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龍淵に潜む秋・ミツキの求婚
修学旅行【3RD】
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太陽の匂いをたっぷりと浴びた少し暖かい海水の色は、薄浅葱《うすあさぎ》と花緑青《はなろくしょう》の中間の水色だけれども、ミツキの硝子玉《がらすだま》のような瞳みたいに透明感がある。ようやくミツキをまともに見ることができた僕に、はにかむ彼女は僅《わず》かに顔を逸《そら》らす。しかし、当てた拳で口を遮《さえぎ》りながら横目でこちらを見るミツキの仕草に、僕は思わず海色の世界に浸《ひた》っていく。
燦々《さんさん》と注ぐ光のシャワーは白い砂に反射して、飛沫《しぶき》の輝きに溶けていく。静寂が支配する滲んだ世界でシュノーケルマスクを装着すれば、魅惑の世界が遠くまで広がった。海洋生物たちは、探すまでもなく目の前に。しかも、僕たちを意識することなく悠々と生を営んでいる。
「すごいね、シュン君みたいなお魚がいっぱいいるね」
「僕みたいなのって。魚の顔に似ているなんて一度も言われたことないんだけど」
「そうじゃなくて、人懐《ひとなつ》っこいの。すごく可愛い~~」
「僕、そんなに人懐っこくないけど……」
「そう? わたしには人懐っこいじゃない」
それは人懐っこいって言わない気がする、とは言わなかった。なんとなくミツキの言いたいことが分かるから。スッピンのはずなのに、メイクをしている時とあまり印象が変わらないのは、元から綺麗なのだろう。でも、日焼け止めを塗らないで、顔が焼けたら仕事に差し付けがないのだろうか。なんて、そんな心配をしてしまう。
寄ってくる魚を防水ケースに入れたスマホのレンズの中へ収めていく。黄色い魚はなんていう名前なのだろう。あと、透明な青い魚もいた。
「しゅ、シュン君!? ちょっと」
素《す》っ頓狂《とんきょう》な声を上げるミツキは突然海面から顔を出し、僕に手招きする。その様子はまるで財宝を見つけたパイレーツのようで、急がなければ誰かに先を越されてしまう、なんて言っているみたい。
「どうしたの?」
「亀さんがいるの!!!」
え、と声を漏らした僕の言葉が飛沫《しぶき》の中を伝う間に、ミツキは再び海色の空をゆらゆらと飛行していく。上空から遥か地上を眺めるように。己の身体が雲のように漂い、眺める世界は幻想のトパーズのよう。ゆっくりと僕も海面の中に沈んでいくと、恐れを知らないウミガメが近づいてきた。僕に気付き、ゆっくりと迂回していく姿はお腹いっぱいの子供みたい。あまりの可愛さに、再び浮上してミツキの隣に立つ。
「ほんとだ。すごい」
「写真撮れた?」
「あ。すっかり忘れてた」
「もう。ってわたしもなんだけどね」
そう言って、えへへ、と笑うミツキは再び潜っていき、まるで人魚のように華麗に遊泳して姿をくらました。置いて行かれた、と思った矢先に一〇メートル向こうで顔を出し、撮れたよ、と叫ぶ。その声にうちの高校の男子は釘付け。中には魚を撮っているフリをしてミツキを撮るけしからん男子もいるくらい。もう、ミツキは目立ちすぎ。こっちが困ってしまう。
「海で泳いだことないのに、すごいね」
「うん。ここってあまり波がないから」
「それにしても運動神経が良すぎだよ。できない種目はないんじゃないの?」
「バレーボール」
「え? バレー? なんで?」
「だって、痛いの」
潜水をするミツキは決して波音立てず、飛沫《しぶき》を上げない泳法は、人魚のような尾ヒレが付いているのではないか、と思えるほど美しかった。僕も目一杯泳ぎたいな、なんて思っていると、ミツキが僕の目の前で浮上して呟《つぶや》く。シュン君、少し上がろう、と。
