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霜夜の冬・ミツキの雪
聖なる夜。君の部屋に泊まりたい
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今朝の情報番組で流れる僕とミツキに関する報道は、出演者全員が褒め称える僕の動画配信を何度も流して、花神楽美月《はなかぐらみつき》に関する不倫疑惑と飲酒疑惑をコメンテーターが全力で否定する。
また、如月智一《きらさぎともかず》が出演していて不倫疑惑について語る姿はあまりにも滑稽だった。だけど、楠川田賢二《くすかわだけんじ》に脅されてやったと証言をしたのは評価できる。それに、志桜里《しおり》と碧唯《あおい》の関与については一言も話さなかったことは褒めてやりたい。もしかしたら、知らなかっただけなのかもしれないが。
楠川田賢二の脅迫により、志桜里と碧唯が良心の呵責《かしゃく》に苛《さいな》まれながら起こした拉致事件の最中に撮ったミツキの半裸写真は、楠川田賢二が別のところで脅迫していた如月智一の手に渡ることとなる。楠川田賢二に言われるがまま如月智一はミツキに、その写真をバラまくぞ、と脅迫し呼び出したのだった。昨晩の電話で花山健逸《はなやまけんいつ》は僕にその調査結果を伝えて来た。粗方《あらかた》、僕の予想通りだった。
また、楠川田賢二による様々な被害は著名人たちの多くに及んでいた。この情報をはじめにくれたのは碧唯だった。なにか行動を起こす前に、必ずその者たちを味方に引き入れた方がいい、と。碧唯は贖罪《しょくざい》のつもりなのだ。ミツキに対する謝罪にはならないけれども、と言って。
多くの著名人が被害に遭っている、という碧唯の情報がなければ、今回の僕の行動は無駄に終わるどころか、ミツキの社会的地位を著しく低下させただろうし、僕自身も死んでしまう可能性だってあったわけだ。碧唯には感謝するほかない。それに、碧唯は己の罪も告発したのだから。今回の飲酒騒動の件も許すべきだろう。だけど、それを決めるのはミツキ自身だ。
楠川田賢二が特殊詐欺に関わっていた、というニュース速報が流れると、キャスターが慌てて原稿を読み上げる。
たった今、楠川田賢二容疑者の会社と自宅に家宅捜索が入ったという情報が入りました。
やはり、警察も楠川田賢二をマークしていたのかな。
「シュ~ン君」
やけに上機嫌なミツキがロッキングチェアに座る僕の後ろから抱き着いてくる。降り積もった雪が朝日を浴びて煌《きら》めくような、ふわふわのセーターがミツキはお気に入りのようで、その感触が僕の耳に当たってくすぐったい。絶対領域がすごく可愛いなんて口走った僕に気をよくしたのだろう。今日もミニスカートとニーハイソックスを着込むミツキが冷えないのか心配なところではあるのだけれども。
「どうしたのミツキ」
「今日はクリスマスでしょ。それなのに、みんないないから二人きりでクリスマスなんて寂しいね」
「なのに、なんでそんなに嬉しそうなの」
「だって、シュン君はやっぱりわたしの王子様だなって」
そう言って僕の頬にキスをするミツキは、手を引いて僕を立ち上がらせる。どこに連れていくのかと思えば、玄関を出て離れに。上がりまちを踏みしめて進む先は左側の部屋。そこはツリーやら緑と赤の銀のテープで飾られたクリスマスムード一色。
いつの間にか仕入れた茶色いグレンチェックの二人掛けアンティークソファーと、やはりアンティークのテーブル。部屋の片隅にはポインセチアの花が飾られていて、壁にいくつもぶら下げられている大きめの靴下の中には、プレゼントボックスを模した箱。そして、圧巻なのは、窓の淵にクリスマスオーナメントが所狭しと飾られていたことだ。これを一人で飾り付けたのだから、さぞ苦労したのだと思う。
「すごい。クリスマス一色だね」
「でしょ。昨日一晩でがんばったの」
「まさか……徹夜なの?」
「————うん」
「言ってくれれば手伝ったのに」
「ううん。大丈夫。それでね、うっかりしちゃったことがあって」
「なに?」
「…………ケーキの予約忘れちゃって」
大丈夫だよ、なんて言ったものの、正直買えないだろうな、なんて思っていた。だけど、ミツキ一人に任せてしまったのだから文句など言えるはずもない。
