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本編
20歳になったその時に6
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目の前の彼はガクッと膝から崩れ落ち、そのまま床に倒れ込む。
「向日葵さんっ!」
その様子は大学カフェテリアで突然倒れてしまった状況にとてもよく似ていて
「気持ち悪いよね?! ここに吐いてもいいからね!」
栄養失調ではない理由で倒れた彼の体がどうなってしまうかなんとなく想像がつき、咄嗟にキッチンで使用しているプラスチックボウルを掴んで彼の顔に近付ける。
「あーちゃ……」
彼の顔は青ざめており、身体も震えている。
「何も喋らなくていいよ。背中撫でた方がいい?」
「うっ……」
彼の背中側に回って背中を撫でていると吐瀉物がボウルに溜まる。
「うぅ……」
「ん……大丈夫。全部出していいからね」
涙目になりながら苦しむ彼の身体は前屈みの体勢になり、ふわりとした金色ウェーブの髪が重力によって後頭部の一部を露わにした。
(やっぱり……)
初めて彼のそれを目の当たりにしたのだが、今の朝香は驚かない。
(もしかしたらそうじゃないかって、心の中で思っていたのかも)
最初に浮かんだ感想が「やっぱり」であったのも、今までずっと初恋の少年の様子が向日葵さんの印象と重なっていたのも、後頭部のそれで確信を得たのだ。
(向日葵さんは、皐月さんのお葬式に訪れた……頭に包帯を巻いた男の子だったんだ……)
朝香は知らなかったのだ……あの少年の名前を。
だが、少年が遠野皐月とどういった関わりを持っていたのかは知っていた。
そして、少年は……
「せんせ……お姉さ……ごめんなさい……ごめんなさい……おれが……おれが……先生を……ころしました」
4年6ヶ月経過した今でも苦しむほどの言葉を、遠野夕紀に投げつけられている。
「お姉さんの言う通り……です……おれが……おれが先生を、遠野、さつ、き……さんを……ころし、ました……」
(向日葵さん……)
譫言のように呟く内容に、朝香は無言で受け止め、背中を撫で続ける。
朝香の視線はまだ……彼の後頭部にある、切り傷痕に注がれている。
(向日葵さん……向日葵さん……)
しばらくして、その場にあったティッシュペーパーで彼の口を拭うと
「ううぅぅぅ……」
彼はまた身体を震わせ……泣き始めた。
「向日葵さん……ベッド、行こ。床は硬いから」
朝香は何も言及することなく、彼をベッドへ誘導して吐瀉物を片付け始めた。
無言で部屋を片付けているが、頭の中は「どうしよう」でいっぱいになっている。
初恋の少年が向日葵さんと同一人物であったことは、朝香にとって良い事ではあったのだが、知るのはこのタイミングではなかったのだ。
(どうしよう……せっかくの、20歳のお誕生日なのにまた辛い思い出にさせちゃった……)
(私が迂闊だった……スマホをあんなところに置いていたのも、通話中「夕紀さん」って呼んでしまったのも)
後悔に苛まれながらキッチンで水仕事を終えた朝香は、彼が横たわるベッドへと顔を向けたのだが……そこに彼の姿はなく
「えっ?! 向日葵さん! それはダメっ!!!!」
彼はいつのまにか朝香の背後に立って包丁を手にしていた。
彼の中でも葛藤があったのだろう。刃物を持つ手にさほど力は入っておらず、朝香の力でも難なく包丁をシンクへ落とす事が出来た。
「……ぁ」
彼の顔は青を通り越して真っ白になっており、その場に蹲ると
「ああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ」
大声を発し取り乱し始め……
「どうしよ……えっと」
朝香も顔面蒼白となる。
何をどう判断したら良いか分からなくなった朝香が連絡をとったのは、直前に着信がきた夕紀でも警察でもなく
「お、お兄さん……!」
彼の兄である、上原俊哉だった。
『わかった。すぐに向かうから亮輔の背中を撫でてやって』
通じた直後、朝香が口を開く前に俊哉からそのように指示がきた。彼の奇声が通話ごしに聞こえたのが理由であろう。
「は、はい」
朝香は涙目になりながら通話を切って彼の背中を優しく撫で始める。
「ひまわりさん……ひまわりさん」
彼の叫び声が大きく、その呼びかけは彼の耳に伝わってない。それでも朝香は俊哉が来るまでずっと背中を撫で続けた。
「朝香さんっ!!」
部屋の扉が開いたのは、連絡後10分経過した頃だ。
「お兄さん……向日葵さんが」
その間彼は絶えず叫び声をあげつづけていて、朝香の精神状態もギリギリのところ。
自分がそばに居て背中を撫でても状況が何も変わらない事に絶望しかけている時であった。
「ありがとう朝香さん。俺が来るまで亮輔に刃物を握らせないでいてくれて」
そんな朝香にも、俊哉は優しい言葉をかけてくれる。朝香は即座に頭をふったのだが俊哉は
「いや、すごく感謝してる。本当にありがとう」
と言って向日葵さんの身体をひょいと担ぎ上げた。
「しばらく下の部屋へ連れて行くよ。朝香さんはその間ここで待ってて」