「冷えちゃった?」
「ううん。むしろ暑いくらい。そうじゃなくて、シュン君はそろそろ休まないとだめだよ」
「え? 全然大丈夫だけど?」
「駄目です。息を止めるのも心臓に負担かかるんだから。ね」
僕の手を引くミツキは、虎ノ門のホテルで僕が発作を起こした後あたりから、過剰なまでに僕を心配する。いや、心配というよりは、僕を管理していると言った方が正確かもしれない。東北の病院に入院したときのお母さんキャラよりも過保護になっていた。ただし、飛行機の中では、そんな余裕はなかったみたいだけど。
薬の時間、活動する時間、それに、食事の管理。例えば、僕はバナナを食べることができない。なぜなら、バナナを食べると薬の効果を阻害してしまうから。
昨夜の夕食の料理にバナナのソースが含まれていたのだが。それを食べようとした僕の手を取り、食《しょく》するのを阻止したミツキは、専属の執事のように僕の身体を管理してくれる。なぜ分かったの、と訊《き》くと、出される料理をあらかじめすべて把握していて、禁止食材を徹底的に調べ上げていたというのだから驚きだ。
ホテル敷地内のお店で夜食を買ったら、いきなり全部調べられて、食べられるか食べられないかのチェックが入った。新之助は引き気味で言う。お前の嫁は恐い、と。
焦《こが》されたように白い砂浜は熱く、ビニールシートを敷いて座るミツキは、僕に視線をよこして微笑を浮かべる。砂の上に置いた僕の右手に左手を添えて。さすがに修学旅行にペアリングはしていないな、なんて思うと、ミツキの胸元に光るペンダントが目に入った。チェーンを通してペンダントにして身に着けていて。かという僕も、ラッシュガードの下にペンダントとして付けているのだけれども。ミツキと考えることが同じで、すごく嬉しくなった。それに気付いた時、僕は右手を裏返してミツキの左手を握りしめた。柔らかい感触に、思わず指を絡めたくなる。
「うん? シュン君どうしたの?」
「ううん。考えることが同じで、嬉しくて」
僕はそう言って、ラッシュガードからリングを通したチェーンを見せると、ミツキは驚いて煌《きら》めく瞳に虹を映しながら僕に抱きついてきた。霧のような飛沫《しぶき》とどこかで香るプルメリアがハワイの空に滲《にじ》んでいて、彼方《かなた》のトパーズに浮かぶ雲がスコールを彷彿《ほうふつ》させる。
全方位どこを見ても壮大で美しくて。感じる空と海はアクアマリンのような煌めきで。それでいて、僕の彼女は最愛で。撫でる肌は少しだけ熱を帯びていて。だけど指先は少し冷たくて。とても、とても愛おしかった。この美しい世界に存在するミツキのすべてが。
「うぅ。シュンく~~~ん。もう。言わなくても付けてきてくれるなんて」
「それも嬉しいんだけど。でも、正直、ミツキが来てくれたことが一番嬉しいんだけどね。ミツキが来なければ、僕も来なかったかもしれないし」
「よかった。飛行機がんばって」
そうだね、と言ってミツキの頭を撫でる僕は、周囲の視線なんてどうでも良くなっていた。もはや、これ以上隠していてもどうなるわけでもないし、二人して週刊誌に載せられてからは、逆に開き直ってしまったというか。高校生活はこれでいいと思う。
ミツキの僕に対する浮気疑惑は次第に薄れてきたのだから、人の噂は長続きしないものだ。そう。僕がミツキと付き合っていることを隠さなければ、噂は次第に消えていく。僕とミツキの仲が良ければ、あのミツキが浮気するようには見えない、なんて噂が飛び交っていく。これでいい。
姉さんの作戦の受け売りだ。策士倉美月飛鳥は言う。あんた達、隠し通せないなら堂々と付き合いなさい。仲が良ければそういうものだとみんな認識するものよ、と。
