華とケモノ

斯波良久@出来損ないΩの猫獣人発売中

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春には誰もがサクラを見上げる

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「ねぇ、2人ともこの後一緒に食事しない?」

 そう、大和が斎と勇樹に声をかけたのは彼らのその日の仕事が全て終わった時のことだった。
 それもスタジオからさほど離れていない場所で声をかけたのは断られる選択肢を少しでも減らしたかったからだった。

 ここ最近、大和と樹とよく顔を合わせる斎は「いいですね!」と顔を綻ばせたが、勇樹は彼とは正反対の表情を浮かべた。
 なにせ彼の中での予定はすでに決まっていたのだ。なら勇樹だけでも帰ればいいではないかと思うかもしれないが、彼の予定の中には斎も含まれている。

 適当な理由をつけて、夜を共に過ごそうと。

 勇樹は最近、斎の様子が少しだけ変わってしまったことが気になっていた。けれどそれが何と決めつけることが出来ずに、どうすればいいのかを考えあぐねていた。打つ手を間違えたら……と斎に嫌われることを、距離を置かれることを気にかけて、進めないまま、やっと出した答えがとりあえずいい雰囲気になったら切り出してみよう!という、何とも安直な考えだ。

「橋間は来ないのか? いつきもいるけど?」
 大和はわざとその名を挙げて、勇樹を正面で捉えつつも目の端で斎の様子も確認する。

 すると2人揃って、大和の予想通りの表情を浮かべる。
 斎は視線を下に下ろしてからすぐに流れるように勇樹の様子を窺って、勇樹は苛立ったように眉を顰めてから「行く」と短く答えた。

 斎は『いつき』を樹と変換し、勇樹は『いつき』を斎と変換したのだ。

 樹と斎は同じ音で、勘違いを起こしやすい。
 だが見事に別の意味に取るとは、中々にすれ違ってるんだなと内心、なんとも言えない感情に占拠されつつある大和は気持ちを切り替えて、笑った。

「じゃあ行こうか。店はもう予約してあるから」
 車移動の勇樹と斎に自分の車の後を付いてきて欲しいと伝えて、大和は真っ赤なボディが自慢の愛車に乗り込んだ。

 大和もここでもし彼らがついて来なかったら、勇樹が帰ると言い出したら……と考えなかったわけではない。だがそれならそれで構わないんじゃないかと樹は笑ったのだった。

 そんな想いも知らぬ斎は大和の車を追いながら、チラチラとミラーで後部座席を確認していた。先ほどからずっと勇樹は苛立たしげに指先でタタンタタンとリズムを刻んでいる。

 出来ることなら先に勇樹を自宅に送り届けたかったのだが、大和の口から出た『いつき』を樹だと思い込んでいる斎にはそんなことは出来なかった。
 代わりに彼の求めている『いつき』と対峙する姿をまざまざと見せつけられるのだろうと、気分は車内で奏でられる単調な音の数だけ沈んでいった。


「いっくん、それに勇樹も、今日はありがとう」

 予約が3年先まで詰まっていると話題のフレンチ料理店の目の前で大和は足を止めて、そこですでに待機していた樹は斎と勇樹を歓迎するように手を広げた。
 店に客は1人もおらず、完全なる貸切状態だった。
 さらに軽めの食事を済ませた大和は早々に店員を下がらせた。

 そして始まるのは学園時代の思い出話。
「あの時は……」とか「あの先生は実は……」とか、斎には全くわからない内容ばかりが目の前で交わされている。

 マネージャーという職についている斎はもちろん、興味のない話を聞かざるを得ないことも、聞く気がなくとも耳に入ってくることも多々ある。
 だが今回は聞き流すことが出来ず、むしろこれは勇樹を本格的に諦めるキッカケになるのではないかとさえ思えた。
 愛想笑いを浮かべた斎の隣で、勇樹は心から楽しそうに笑っている。それが営業用とは違うことは斎の目からすれば明らかだった。