そうだ、と思いついたことを口走ろうとした瞬間、口の中でぐるぐると言葉が回る。それは、口に出せば大変なことになりそうな予感がしたから。
「そうだシュン君、いいこと思いついた!」
「まさか、作ろうなんて考えてないよね?」
「————え。だめ?」
まさか、自分の思考のピースがミツキの空いた脳内のパズルに合致するなんて。しかも、ここ最近、覚えているだけでも五回ほど。まさに以心伝心しているようで怖い。僕の知らないところでミツキが読心術を覚えていたりして。下手なことを考えると、心を読まれて大変なことになるかも。シュン君、そんな厭《いや》らしいこと考えていたのね。もう嫌いになっちゃうから。
「ま、まあ。いいと思うよ」
「やったぁ。じゃあ、さっそく材料買ってくるね!」
「じゃあ、僕も行くよ」
「寒いし、身体に悪いよ。大丈夫。一人で行けるから」
「だめ。まだ注目を集めているんだから。だから、僕も一緒に行くよ」
とは言ったものの、僕もミツキと同様に注目の的なのだから、人のことは言えない。だけど、ミツキに何かあっても困るし。ミツキは少し天井を見ながらと考えて、じゃあタクシー使おう、と言う。クリスマスなんだし、タクシーを呼ぼう、なんて。
準備を整えて玄関を戸締りすると、離れから出てきたミツキのコートの下は相変わらずセーターとミニスカート、それにニーハイソックス。寒くないの、と聞いたら、全然、なんて。変装しているものの、なんとなく心許《こころもと》ない。また風邪なんて引いたら可哀そうなのに。
「だって、シュン君が温めてくれるんでしょ」
「いやあ、限界があると思うんだけど」
僕の左腕に絡みつくミツキが嬉しそうに門扉を開く。すると、目の前に立つ見覚えのある男。よれよれのコートにくたびれたスーツは相変わらずで。ぼさぼさの髪はセットしてきたみたいだが、白髪は染めてこなかったようだ。だけど、ほうれい線の目立つその表情はどことなく、優しさに満ちていた。希望に満ちていた————愛に満ち溢れていた。
「…………お父さ……ん?」
「充希《みつき》。ごめんな」
忘却する思考から言葉が消えていくように、僕の手からゆっくりと離れるミツキから消えた笑顔が、悲壮感たっぷりに変わっていく。だけど、まるでだまし絵のように変化していく淡い笑顔に僕の心は打たれた。じわりとミツキの瞳から溢れる涙の雫《しずく》は真冬の寒さなど関係ないと言わんばかりに、温かさを帯びている。
一歩、その一歩に思いを馳せながら進むミツキは、父——花山健逸の手前で立ち止まり、溢れた感情をそのままに、元気だったの、と。春夜君のおかげでね、なんて言う花山健逸はその一言が限界だったようで言葉を詰まらせる。
僕と初めて会ったときの絶望に切り刻まれた花山健逸はもういない。ミツキの父となった男は、そう言って深々と頭を下げた。
「充希、わたしのせいで本当に大変な思いをさせて。ごめん」
「……お父さんも被害者だったんでしょ。実は——気付いてた。だから謝らないで」
「こんなことを言える義理じゃないんだが」
————また一緒に暮らさないか。今まで不自由にさせてしまったね。
振り返ったミツキは頬に一閃の雫を流して、僕に訴える視線はまるで今生《こんじょう》の別れ。だけど、僕はただ頷くしかできなかった。引き留めたいけど、これはミツキの判断だ。うん。例え離れて暮らしても、ミツキはいつも僕の傍《そば》にいる。きっとそれでも、僕に愛情を、僕が愛情を与えることはこれからも変わらない。だから、ミツキがそうしたいなら、そうすればいい——悲しいけど。寂しいけど。切なすぎるけれども。胸が引き裂かれようとも。
「もう、シュン君は……引き留めてよ。わたし、本当に行っちゃうよ?」
「だって、お父さんに会いたいって言っていたじゃない」
俯いた僕はミツキを見ることができなかった。見たら引き留めてしまう。涙を見られたらきっと、ミツキの決心が鈍ってしまう。
「でも、シュン君やアスカさん、それに和佳子さんと光太郎さんと離れたいなんて一言も言ってないでしょ。それとも迷惑かな」
俯き加減で、そんなことないよ、とかぶりを振る僕にミツキが告げる言葉は、ありがとう、と。
ふと顔を上げると、花山健逸に向き直ったミツキは頭を下げていた。
「お父さん。会いに来てくれてありがとうございます。でも、わたしの家族は、倉美月家の皆さんです。だから、一緒には暮らせません。本当ごめんなさい」