そうは言っても恥ずかしい。気まずいのだ。しかし、ミツキは人の目も憚《はばか》らずに僕にしがみつく。昨晩、お土産見に行こう、なんて言ったミツキは新之助も園部三和子もいる前で堂々と腕を僕の腕に絡ませてきた。ああ、そうか。それで園部三和子も意識して、ああやって新之助に積極的に絡んでいるのか。海面ではしゃぐ新之助に抱きつく園部三和子は、きっとミツキに感化されたのだ。
「ねえ。でも、いくらなんでもベタベタしすぎじゃない?」
「そう? だって、こうしていないと心配なんだもん」
「なにが?」
「それは、シュンが周りをいかに見ていないか、よね。シュンは空気読めなすぎ」
花柄のワンピース水着で僕の顔を覗き込んだ朱莉《あかり》は、ミツキにヤッホーと軽く声を掛けて、その隣に座り込んだ。砂あっちー、なんて愚痴をこぼしながら。
「朱莉ちゃんの班は楽しいですか?」
「男子が馬鹿ばかりで。もう疲れちゃった。それより、ミツキちゃんも大変だよね」
「ねえ、朱莉。なんでミツキが大変なの」
「はぁ。やっぱりシュンはシュンだわ。ミツキちゃん、ちょっとお手洗いに行こう」
「え、あ、それは、その。ちょっと」
ミツキの腕を引き、無理やり連行していく朱莉は人さらいなのか。僕に手を伸ばしたまま連れていかれるミツキは、朱莉ちゃん待って下さい、なんて言いながらも強引に連れ去れてしまった。いったい朱莉は何をしに来たのか。
「倉美月《くらみつき》くん、海入らないの?」
「シュンさま。今晩みんなでパンケーキ食べに行こうって言っているんだけど来ない?」
「ねね、シュンさま。夜は暇?」
気付くと数人の女子が僕の周りを取り囲んでいた。その様子は、まるで僕を咎《とが》める集会のよう。僕がなにか悪いことしましたか。
僕に話しかける女の子たちはきっとハワイの海と空に毒された人たちで。テンションが高くなってしまった人たち。だけど、僕に気を使い話しかけてくれる優しい人たち。輪に入れてくれるのは嬉しいのだけれども。
ただ僕はバカップルと言われようが、ミツキと一緒にいたい。この特別な時間をみすみす逃したくないし、せっかくのオアフ島でミツキを一人にするなんてことができるはずもなく。
「あんたら! 彼女がいる人を誘うなんて頭おかしいんじゃないの!!」
「出た、シュンさまの二号。気持ち悪いのよ。ったく」
「誰が二号だ。失せろ!!」
戻ってきた朱莉とその陰に隠れようにしてこちらの様子を窺《うかが》うミツキは、少しだけ眉尻を下げていた。なにか悲しいことがあったのか。それとも転んで痛い目にでもあったのだろうか。可哀そうに。
朱莉は少し大人になった方がいいと思う。なぜそんなに怒っているのか。二号とはどういう意味なのか。朱莉に唾を掛けられそうになった女の子たちは、捨て台詞を吐いて踵《きびす》を返す。振り返ることもなく立ち去った。いったい何事。
「シュン君、大丈夫だった?」
「え? なにが?」
やっぱり鈍感王子だね、なんて言う朱莉にミツキが深いため息を吐いて呟く。そうなの、もう付き合う前から鈍感王子で、なんて。僕って鈍感なの。王子ってなに。初めてそんな言葉をミツキから聞いた気がする。もし、なにか傷つけていたりしたらごめんなさい。
「アスカさんが前に言ってたの。シュン君に人の好き嫌いはないけれど、目に入るか入らないか、で人付き合いが変わるって。言い得て妙だと思う」
「これで分かったでしょ。ミツキちゃんが離れられない理由」
「えっと。離れると……遊びに誘われて、何か面倒なことある?」
がっくしと肩を落とす朱莉は、がんばってねミツキちゃん、と言ってビニールシートに横たわる友達の方に戻っていった。
「シュン君はそのままでいいの。それがシュン君だから」
