姉の身代わりになりまして

斯波良久@出来損ないΩの猫獣人発売中

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「君は私の姉、フランシスカ=シザーへ対して嫌がらせレベルではあるものの、複数回に渡って器物損壊を行った」

 フランシスカは胸元から紙の束を取り出すと、周りに中身を見せつけるように広げてみせる。

 ツカツカとわざとらしく近くを歩き回り、アイリーンの精神を追い詰めるのも忘れずに。

「その上、明らかに殺意を孕んだものもいくつか……。まさか一介の平民に過ぎない君が賊や国際的な暗殺グループと繋がっているとは思わなかったよ」

『賊』『暗殺グループ』と部分的に声を低くすれば、観衆達はゴクリと喉を鳴らしてお互いに目配せをし始める。始まった騒めきからはあの子が?  まさか……との声が漏れ聞こえてくる。

 けれど誰もが「嘘だ」と否定の言葉を述べることはない。

 それも当たり前のことだろう。
 なにせアイリーンという少女は学園に親しい人間など1人だっていないのだから。そう、彼女はずっと身分の高い男性陣にばかり話しかけており、他の学生達とのコミュニケーションは最低限にしか取っていなかったのだ。

 こんな時に守ってくれる人間などいるはずもない。

 その一方で、最近まで姿をくらませていた『ジャック=シザー』は公爵家の令息。多くの観衆にとって『ジャック』はあのわがまま令嬢『フランシスカ』の双子の弟であるというイメージが強く刻まれているだろう。けれどこれといった悪い印象もない。姉の方だって、ここ最近の評判は以前よりもずっとマシになっている。
 何よりどんな態度をとろうが『フランシスカ』も『ジャック』も公爵家の人間なのだ。

 観衆達の疑いの目が向けられるのは当然、アイリーンである。

 もちろん、未だに『フランシスカ』をよく思わないものもいるだろう。けれど何も心配はいらない。彼らをも黙らせるための証拠は他にも沢山用意してあるのだから。

「それは……」
「もちろん証拠もあるし、証人だっている。結構頑張って集めたんだけど、君が与えてくれた『指紋』が一番役に立ったよ」

 怯むアイリーンにフランシスカは紙束から一枚の書類を突き出す。それはアイリーンが『ジャック』の元へとせっせと運び込んでいた物から摂取したものだった。なんでも人が素手で触ったところには指先の跡がしっかりと残るらしい。それも人によってその形は微妙に違うらしく、個人の特定が可能だそう。

『手袋もせずにべったりと触ってるんだから取れないはずがないわよね~』
 よくわからない液体を吹きかけながら、フランシスカは夜な夜な証拠となるデータを取っていたという訳だ。

 照合するのはあの日、屋敷に忍び込んだ暗殺グループから回収した依頼書。複数回に渡り手紙でやり取りをしていたらしく、その全てからアイリーンの指紋が検出されたらしい。
 ピッタリね!  なんて言われたところでジャックには何が何だか分からないのだが、フランシスカ曰く、アイリーンに突きつけるならこれが一番の証拠になるらしいとのこと。
 なかなか信じがたいものの、それ以外にも証拠をいくつか用意しているとのことだった。

 観衆達は以前のジャックのように『指紋』と聞き慣れない言葉に首を傾げている。けれど目の前のアイリーンだけはその言葉にひどく困惑しているようだった。

「指紋なんて!  この世界にそれを調べる術なんて……」
「普及はしていない。けれどこの世界の文化レベルで出来ない訳ではない。そんなこと考えれば分かるだろう?」
 嘲笑う『ジャック』にアイリーンは顔を紅潮させる。

「ジャック様がなんで……フランシスカね!  まさかあの女も転生者だったなんて!  道理でやけに大人しいと……くっそ、あいつらしくじりやがって!」

『転生者』なんて言われてもジャックにはまるで意味が分からない。けれどフランシスカにはその意味がしっかりと伝わっているらしい。怒りに染まるアイリーンに『ジャック』はトドメを突き立てる。