その堂々としたミツキの背中を、思わず抱き締めたくなった。君は僕の家族に違いない。それはミツキからしてみても同じなんだよね。うん。ミツキが選択した家族は、きっと君を大事にするから。ね。
「そう言うと思っていたよ」
優しい表情のまま、ミツキに頭を上げてと言った花山健逸は、ミツキの肩に手を置いて呟く。充希はきっと大事にされているんだね。
顔を上げたミツキの父は、やっと僕に目を合わせてくれた。ミツキの父の瞳がこんなにも優しいことを僕は初めて知った。そして、僕に頭を下げながら父は告げる。ありがとう、と。数十秒という長い時間、頭を下げていた父が再びこちらに顔を見せた時、彼は泣いていた。
————満面の笑みで。
どの面下げて会えばいいのか、なんて言ったわたしに檄《げき》を飛ばしてくれたのは倉美月《くらみつき》くんだから。それに君がいなければ、こうして会うこともできなかったよ。三億の代わりにはならないかもしれないけれど、困ったことがあったら言ってほしい。これからも娘をよろしくお願いします。君が傍にいるならきっと安泰だよ。
「え? 三億ってどういうこと?」
振返ったミツキの僕の眉間を射抜く視線は訝《いぶか》しんだ色と同時に多少の驚きを混ぜていて。僕は視線を逸らして顔を顰《しか》めていることしかできなかった。ミツキにはすごく悪いことをしてしまった。ミツキの違約金に充《あ》てるはずのお金を使いこんでしまったのだから。
「全国の電光掲示板の広告費と、人件費、スタジオの賃借料に使っちゃって。それで足りない分はお父さんが出してくれて……ごめん。ミツキの違約金払えなくなっちゃって」
そう、と呟いたミツキは怒りも悲しみもその顔に浮かべることはなく、ただ微笑んでいた。仕方のない人ね、なんて昨晩見たドラマの主婦の台詞を真似て冗談を言いながら。だけど、ミツキは僕に再び、ありがとう、と。
「実は、それに関してなんだけどね。売り上げが著しく伸びているんだ。倉美月くんのおかげだよ。だから、広告の出演料を支払おうと思っている。受け取ってくれるよね」
花山健逸の手渡してきた封筒の中の小切手を見て、僕は驚愕した。ミツキの違約金はこれで間違いなく支払うことができる。
「お父さん、また会いに来てくれますか?」
「もちろんだよ。本当にお母さんと充希には迷惑をかけてしまった。今度こそ罪を償わせてほしい」
「お母さんは————きっとお父さんを許さないと思います。だけど、わたしは、許すも何も。お父さんしかいないから」
馬鹿な父親だと言って怒ってもいいんだよ、と言った父は、下唇を噛んでただ頭を下げた。ミツキと母親を捨てたとき、この人がどんな顔をしていたのか気になったけれど、ミツキが許すなら僕が言うことはなにもない。これこそ、首を突っ込んではいけない問題なのだろうと思う。
「今日はクリスマスだろう。引き留めて悪かったね。もしよかったら、これ」
停めていたセダンの助手席のドアを開くと、赤と緑のリボンに飾られた箱を取り出してミツキに手渡す。きっと中身は少し大きめのケーキ。有名店のロゴが入っていて、高級な印象を受ける。倉美月家の全員で食べられるように、こんな大きめのサイズにしたのかな、なんて。だけど、ミツキの表情は、泣いていたのが嘘のように柳眉《りゅうび》を逆立てていく。予約することを忘れたケーキを頂いたのに、どうしてそんなに憤怒に満ちていくの。どうして。意味が分からないよミツキ。
「もうッ!! せっかくシュン君と一緒にケーキ作ろうと思って、予約忘れたのにッ!!」
「え、あ、余計な事しちゃったね。ごめん充希。あ、そうだ。これ電話番号ね。じゃあ、そろそろ行くから。なにか困ったことがあったら、電話してくるんだよ」
颯爽《さっそう》と車に乗り込んでクラクションを軽く鳴らして走り去る姿は、反抗期の娘の前でたじろぐ良き父親。ミツキは、そんな走り去るセダンを見て、クスクスと笑っていた。
浮気をして母子を捨てた父親。そんな、父親のことをミツキは赦《ゆる》すことができたのだろうか。もしかして————。
「ねえ、ミツキ。お父さんってもしかして」
「うん……血は繋がっていないの」
それに、お母さんも浮気をしていたし。なんていうミツキの言葉から連想される家庭環境が僕の胸を少しだけノックした。
★☆☆