「もし、僕のせいでミツキがなにか悲しむようなことがあったら、謝るよ。ごめん」
無意識で心無い一言を言ってしまったのだろうか。それとも、僕の考えなしの行動がミツキを傷つけてしまったのだろうか。どちらにしても、それが鈍感という言葉に集約していくとするならば直したい、なんて思っていると、ミツキは再び僕の手を握り海を眺めたまま呟く。謝らないで、それは付き合う時から分かっていたことだから、と。
「シュン君は、ダンサー時代からそうでしょ。いいの。そのままで。鈍感でもなんでもいいの。ただ、わたしの傍《そば》にいてくれれば。むしろ鈍感で助かるかな」
「ちょっとよく分からないけど、僕がミツキを傷つけたりしてない?」
「そんなことあるはずないよ。むしろ、すごく癒されているから。ね」
日の当たる角度によっては、スターサファイアの輝きのように淡く弾ける波の紋様の上を、ヤドカリが歩く。橙《だいだい》と黒の足を懸命に動かして。どこに向かっているのかな、なんて訊くミツキは、集合時間が残り僅かになったことを嘆き悲しんだ。それは僕もそうなのだけれども。海を特別に思うミツキは、特に名残惜《なごりお》しいのかもしれない。だって、こんなに美しい海だもの。まるで、お母さんに抱かれているような波の感触は、ミツキの心に刻まれたようだった。
また来ようね。シュン君。
ホテルに帰るバスの中は静寂の時間が悠久を謳歌《おうか》するように、終始無言だった。いや、寝息ならば至る所から聞こえてくる。
効きすぎるクーラーから身を守らなければ氷漬けにされてしまう身体を守るべく、僕はバッグからビックシルエットのジップアップパーカーを取り出す。その一枚の右袖に僕、左袖にミツキがそれぞれ腕を通し、凍てつく風に凍える互いの体温で温め合った。僕は冷え性ではない。だけど、身体のために冷やさないようにしている。クーラーが苦手なミツキも、僕が身体を冷やすことを快く思っていない。だから、こうすることは共通認識なのだ。
「ねえ、シュン君。帰ったら自由行動だよね」
「うん。四時から夕飯の七時までだけど、三時間も空くよね」
「買い物付き合ってくれないかな」
「もちろん、大丈夫だけど」
良かった、と言ってパーカーの中で僕の手を握り、指を絡めてくるミツキは嬉しそうに僕の肩に頭を乗せて。甘いチョコレートのような香りのする髪の毛は、きっと海水で痛まないようにすぐにケアをしたのかな。肌もたっぷりと潤っていて。着替えるときにきっと何かを塗ったに違いない。それにしても、ゼリーのような肌がとても気持ちが良い。
「ねえ。明日の自由行動はなにか決めているの?」
「ハレイワに行ってみたいな」
そう呟いてすぐに寝息を立てたミツキの唇が微かに弾けて、薫るラズベリーがクーラーの下降気流で踊る。仄かな果実の気配に、僕は思わず顔を背けた。口づけをしたい衝動を抑えるのに必死だった。
可愛らしい寝顔を見て思い出すミツキの台詞は、シュン君はそのままでいいの、という言葉。僕もミツキに言いたい。
ミツキもそのままでいて。僕の傍で変わらない微笑みをいつまでも浮かべて欲しい。
ずっと、ずっと。
—————
修学旅行編4th以降は長いので完結後番外編で公開(予定)です。
読みたい方がいたらコメントください。早めに書くかもです。
次回は秋編ラストシナリオになります。
燦々《さんさん》と注ぐ光のシャワーは白い砂に反射して、飛沫《しぶき》の輝きに溶けていく。静寂が支配する滲んだ世界でシュノーケルマスクを装着すれば、魅惑の世界が遠くまで広がった。海洋生物たちは、探すまでもなく目の前に。しかも、僕たちを意識することなく悠々と生を営んでいる。
「すごいね、シュン君みたいなお魚がいっぱいいるね」
「僕みたいなのって。魚の顔に似ているなんて一度も言われたことないんだけど」
「そうじゃなくて、人懐《ひとなつ》っこいの。すごく可愛い~~」
「僕、そんなに人懐っこくないけど……」
「そう? わたしには人懐っこいじゃない」
それは人懐っこいって言わない気がする、とは言わなかった。なんとなくミツキの言いたいことが分かるから。スッピンのはずなのに、メイクをしている時とあまり印象が変わらないのは、元から綺麗なのだろう。でも、日焼け止めを塗らないで、顔が焼けたら仕事に差し付けがないのだろうか。なんて、そんな心配をしてしまう。
寄ってくる魚を防水ケースに入れたスマホのレンズの中へ収めていく。黄色い魚はなんていう名前なのだろう。あと、透明な青い魚もいた。
「しゅ、シュン君!? ちょっと」
素《す》っ頓狂《とんきょう》な声を上げるミツキは突然海面から顔を出し、僕に手招きする。その様子はまるで財宝を見つけたパイレーツのようで、急がなければ誰かに先を越されてしまう、なんて言っているみたい。
「どうしたの?」
「亀さんがいるの!!!」
え、と声を漏らした僕の言葉が飛沫《しぶき》の中を伝う間に、ミツキは再び海色の空をゆらゆらと飛行していく。上空から遥か地上を眺めるように。己の身体が雲のように漂い、眺める世界は幻想のトパーズのよう。ゆっくりと僕も海面の中に沈んでいくと、恐れを知らないウミガメが近づいてきた。僕に気付き、ゆっくりと迂回していく姿はお腹いっぱいの子供みたい。あまりの可愛さに、再び浮上してミツキの隣に立つ。
「ほんとだ。すごい」
「写真撮れた?」
「あ。すっかり忘れてた」
「もう。ってわたしもなんだけどね」
そう言って、えへへ、と笑うミツキは再び潜っていき、まるで人魚のように華麗に遊泳して姿をくらました。置いて行かれた、と思った矢先に一〇メートル向こうで顔を出し、撮れたよ、と叫ぶ。その声にうちの高校の男子は釘付け。中には魚を撮っているフリをしてミツキを撮るけしからん男子もいるくらい。もう、ミツキは目立ちすぎ。こっちが困ってしまう。
「海で泳いだことないのに、すごいね」
「うん。ここってあまり波がないから」
「それにしても運動神経が良すぎだよ。できない種目はないんじゃないの?」
「バレーボール」
「え? バレー? なんで?」
「だって、痛いの」
潜水をするミツキは決して波音立てず、飛沫《しぶき》を上げない泳法は、人魚のような尾ヒレが付いているのではないか、と思えるほど美しかった。僕も目一杯泳ぎたいな、なんて思っていると、ミツキが僕の目の前で浮上して呟《つぶや》く。シュン君、少し上がろう、と。
「冷えちゃった?」
「ううん。むしろ暑いくらい。そうじゃなくて、シュン君はそろそろ休まないとだめだよ」
「え? 全然大丈夫だけど?」
「駄目です。息を止めるのも心臓に負担かかるんだから。ね」
僕の手を引くミツキは、虎ノ門のホテルで僕が発作を起こした後あたりから、過剰なまでに僕を心配する。いや、心配というよりは、僕を管理していると言った方が正確かもしれない。東北の病院に入院したときのお母さんキャラよりも過保護になっていた。ただし、飛行機の中では、そんな余裕はなかったみたいだけど。
薬の時間、活動する時間、それに、食事の管理。例えば、僕はバナナを食べることができない。なぜなら、バナナを食べると薬の効果を阻害してしまうから。
昨夜の夕食の料理にバナナのソースが含まれていたのだが。それを食べようとした僕の手を取り、食《しょく》するのを阻止したミツキは、専属の執事のように僕の身体を管理してくれる。なぜ分かったの、と訊《き》くと、出される料理をあらかじめすべて把握していて、禁止食材を徹底的に調べ上げていたというのだから驚きだ。
