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本編
10月18日4
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*
『雨上がり珈琲店』の営業時間が終わるとすぐに朝香を帰宅させるので、午後7時半は夕紀が1人の時間を報せる時刻でもあった。
いつものように夕紀が焙煎室の掃除をしていると、ポケットに突っ込んだままになっていたスマホが震える。
「なんなのよもうっ! スマホ震えるの、これで何回目?」
勤務中は気を散らせたくないので、いつもならばスマホは休憩中に持ち出すくらいで、勤務に入る直前に鞄の中に戻しておく。それが飲食を扱う者としての最低限の常識であると夕紀は考えているからだ。
(突然の再会でうろたえ過ぎたのよ、私。
集会直後に穂高くんから連絡先の交換をねだられて、メッセージアプリのアカウント交換も押し切られちゃって……。
めちゃくちゃ動揺していて、勤務に入る時に鞄の中に戻し忘れてポケットにスマホ入れたまま午後も働いていて……それで締め作業を朝香ちゃんと始める時間まで気がつかなかったというか)
掃除用具を片付けながら、夕紀は頭の中で必死に言い訳文を構築していた。
(朝香ちゃんが明るく笑顔で締め作業してるっていうのに、師匠の私がポケットのスマホを取り出すなんて常識外れな行動を取りたくなかったし。
朝香ちゃんが勝手口から出る時もスマホのバイブが震えても表情に出さないようにと我慢していたし……朝香ちゃんを見送ってすぐにスマホぶん投げたかったけど、掃除をキチンと済ませる方が大事で早く終わらせてしまいたかったし)
「っていうかメッセージアプリって、メッセージ受信するたびにブーブー震えるの? ウザいんだけど!」
ようやくポケットからスマホを取り出し、「穂高純仁」のアカウント名からのメッセージが5件立て続けに届いている事実にイラッとする。
[あのさ、今の時刻分かる? 午後8時半なのよ]
最高潮にイラついている事を相手に文字で訴える事にした。
[お宅のパン屋さんは閉店時間ぴったりに帰宅出来るもんなの? 普通は次の日の準備をしたり、掃除したり出納管理したりだとか……やる事山程あるでしょう?]
かつて一緒に仕事をした事がある彼ならば、この文字の感じで苛立ちの空気を感じ取ってくれるだろう。彼はノリが軽くてもその辺に関しては空気を読む営業マンだったのだから。
[あー♡ 良かった♡]
[無視されたかと思った]
夕紀の返事に穂高純仁はお気楽なメッセージを寄越してきたが
[でも遠野さんを怒らせちゃったね。ごめんなさい]
予想通り、すぐに察して謝りのメッセージを送ってきた。
[7時半が閉店時間だって聞いてて]
[ピュアな気持ちで]
[お仕事終わったかな? お疲れ様ーってメッセージを送りたかっただけだったんで]
ただ純粋にうちの店の閉店時間が過ぎたから連絡を入れてみただけだ。という弁解とも取れるメッセージがその後も単発的にポンポンと受信されていく。
「ふぅ」
断続的にブルブル震えるスマホにため息をつきながら
[ようやく掃除が終わったところなの。まだまだやる事があるから、終わったらこちらからメッセージ送ります]
そのように文字を打って送信マークをタップした。
[分かった]
[ありがとう]
間髪容れずに2つメッセージが受信された後……
「……」
そこから2分経っても3分経ってもスマホは静かに大人しくしてくれていたから
「ようやく締め作業に専念出来るっ!」
夕紀は口角を上げてスマホを鞄の中に突っ込み会計作業を冷静な頭で始める事が出来た。
照明を落として鍵をかけたら、店の裏手にある月極駐車場へと向かう。
「疲れた……」
珈琲店の仕事も、無理矢理削られた昼休憩も、パン屋のジュン坊とやらに商品のパンを紙袋いっぱい持たされた事も、さっきの単発的かつ断続的なメッセージ受信の事も……全てが夕紀を疲弊させていた。
「パン、朝香ちゃんに『亮輔くんと食べてね』ってお裾分けしてもまだこんなに残ってるし。っていうか『タカパン』ならいつもランチで食べてるし明日は集会があるからまた買いに行って食べなきゃならないっていうのに」
