嘘の日の誤解を正してはいけない

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嘘の日の誤解を正してはいけない

3.

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「いってくる」
「いってらっしゃい」

 瀬戸を見送り、遅れて遠くでドアが閉まった音が耳に届く。
 彼が家を出て行った合図だ。

「はぁ……」
 一人自宅に残された俺は小さくため息を吐く。
 牛乳をマグカップに入れ、電子レンジに突っ込む。温めている間に自室から持ってきたのはカップケーキ。甘いものが苦手な瀬戸のために、ダークチョコレートを使った。

 ……まぁ渡せなかったので好みなんて関係ないのだが。
 昨日のおやつに食べた自分用のカップケーキ同様、今から俺の腹に収納される予定だ。

 ホットミルクを回収し、テレビの前に座る。
 なんて気なしにテレビの電源を付けると、バレンタインの話題が流れていた。二月に入ってから散々報じてきた話題なのに、過ぎた後も報道するとは……。よほどネタがないのか、それほどまでにチョコレートに固執する日本人が多いのか。少し呆れてしまう。

 とはいえ俺も、毎日のように『バレンタイン』やら『チョコ』というワードを目にした結果、板チョコを使ってお菓子を作ろうと泡立て器とボウルを手にした一人だ。完全に企業の思惑にはまっている。

 今年に入ってから瀬戸が毎日のように買ってくる板チョコもバレンタイン商戦の一つだったのだろう。二月に入ると普段の半額とまではいかないまでも、かなりの安さで売られているものだ。おかげでキッチンには、この先一年は困らないであろう量のチョコレートの備蓄がある。チョコレートの種類も、ミルクチョコ・ストロベリー・ダーク・ホワイトの基本四種類が揃っている。

 また板チョコとは別に、昨日瀬戸がもらってきたチョコレートが冷蔵庫に入っている。
 瀬戸の人気は高校卒業後も健在らしい。だが甘いものが嫌いな彼は自分で食べる気がないようで「やる」と短く告げて、突っぱねるように渡してきた。どれもテレビで見た有名ブランドの、限定何個なんて制限がついたようなお高いチョコレートだった。そんなものを見せられた後で安っぽいカップケーキを渡せるはずもなかった。

 ホットミルクで苦い思いとカップケーキを胃に流し込む。
 そしてテレビの電源を消そうとした時だった。とあるニュースが飛び込んできた。

『本日行われるチョコレートの城の解体ショーには、すでに大勢の人が詰めかけています』
「あ、そっか。解体するのって今日だっけ」

 チョコレートの城とは、田賀谷製菓と新進気鋭の若手建築士がタッグを組んだバレンタインイベントである。ちなみにこの建築士は田賀谷製菓の経営者の親族に当たる。名字も『田賀谷』となっている。

 普段は海外での活動がメインだが、今回の仕事のため、一時的に日本に帰ってきているそうだ。大のお菓子好きらしく、『展示後はみんなで食べよう!』と提案したのも彼らしい。

 事前のインタビューでも『解体後も美しく、かつ田賀谷製菓のチョコレートの美味しさが損なわれないようにするのに苦心した。内装にもかなり凝ったので解体ショーも楽しみにしてほしい』と答えている。

 このイベントはチョコレート関連のニュースの中でも異彩を放っていた。
 思わず持ち上げたリモコンを一度机に置くほどには。

 解体ショー用にガッツリ尺が採られているようで、腰を据えてみるために冷蔵庫から麦茶を取り出す。ついでにカップケーキだけでは足りないと叫ぶ胃を満たすため、バナナを咥える。その間も視線はテレビに固定したままだ。

 解体されたチョコレートは抽選で選ばれた人達に配られることになっている。
 奥の方に固まっている人達が当選者なのだろう。もらえる部位も抽選時に決まっているそうで、はがきサイズの紙を大事そうに持つ彼らの目は輝いていた。

 本当に羨ましい。俺もオメガになる前だったら確実に応募していた。

 田賀谷製菓の社長と建築士の挨拶が終わり、いよいよ城にはナイフが入れられていく。
 チョコレートが崩れてしまわないように丁寧に、けれども豪快に解体されていく。

「わぁ……」
 画面越しでも分かる美しさに釘付けになっていた。

 自分ならどこの部位がいいか。たった一つしかない玉座は魅力的だが、城門と橋もかなりの大きさだ。それに屋根の部分も場所によって使っているチョコレートを変えているそうだ。

 解体される横で、建築士の彼が説明してくれている。

『今回が好評なら来年は日本の城を作って良いって話なんでね、皆さん、是非帰りのアンケートには来年も見たいって書いてくださいね。あ、モデルにしてほしい城とかあったらそれも。実在する城なら機能を重視した作りにしなければいけなくても、鑑賞兼食用のお城なら多少デザインを変えられますから! といっても機能を重視された城には特有の美しさがあるんですけど……。いやぁ迷いますね。また一年しっかり考えないとって、話しているうちに次のパーツが来ましたよ。こちらに使用しているチョコレートは……』

 本職は設計士のはずなのに、チョコレート知識もかなりのものだ。

 トークも上手く、オマケに顔もいい。海外のファッションモデルかと思うほど、すらっとしたボディーに長い手足。妖艶さもある甘いマスク。

 けれど本当にお菓子とお城が好きなのだろうとストレートに伝わってくる純粋な目。ニッと笑う顔はどこか親しみやすさもある。

 この短い間に、すっかり彼のファンになっていた。
 きっと俺だけではない。会場のお客さんはもちろん、今テレビを見ている人だって来年も見たいと思っているはずなのだ。


 じいっと魅入っていたせいで、ドアの音に気づかなかった。


「こいつか」
「へ?」

 振り返るとそこにはコートを羽織ったままの瀬戸がいた。荷物も持ったまま。
 名残惜しいが、解体ショーよりも家の主人である。テレビを消し、彼に向き合う。

「どうした? 忘れ物でもしたか?」
「ああ。最悪だと思ったが、たまにはするもんだな」

 吐き捨てるようにそう告げる瀬戸。とても良いことがあったようには聞こえない。表情もどこか苦々しいといった様子だ。どういう意味かなんて聞けなかった。きっと俺が立ち入っていい内容ではないのだろうから。


 俺が戸惑っている間に彼はコートを翻す。そして自室に戻り、すぐに出てくる。目的のものを見つけたのだろう。そのままリビングに戻ることなく去って行った。

 心に引っかかりを覚えた状態では、もう一度テレビを付けようとは思えなかった。
 楽しそうに語る建築士の顔よりも、瀬戸の歪んだ表情が脳裏に焼き付いて離れないのだ。

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