ホテル敷地内のお店で夜食を買ったら、いきなり全部調べられて、食べられるか食べられないかのチェックが入った。新之助は引き気味で言う。お前の嫁は恐い、と。
焦《こが》されたように白い砂浜は熱く、ビニールシートを敷いて座るミツキは、僕に視線をよこして微笑を浮かべる。砂の上に置いた僕の右手に左手を添えて。さすがに修学旅行にペアリングはしていないな、なんて思うと、ミツキの胸元に光るペンダントが目に入った。チェーンを通してペンダントにして身に着けていて。かという僕も、ラッシュガードの下にペンダントとして付けているのだけれども。ミツキと考えることが同じで、すごく嬉しくなった。それに気付いた時、僕は右手を裏返してミツキの左手を握りしめた。柔らかい感触に、思わず指を絡めたくなる。
「うん? シュン君どうしたの?」
「ううん。考えることが同じで、嬉しくて」
僕はそう言って、ラッシュガードからリングを通したチェーンを見せると、ミツキは驚いて煌《きら》めく瞳に虹を映しながら僕に抱きついてきた。霧のような飛沫《しぶき》とどこかで香るプルメリアがハワイの空に滲《にじ》んでいて、彼方《かなた》のトパーズに浮かぶ雲がスコールを彷彿《ほうふつ》させる。
全方位どこを見ても壮大で美しくて。感じる空と海はアクアマリンのような煌めきで。それでいて、僕の彼女は最愛で。撫でる肌は少しだけ熱を帯びていて。だけど指先は少し冷たくて。とても、とても愛おしかった。この美しい世界に存在するミツキのすべてが。
「うぅ。シュンく~~~ん。もう。言わなくても付けてきてくれるなんて」
「それも嬉しいんだけど。でも、正直、ミツキが来てくれたことが一番嬉しいんだけどね。ミツキが来なければ、僕も来なかったかもしれないし」
「よかった。飛行機がんばって」
そうだね、と言ってミツキの頭を撫でる僕は、周囲の視線なんてどうでも良くなっていた。もはや、これ以上隠していてもどうなるわけでもないし、二人して週刊誌に載せられてからは、逆に開き直ってしまったというか。高校生活はこれでいいと思う。
ミツキの僕に対する浮気疑惑は次第に薄れてきたのだから、人の噂は長続きしないものだ。そう。僕がミツキと付き合っていることを隠さなければ、噂は次第に消えていく。僕とミツキの仲が良ければ、あのミツキが浮気するようには見えない、なんて噂が飛び交っていく。これでいい。
姉さんの作戦の受け売りだ。策士倉美月飛鳥は言う。あんた達、隠し通せないなら堂々と付き合いなさい。仲が良ければそういうものだとみんな認識するものよ、と。
そうは言っても恥ずかしい。気まずいのだ。しかし、ミツキは人の目も憚《はばか》らずに僕にしがみつく。昨晩、お土産見に行こう、なんて言ったミツキは新之助も園部三和子もいる前で堂々と腕を僕の腕に絡ませてきた。ああ、そうか。それで園部三和子も意識して、ああやって新之助に積極的に絡んでいるのか。海面ではしゃぐ新之助に抱きつく園部三和子は、きっとミツキに感化されたのだ。
「ねえ。でも、いくらなんでもベタベタしすぎじゃない?」
「そう? だって、こうしていないと心配なんだもん」
「なにが?」
「それは、シュンが周りをいかに見ていないか、よね。シュンは空気読めなすぎ」
花柄のワンピース水着で僕の顔を覗き込んだ朱莉《あかり》は、ミツキにヤッホーと軽く声を掛けて、その隣に座り込んだ。砂あっちー、なんて愚痴をこぼしながら。
「朱莉ちゃんの班は楽しいですか?」
「男子が馬鹿ばかりで。もう疲れちゃった。それより、ミツキちゃんも大変だよね」
「ねえ、朱莉。なんでミツキが大変なの」
「はぁ。やっぱりシュンはシュンだわ。ミツキちゃん、ちょっとお手洗いに行こう」
「え、あ、それは、その。ちょっと」
