろ、と。恐怖に支配された身体は、力が入らず、今すぐにここを飛び出して、部屋に戻って鍵を掛けたい。だれか助けて。
「ストレッチしてないから、軽く、ね?」
だが、右手の指先を伸ばした瞬間、身体は遠隔操作されているように自然と動き始めた。流れるような動作と、視線、足の指で地面を掴む感覚、そして心臓がリズムに乗る。呼吸は少しだけ乱れたけれど、腹筋あたりに酸素を送り込んでカバーする。忘れていた感覚が一気に身体の中の細胞を刺激する。
朱莉、ポニーテールの子、ツインテールの子が、真顔で僕を見ていた。まるで息を吸うことを忘れてしまったように、微動だにしていない。その表情はまるで、目の前に天使、もしくは悪魔が降り立ったかのように動きを封じられてしまったようだ。
結局、すべて踊り切ってしまった。息切れが激しく、僕は倒れこんだ。肩をぶつけてしまい、猛烈に痛いはずだったが、それも感じなかった。ただただ、やり切ったという爽快感が頭のてっぺんからつま先までを支配する。心臓も少しだけ喜んでいるように高鳴っていた。僕は踊れたのか。僕は勝ったのか。自分に打ち勝てたのか。良かった、死んでない。生きている。あの時のように、気を失ったりしていない。
やればできるじゃないか。
「シュン君、大丈夫ですか?」
ミツキが心配そうに僕の前髪を上げて、顔を覗き込んだ。まるで僕が戦地から命からがら帰還した兵士のようにミツキは僕に微笑みかけて、言葉には出さなかったけど、がんばったね、と瞳が言っていた。僕は泣きそうだった。ミツキに抱きついて、子供のように泣きたかった。ミツキは僕のことを子供のように見ているのだろうか。僕のことを、まるでできないだめなやつが、ようやくがんばったと、そう思っているのだろうか。どちらにしても、ミツキは僕に優しかった。
「シュン……ちょっとすごいんだけど。感動しちゃった」
朱莉は泣いていた。なぜ泣いているのか、僕には理解できない。そんなに僕はすごいことをしていたわけではないのに。ただ、みんなと同じく少しだけ踊っただけで、なにもすごいことはしていない。自信がない弱気な人間が、ちょっと勇気を出しただけ。僕は、みんなと同じなのに。
僕は高鳴る鼓動を抑えるのに必死だった。火照る身体の毛穴という毛穴から希望の雫があふれ出す。身体の真ん中あたりでくすぶっていた炎が僅かに着火したのを感じた。
僕は、その後、ミツキに言われるがまま入部させられることとなった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
お兄ちゃんはお兄ちゃんだけど、お兄ちゃんなのにお兄ちゃんじゃない!?
すずなり。
恋愛
幼いころ、母に施設に預けられた鈴(すず)。
お母さん「病気を治して迎えにくるから待ってて?」
その母は・・迎えにくることは無かった。
代わりに迎えに来た『父』と『兄』。
私の引き取り先は『本当の家』だった。
お父さん「鈴の家だよ?」
鈴「私・・一緒に暮らしていいんでしょうか・・。」
新しい家で始まる生活。
でも私は・・・お母さんの病気の遺伝子を受け継いでる・・・。
鈴「うぁ・・・・。」
兄「鈴!?」
倒れることが多くなっていく日々・・・。
そんな中でも『恋』は私の都合なんて考えてくれない。
『もう・・妹にみれない・・・。』
『お兄ちゃん・・・。』
「お前のこと、施設にいたころから好きだった・・・!」
「ーーーーっ!」
※本編には病名や治療法、薬などいろいろ出てきますが、全て想像の世界のお話です。現実世界とは一切関係ありません。
※コメントや感想などは受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
※孤児、脱字などチェックはしてますが漏れもあります。ご容赦ください。
※表現不足なども重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけたら幸いです。(それはもう『へぇー・・』ぐらいに。)
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる