上 下
2 / 48
1巻

1-2

しおりを挟む

「なるほど。それなら納得できます。そうと分かるほど強い魔力ってことですよね。珍しい。王室御用達おうしつごようたしどころか、王室付きの料理人にだってなれるでしょうに」
「孤児に仕事を与えるために店をやってるんだって。代表自身が、仲良くなった金持ちのおじいさんから遺産をもらっただけの孤児だったから」

 そこから王室御用達になるなど、本当に色々な方面で素晴らしい才覚のある人物なのだろう。仕入れ人としてやって来たクライトの舌も確かだったから、嘘だと否定も出来ない。昨日はエルファが作った料理の材料も、的確に言い当てていた……ような覚えがある。

「でも、そんな珍しい力のことを人に話していいんですか?」
「国ではそういうのをまったく隠していないからねぇ。慈善家としても有名なんだよ。だから成金とか陰口を言う人はほとんどいないし、女性の心を掴んでるのは大きいよ。すごくいい男なんだ」

 お菓子が好きという話から小太りな人を思い浮かべていたが、頭の中で細身に修正した。姿勢のいい初老の男性。シワを刻んだ目元が渋くて素敵。そんなイメージだ。クライトと商売を始めたのなら、初老ではなく中年かもしれない。しゅっとした体格の、渋みのある優しいおじさま。

「女の子の従業員も多いよ。むしろお店での接客や、裏方でお菓子を作っているのは女の子が多い。男は主に配達かな。郊外に農園も持ってるんだ」
「へぇ」

 ゼノンの人の良さそうな笑みを見て、エルファは少し心が揺らいだ。
 薬草魔女になってとつぎ先で働こうとしていたのだが、それが破談になった今、エルファの仕事は曾祖母そうそぼの畑仕事の手伝いや雑用ばかりで、見習いの頃と変わらない。もちろんそれも楽しいのだが、こうして人に知識と技術をわれるのは悪い気がしなかった。しかも相手は味の違いがちゃんと分かる人達だ。
 その時、玄関からカランカランとドアベルの鳴る音が聞こえた。少ししてかご一杯のハーブを持った曾祖母とクライトが食堂に入ってくる。クライトは手だけでなく背中にも籠を背負わされていた。

「ゼノン、面白かったわぁ。初めて見るハーブとか、今まで知らなかった使い方とか教えてもらったぜ。すげぇ参考になった」
「良かったですねぇ」

 クライトは土で顔を汚し、生き生きとしている。曾祖母は気に入った相手にしか仕事を手伝わせないが、こういう表情をされればほだされるのも当然だ。彼は年寄りの扱いが上手い、仕入れ人に向いた性格なのだろう。

「エルファ、平気かい」

 曾祖母が荷物を置きながらエルファに問いかける。

「平気ではないけど、起きられないほどではないです」
「そうかい。寝ててもいいんだよ」

 曾祖母は湯を沸かし始めた。

「大丈夫です。吐き気は収まってきました」

 けじめは大切だ。それに今寝るとまた嫌な夢を見そうだ。

「そうだエルファ、おまえフレーメに行くのかい?」
「おばあ様、フレーメを知っているんですか?」
「最近街でも人気だよ。何故か分からないけど美味しいって、大層な値段の茶が売られてる」

 その何故かというのが、先ほど聞いた代表の力なのだろう。

「この人が仕入れてるなら確かな店だろうよ。雇用契約書もしっかりしたのを作ってくれたしね」

 知らないうちに、そんな物を作っていたようだ。

「これこれ」

 ゼノンは顔を輝かせて、流麗な筆跡で書かれた書類を見せてきた。給金についても詳しく書いてある。エルファは思ったよりも高い金額に驚いた。休日や勤務体制にも不安に思うような点はなく、条件が良すぎてかえって怪しく思えた。

「うちの新店は、ゼルバ商会が出資してくれているんだよ」
「ゼルバ商会って……宝石商の?」

 宝石治療というものがある。力のある石を身につけることで、心をいやしたり勇気をもらったりするのだ。これを始めたのもエルファの先祖だ。だから宝石商についても少しは知っているのだが、そうでない人が知っていてもおかしくないような、有名な高級ブランドである。

「この国では宝石を売ってるのかぁ。あそこは何でも売ってるよ。うちのお茶もおろしてるし。美容関係、宝石関係に強いのは確かだけどねぇ」

 曾祖母そうそぼがゼノンの前にハーブティーを出し、彼は礼を言ってマグに口をつける。彼の幸せそうな表情を見ていると、エルファまで頬が緩みそうになる。それを横目に、クライトが話を続けた。

「俺達、あそこの創業者一族と親しくしてんだ。うちの代表が食材を美味しくする魔力持ちだってのは言ったっけ? ゼルバ商会の跡取りである奥様が、そういう特別なのが大好きなお人でさ」
「なるほど」
「ティールームもやってんだけど、そっちも安い店ではないし、客層は悪くない。いい学校に通ってる金持ちの学生とか、仕事の合間の勤め人とか、けっこう若い客が多いな。持ち帰りも出来るし。富裕層には茶と菓子を配達するサービスもしてんだ」

 それは昨日聞いた気がする。飲み始めて大分経っていたけど、言われれば思い出せる。

「そんな金を持ってる人向けに、落ち着いた雰囲気で特別美味しい食事を提供する店を目指してんだ。だから出来るだけ知られていないような食材を使おうと思ってさ。外国人のエルファなら、俺達にとって珍しい食材も色々と知っているだろうし、昨日も初めての物がいくつかあったし。それにいつも食べてる物でも、効能を説明されながら食べるっていうのは、けっこう新鮮だった」
「なるほど」

 薬草魔女はありふれた食材を日々の健康に役立てる。その説明をありがたがられているのは確かだ。

「それに現代料理の大本おおもとはこの国の料理だって聞いてる。それでいて、他国で美味しい料理があればどんどん取り入れていくって」
「ええ、そうですね。様々な料理があって、その調理法だけ、ソースの作り方だけという本もたくさんあります」
「うちの国にもあるぜ。というか、うちの国の料理は、グラーゼの影響を受けてるから、けっこう近いと思う。だから味覚の違いも少なそうだし、エルファの料理は俺の舌に合って美味かった」

 国が違えば人々の味覚が違い、当然味の好みも違ってくる。そうなると自分が身につけた知識もそのままでは通用しなくなる。もちろん腕があるのだから、その国の味を学んで改良していけばいいのだが、味覚が合う国でならそれをする必要がない。
 エルファはじっと契約書を見た。そしてちらりと曾祖母を見る。

「まあ、今日はゆっくり考えなさい。どうせ一日使い物にならなくなるのは分かっていたからね」
「うう」

 エルファは痛む頭を抱えて、テーブルの上にあるフェンネルシードを口にする。これは口に入れるとすっとして、胃もたれにいいのだ。

「今日の仕事は、します。その前に、ビスケットを出さないと」
「んじゃあほら、準備はしたよ。やるんならおやり」
「ありがとう」

 エルファは立ち上がり、煮出したハーブティーをマグに入れて、ふたのある木の器にビスケットを三枚入れる。それからパン粉を一つかみして勝手口から外に出た。ハーブティーと器を外のテーブルに載せて、パン粉は庭木の横に設置された台に置く。ついてきたゼノンが覗き込んで首を傾げた。

「それは?」
「妖精さんと鳥さんへ」
「おまえが出ていくとしたら、交換も終わりだねぇ」

 曾祖母そうそぼも勝手口のところからしみじみと言う。

「おばあさまは続けてくださらないの?」
「それが許されるのは無邪気な子供だけだよ。新しい弟子がこういうのを続けたい子とは限らないからねぇ」

 エルファは置いたビスケットを見た。
 グラーゼで妖精と呼ばれている存在はこのビスケットが好物で、見返りに珍しい薬草を置いていく。だが、新しい弟子が来たとしても、妖精が気を許すとは限らない。だから自分が出ていくまでの交流になるかもしれない。彼らは魔物の一種だから、本来なら関わらない方がいい存在だ。
 まだ決めたわけではないが、もし出ていくなら、ビスケットをたっぷり焼いておこう。それを半分、ランネルへ持っていく。
 料理はその地の水や素材で味が変わるため、同じ物を作ることは出来ない。だから、故郷の味を持っていくのだ。



   第二話 初めての異国


 カテロアを越えて、ランネルの都ルクラスまでやって来た。
 エルファの住んでいた地方では、家は木の壁、萱葺かやぶき屋根が主だった。しかしここは、レンガを使った家が多い。ランネル国内でも途中までは萱葺き屋根の家があったし、地方によって様式が違うのが面白い。エルファは国を出るまでは恐る恐る、出てからは意外と開き直って旅を楽しんだ。
 公園の横を通ると、噴水が見えて興奮した。グラーゼでは、都会でもこういった物は見られない。この国は水が豊かなようだ。水が豊かだと、育つ作物も美味しい。
 公園近くの屋台でハムとチーズを包んだ平焼きパンを買ってもらい、小腹を満たす。パンが柔らかくて、甘さと塩加減が絶妙で美味しい。クライトが店主と知り合いのようだったから、よく買っているのだろう。彼がこうやって薦める物で、ハズレだった物は一つもない。ハズレを引いたのは、彼も初めて食べる場合だけだ。初めて見る食べ物は、とにかく一度食べてみるらしい。それだけ食べていてもよく動くから、ガッチリとした体型を維持していられるのだそうだ。
 クライトの隣に座り、美味しい物を食べ、観光案内をしてもらいつつルクラスの街中を馬車でゆったり走るのは気持ちがよかった。
 だまされているのではないかという不安もまだあったが、ここまでは二人とも紳士的に接してくれた。何かにつけて美味しい物を食べさせてもらえる、本当に楽しい旅だった。しかも道中の費用は全て出してもらえて、後で給料から引くようなこともないと言う。

「あら、クライトさん。お久し振りね。今回は何を仕入れていらしたの?」

 馬車をゆっくり走らせていると、身なりのいい老婦人に声をかけられ、クライトは馬車を停めた。

「お久し振りです。今回はレストランの食材の仕入れと、料理人のスカウトをしてきました」
「ひょっとして、そちらの可愛らしいお嬢さん?」
「グラーゼの薬草魔女です。実りの聖女の子孫の」
「まあっ」

 女性は驚いたように目を見開いた。

「詳しいことはまたそのうち。俺の独断で連れてきたんで、うちの代表はまだ知らないんですよ」
「あらまあ。じゃあ私はカルパさんよりも早く知ってしまったのね。ますます開店が楽しみだわ」

 クライトは老婦人に手を振り、馬車を進める。

「今のはお茶のお得意さん。配達に行く従業員を可愛がってくれるし、いいお客さんなんだ」
「へぇ。上品で素敵な方ですね」
「配達のお得意様は上流か、中流階級でも上の方だから。横暴な客や若い子に手を出そうとする客は遠慮してもらってるしな。場末の酒場みたいに尻を触ってきたら、取引をお断りする。客を選ぶうちの店に断られるのって素行が悪いっていう証拠だから、けっこう恥なんだよ」

 さすがは王室御用達おうしつごようたしだ。きっと接客する側にも品格が求められるのだろう。
 しかしエルファは料理人として招かれたのだから、接客する機会は少ないはずだ。薬草魔女の役目は、相談を受けることであって接客とは少し違う。
 だがそれでもドキドキしてしまう。初めての異国で、初めて師から離れて働くのだ。
 馬車は再び動き出し、次第に通りから外れて裏の方に行く。その道程でも二人は知り合いと挨拶を交わす。裕福そうな人から、あまり裕福そうではない人まで幅広い交友があるようだ。
 石の橋を渡り川沿いを進む。しばらく行くとさらに狭い路地に入り、馬車が速度を落とした。

「着いた、俺達の本社はここ!」

 クライトは壁に落書きのある古いアパートを指差した。王室御用達という言葉の印象からはかけ離れた外観に、エルファは戸惑いを覚えた。心配するエルファにゼノンが言う。

「見た目はアレだけど、中は綺麗だよ。中にけっこう高い物が入ってるから、あんまり金持ちに見えないように外は汚くしてるんだって」
「た……高い物ですか?」

 納得できるような、できないような理由に、エルファは首を傾げる。

「今はないけど超超高級ティーセットとかさぁ。確か君の国の一番有名なメーカーのアンティークのやつとかもあったよ。俺は怖くて触れないけどねぇ」

 エルファは自国の高級食器の値段を思い起こし、頭を抱えた。

「そ、そんな物がこんな所に!?」
「今は安全なところに飾ってもらってるから大丈夫。家にあったら怖くて近寄れないもん」

 ゼノンののんびりした様子を見て、エルファは胸をで下ろす。
 そうこうしているうちに、アパートの前に馬車が停まった。すると二階の窓が開き、男性が顔を出す。

「あ、クライトさんが帰ってきたぞ!」

 男性が声を上げると、すぐに中からわらわらと人が出てきて馬車を囲んだ。

「お酒仕入れられっ……誰っ!?」

 彼らはエルファを見てクライトに問う。男性が多いが、中には女性もいてほっとする。全体的に若い人ばかりで、特に十代の少年少女が多かった。

「料理人としてスカウトしてきた、薬草魔女のエルファだ!」
「薬草魔女……って、え、なんでっ!?」
「詳しい話は後々。さっさと荷物を地下室に運べ。酒は無事に仕入れられたから安心しろ!」
「はーい」

 皆は返事をすると、ゼノンの魔術で冷やされた荷馬車から、次々と荷物を運び出す。

「常温の所に苗があるけど、なんすか」
「こっちの方では珍しいハーブとか。仕入れに行くより増やした方が早いって、苗と種を色々分けてもらったんだ。植え替えするから、誰か鉢と土の手配を。枯らすなよ。あとトランクはエルファの私物だから開けんなよ」

 皆、クライトの指示でテキパキと動く。子供達に仕事を与えていると言っていたが、本当だと分かって少しほっとした。

「エルファ、ここは任せて中に入ろうぜ。案内してやる」

 クライトに手を貸してもらい、エルファは馬車から降りた。
 アパートの中に入ると、思ったより──どころか思ったのとはまったく違って、驚くほど綺麗だった。壁は汚れていないし、床はワックスがかけられてつやがある。当然ゴミなどなく、ほこりも積もっていない。

「あ、おい、空き部屋ってどこだっけ?」

 エルファのトランクを軽々と持ちながらクライトは近くの少年に問う。

「三階の三号室。結婚して出て行った奴の部屋」
「そか、ありがとよ」

 クライトはトランクをかついで階段を上る。

「結婚したら出て行くんですか?」

 エルファは後ろを歩いていたゼノンに尋ねた。

「うーん、決まりっていうか、狭いし壁が薄いからねぇ。大きな独り言だと隣に聞こえるぐらい。さすがに夫婦じゃねぇ……」

 ゼノンが言いにくそうに説明する。エルファはそれ以上追及せずクライトを追った。
 三階まで上り、南向きの部屋に通された。言うだけあり本当に狭い。ベッドにクローゼット、机と椅子が置いてあり、これ以上の家具は置けそうになかった。だけど一人ならこれで十分だ。

「素敵なお部屋ですね。家具もしっかりした物ですし」
「でも狭いだろ。もう一つ社員用の物件があんだが、あっちは二人部屋でもっと狭い。こっちは独身で、フレーメの中でもそれなりの要職にある人が多いな。地下には大切な倉庫もあるしよ。新店の二階が空く予定だから、そこを従業員用にする予定なんだ。最終的にエルファはそっちに移ってもらうけど、それまではここで仮住まいしてほしい」

 クライトは荷物を置いて、窓を開けながら言った。

「そうですか。都会だと家賃も高そうなのでありがたいですね」

 エルファのいた田舎とは比べものにならないぐらい高いのだろう。

「調理器具とかは調理場に置いてもいいぜ。これから色々試しに作ってもらわなきゃならんし。見慣れない他人の物は使わないって決まりがあるから勝手に使われることもないし、安心しろ」
「それはありがたいです」

 クライトが部屋を出て行ったので、エルファは窓の外を見た。先ほど通った路地だ。建物の中は綺麗だが、外はやはり綺麗とは言えない。見ているとゼノンが声をかけてくる。

「外に出る時は誰かに声をかけてね。昼間はまず大丈夫だけど、夜は物盗りが多いんだって」
「そうなんですか。恐いですね」
「都会だからねぇ、変な奴が外から入ってくるんだよ。ちょっと前まではもう少し治安も良かったのに、迷惑な話だよ。友達に何人か緑鎖りょくさで働いてる奴がいるんだけど、夜警が増えて大変なんだって」

 ゼノンはエルファの後ろから窓の外を見つつ、あまり大変そうではなさそうな口調で言う。

「緑鎖?」
「ああ。正式には『緑鎖の騎士団』っていって、この国の警察機関のことだよ。名前の通り昔は本当に騎士団だったけど、今は警察になってる。見かけたら教えるよ。制服だけでも知っておいた方がいいからね」

 ゼノンは窓を離れて振り返った。入り口でクライトがバケツとモップを手にして立っている。

「簡単に掃除だけしちまおう。シーツはその後で運ばせる。荷物の整理はその後な」
「ありがとうございます」

 エルファはモップを受け取って礼を言う。

「ゼノンは夕食の準備を。エルファに最高のランネル料理をご馳走ちそうしてやれ」
「えぇ? 何の準備もしてないのに。いい食材あるかなぁ」

 ゼノンは頭を掻きながら、ブツブツ言って部屋を出た。

「俺は仕入れた荷物の方を見てくるから。後で手伝いを寄越すよ」
「いえ、必要ありませんよ。荷物もそんなにないですし」
「そりゃそうか。じゃあ、シーツと毛布を持ってこさせるよ」

 そう言ってクライトは部屋を出て行く。一人になったエルファは、もう一度外を見た。
 身体を乗り出して見回せば、先ほど越えてきた川が見えた。川と言っても、あまり綺麗な川ではなかったから、あそこで洗濯をする気にはならない。下を見ると、エルファが乗ってきた馬車と騒ぐ若者達がいた。道ばたに茂っている雑草が風に揺れている。その中に咲く可憐な花に蝶が留まる。
 向かいの家の屋根には、可愛らしい二羽の小鳥が留まっていた。古くなったビスケットをあげようかと思ったが、ここは田舎ではないから、下手にえさなどやって鳥が集まるようになれば糞害ふんがいが出るかもしれない。都会では田舎と同じことをすると迷惑をかける場合が多いと本で読んだ。田舎の常識は都会では非常識にもなりうるのだと、肝にめいじなければ。

「さて、お掃除お掃除」

 とはいっても元々綺麗に片付けてあるので、簡単なき掃除と拭き掃除で十分だが。
 夕食はご馳走ちそうらしいから楽しみだった。


   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 夜、食堂に案内されて少し驚いた。予告されていたので少しで済んだが、いきなり見たら狼狽うろたえただろう。食堂の調度品はゼノンの言った通り、どれも高そうなアンティークだった。食器が飾られている重厚なカップボードに、繊細な彫刻がほどこされた脚を持つテーブル。
 その部屋にはクライトと、馬車を降りた時に見た若者数人を含む男女、全部で十名ほどが席に着いていた。その中でも上座かみざに座っている青年は、整った顔立ちをしているが何とも言えない鋭い雰囲気があり、まるでどこかの組織の若頭わかがしらといったところだ。
 青年は立ち上がり笑みを浮かべる。そうすると直前の印象が和らいで優しそうに見えた。年の頃は二十代半ばくらいだろう。

「初めましてお嬢さん。俺がフレーメの代表、カルパだ」

 エルファは驚いて変な声を上げそうになった。
 彼はクライトよりも年下に見えるのだ。人は見た目では判断できないから、ひょっとしたら彼の方がずっと年上なのかもしれない。いや、そう考えても若すぎる。

「は……初めまして、薬草魔女のエルファ・ラフア・レーネともうします」

 勝手に初老だの中年だのと想像していたエルファは、ドキドキしながら挨拶した。そんなエルファを見て、クライトはくすりと笑う。

「若くて驚いたろ? 王室御用達おうしつごようたしって言葉だけで想像してる人は、カルパを見ると驚くんだ。フレーメは俺達がまだエルファぐらいの歳から始めた商売だから、従業員も全体的に若い」
「そ、そうなんですか」

 エルファぐらいの頃から始めたのなら、少なくとも十年は商売を続けているのだろう。
 組織を急成長させるには、一人の天才がいれば可能だと聞いたことがある。重要なのは、その天才がいなくなった時に組織を維持できるかどうかだと言う。だから彼らは、天才である彼をあえて引っ込めたのだろう。
 続いて、控えていた人達も紹介してもらった。皆それぞれ何らかの責任者で、新しい料理人となるエルファへの挨拶と、仕入れた商品の試食会をしに来たらしい。

「とにかく座ってくれ。食べながら話そうか。ついでに料理の感想を聞かせてくれると嬉しい」

 カルパが席を勧めると、クライトが椅子を引いてくれた。

「エルファ、酒は飲むか? うちの国のワインだ」
「はい、いただきます」

 クライトの誘いに、エルファは咄嗟とっさに頷いた。同時に先日、彼らの前でみっともなく酔っ払い、身の上話までしてしまったのを思い出して、頬が赤くなった。今日は味を見る程度にとどめ、飲みすぎないようにしなければならない。

「前菜をお持ちいたしました」

 黒いエプロンと白い三角巾を身につけた女性がテーブルに皿を置く。この料理を一緒に食べるのは、エルファの他はカルパとクライトだけのようだ。他の人達には違う料理が運ばれている。
 皿には頭の付いたエビが盛られていた。飾りにハーブのディルが添えてある。

「エビ食べたいって言ってたろ。たまたまあったらしくて、ゼノンがこれは特別だとさ」

 クライトは皿を示しながら言った。

「ゼノンさん、覚えていてくださったんですね。嬉しい!」

 エルファはナイフとフォークを手に取った。
 胴体のからいてあったので、頭を切り離して食べる。エビそのものも美味しいが、ソースが本当に美味しい。決して濃くはないのに、エビの出汁だし柑橘類かんきつるいの酸味、そして程よい香辛料が利いている。

「おおお、おいしいっ! ぷりっとしてて、うま味が口の中に広がる!」
「でしょ。エルファちゃんとこは海産物なんてほとんど流通してないみたいだから、シンプルにしてみたんだ」

 厨房ちゅうぼうから出てきたゼノンが、楽しげに言う。彼も三角巾と白いエプロンを身につけ、その下には昼間とは違う白いシャツを着ていた。

「はい、干しエビはありますが、こんな美味しいエビは入ってきません。ああ、これならいくらでも食べられますね」

 ワインにも合う。こんな物を食べさせてもらえるなんて幸せだ。

「付け合わせのディルもいいですね。ディルは胃腸にいいんですよ」
「そうなの?」
「ええ。何気なく使っている食材だって、薬になるんです。だって毎日パンしか食べていなかったら、身体に必要な栄養が足りなくて、身体を壊すでしょう? レモンを食べると肌が綺麗になるとか、身近にあって身体にもいい食べ物は、誰だって一つぐらい知っていると思います」
「ああ、確かに。レモンは肌にいいって言うよね」

 エルファは皿の上の物を綺麗に食べた。美味しくて美味しくて、まったく足りない。

「エルファちゃんは本当に美味しそうに食べるよね」
「美味しそうに食べるのは、美味しい物と、美味しい物を作ってくれた人に対する感謝ですから」

 それを聞いたゼノンは笑いながら厨房に戻った。
 次に出てきたのは、文句なしに美味しい空豆のポタージュ。

「ブイヨンがしっかりしてるから、空豆の甘味が引き立っていますね。空豆は世界最古の農作物の一つと言われていて、女性の多くの悩みを解決し、心臓などの臓器にもいいんですよ」
「空豆にまで効能があるのか」

 クライトが驚いたように言う。

「当然です。何の効能もない食べ物の方が少ないんですから。何の変哲へんてつもないパンだって、身体を動かすための活力になりますし、特に全粒粉ぜんりゅうふんだと白いパンにはない効能があります。お金持ちの女性でも、お通じが悪ければ普段から全粒粉のパンを食べたりするものです」
「へぇ。そうなんだ」

 クライトは頷いた。
 グラーゼと似たような食文化の国では大抵、裕福な家庭ほど余計な物を取り除いた白い小麦のパンを食べる。ふすまの入った黒くて硬いパンは貧民のパンであると言い、裕福な人達は見栄のためにそれを避けるのだ。白いパンの方が柔らかくて美味しいのは事実だが、捨ててしまう部分にはとても良い効能がある。それを知っている人は、客には出さなくとも自らは身体のために食べていることもあるくらいだ。
 だがこの国のように豊かなところに暮らし、かつ全粒粉のパンを食べる機会が少ない階級だと、そういう効能があることを知らない人も多い。ここでも、パンとはふっくらと柔らかい物がいいとされているようだから。グラーゼでも、薬草魔女のおかげで全粒粉の良さは知られるようになったが、それでも白いパンの方が美味しいからと好まれる。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

『親友』との時間を優先する婚約者に別れを告げたら

黒木メイ
恋愛
筆頭聖女の私にはルカという婚約者がいる。教会に入る際、ルカとは聖女の契りを交わした。会えない間、互いの不貞を疑う必要がないようにと。 最初は順調だった。燃えるような恋ではなかったけれど、少しずつ心の距離を縮めていけたように思う。 けれど、ルカは高等部に上がり、変わってしまった。その背景には二人の男女がいた。マルコとジュリア。ルカにとって初めてできた『親友』だ。身分も性別も超えた仲。『親友』が教えてくれる全てのものがルカには新鮮に映った。広がる世界。まるで生まれ変わった気分だった。けれど、同時に終わりがあることも理解していた。だからこそ、ルカは学生の間だけでも『親友』との時間を優先したいとステファニアに願い出た。馬鹿正直に。 そんなルカの願いに対して私はダメだとは言えなかった。ルカの気持ちもわかるような気がしたし、自分が心の狭い人間だとは思いたくなかったから。一ヶ月に一度あった逢瀬は数ヶ月に一度に減り、半年に一度になり、とうとう一年に一度まで減った。ようやく会えたとしてもルカの話題は『親友』のことばかり。さすがに堪えた。ルカにとって自分がどういう存在なのか痛いくらいにわかったから。 極めつけはルカと親友カップルの歪な三角関係についての噂。信じたくはないが、間違っているとも思えなかった。もう、半ば受け入れていた。ルカの心はもう自分にはないと。 それでも婚約解消に至らなかったのは、聖女の契りが継続していたから。 辛うじて繋がっていた絆。その絆は聖女の任期終了まで後数ヶ月というところで切れた。婚約はルカの有責で破棄。もう関わることはないだろう。そう思っていたのに、何故かルカは今更になって執着してくる。いったいどういうつもりなの? 戸惑いつつも情を捨てきれないステファニア。プライドは捨てて追い縋ろうとするルカ。さて、二人の未来はどうなる? ※曖昧設定。 ※別サイトにも掲載。

白瀬 悠
BL
複数攻め×包囲力受け あまり得意ではありませんが、私なりに解釈して書かせていただきます。不定期投稿の予定です。 むちむちは最強…基本ほのぼのとした日常を目標とさせていただきますが、シリアスな場面もあります。 異世界・ヤンデレ・共愛・溺愛・子育て・記憶喪失など好きなものを詰め合わせました。

トカゲ(本当は神竜)を召喚した聖獣使い、竜の背中で開拓ライフ~無能と言われ追放されたので、空の上に建国します~

水都 蓮(みなとれん)
ファンタジー
 本作品の書籍版の四巻と水月とーこ先生によるコミックスの一巻が6/19(水)に発売となります!!  それにともない、現在公開中のエピソードも非公開となります。  貧乏貴族家の長男レヴィンは《聖獣使い》である。  しかし、儀式でトカゲの卵を召喚したことから、レヴィンは国王の怒りを買い、執拗な暴力の末に国外に追放されてしまうのであった。  おまけに幼馴染みのアリアと公爵家長子アーガスの婚姻が発表されたことで、レヴィンは全てを失ってしまうのであった。  国を追われ森を彷徨うレヴィンであったが、そこで自分が授かったトカゲがただのトカゲでなく、伝説の神竜族の姫であることを知る。  エルフィと名付けられた神竜の子は、あっという間に成長し、レヴィンを巨大な竜の眠る遺跡へと導いた。  その竜は背中に都市を乗せた、空飛ぶ竜大陸とも言うべき存在であった。  エルフィは、レヴィンに都市を復興させて一緒に住もうと提案する。  幼馴染みも目的も故郷も失ったレヴィンはそれを了承し、竜の背中に移住することを決意した。  そんな未知の大陸での開拓を手伝うのは、レヴィンが契約した《聖獣》、そして、ブラック国家やギルドに使い潰されたり、追放されたりしたチート持ちであった。  レヴィンは彼らに衣食住を与えたり、スキルのデメリットを解決するための聖獣をパートナーに付けたりしながら、竜大陸への移住プランを提案していく。  やがて、レヴィンが空中に築いた国家は手が付けられないほどに繁栄し、周辺国家の注目を集めていく。  一方、仲間達は、レヴィンに人生を変えられたことから、何故か彼をママと崇められるようになるのであった。

本当に愛しているのは姉じゃなく私でしたっ!

mock
恋愛
レスター国に住むレナとレオナ。 双子の姉妹とはいえ性格は真逆、外交的なレオナに対し、内向的なレナ。 そんなある日、王子であるアルバートに会う機会を得たレオナはコレはチャンス!とばかりに言葉巧みに心に取り込み、これに成功する。 王子の妻になり、全てを手に入れご満悦だったが、王子が本当に得たかった相手は…。

完結 裏切られて可哀そう?いいえ、違いますよ。

音爽(ネソウ)
恋愛
プロポーズを受けて有頂天だったが 恋人の裏切りを知る、「アイツとは別れるよ」と聞こえて来たのは彼の声だった

婚約者が私以外の人と勝手に結婚したので黙って逃げてやりました〜某国の王子と珍獣ミミルキーを愛でます〜

平川
恋愛
侯爵家の莫大な借金を黒字に塗り替え事業を成功させ続ける才女コリーン。 だが愛する婚約者の為にと寝る間を惜しむほど侯爵家を支えてきたのにも関わらず知らぬ間に裏切られた彼女は一人、誰にも何も告げずに屋敷を飛び出した。 流れ流れて辿り着いたのは獣人が治めるバムダ王国。珍獣ミミルキーが生息するマサラヤマン島でこの国の第一王子ウィンダムに偶然出会い、強引に王宮に連れ去られミミルキーの生態調査に参加する事に!? 魔法使いのウィンロードである王子に溺愛され珍獣に癒されたコリーンは少しずつ自分を取り戻していく。 そして追い掛けて来た元婚約者に対して少女であった彼女が最後に出した答えとは…? 完結済全6話

私を追い出すのはいいですけど、この家の薬作ったの全部私ですよ?

火野村志紀
恋愛
【現在書籍板1~3巻発売中】 貧乏男爵家の娘に生まれたレイフェルは、自作の薬を売ることでどうにか家計を支えていた。 妹を溺愛してばかりの両親と、我慢や勉強が嫌いな妹のために苦労を重ねていた彼女にも春かやって来る。 薬師としての腕を認められ、レオル伯アーロンの婚約者になったのだ。 アーロンのため、幸せな将来のため彼が経営する薬屋の仕事を毎日頑張っていたレイフェルだったが、「仕事ばかりの冷たい女」と屋敷の使用人からは冷遇されていた。 さらにアーロンからも一方的に婚約破棄を言い渡され、なんと妹が新しい婚約者になった。 実家からも逃げ出し、孤独の身となったレイフェルだったが……

王子の婚約者を辞めると人生楽になりました!

朝山みどり
恋愛
わたくし、ミランダ・スチュワートは、王子の婚約者として幼いときから、教育を受けていた。わたくしは殿下の事が大好きで将来この方を支えていくのだと努力、努力の日々だった。 やがてわたくしは学院に入学する年になった。二つ年上の殿下は学院の楽しさを語ってくれていたので、わたくしは胸をはずませて学院に入った。登校初日、馬車を降りると殿下がいた。 迎えに来て下さったと喜んだのだが・・・

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。