斯波良久BL短編集

斯波良久@出来損ないΩの猫獣人発売中

文字の大きさ
21 / 32
穴/名前も知らない彼(異世界)

名前も知らない彼(別視点)

しおりを挟む
「ハリー、愛してるよ」
「俺も」

『ハリー』――それはかつての恋人の名前。

 僕を置いていったハリー。

 よりによって女と浮気して、そのことで一晩中ケンカして、出ていって交通事故にあったらしい。
 初めはそのことが受け入れられなくて、従兄弟のスラーに当たって。困ったスラーがハリーだと言って連れてきたのが彼だった。

 名前すらも知らない彼はスラーとの契約で、時給10000リンツで僕に抱かれている。

 なんで気付かなかったんだろうって今になって思う。
 顔は瓜二つでも、ハリーにはあった首筋のホクロが彼にはなくて、その代わり腰元に妖艶な可愛らしいマークがぽつんと刻まれている。

 彼を抱くたびに少しずつ違いに気付いて、そしてその度に溺れていった。

 ハリーのように優しい言葉はかけてくれないけれど、いつだって受け身のままだけど、それでも彼は僕を受け入れてくれた。
 それが同情でも良かった。

 頭に伸びるその手が嬉しくて。
 例えリップサービスだろうと愛してるの言葉に「俺もだ」と返してくれることが嬉しくて。

 彼を『ハリー』と呼び続けた。
 昼間に服で隠された場所とそうでない場所とでできた境界線に手を這わせ、舌を這わせてその度に反応する彼に僕の熱を分けて、一つになる。

 いつまでもこんな日が続くのだろうと、ハリーの代わりに来てくれた彼はずっと隣にいてくれるのだと疑ってはいなかった。


 ――ハリーが戻ってくるまでは。



「ただいま、ルーシャン!」
「ハリーが2人? なんで?」

 突然のことだった。
 数か月前にスラーが死んだのだと言っていた彼がまさか再び帰ってくるなんて思いもしなかった。

 確かに愛していたはずの彼の顔を見た時に僕の中で生まれたのは苛立ちだった。
 熱いくせにどこか冷めた頭はすぐにペアリングの嵌められた指先を見つけて、すぐ近くで真っ白くなっていくスラーを捕らえて、そして全てを悟った。

 ハリーは死んでなどいなかった。
 大方あの女と共にいたのだろう。クッキリと指輪の痕がそこに残っていた。

 そんなところに気付いてしまうほどにはハリーとの間の熱は冷めていたのだ。


「2人なんて心外だ。ハリーは俺一人だよ」
 ハリーは笑う。
 まるでもう一度やり直せることを信じて疑ってなどいないように。

 そんなの無理に決まっているのに。

 俺はハリーではなく、名前も知らない彼を愛しているのだから。

 だからハッキリ言って彼の登場は邪魔でしかなかった。

 君もそうだろう? 僕達の間にハリーなんて入る隙間もないだろうと彼にも何か言ってほしくて彼へと視線を移す。

 視線に捕らえた彼の目線はどうすればいいのか迷っていた。

 それが苛立たしくて彼にやる視線を強くすると彼はヘラっと笑った。

「よかったな、ルーシャン。ハリーが帰って来て。俺はお役御免というわけだ。じゃあな、幸せになれよ」

 まるで僕に対する愛なんて初めからなかったかのように彼は簡単に僕を切り捨てた。

「待ってくれ、ハリー」
「ルーシャン、俺ならここにいるよ」

 纏わりつくハリーの腕が気持ち悪かった。
 顔は似ていても、彼の体温はもっと高かった。

 あの熱に触れたいのに、絡みつく腕は冷たくて。

 ハリーを放そうとする間も彼は僕を振り返ろうともせずにズンズンと進み続ける。

「ハリー、ハリー」
 待ってくれと、行かないでくれとその名前を呼び続ける。
 その度にハリーはここにいるよと返す。

 それでも『ハリー』が彼の名前ではないことは承知で、そう呼び続けるしかないのだ。

 僕は彼の本当の名前を知らないのだから。


「ルーシャン、俺が帰って来たんだから『代わり』なんていらないだろう?」
 完全に見えなくなった頃、ハリーは俺の腕に絡みつくのをやめて、わざとらしく頬を膨らませた。

「『代わり』なんていらない。僕には彼が居ればいい」

 彼はハリーの代わりとしてやって来て、僕はそれを受け入れた。
 けれどもう僕は、例えうり二つの彼の『代わり』を連れてこられても満足は出来ないのだ。

 だからどんなに顔が似ていてもハリーに彼の『代わり』は務まらない。


「帰ってくれ、ハリー。君とはもう終わったんだ」

 ハリーはきっと僕の財産が目当てだ。
 僕の元にいた時からずっと金使いは荒かったハリーは、離れてしばらくしてからそれでは暮らしていけないことに気付いたのだろう。

 そう、初めからハリーは僕自身に愛などなかったのだ。
 多分、僕もずっと気付いていたのだと思う。ただそれを直視しようとはしなかっただけで。

 だから簡単に『代わり』が見つかった。
 顔しか似ていないはずの彼でも簡単に『代わり』になれた。

 ハリーの背中を強く押して「さよなら」を告げてから、後ろでずっと固まったままの従兄弟との距離を一気に縮める。

「スラー」
「……なんだ」
「彼を連れて来て」
「自分の意思で出ていった彼を……か?」
「うん。いくらでも払うからって。今度は僕が契約する。彼が愛してくれなくても、僕が愛せるのは彼しかいないから。だから今まで通り、演じてくれって頼むよ」

 両親が愛情の代わりに与えてくれた多額の財産を僕は愛を受けるために使おうと思う。

 例えそれがどんなに歪なものであっても。

「わかった。……けど彼が拒んだらその時は諦めろよ?」
「………………………………うん」
「間が長いな。諦めるつもりなんてないだろ……。まぁいい」



 それからすぐに出ていったスラーは1週間も帰ってこなかった。

 その代わりに『彼』を連れて帰って来てくれた。


「おかえりなさい。ねぇ君の名前を聞かせてくれる?」

 彼は視線をさまよわせて、まだ何かを迷っているようだった。

「……リゲロ。リゲロ=ミッシュ」
「リゲロ、リゲロか……」

 彼の柔らかい唇から吐かれた名前はハリーとは似ても似つかない、正真正銘の愛しい彼の名前だ。

 これから何度だって呼び続けるのだろうその名前を何度も呼んでは、頭に、口に刻み込む。

「あの、ルーシャン……。俺はハリーじゃないし、本物がいるなら代わりなんていらないんじゃないか?」
「リゲロ=ミッシュ、それが僕の愛おしい人の名前。愛してるよ、リゲロ」

 本当の気持ちを伝えた時の彼の顔と言ったらもう食べちゃいたいくらいに可愛くて、チェリーみたいな美味しそうな唇でリゲロは恥ずかしそうに「俺も」と答えるのだった。

 その後、抑えきれなくなった感情をぶつけるとリゲロは今まで以上に可愛らしく啼いた。

 一体スラーは彼にいくら提示したのだろうか?

 まぁいい。その額がいくらだろうと僕は彼を逃がすつもりなどないのだから。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

手切れ金

のらねことすていぬ
BL
貧乏貴族の息子、ジゼルはある日恋人であるアルバートに振られてしまう。手切れ金を渡されて完全に捨てられたと思っていたが、なぜかアルバートは彼のもとを再び訪れてきて……。 貴族×貧乏貴族

【BL】声にできない恋

のらねことすていぬ
BL
<年上アルファ×オメガ> オメガの浅葱(あさぎ)は、アルファである樋沼(ひぬま)の番で共に暮らしている。だけどそれは決して彼に愛されているからではなくて、彼の前の恋人を忘れるために番ったのだ。だけど浅葱は樋沼を好きになってしまっていて……。不器用な両片想いのお話。

泣くなといい聞かせて

mahiro
BL
付き合っている人と今日別れようと思っている。 それがきっとお前のためだと信じて。 ※完結いたしました。 閲覧、ブックマークを本当にありがとうございました。

殿下に婚約終了と言われたので城を出ようとしたら、何かおかしいんですが!?

krm
BL
「俺達の婚約は今日で終わりにする」 突然の婚約終了宣言。心がぐしゃぐしゃになった僕は、荷物を抱えて城を出る決意をした。 なのに、何故か殿下が追いかけてきて――いやいやいや、どういうこと!? 全力すれ違いラブコメファンタジーBL! 支部の企画投稿用に書いたショートショートです。前後編二話完結です。

木陰

のらねことすていぬ
BL
貴族の子息のセーレは、庭師のベレトを誘惑して物置に引きずり込んでいた。本当だったらこんなことはいけないことだと分かっている。でも、もうじき家を離れないといけないセーレは最後の思い出が欲しくて……。 庭師(?)×貴族の息子

無聊

のらねことすていぬ
BL
一兵卒であるエリオスは、遠征中のある日、突然王子の閨へと呼ばれた。まさか自分みたいなゴツイ男を抱く気かと思いながら天幕へ向かうと、王子に「隠れ蓑」になってほしいと頼まれて……。 ※攻め視点 兵士×王子

処理中です...