 心は傷だらけで、けれど斎は笑い続けていなければいけなかった。

 それを察したらしい、大和は「そうそう、それで本題はそこじゃなくて、だな……」と切り出してから、にんまりと笑う。
「うちに家族がもう一人増えることになったんだ!」
「……それを話すために呼んだのか……」
「二人目が出来たのを、まず君らに報告しようと思って」
「おめでとうございます! 樹里ちゃん、喜びますね」

 それは斎の心からの言葉だった。
 樹里と何度か会って、そして彼女が時折近くを通った兄弟を羨ましそうに見ていたことを知っていた。
 そうか、あの子が姉になるのか。きっといいお姉さんになることだろう。
 斎は無邪気な少女が赤子を大事そうに腕に抱いている姿を思い浮かべた。

「ああ。もう樹里はお姉ちゃんとしてお世話する気満々だよ」
「おめでとう、樹……」

 はしゃぐ斎とは違い、勇樹の声は高くなることはなかった。けれどこれは彼なりの樹と大和へ向けた祝いの言葉だった。
 勇樹自身、こんなにすんなりとこんな言葉が出てくるとは思っていなかった。少なくとも斎と出会うまでの勇樹なら、樹に囚われたままだった彼なら無理だっただろう。

 だが今、勇樹の心を捕らえているのは他でもない斎なのだ。

 勇樹の中で樹はすでに過去の想い人で、高校時代の友人の一人として完全に消化されているのだ。だから樹の妊娠を喜ぶのは友として当然のことだった。

 ただ勇樹の心を占めるのは樹への祝福だけではない。
 オメガの樹とアルファの大和への嫉妬だ。
 ベータでなおかつ男性の性を持つ斎とアルファで同じく男性の性を持つ勇樹ではどうしても子を成すことは出来ないのだ。
 それどころか、勇樹は未だ斎を腕に抱いてすらいない。愛おしいのだと、隣にいて欲しいのだと言うことさえも『まだ』なのだ。


 幸せそうに笑う2人と別れた後、勇樹は斎の車に乗って自宅へと戻った。

「今日は泊まっていったらどうだ?」
 勇樹をマンションの地下車庫のエレベーター付近で降ろしてから、早々に帰ろうとする斎の腕を引き、そう提案した。

 予定は少々狂ったものの、勇樹はどうしても今日斎に想いを打ち明けたかった。
 それは一足先に幸せをもぎ取った2人の幸せムードに触発されたからというのもあるが、斎を一刻でも早く自分のものにしたくなったのだ。

「まぁ、いいですけど……どうかしたんですか?」
 いきなり泊まっていかないかなんて切り出した勇樹を斎は訝しんだものの、車を持たず、いつも空き状態になっている勇樹の駐車スペースに車を止めた。

「ああ、ちょっと話したいことがあって、な?」

 エレベーターのボタンを押した勇樹はすぐにやっては来ないエレベーターに早くしろよと心の中で毒づいた。そんなことをしても早く来てくれる訳もないのだが、勇樹は急く心を表すかのごとく何度もボタンを押す。

「勇樹さん? 本当にどうしたんですか?」
 斎はそんな様子の勇樹を今度は心配する。
 上目遣いで見上げる斎に勇樹はますますエレベーターを苛立たしげに思う。

 やっと来たエレベーターに身体を滑り込ませると、見慣れた数字を押して、幼い頃から叩き込まれた正確な秒数を、組んだ腕に指を当てて数える。

 いち、に、さん。

 そんな様子の勇樹に斎はもう何も言わなかった。
 彼の部屋につけばその理由も分かるだろう――と。


 そして部屋へと入り込んで、鍵を閉めた勇樹はクルリと身体を反転させて、斎の身体を包み込んだ。

「斎、好きだ」

 当初の計画だともっと雰囲気のある中で、相手の想いを確認してから、最後にこうするはずだった。
 格好悪いなと勇樹自身も感じている。
 だが彼には余裕はないのだ。

 カッコ悪くとも、勇樹は斎を手にしたかった。

「私も、です……」
 だから斎の可愛らしいその口からポツリと恥ずかしそうに溢れた言葉に歓喜した。そして勇樹はそこが玄関であることを忘れて、想いの通じた愛おしいその存在を自分だけのものへと変えていく。