『タカパン』は美味しいし嫌いではないのだけれど、昨日の昼に食べて、また帰って今晩の夕食として今から食べて、残りは冷凍して翌朝に食べて、そしてまた明日の昼過ぎに買いに行って食べなきゃならないと思うと……もう、ため息が追いつかない。
「それになんなのよ『ジュン坊』って! 穂高くんの下の名前は『スミヒト』じゃなかったっけ?」
車に乗り込みながら、最も引っかかっている内容を声に出してみた。
「穂高……すみ、ひと」
彼は、夕紀が社長のコネで滑り込み入社した会社の同期だった。
人生をリセットするつもりで恋も会社も辞めて7年が経過したというのに、「スミヒト」という珍しい名前とノリの軽いキャラクター性は夕紀の記憶の奥底にこびりついたままでいる。
商店街の皆が口を揃えて言う「ジュン坊」は35歳独身で、清と美智代の子で次男。『タカパン』店主である貴文の弟で、小さい頃から明るく元気でヤンチャな部分もあったがとても素直な男の子であったのだという。
清も美智代も『出来が悪くてなかなか帰って来ないバカ息子だ』と嬉しそうな表情で夕紀に話してくれていたから……てっきり初恵の息子のようにここから離れた遠くの土地で仕事をして暮らしている人物なのだろうと夕紀は勝手に想像していたのだった。
「それがまさか、私の知ってる人物だったなんて……35歳って年齢もピッタリ合ってるじゃないっ」
夕紀がコネ入社して事務員になったのが20歳の4月。純仁は新卒入社だったので35歳というのも当てはまる。
「もうっ……最悪っ!」
悪態をつきながら夕紀は軽自動車のエンジンを掛け、商店街の裏を通って広い車道へと出る。
夕紀の住むマンションへは電車の駅数でいうと6駅も離れているが、車移動の方が早く辿り着ける。
このマンションに引っ越すに当たり、珈琲店から離れてしまう不便さを懸念していたが、このように車を出してしまえばなんてことはない。
(運転免許、『むらかわ』修行中に取っておいて本当に良かった……今みたいにイライラしてる時ほど静かな空間で頭の中を整理したいもの)
道路が空いてる時間なら相対的に電車も空いてくるものだけれど、それでも都会の列車内は騒がしく落ち着かない。何より思い出したくもないし直視出来ないものが車窓から目に飛び込んできてしまう所為で、電車通勤よりもこちらの方が精神的に楽なのだ。
『雨上がり珈琲店』の営業時間が終わるとすぐに朝香を帰宅させるので、午後7時半は夕紀が1人の時間を報せる時刻でもあった。
いつものように夕紀が焙煎室の掃除をしていると、ポケットに突っ込んだままになっていたスマホが震える。
「なんなのよもうっ! スマホ震えるの、これで何回目?」
勤務中は気を散らせたくないので、いつもならばスマホは休憩中に持ち出すくらいで、勤務に入る直前に鞄の中に戻しておく。それが飲食を扱う者としての最低限の常識であると夕紀は考えているからだ。
(突然の再会でうろたえ過ぎたのよ、私。
集会直後に穂高くんから連絡先の交換をねだられて、メッセージアプリのアカウント交換も押し切られちゃって……。
めちゃくちゃ動揺していて、勤務に入る時に鞄の中に戻し忘れてポケットにスマホ入れたまま午後も働いていて……それで締め作業を朝香ちゃんと始める時間まで気がつかなかったというか)
掃除用具を片付けながら、夕紀は頭の中で必死に言い訳文を構築していた。
(朝香ちゃんが明るく笑顔で締め作業してるっていうのに、師匠の私がポケットのスマホを取り出すなんて常識外れな行動を取りたくなかったし。
朝香ちゃんが勝手口から出る時もスマホのバイブが震えても表情に出さないようにと我慢していたし……朝香ちゃんを見送ってすぐにスマホぶん投げたかったけど、掃除をキチンと済ませる方が大事で早く終わらせてしまいたかったし)
「っていうかメッセージアプリって、メッセージ受信するたびにブーブー震えるの? ウザいんだけど!」
ようやくポケットからスマホを取り出し、「穂高純仁」のアカウント名からのメッセージが5件立て続けに届いている事実にイラッとする。
[あのさ、今の時刻分かる? 午後8時半なのよ]
最高潮にイラついている事を相手に文字で訴える事にした。
[お宅のパン屋さんは閉店時間ぴったりに帰宅出来るもんなの? 普通は次の日の準備をしたり、掃除したり出納管理したりだとか……やる事山程あるでしょう?]