結局、ミツキの希望に沿って、ケーキの材料を買ってきた僕たちは、試行錯誤の末に出来上がったケーキに満足していた。はじめての共同作業の割には上出来。スポンジが市販の物だからよくできて当たり前のような気がするのだけれども。
シュン君は、ストロベリーが好きなんでしょ、なんて過去の話を蒸し返すミツキは、言われてあたふたする僕の様子が面白いみたいで、やけに苺に拘《こだわ》りを示す。
今はラズベリーだよ、なんて言ったときには、キスをしてきて。そんな会話ができるほど、今の僕とミツキには心に余裕がある。
揺るぎない信頼は、きっと何があっても砕けることはない。死線を超えているわけではないけど、苦難は乗り越えてきた。だからこそ、絆は深まった。どんな強風でも飛ばされないように互いのロープにアンカーを深く打ち付けた僕たちは、今やどんな嵐が吹き荒んでも耐えられる。
「ねえ、お父さんのケーキ冷蔵庫に入れておいて、明日もう一度パーティーしようよ」
「うん。倉美月家はパーティーが好きだから。明日は全員揃うはずだしね」
二人で作ったケーキは、市販のケーキよりも甘さが抑えられている一方、乗せすぎた苺やらミカン、それにラズベリーを食べるのに苦労した。いくらなんでもクリームが見えなくなるほどフルーツを乗せるのはいかがなものかと。でも、ミツキはすごく美味しそうに食べている。
「蝋燭《ろうそく》は差しても火はつけないで置こうねシュン君」
「なんで?」
「だって、縁起が良くないでしょ。蝋燭の火とかって。寿命みたいで」
それってなんか変だよミツキ。とは言わなかったものの、ミツキの身持ちは尊重した。きっと、願掛けをするほど、僕のことを心配してくれているから。
「ねえ、来年のクリスマスは、みんな呼んでもっと盛大にしようよ!」
「みんなって?」
「友達みんな。志桜里ちゃんとか碧唯ちゃん、それに朱莉《あかり》ちゃんとか。新之助君とか、園部さんとか、あとは高倉君とか」
「それ、カオスになるよね……きっと」
「だって、来年は生まれ変わったシュン君の一周年記念クリスマスパーティーだよ」
ああ、なるほど、なんて納得してしまった僕が再びクリスマスをできるとしたら、ミツキの言う通り。それまでにうまくいくか、それとも————。
「そうだ、プレゼントのウサちゃん、ちゃんと連れて行ってね。アメリカ。わたしも、シュン君が帰ってくるまでに、ちゃんとシュン君一人のものになるように、すべて終わらせておくから」
「ミツキ。これですべて、ミツキの問題は終わったんだよね?」
「……うん。だけど、最後に気になることがあるの」
「なに?」
「新井木遥香《あらいぎはるか》がシュン君を碧唯ちゃんに会わせたのよね」
新井木遥香は、楠川田賢二から逃げたかったんじゃないと思うの。
☆★☆
映画を観たいというミツキの意見を尊重してネットフリークスで配信されている映画を選ぶことに。テレビに映したサムネイルに並ぶ恋愛映画。きっと雰囲気のある映画が観たいのだろうなんて思っていたのだが。
「ホラー観てもいいよ……少しだけ怖いけど」
「……それって、きゃあ、怖い、なんて言いながらくっつく魂胆《こんたん》じゃないの?」
「————うん。そう」
「クリスマスにホラーってなかなか無いよね。いや、あるのかな」
ああ、でも心臓に悪いからやっぱりだめ、なんて言って選んだ無難な恋愛映画は、ストーリーを読んでミツキが自ら却下した。なぜ駄目なの、と訊《き》くと、わたしとシュン君のほうが良い恋愛しているから、なんて。どれだけ映画に感情移入するつもりなのか。
結局、ミツキが選んだのは、心臓にもとても優しいアニメ。ナイトメアビフォアクリスマス。この雰囲気がすごく好き。今度、あのテーマパークの季節限定に飾られたゴーストが沢山いるマンションのアトラクションに行ってみたい、なんて。確かに僕も一回しか行ったことがない。人混みが苦手。だけど、ミツキが行きたいのなら連れて行ってあげたい。いや、連れて行ってもらう、の方が正解かも。
映画を観ながら手を繋いで、肩を抱き合ったクリスマスはとても暖かかった。
こんなにも冬に温もりを感じられるなんて一年前には思いもよらなかったな。
「ミツキ」
「うん?」
今日はミツキの部屋に泊まっていいかな————うん。嬉しい。
冬って、寒いからさ。くっついていると気持ちいいんだね。
うん。どうしたの急に?
もうすぐ来年になっちゃうから、怖いんだ。
また、如月智一《きらさぎともかず》が出演していて不倫疑惑について語る姿はあまりにも滑稽だった。だけど、楠川田賢二《くすかわだけんじ》に脅されてやったと証言をしたのは評価できる。それに、志桜里《しおり》と碧唯《あおい》の関与については一言も話さなかったことは褒めてやりたい。もしかしたら、知らなかっただけなのかもしれないが。
楠川田賢二の脅迫により、志桜里と碧唯が良心の呵責《かしゃく》に苛《さいな》まれながら起こした拉致事件の最中に撮ったミツキの半裸写真は、楠川田賢二が別のところで脅迫していた如月智一の手に渡ることとなる。楠川田賢二に言われるがまま如月智一はミツキに、その写真をバラまくぞ、と脅迫し呼び出したのだった。昨晩の電話で花山健逸《はなやまけんいつ》は僕にその調査結果を伝えて来た。粗方《あらかた》、僕の予想通りだった。
また、楠川田賢二による様々な被害は著名人たちの多くに及んでいた。この情報をはじめにくれたのは碧唯だった。なにか行動を起こす前に、必ずその者たちを味方に引き入れた方がいい、と。碧唯は贖罪《しょくざい》のつもりなのだ。ミツキに対する謝罪にはならないけれども、と言って。
多くの著名人が被害に遭っている、という碧唯の情報がなければ、今回の僕の行動は無駄に終わるどころか、ミツキの社会的地位を著しく低下させただろうし、僕自身も死んでしまう可能性だってあったわけだ。碧唯には感謝するほかない。それに、碧唯は己の罪も告発したのだから。今回の飲酒騒動の件も許すべきだろう。だけど、それを決めるのはミツキ自身だ。
楠川田賢二が特殊詐欺に関わっていた、というニュース速報が流れると、キャスターが慌てて原稿を読み上げる。
たった今、楠川田賢二容疑者の会社と自宅に家宅捜索が入ったという情報が入りました。
やはり、警察も楠川田賢二をマークしていたのかな。
「シュ~ン君」
やけに上機嫌なミツキがロッキングチェアに座る僕の後ろから抱き着いてくる。降り積もった雪が朝日を浴びて煌《きら》めくような、ふわふわのセーターがミツキはお気に入りのようで、その感触が僕の耳に当たってくすぐったい。絶対領域がすごく可愛いなんて口走った僕に気をよくしたのだろう。今日もミニスカートとニーハイソックスを着込むミツキが冷えないのか心配なところではあるのだけれども。
「どうしたのミツキ」
「今日はクリスマスでしょ。それなのに、みんないないから二人きりでクリスマスなんて寂しいね」
「なのに、なんでそんなに嬉しそうなの」
「だって、シュン君はやっぱりわたしの王子様だなって」
そう言って僕の頬にキスをするミツキは、手を引いて僕を立ち上がらせる。どこに連れていくのかと思えば、玄関を出て離れに。上がりまちを踏みしめて進む先は左側の部屋。そこはツリーやら緑と赤の銀のテープで飾られたクリスマスムード一色。
いつの間にか仕入れた茶色いグレンチェックの二人掛けアンティークソファーと、やはりアンティークのテーブル。部屋の片隅にはポインセチアの花が飾られていて、壁にいくつもぶら下げられている大きめの靴下の中には、プレゼントボックスを模した箱。そして、圧巻なのは、窓の淵にクリスマスオーナメントが所狭しと飾られていたことだ。これを一人で飾り付けたのだから、さぞ苦労したのだと思う。
「すごい。クリスマス一色だね」
「でしょ。昨日一晩でがんばったの」
「まさか……徹夜なの?」
「————うん」
「言ってくれれば手伝ったのに」
「ううん。大丈夫。それでね、うっかりしちゃったことがあって」
「なに?」
「…………ケーキの予約忘れちゃって」
大丈夫だよ、なんて言ったものの、正直買えないだろうな、なんて思っていた。だけど、ミツキ一人に任せてしまったのだから文句など言えるはずもない。
そうだ、と思いついたことを口走ろうとした瞬間、口の中でぐるぐると言葉が回る。それは、口に出せば大変なことになりそうな予感がしたから。
「そうだシュン君、いいこと思いついた!」
「まさか、作ろうなんて考えてないよね?」
「————え。だめ?」
まさか、自分の思考のピースがミツキの空いた脳内のパズルに合致するなんて。しかも、ここ最近、覚えているだけでも五回ほど。まさに以心伝心しているようで怖い。僕の知らないところでミツキが読心術を覚えていたりして。下手なことを考えると、心を読まれて大変なことになるかも。シュン君、そんな厭《いや》らしいこと考えていたのね。もう嫌いになっちゃうから。
「ま、まあ。いいと思うよ」
「やったぁ。じゃあ、さっそく材料買ってくるね!」
「じゃあ、僕も行くよ」
「寒いし、身体に悪いよ。大丈夫。一人で行けるから」
「だめ。まだ注目を集めているんだから。だから、僕も一緒に行くよ」
とは言ったものの、僕もミツキと同様に注目の的なのだから、人のことは言えない。だけど、ミツキに何かあっても困るし。ミツキは少し天井を見ながらと考えて、じゃあタクシー使おう、と言う。クリスマスなんだし、タクシーを呼ぼう、なんて。
準備を整えて玄関を戸締りすると、離れから出てきたミツキのコートの下は相変わらずセーターとミニスカート、それにニーハイソックス。寒くないの、と聞いたら、全然、なんて。変装しているものの、なんとなく心許《こころもと》ない。また風邪なんて引いたら可哀そうなのに。
「だって、シュン君が温めてくれるんでしょ」
「いやあ、限界があると思うんだけど」
僕の左腕に絡みつくミツキが嬉しそうに門扉を開く。すると、目の前に立つ見覚えのある男。よれよれのコートにくたびれたスーツは相変わらずで。ぼさぼさの髪はセットしてきたみたいだが、白髪は染めてこなかったようだ。だけど、ほうれい線の目立つその表情はどことなく、優しさに満ちていた。希望に満ちていた————愛に満ち溢れていた。
「…………お父さ……ん?」
「充希《みつき》。ごめんな」
忘却する思考から言葉が消えていくように、僕の手からゆっくりと離れるミツキから消えた笑顔が、悲壮感たっぷりに変わっていく。だけど、まるでだまし絵のように変化していく淡い笑顔に僕の心は打たれた。じわりとミツキの瞳から溢れる涙の雫《しずく》は真冬の寒さなど関係ないと言わんばかりに、温かさを帯びている。
一歩、その一歩に思いを馳せながら進むミツキは、父——花山健逸の手前で立ち止まり、溢れた感情をそのままに、元気だったの、と。春夜君のおかげでね、なんて言う花山健逸はその一言が限界だったようで言葉を詰まらせる。
僕と初めて会ったときの絶望に切り刻まれた花山健逸はもういない。ミツキの父となった男は、そう言って深々と頭を下げた。
「充希、わたしのせいで本当に大変な思いをさせて。ごめん」
「……お父さんも被害者だったんでしょ。実は——気付いてた。だから謝らないで」
「こんなことを言える義理じゃないんだが」
————また一緒に暮らさないか。今まで不自由にさせてしまったね。
振り返ったミツキは頬に一閃の雫を流して、僕に訴える視線はまるで今生《こんじょう》の別れ。だけど、僕はただ頷くしかできなかった。引き留めたいけど、これはミツキの判断だ。うん。例え離れて暮らしても、ミツキはいつも僕の傍《そば》にいる。きっとそれでも、僕に愛情を、僕が愛情を与えることはこれからも変わらない。だから、ミツキがそうしたいなら、そうすればいい——悲しいけど。寂しいけど。切なすぎるけれども。胸が引き裂かれようとも。
「もう、シュン君は……引き留めてよ。わたし、本当に行っちゃうよ?」
「だって、お父さんに会いたいって言っていたじゃない」
俯いた僕はミツキを見ることができなかった。見たら引き留めてしまう。涙を見られたらきっと、ミツキの決心が鈍ってしまう。
「でも、シュン君やアスカさん、それに和佳子さんと光太郎さんと離れたいなんて一言も言ってないでしょ。それとも迷惑かな」
俯き加減で、そんなことないよ、とかぶりを振る僕にミツキが告げる言葉は、ありがとう、と。
ふと顔を上げると、花山健逸に向き直ったミツキは頭を下げていた。
「お父さん。会いに来てくれてありがとうございます。でも、わたしの家族は、倉美月家の皆さんです。だから、一緒には暮らせません。本当ごめんなさい」
その堂々としたミツキの背中を、思わず抱き締めたくなった。君は僕の家族に違いない。それはミツキからしてみても同じなんだよね。うん。ミツキが選択した家族は、きっと君を大事にするから。ね。
「そう言うと思っていたよ」
