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俺と彼女の誕生日
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しおりを挟む満員電車に揺られる事1時間強。
駅構内のコインロッカーで用事を済ませたら、そこから足早に7分ほど歩くと職場が入っているビルに辿り着く。
時計の針は8時45分。
オフィスの扉を開ける直前に満員電車の格闘時から身に付けていた白い不織布マスクを外し、いつものトーンで俺は挨拶をした。
「おはようございます」
ワンフロアかつパーテーションの仕切りしかしていない我が社の本社オフィス内では、俺みたいな低音ボイスはよく通るらしい。
社員どころか社長や常務までもが一斉に俺の顔へと視線が集中するのももう慣れてしまった。
俺が所属する本社業務部のデスクに鞄を置くと、隣から俺よりもほんの少しトーンの高い中低音ボイスの持ち主が朝の挨拶をしてきた。
「おはようございます広瀬さん。スーツ新調したんですか?すごく似合ってますね!」
「おはよう村川くん。そんな事言ってくれるのは君くらいだよ」
スーツの上着を脱いで席後ろのロッカーに片付けながら後輩の村川くんの褒め言葉に返事をした。
彼の名は村川亮輔。22歳という若さで3月末に「村川」という名字に変更したフレッシュマンだ。
(今日も左薬指がピカピカと輝いていて眩しいなぁ本当に)
「噂の彼女さんからは褒められなかったんですか? そのかっこいいスーツ」
俺が着席したタイミングを見計らって村川くんが今朝の連絡FAXを差し出してくる。
両耳に20箇所も開いてるピアス穴と後頭部の傷跡が痛々しく中々ミステリアスな彼ではあるが、我が部に来て2ヶ月しか経っていないのに優秀で笑顔もマッシュショートの黒髪も爽やかな後輩である。
「なんだかんだで褒められる時間がなかったんだよ」
こっちは一応可愛い団子は愛でてやったけど、夏実の方は俺のお胸弄りの所為で俺のスーツが真新しい事など眼中になかったんじゃないだろうか?
「じゃあ褒めたの俺が最初になっちゃったんですね。それは悪いことしました」
村川くんは一本横に入った傷を無意識に片手で撫でながら照れ臭そうに笑っている。
「褒められるのは悪い気しないよ、ありがとう村川くん」
常に他人に目を向け小さな変化を見逃さないこの新入社員の性格を俺はこの2ヶ月見て知ってきたし、それ以前からも一つ下のフロアにいらっしゃる穂高次期営業所長様から個人的に情報を得ていた。
だから一番に褒めて欲しかった彼女よりも彼の方が気付いて口に出してしまうのも、当然の流れといえる。
「村川くんは土曜日出勤初めてだろう? 新婚さんには身がキツイんじゃないか?」
パソコンのメールをチェックしながら彼にそう話し掛けると
「ジュンさんに誘われてもいますから弁当は遠慮しましたけど、今朝も仲良く妻と一緒にマンション出てきました。妻は土曜日も仕事ですから」
と、返事が来る。
「へぇ」
ぼんやりした相槌を打ちながら彼の顔を見ると、ピアス穴だらけの耳がほんのり色付いていた。不思議な事に昨夜彼の家だけ熱帯夜だったらしい。
「おアツイようで何より……って言っておくよ」
意地悪げにニヤリと笑ってやると、彼もそれに気付いたのか
「おアツいのは広瀬さんの方でしょ」
と揶揄い返してくる。
「俺のはまだ妻でもなんでもねぇし」
目線を彼からFAX用紙の束に戻してこっちも言い訳すると
「ジュンさんから聞いてますよ。今日お誕生日だから俺が紹介した店の指輪、今夜渡すんでしょう?」
今度は俺の至近距離まで近付いて揶揄いを通り越した発言で攻撃してきた。
「んなっ!!」
新入社員の揶揄い言葉で動揺する俺も悪いが、女性社員が俺らのやり取りを側から見てクスクス笑い出している。
(俺らは声も身長も一般的身長より頭一つ分抜けているからこんな内緒話をしてもバレるんだよなぁ。現にめちゃくちゃ笑われてるだろうがっ! 恥ずかしい……)
特に女性社員の中でも一定数、とある嗜好を持つ社員にとっては俺らの仲の良さは現実とは違う関係性に見えるらしい。
「うるさい。仕事始めるから話しかけてくんな」
だから、彼と必要最低限の会話しか交わさず先輩の俺が素っ気なくしてやればいいのだろうが……。
同じ業務部で、席も隣同士で、同じ背格好で、声もイケボと呼ばれるくくりに入り、尚且つ彼が入ってきたばかりの時は俺とヘアスタイルが被ってしまっていたのを社内全員が知ってしまっているのだから既に施しようもない域に達している。
「承知しました広瀬主任」
村川くんは俺の命令に忠実で、「話しかけるな」と一言言えば本当に彼から一切話しかけてこなくなる。見た目はミステリアスだが中身はとても素直でチャーミングなのだ。男相手にチャーミングという言葉のチョイスを本来使いたくないのだが、彼には不思議とそれがマッチする。
丁度始業時間になった事もあって、彼は俺の方を一切見る事なく社内電話を取り次いでいた。
実は彼の甘めマッシュショートにはちょっとした経緯がある。
この時代に先輩的威圧をかけるのもどうかと思ったのだが、俺はこのチャーミング村川くんに部の配属早々に「お願いだからヘアスタイルを変えきてくれよ」と命令をしてしまった。
いくらなんでも俺と同じヘアスタイルというのはいくらなんでも恥ずかしかったし、勤続8年目のアラサー主任が突然大々的にヘアスタイルのイメチェンを図るよりは内外的にもフレッシュマンの方がスムーズに変更しやすいのではないかと考えたからだ。
すると次の日彼は学生時代によくしていたというマッシュショートに一新してきた。
アップバンクよりも似合ってしまったその姿に社内は響めき、パワハラ認定とはならずに済んだ……のだが、逆に「主任のしっかりお兄ちゃん感と村川くんの可愛い弟感が強固になりましたよね!」という女性社員の意見がキッカケとなり、「業務部のイケボ兄弟」と全営業所内で揶揄されるという結果を生んでしまった。
先輩的威圧をかけても素直にヘアスタイルを変えてきた村川くんのチャーミングエピソードはそれだけに止まらない。
社内で他人の俺なんかと兄弟だなんて一括りにされて嫌な気分にならないのか「イケボ兄弟」の呼称がついた段階で訊いてみたら、彼は屈託のないキラキラ笑顔を俺に向けたまま人差し指を下に向け、「既に1人そういう人居るんで♪」と嬉しそうに穂高次期営業所長様とのプライベートな関係を俺に明かしたのだ。まるで俺との擬似兄弟をも嫌がってないかのように。
(そりゃあ彼に関わる人間は皆キュンと心を掴まれてしまうだろうなぁ)
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