かつて一緒に仕事をした事がある彼ならば、この文字の感じで苛立ちの空気を感じ取ってくれるだろう。彼はノリが軽くてもその辺に関しては空気を読む営業マンだったのだから。
[あー♡ 良かった♡]
[無視されたかと思った]
夕紀の返事に穂高純仁はお気楽なメッセージを寄越してきたが
[でも遠野さんを怒らせちゃったね。ごめんなさい]
予想通り、すぐに察して謝りのメッセージを送ってきた。
[7時半が閉店時間だって聞いてて]
[ピュアな気持ちで]
[お仕事終わったかな? お疲れ様ーってメッセージを送りたかっただけだったんで]
ただ純粋にうちの店の閉店時間が過ぎたから連絡を入れてみただけだ。という弁解とも取れるメッセージがその後も単発的にポンポンと受信されていく。
「ふぅ」
断続的にブルブル震えるスマホにため息をつきながら
[ようやく掃除が終わったところなの。まだまだやる事があるから、終わったらこちらからメッセージ送ります]
そのように文字を打って送信マークをタップした。
[分かった]
[ありがとう]
間髪容れずに2つメッセージが受信された後……
「……」
そこから2分経っても3分経ってもスマホは静かに大人しくしてくれていたから
「ようやく締め作業に専念出来るっ!」
夕紀は口角を上げてスマホを鞄の中に突っ込み会計作業を冷静な頭で始める事が出来た。
照明を落として鍵をかけたら、店の裏手にある月極駐車場へと向かう。
「疲れた……」
珈琲店の仕事も、無理矢理削られた昼休憩も、パン屋のジュン坊とやらに商品のパンを紙袋いっぱい持たされた事も、さっきの単発的かつ断続的なメッセージ受信の事も……全てが夕紀を疲弊させていた。
「パン、朝香ちゃんに『亮輔くんと食べてね』ってお裾分けしてもまだこんなに残ってるし。っていうか『タカパン』ならいつもランチで食べてるし明日は集会があるからまた買いに行って食べなきゃならないっていうのに」
『タカパン』は美味しいし嫌いではないのだけれど、昨日の昼に食べて、また帰って今晩の夕食として今から食べて、残りは冷凍して翌朝に食べて、そしてまた明日の昼過ぎに買いに行って食べなきゃならないと思うと……もう、ため息が追いつかない。
「それになんなのよ『ジュン坊』って! 穂高くんの下の名前は『スミヒト』じゃなかったっけ?」
車に乗り込みながら、最も引っかかっている内容を声に出してみた。
「穂高……すみ、ひと」
彼は、夕紀が社長のコネで滑り込み入社した会社の同期だった。
人生をリセットするつもりで恋も会社も辞めて7年が経過したというのに、「スミヒト」という珍しい名前とノリの軽いキャラクター性は夕紀の記憶の奥底にこびりついたままでいる。
商店街の皆が口を揃えて言う「ジュン坊」は35歳独身で、清と美智代の子で次男。『タカパン』店主である貴文の弟で、小さい頃から明るく元気でヤンチャな部分もあったがとても素直な男の子であったのだという。
清も美智代も『出来が悪くてなかなか帰って来ないバカ息子だ』と嬉しそうな表情で夕紀に話してくれていたから……てっきり初恵の息子のようにここから離れた遠くの土地で仕事をして暮らしている人物なのだろうと夕紀は勝手に想像していたのだった。
「それがまさか、私の知ってる人物だったなんて……35歳って年齢もピッタリ合ってるじゃないっ」
夕紀がコネ入社して事務員になったのが20歳の4月。純仁は新卒入社だったので35歳というのも当てはまる。
「もうっ……最悪っ!」
悪態をつきながら夕紀は軽自動車のエンジンを掛け、商店街の裏を通って広い車道へと出る。
夕紀の住むマンションへは電車の駅数でいうと6駅も離れているが、車移動の方が早く辿り着ける。
このマンションに引っ越すに当たり、珈琲店から離れてしまう不便さを懸念していたが、このように車を出してしまえばなんてことはない。
(運転免許、『むらかわ』修行中に取っておいて本当に良かった……今みたいにイライラしてる時ほど静かな空間で頭の中を整理したいもの)
道路が空いてる時間なら相対的に電車も空いてくるものだけれど、それでも都会の列車内は騒がしく落ち着かない。何より思い出したくもないし直視出来ないものが車窓から目に飛び込んできてしまう所為で、電車通勤よりもこちらの方が精神的に楽なのだ。
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