優しい表情のまま、ミツキに頭を上げてと言った花山健逸は、ミツキの肩に手を置いて呟く。充希はきっと大事にされているんだね。
顔を上げたミツキの父は、やっと僕に目を合わせてくれた。ミツキの父の瞳がこんなにも優しいことを僕は初めて知った。そして、僕に頭を下げながら父は告げる。ありがとう、と。数十秒という長い時間、頭を下げていた父が再びこちらに顔を見せた時、彼は泣いていた。
————満面の笑みで。
どの面下げて会えばいいのか、なんて言ったわたしに檄《げき》を飛ばしてくれたのは倉美月《くらみつき》くんだから。それに君がいなければ、こうして会うこともできなかったよ。三億の代わりにはならないかもしれないけれど、困ったことがあったら言ってほしい。これからも娘をよろしくお願いします。君が傍にいるならきっと安泰だよ。
「え? 三億ってどういうこと?」
振返ったミツキの僕の眉間を射抜く視線は訝《いぶか》しんだ色と同時に多少の驚きを混ぜていて。僕は視線を逸らして顔を顰《しか》めていることしかできなかった。ミツキにはすごく悪いことをしてしまった。ミツキの違約金に充《あ》てるはずのお金を使いこんでしまったのだから。
「全国の電光掲示板の広告費と、人件費、スタジオの賃借料に使っちゃって。それで足りない分はお父さんが出してくれて……ごめん。ミツキの違約金払えなくなっちゃって」
そう、と呟いたミツキは怒りも悲しみもその顔に浮かべることはなく、ただ微笑んでいた。仕方のない人ね、なんて昨晩見たドラマの主婦の台詞を真似て冗談を言いながら。だけど、ミツキは僕に再び、ありがとう、と。
「実は、それに関してなんだけどね。売り上げが著しく伸びているんだ。倉美月くんのおかげだよ。だから、広告の出演料を支払おうと思っている。受け取ってくれるよね」
花山健逸の手渡してきた封筒の中の小切手を見て、僕は驚愕した。ミツキの違約金はこれで間違いなく支払うことができる。
「お父さん、また会いに来てくれますか?」
「もちろんだよ。本当にお母さんと充希には迷惑をかけてしまった。今度こそ罪を償わせてほしい」
「お母さんは————きっとお父さんを許さないと思います。だけど、わたしは、許すも何も。お父さんしかいないから」
馬鹿な父親だと言って怒ってもいいんだよ、と言った父は、下唇を噛んでただ頭を下げた。ミツキと母親を捨てたとき、この人がどんな顔をしていたのか気になったけれど、ミツキが許すなら僕が言うことはなにもない。これこそ、首を突っ込んではいけない問題なのだろうと思う。
「今日はクリスマスだろう。引き留めて悪かったね。もしよかったら、これ」
停めていたセダンの助手席のドアを開くと、赤と緑のリボンに飾られた箱を取り出してミツキに手渡す。きっと中身は少し大きめのケーキ。有名店のロゴが入っていて、高級な印象を受ける。倉美月家の全員で食べられるように、こんな大きめのサイズにしたのかな、なんて。だけど、ミツキの表情は、泣いていたのが嘘のように柳眉《りゅうび》を逆立てていく。予約することを忘れたケーキを頂いたのに、どうしてそんなに憤怒に満ちていくの。どうして。意味が分からないよミツキ。
「もうッ!! せっかくシュン君と一緒にケーキ作ろうと思って、予約忘れたのにッ!!」
「え、あ、余計な事しちゃったね。ごめん充希。あ、そうだ。これ電話番号ね。じゃあ、そろそろ行くから。なにか困ったことがあったら、電話してくるんだよ」
颯爽《さっそう》と車に乗り込んでクラクションを軽く鳴らして走り去る姿は、反抗期の娘の前でたじろぐ良き父親。ミツキは、そんな走り去るセダンを見て、クスクスと笑っていた。
浮気をして母子を捨てた父親。そんな、父親のことをミツキは赦《ゆる》すことができたのだろうか。もしかして————。
「ねえ、ミツキ。お父さんってもしかして」
「うん……血は繋がっていないの」
それに、お母さんも浮気をしていたし。なんていうミツキの言葉から連想される家庭環境が僕の胸を少しだけノックした。
★☆☆
結局、ミツキの希望に沿って、ケーキの材料を買ってきた僕たちは、試行錯誤の末に出来上がったケーキに満足していた。はじめての共同作業の割には上出来。スポンジが市販の物だからよくできて当たり前のような気がするのだけれども。
