姉の身代わりになりまして

斯波良久@出来損ないΩの猫獣人発売中

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5.

 ジャックは屋敷へと戻るとすぐに兄と父の元へと向かった。
 本当なら今にでも走って突撃したいくらいだが、ジャックはグッと押さえて早足で歩く。それでも足首が隠れるか隠れないかくらいの丈のドレスの裾を踏みそうになる。数ヶ月ではとても慣れそうにはない。むしろたった数ヶ月で高いヒールで危なげなく早く歩けることが奇跡なのだ。

 幼少期から鍛えられた体幹がこんなことで生きてくるとは、ジャック自身も想像もしていなかった。人生何が必要になるかはその時になってみないと分からないものである。
 真っ直ぐに背筋を伸ばして、父の書斎のドアを叩いた。
「誰だ」
「ジャックです。お父様、お話があります」
「入りなさい」
「失礼いたします」
 ジャックがドアを開き、一礼する。前を向けば父の隣には、兄、カザールの姿があった。これで二度説明する手間が省けたと父達の前まで足を進める。そしてジャックが口を開こうとしたその時、父の低い声が耳に届いた。
「ジャック」
「は、はい……」
 何か間違ったことでもしたか?
 ジャックは緊張で再び背筋をピンと伸ばす。けれど先ほどの比ではない。なにせよほどのことがない限り、怒りもしない父が地を這うような声を漏らしたのだ。つい最近だとフランシスカの逃亡。つまりそれに匹敵するほどのやらかしをしたということになる。これでは自分の思いついた案を話すどころか、襲撃されたという報告すら難しいかもしれない。ジャックの伸ばした背中には冷たい汗がツツーっと流れ落ちていく。
 ゆっくりと目の前の父が口を開く姿に、恐怖で思わず唾を飲み込んだ。
 けれど飛び出した言葉はジャックの想像していたものと全く違うものだった。
「今のおまえはフランシスカだろう」
「は?」
 思わずジャックの口からは呆けた声が漏れてしまった。
 だって『フランシスカ』だろう、って。
 フランシスカを演じていることには間違いない。けれどジャックはジャックだ。15年間、シザー家の次男、ジャック=シザーとして生きてきたのに何をいまさら……。
 けれどそう思っているのは父だけではないようだった。
「そうだぞ。おまえは今、外でも屋敷でも『フランシスカ』なのだから」
 続いた兄の言葉にジャックはゾッとした。
 このままフランシスカ=シザーにされてしまうのではないか、と。
「お父様、お兄様!」
「フランシスカ。声を荒げるなんてはしたないぞ」
「す、すみません。……じゃなくて、今は姉の代わりにフランシスカを演じてはおりますが、私はフランシスカではありません。弟のジャックです! 私は男で、姉のように子を孕むことも、王太子妃となることも出来ないのです」
 ジャックは必死に訴えた。
 一時的な代わりにはなっても姉に成り代わることは出来ないのだ、と。
 見かけはどうにか出来ても、身体の構造はどうしようもない。
 すると父と兄はハッと夢から覚めたように目を見開いた。
「すまなかった。ジャック……」
 そして頭を垂れて、弱々しく謝罪の言葉を述べてくれた。
 これで何を言っているのだ! と逆上されたらどうしようかと思っていたが、そこまで二人の頭が何かに浸食されていなくてよかったとジャックは胸をなで下ろした。
「分かってくれればいいのです。それで、私の用件ですが……」
「ああ」
「王子は私が姉さんの身代わりを演じていることに気づいている様子だ、と以前より報告致しておりましたが、ついに確信を突こうと動き出しそうです」
「……そうか」
 父はジャックの報告に驚きはしなかった。
 むしろ男のジャックがドレスを着ているのに、誰もツッコミを入れなかったことが奇跡であったとさえ思う。もちろん、王子のように気付いてはいるが言い出さない者もいるのだろう。だがそれでもやはり限界は存在する。それが今だ。
「限界、でしょう。あまりにも期間が長すぎます。そろそろ長期休暇にも入りますし、捜索範囲を変更し、休み明けには姉さんには学園の方に通っていただかなくてはなりません……またこれは提案なのですが」
「なんだ?」
「本日、私は体調不良ということで早退してきたのですが、帰宅途中賊に狙われまして」
「なんだと!?」
 これを利用してしばらく公の場から遠ざけてはいただけませんか? と続くはずのジャックの言葉は目の前の二人の荒げた声によって阻まれる。
「けがはないのか!?」
「ええ。レッドがすぐに討伐を開始してくれましたから」
 一気に距離を詰めてくる二人に思わず後ずさりをしながらも、結果を簡潔に述べた。いささか適当すぎやしないかとも思うが、ジャック自身、敵の人数も所持していた武器も使っていた言語も服装も、何も知らないのだ。詳しくは対峙した二人が報告してくれることだろう。
「そうか。レッドには後で褒美をやろう。ジャックの柔肌に傷でもついたら私は……」
「男児たるもの、傷一つでへこたれはしませんよ……」
 唇を噛みしめる父にジャックは呆れてしまう。
「何を言っているんだ、ジャック! お前の可愛さは国宝にも値するんだぞ! それを傷つけようなど万死に値する重罪だ」
「はぁ……」
 柔肌に国宝って。この二人は一体どんな目で見ているのだろう。フランシスカが消えたことで過保護に拍車がかかったとは感じていたが、これは行き過ぎてはなかろうかと心配になってくる。
「残党がいるやもしれん。関係のある者を全て洗って制裁を加えよう。……うちのジャックに手を出したことを後悔するといい」
「いや、あの討伐はすでに完了しておりまして」
「心配しなくていいぞ、ジャック。二度とこんなことがないようによからぬ奴らは私と父上が根絶やしにしておこう」
「そんなことよりもまず、姉さんの捜索を……」
「フランシスカなら大丈夫だ。数日遅れたくらいじゃ死なん!」
「ええ……」
 逃げ出した娘よりもそこにいる息子を取るにしても、この数ヶ月でフランシスカに対する対応が変わりすぎではないか。
 あんなに大事に育ててきた娘だというのに……。甘やかしてきた結果がアレだとしても、これでは帰ってきた姉の顔に浮かぶのは絶望だろう。いや、王子の変化で帳尻は合うかもしれない。だが全ては戻ってきたフランシスカ次第。……そのフランシスカが帰ってくるかが一番の心配事でもあるのだが。
「早速身元を洗うぞ!」
「はい、父上!」
「それとジャック!」
「はい!」
「危ないから決して屋敷から出ないように! 手紙も私が目を通した上で必要な物だけ渡すようにしよう」
「はぁ……」
 まるで今まで自分とフランシスカで分けていた、父や兄からの愛情を一身に注がれているようだ。それはワガママだらけだったフランシスカにはなんてことない物だったのだろうが、姉の陰でひっそりと過ごしていたジャックにはあまりにも重すぎるものだった。
「だけどまぁ、学園に行かなくていいならいいか……」
 ジャックは独りぼっちになった部屋で、少なくとも胃痛の原因から少し遠ざかったと前向きに考えることにした。
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