それから朝香にそう告げ、向日葵さんの部屋へと外階段を降りていく。
「向日葵さんっ!」
その様子は大学カフェテリアで突然倒れてしまった状況にとてもよく似ていて
「気持ち悪いよね?! ここに吐いてもいいからね!」
栄養失調ではない理由で倒れた彼の体がどうなってしまうかなんとなく想像がつき、咄嗟にキッチンで使用しているプラスチックボウルを掴んで彼の顔に近付ける。
「あーちゃ……」
彼の顔は青ざめており、身体も震えている。
「何も喋らなくていいよ。背中撫でた方がいい?」
「うっ……」
彼の背中側に回って背中を撫でていると吐瀉物がボウルに溜まる。
「うぅ……」
「ん……大丈夫。全部出していいからね」
涙目になりながら苦しむ彼の身体は前屈みの体勢になり、ふわりとした金色ウェーブの髪が重力によって後頭部の一部を露わにした。
(やっぱり……)
初めて彼のそれを目の当たりにしたのだが、今の朝香は驚かない。
(もしかしたらそうじゃないかって、心の中で思っていたのかも)
最初に浮かんだ感想が「やっぱり」であったのも、今までずっと初恋の少年の様子が向日葵さんの印象と重なっていたのも、後頭部のそれで確信を得たのだ。
(向日葵さんは、皐月さんのお葬式に訪れた……頭に包帯を巻いた男の子だったんだ……)
朝香は知らなかったのだ……あの少年の名前を。
だが、少年が遠野皐月とどういった関わりを持っていたのかは知っていた。
そして、少年は……
「せんせ……お姉さ……ごめんなさい……ごめんなさい……おれが……おれが……先生を……ころしました」
4年6ヶ月経過した今でも苦しむほどの言葉を、遠野夕紀に投げつけられている。
「お姉さんの言う通り……です……おれが……おれが先生を、遠野、さつ、き……さんを……ころし、ました……」
(向日葵さん……)
譫言のように呟く内容に、朝香は無言で受け止め、背中を撫で続ける。
朝香の視線はまだ……彼の後頭部にある、切り傷痕に注がれている。
(向日葵さん……向日葵さん……)
しばらくして、その場にあったティッシュペーパーで彼の口を拭うと
「ううぅぅぅ……」
彼はまた身体を震わせ……泣き始めた。
「向日葵さん……ベッド、行こ。床は硬いから」
朝香は何も言及することなく、彼をベッドへ誘導して吐瀉物を片付け始めた。
無言で部屋を片付けているが、頭の中は「どうしよう」でいっぱいになっている。
初恋の少年が向日葵さんと同一人物であったことは、朝香にとって良い事ではあったのだが、知るのはこのタイミングではなかったのだ。
(どうしよう……せっかくの、20歳のお誕生日なのにまた辛い思い出にさせちゃった……)
(私が迂闊だった……スマホをあんなところに置いていたのも、通話中「夕紀さん」って呼んでしまったのも)
後悔に苛まれながらキッチンで水仕事を終えた朝香は、彼が横たわるベッドへと顔を向けたのだが……そこに彼の姿はなく
「えっ?! 向日葵さん! それはダメっ!!!!」
彼はいつのまにか朝香の背後に立って包丁を手にしていた。
彼の中でも葛藤があったのだろう。刃物を持つ手にさほど力は入っておらず、朝香の力でも難なく包丁をシンクへ落とす事が出来た。
「……ぁ」
彼の顔は青を通り越して真っ白になっており、その場に蹲ると
「ああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ」
大声を発し取り乱し始め……
「どうしよ……えっと」
朝香も顔面蒼白となる。
何をどう判断したら良いか分からなくなった朝香が連絡をとったのは、直前に着信がきた夕紀でも警察でもなく
「お、お兄さん……!」
彼の兄である、上原俊哉だった。
『わかった。すぐに向かうから亮輔の背中を撫でてやって』
通じた直後、朝香が口を開く前に俊哉からそのように指示がきた。彼の奇声が通話ごしに聞こえたのが理由であろう。
「は、はい」
朝香は涙目になりながら通話を切って彼の背中を優しく撫で始める。
「ひまわりさん……ひまわりさん」
彼の叫び声が大きく、その呼びかけは彼の耳に伝わってない。それでも朝香は俊哉が来るまでずっと背中を撫で続けた。
「朝香さんっ!!」
部屋の扉が開いたのは、連絡後10分経過した頃だ。
「お兄さん……向日葵さんが」
その間彼は絶えず叫び声をあげつづけていて、朝香の精神状態もギリギリのところ。
自分がそばに居て背中を撫でても状況が何も変わらない事に絶望しかけている時であった。
「ありがとう朝香さん。俺が来るまで亮輔に刃物を握らせないでいてくれて」
そんな朝香にも、俊哉は優しい言葉をかけてくれる。朝香は即座に頭をふったのだが俊哉は
「いや、すごく感謝してる。本当にありがとう」
と言って向日葵さんの身体をひょいと担ぎ上げた。
「しばらく下の部屋へ連れて行くよ。朝香さんはその間ここで待ってて」
それから朝香にそう告げ、向日葵さんの部屋へと外階段を降りていく。
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