ミツキの腕を引き、無理やり連行していく朱莉は人さらいなのか。僕に手を伸ばしたまま連れていかれるミツキは、朱莉ちゃん待って下さい、なんて言いながらも強引に連れ去れてしまった。いったい朱莉は何をしに来たのか。
「倉美月《くらみつき》くん、海入らないの?」
「シュンさま。今晩みんなでパンケーキ食べに行こうって言っているんだけど来ない?」
「ねね、シュンさま。夜は暇?」
気付くと数人の女子が僕の周りを取り囲んでいた。その様子は、まるで僕を咎《とが》める集会のよう。僕がなにか悪いことしましたか。
僕に話しかける女の子たちはきっとハワイの海と空に毒された人たちで。テンションが高くなってしまった人たち。だけど、僕に気を使い話しかけてくれる優しい人たち。輪に入れてくれるのは嬉しいのだけれども。
ただ僕はバカップルと言われようが、ミツキと一緒にいたい。この特別な時間をみすみす逃したくないし、せっかくのオアフ島でミツキを一人にするなんてことができるはずもなく。
「あんたら! 彼女がいる人を誘うなんて頭おかしいんじゃないの!!」
「出た、シュンさまの二号。気持ち悪いのよ。ったく」
「誰が二号だ。失せろ!!」
戻ってきた朱莉とその陰に隠れようにしてこちらの様子を窺《うかが》うミツキは、少しだけ眉尻を下げていた。なにか悲しいことがあったのか。それとも転んで痛い目にでもあったのだろうか。可哀そうに。
朱莉は少し大人になった方がいいと思う。なぜそんなに怒っているのか。二号とはどういう意味なのか。朱莉に唾を掛けられそうになった女の子たちは、捨て台詞を吐いて踵《きびす》を返す。振り返ることもなく立ち去った。いったい何事。
「シュン君、大丈夫だった?」
「え? なにが?」
やっぱり鈍感王子だね、なんて言う朱莉にミツキが深いため息を吐いて呟く。そうなの、もう付き合う前から鈍感王子で、なんて。僕って鈍感なの。王子ってなに。初めてそんな言葉をミツキから聞いた気がする。もし、なにか傷つけていたりしたらごめんなさい。
「アスカさんが前に言ってたの。シュン君に人の好き嫌いはないけれど、目に入るか入らないか、で人付き合いが変わるって。言い得て妙だと思う」
「これで分かったでしょ。ミツキちゃんが離れられない理由」
「えっと。離れると……遊びに誘われて、何か面倒なことある?」
がっくしと肩を落とす朱莉は、がんばってねミツキちゃん、と言ってビニールシートに横たわる友達の方に戻っていった。
「シュン君はそのままでいいの。それがシュン君だから」
「もし、僕のせいでミツキがなにか悲しむようなことがあったら、謝るよ。ごめん」
無意識で心無い一言を言ってしまったのだろうか。それとも、僕の考えなしの行動がミツキを傷つけてしまったのだろうか。どちらにしても、それが鈍感という言葉に集約していくとするならば直したい、なんて思っていると、ミツキは再び僕の手を握り海を眺めたまま呟く。謝らないで、それは付き合う時から分かっていたことだから、と。
「シュン君は、ダンサー時代からそうでしょ。いいの。そのままで。鈍感でもなんでもいいの。ただ、わたしの傍《そば》にいてくれれば。むしろ鈍感で助かるかな」
「ちょっとよく分からないけど、僕がミツキを傷つけたりしてない?」
「そんなことあるはずないよ。むしろ、すごく癒されているから。ね」
日の当たる角度によっては、スターサファイアの輝きのように淡く弾ける波の紋様の上を、ヤドカリが歩く。橙《だいだい》と黒の足を懸命に動かして。どこに向かっているのかな、なんて訊くミツキは、集合時間が残り僅かになったことを嘆き悲しんだ。それは僕もそうなのだけれども。海を特別に思うミツキは、特に名残惜《なごりお》しいのかもしれない。だって、こんなに美しい海だもの。まるで、お母さんに抱かれているような波の感触は、ミツキの心に刻まれたようだった。