「それは罪を認めている、ということでいいのかな?  まぁ、足掻いたところで証拠も証言もこちらにはまだまだ残っている。こんな所で明かさずとも君をこの場所から引きずり落とせるだけのカードが、ね?」

 項垂れるアイリーンの元に、すでに待ち構えていた衛兵が身柄を拘束に向かう。アイリーンは両手を拘束され、舞台は幕を閉じるーー予定だった。

 だがフランシスカのシナリオでは無抵抗のまま連れて行かれる流れだったアイリーンは首を捻り、ひん剥いた目で『ジャック』を捉えた。

「…………ジャック様はそんなこと言わない。私の愛したジャック様はワガママで意地悪な姉が嫌いだった。フランシスカが死んだらきっと、ジャック様は解放されたって喜んでくれるはずなのに。……………なのに、なんであなたは悪役令嬢を守ったりするの?」

 ボソボソと紡ぐ言葉は離れた位置に立つジャックの耳に届くことはなかった。けれど明らかに様子がおかしいのだけは確かだ。

「あなたを変えたのはあの女でしょう?  やっぱり殺しておけばよかった。ううん、今からでも間に合うはずだわ。だって転生者は2人もいらないもの。そうだわ。初めからこうすればよかったのよ」
「何を……」
 紐で引き上げられているかのように口角を釣り上げるアイリーンは呪いの人形のよう。

 怖くて、気持ちが悪くて。けれど目を離せない。

「ねぇ……死んで」
 謎の言葉を口に出した瞬間ーーアイリーンはカタカタと震えるジャックに標的を定めた。するとどうやったのか、衛兵たちの拘束を逃れ、前へとスライドするように飛んだ。音もなく、ただただすごいスピードで『フランシスカ』めがけて向かって来るのだ。

「ひぃっ……」
 ジャックは恐怖の声を漏らしてレッドの背中へと隠れる。
 けれどアイリーンの手が『フランシスカ』に触れることはなかった。

「私のフランシスカに、何をしようとしているのかな?」
「ウィリアム、お、うじ……な、何、を……」
 切れ切れに紡がれる苦しげな言葉にジャックはレッドの背中からひっそりと顔を出す。するとそこにはアイリーンのか細い首を絞め上げながら問いかけるウィリアム王子の姿があった。感情の見えない表情に、たった一瞬にして、恐怖の対象が切り替わった。誰もが口さえも出せず、その場所だけが異空間のようになってしまっている。

 これも想定外だ。
 視線を少しズラせば顔を歪めるフランシスカがいる。手には小さめのナイフが握られており、それで何かしようとしたのだろう。けれどそれよりも早くウィリアム王子が動いた。

「質問しているのは私だ。早く答えろ」
「この女、を……殺…………っすの」
「フランシスカに手を出そうとする人間が存在することを許されるとでも?」
 ウィリアム王子は徐々にアイリーンの首の締め付けを強くする。あっ……ぁあっと言葉の端々に紛れ込む嗚咽は酸素を取り入れることを禁止されたものの叫びのようで、思わず耳を塞いでしまいたくなる。けれどそれを許さないのは他ならぬアイリーンの視線だ。締め上げられてもなお、彼女は『フランシスカ』から視線を外らせようとはしない。


 何が彼女にここまでさせるのだろうか?
 謎の執着に怯えながらも、ジャックは『アイリーン』が完全に舞台から引きずり降ろされるのを見届けた。


 気を失って、やっと解放されたアイリーンの首にはしっかりと王子の手の跡が残っていた。壊れたオモチャのように呆気なく投げ捨てられた彼女は衛兵たちに回収されていく。息はまだあるようで、胸が小さく上下していた。どうやらアイリーンは想像以上にしぶとい女のようだ。けれど二度と会うことはないだろう。それほどまでに彼女の罪は重いのだから。

 今度は逃さぬよう、意識がなくとも先ほどよりも厳重に両手を拘束されていった。



 こうして平穏な日常をかき乱した『アイリーン』は学園を去ったのだった。
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