 酸素を奪って、顔を赤らめさせて、目がトロンとしてきた斎を見られるのは自分だけの特権なのだと、勇樹の心は昂ぶっていく。

「ぁっ……」
 斎が小さく言葉を漏らし、縋るように勇樹の服にシワを作ると、勇樹は完全に理性のブレーキが効かなくなるのを感じた。

 好きだ。
 愛してる。

 何千、何億もの人間が愛しい人達に囁いてきた、使い古された言葉を囁く。

 愛する人に唯一の言葉を捧げたいとロマンチックなことを思い描いていた勇樹だったが、そんなことはとうに忘れていた。
 ただひたすらにその愛に溺れていく。
 ずっとずっと手に入れたかったそれは想像以上に深く、溺れるごとに勇樹の理性を奪っていく。

「いつき、いつき、いつき」

 息をするようにその名を呼んで、阻むものなどなくなった貪欲なまでに肌に触れて、犯していった。



 ようやく勇樹が落ち着いて物事を振り返ることが出来たのは、日も高く上がった時のことだった。
 腕の中で微睡む斎の頭を撫で、勇樹は昨晩の夢のようなひと時を思い返した。

 勇樹はその幸せに頬を緩めながら、これ以上があればいいのにと強欲にも願ってしまう。

「斎にも子どもが出来ればいいのにな……」

 あの2人のように家族を作れれば――と。

 それはベータである斎を責めているわけではなかったのだが、斎は勇樹がふと漏らした言葉に少なからず傷ついたように目を細めた。

「いくら樹さんと瓜二つとはいえ、樹里ちゃんみたいに彼によく似た子どもが産まれるとは限りませんよ」
 勇樹の頭を撫でながらそう諭すと勇樹は斎の腹にそっと口づけを落とす。

「俺と斎の子どもならどんな子どもでも愛せる自信はある」
「そうですか。まぁどちらにせよ俺はベータで、男なので子どもなんて産めませんけどね」
「少し残念だが、ずっと斎を独占できると思えば悪くない」
「そうですか……」

 呆れたように勇樹を見下ろす斎はどうやら勇樹から逃れる気などないようだ。
 だが勇樹はそれでも満足しない。
 もっと強固な檻に入れなければと勇樹の身体に流れる血が騒めくのだ。
 こればかりはオメガだとかベータだとか、そんな産まれながらに天から与えられた性に左右されることはない。
 勇樹自身が強く斎という人間を求めているのだ。

「なぁ、斎。マネージャーもいいけど、専業主夫になるつもりはないか?」
「専業主夫、ですか? あまり主夫の自分が想像できないといいますか……第一私が専業主夫なんかになったらあなたのマネージャーは誰がやるんですか?」
「白井さんに戻ってきてもらうよ」
「それは……私の役目は終わった、ということですか……。専業主夫になれというのならいい人でも紹介してくれるんですか?」


 なぜだ。彼が今しがた独占すると言ってくれたのは真っ赤な嘘だというのか。樹は大和の妻だ。手に入るはずなどない――幸せ一色に染まっていたはずの斎の心は一瞬にしてどす黒い劣等感へと塗り替わる。

「俺だ」
「は?」
「俺の妻になれ、斎」
「何をバカなことを! 今でも限界なのにあなたは妻まで俺にやらせようっていんですか!」
「嫌、か?」
「嫌に決まっているでしょう!? いくら顔が似ているからって私がその場に立ってしまったらもう……いっちゃんと大和さんに合わせる顔がありません」
「なぜ? 樹と大和が妊娠を報告してくれたようにすればいいだろう?」
「そこまでして、あの人が好きですか?」
「は?」
「あの人と重ねるための代替品を用意してまで、俺を否定してまであの人を愛し続けるというのですか!」
「斎! どこに行くんだ!」

 勇樹は残された部屋で何度も壁に頭を打ち付けた。
 もう二度と離さないと決めたのに、なぜ同じ失敗を繰り返してしまったのかと己を責めた。
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