また来ようね。シュン君。
ホテルに帰るバスの中は静寂の時間が悠久を謳歌《おうか》するように、終始無言だった。いや、寝息ならば至る所から聞こえてくる。
効きすぎるクーラーから身を守らなければ氷漬けにされてしまう身体を守るべく、僕はバッグからビックシルエットのジップアップパーカーを取り出す。その一枚の右袖に僕、左袖にミツキがそれぞれ腕を通し、凍てつく風に凍える互いの体温で温め合った。僕は冷え性ではない。だけど、身体のために冷やさないようにしている。クーラーが苦手なミツキも、僕が身体を冷やすことを快く思っていない。だから、こうすることは共通認識なのだ。
「ねえ、シュン君。帰ったら自由行動だよね」
「うん。四時から夕飯の七時までだけど、三時間も空くよね」
「買い物付き合ってくれないかな」
「もちろん、大丈夫だけど」
良かった、と言ってパーカーの中で僕の手を握り、指を絡めてくるミツキは嬉しそうに僕の肩に頭を乗せて。甘いチョコレートのような香りのする髪の毛は、きっと海水で痛まないようにすぐにケアをしたのかな。肌もたっぷりと潤っていて。着替えるときにきっと何かを塗ったに違いない。それにしても、ゼリーのような肌がとても気持ちが良い。
「ねえ。明日の自由行動はなにか決めているの?」
「ハレイワに行ってみたいな」
そう呟いてすぐに寝息を立てたミツキの唇が微かに弾けて、薫るラズベリーがクーラーの下降気流で踊る。仄かな果実の気配に、僕は思わず顔を背けた。口づけをしたい衝動を抑えるのに必死だった。
可愛らしい寝顔を見て思い出すミツキの台詞は、シュン君はそのままでいいの、という言葉。僕もミツキに言いたい。
ミツキもそのままでいて。僕の傍で変わらない微笑みをいつまでも浮かべて欲しい。
ずっと、ずっと。
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修学旅行編4th以降は長いので完結後番外編で公開(予定)です。
読みたい方がいたらコメントください。早めに書くかもです。
次回は秋編ラストシナリオになります。
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代わりに迎えに来た『父』と『兄』。
私の引き取り先は『本当の家』だった。
お父さん「鈴の家だよ?」
鈴「私・・一緒に暮らしていいんでしょうか・・。」
新しい家で始まる生活。
でも私は・・・お母さんの病気の遺伝子を受け継いでる・・・。
鈴「うぁ・・・・。」
兄「鈴!?」
倒れることが多くなっていく日々・・・。
そんな中でも『恋』は私の都合なんて考えてくれない。
『もう・・妹にみれない・・・。』
『お兄ちゃん・・・。』
「お前のこと、施設にいたころから好きだった・・・!」
「ーーーーっ!」
※本編には病名や治療法、薬などいろいろ出てきますが、全て想像の世界のお話です。現実世界とは一切関係ありません。
※コメントや感想などは受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
※孤児、脱字などチェックはしてますが漏れもあります。ご容赦ください。
※表現不足なども重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけたら幸いです。(それはもう『へぇー・・』ぐらいに。)
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藤谷 要
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