シュン君は、ストロベリーが好きなんでしょ、なんて過去の話を蒸し返すミツキは、言われてあたふたする僕の様子が面白いみたいで、やけに苺に拘《こだわ》りを示す。
今はラズベリーだよ、なんて言ったときには、キスをしてきて。そんな会話ができるほど、今の僕とミツキには心に余裕がある。
揺るぎない信頼は、きっと何があっても砕けることはない。死線を超えているわけではないけど、苦難は乗り越えてきた。だからこそ、絆は深まった。どんな強風でも飛ばされないように互いのロープにアンカーを深く打ち付けた僕たちは、今やどんな嵐が吹き荒んでも耐えられる。
「ねえ、お父さんのケーキ冷蔵庫に入れておいて、明日もう一度パーティーしようよ」
「うん。倉美月家はパーティーが好きだから。明日は全員揃うはずだしね」
二人で作ったケーキは、市販のケーキよりも甘さが抑えられている一方、乗せすぎた苺やらミカン、それにラズベリーを食べるのに苦労した。いくらなんでもクリームが見えなくなるほどフルーツを乗せるのはいかがなものかと。でも、ミツキはすごく美味しそうに食べている。
「蝋燭《ろうそく》は差しても火はつけないで置こうねシュン君」
「なんで?」
「だって、縁起が良くないでしょ。蝋燭の火とかって。寿命みたいで」
それってなんか変だよミツキ。とは言わなかったものの、ミツキの身持ちは尊重した。きっと、願掛けをするほど、僕のことを心配してくれているから。
「ねえ、来年のクリスマスは、みんな呼んでもっと盛大にしようよ!」
「みんなって?」
「友達みんな。志桜里ちゃんとか碧唯ちゃん、それに朱莉《あかり》ちゃんとか。新之助君とか、園部さんとか、あとは高倉君とか」
「それ、カオスになるよね……きっと」
「だって、来年は生まれ変わったシュン君の一周年記念クリスマスパーティーだよ」
ああ、なるほど、なんて納得してしまった僕が再びクリスマスをできるとしたら、ミツキの言う通り。それまでにうまくいくか、それとも————。
「そうだ、プレゼントのウサちゃん、ちゃんと連れて行ってね。アメリカ。わたしも、シュン君が帰ってくるまでに、ちゃんとシュン君一人のものになるように、すべて終わらせておくから」
「ミツキ。これですべて、ミツキの問題は終わったんだよね?」
「……うん。だけど、最後に気になることがあるの」
「なに?」
「新井木遥香《あらいぎはるか》がシュン君を碧唯ちゃんに会わせたのよね」
新井木遥香は、楠川田賢二から逃げたかったんじゃないと思うの。
☆★☆
映画を観たいというミツキの意見を尊重してネットフリークスで配信されている映画を選ぶことに。テレビに映したサムネイルに並ぶ恋愛映画。きっと雰囲気のある映画が観たいのだろうなんて思っていたのだが。
「ホラー観てもいいよ……少しだけ怖いけど」
「……それって、きゃあ、怖い、なんて言いながらくっつく魂胆《こんたん》じゃないの?」
「————うん。そう」
「クリスマスにホラーってなかなか無いよね。いや、あるのかな」
ああ、でも心臓に悪いからやっぱりだめ、なんて言って選んだ無難な恋愛映画は、ストーリーを読んでミツキが自ら却下した。なぜ駄目なの、と訊《き》くと、わたしとシュン君のほうが良い恋愛しているから、なんて。どれだけ映画に感情移入するつもりなのか。
結局、ミツキが選んだのは、心臓にもとても優しいアニメ。ナイトメアビフォアクリスマス。この雰囲気がすごく好き。今度、あのテーマパークの季節限定に飾られたゴーストが沢山いるマンションのアトラクションに行ってみたい、なんて。確かに僕も一回しか行ったことがない。人混みが苦手。だけど、ミツキが行きたいのなら連れて行ってあげたい。いや、連れて行ってもらう、の方が正解かも。
映画を観ながら手を繋いで、肩を抱き合ったクリスマスはとても暖かかった。
こんなにも冬に温もりを感じられるなんて一年前には思いもよらなかったな。
「ミツキ」
「うん?」
今日はミツキの部屋に泊まっていいかな————うん。嬉しい。
冬って、寒いからさ。くっついていると気持ちいいんだね。
うん。どうしたの急に?
もうすぐ来年になっちゃうから、怖いんだ。
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