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本編
20歳になったその時に7
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朝香は無言のまま外階段を降り、向日葵さんの部屋の扉前に立った。
立ち聞きなんて行儀が悪い。と自覚しているが、自分の部屋に居たってポーッと座る事しか出来ないのだ。
(本当にあの少年が向日葵さんだったのなら……私もちゃんと知っておきたい)
階段を降り切る間もなく、彼の部屋の向こう側から大きな叫び声と何かが壁に当たる音が聞こえる。
「…………」
彼を宥めているのか、小さく「落ち着け」という俊哉の声も聞こえけれど、彼は全く耳に入っていない様子で叫び声を上げ続けていた。
「彼女にバレた」
「もうダメだ」
「やっぱり俺は人殺しだから」
「先生を殺したのは俺だから」
「先生を幸せに出来なかったのは俺だから」
「お姉さんから先生を奪ってごめんなさい」
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
彼の叫ぶ声、言葉全てが、4年半前に起きた皐月の死を連想するものばかり。
数分も経たないうちに朝香の頬は涙でびしょ濡れになっていた。
数十分ほどして、玄関扉が開き中から俊哉が出てくる。
「朝香さん……」
俊哉は悲痛な表情をしていたが、朝香を見るなり口角を上げて
「亮輔は眠ってるよ。叫び疲れたんだと思う」
そう言って朝香を安心させるべく言葉を選んでくれた。
「……俊哉さん、お忙しいのに無理してこちらへ来てくださってすみません」
朝香は深々と頭を下げだ。仕事中であったのに無理矢理呼び寄せてしまったからだ。
「いや、それはいい。警察を呼ばれる方がややこしい事になっていたからね」
謝る朝香に対し、俊哉は優しい笑みを向けてくれる。
「少し休憩させてもらってもいいかな?でっかい弟を宥めるのって体力いるんだよね。今回は5ヶ月ぶりだったから流石に疲れちゃって」
「えっ?」
俊哉の「5ヶ月ぶり」に驚いた朝香だったのだが、目の前の青年はそれをも見越したような表情をしており……
「朝香さんには詳しく話したい。すまないけどお部屋へ入らせてもらってもいいかな?」
「上の階でゆっくり話そう」と、人差し指を突き立て朝香に伺いを立てた。
「あ……はい、もちろん! コーヒーをお出ししますね」
朝香は首を縦に振るなり俊哉を自分の部屋へと連れて行き……
(あっ、コーヒーって言ったけどあの豆しかない)
先程使用したエスプレッソ用の豆はこの場にもう無く、代わりといったら数時間前に夕紀から受け取ったグアテマラの焙煎豆しかない事に気付く。
(何も出さないわけにはいかないし……)
予定外ではあったが、急いでネルを煮沸して丁寧に抽出を始めた。
「懐かしい香りだね」
店の客以外の人間にこのコーヒーを出したのは今回が初めて。なのに俊哉は「懐かしい」と評した。
「……」
「いただきます」
しかし、朝香はもう驚きの表情を俊哉に向けていない。
「うん……『森のカフェ・むらかわ』の味だね。さすが朝香さんだ、ご両親の味を忠実に受け継いでいらっしゃる」
もう気付いたからだ。
俊哉は以前、朝香の両親が営む店でこのグアテマラコーヒーを飲んだ経験があるという事を。
「……焙煎したのは貴方が『悪女』と表現した女性の姉である、遠野夕紀さんです。『森のカフェ・むらかわ』の味は遠野夕紀さんにとってとても大事で、修行を望んでまで手にしたかったコーヒーでしたから」
そして、あのファミレスで俊哉が発言した「悪女」が誰であったのか……朝香は今理解したのだ。
(私が「雨上がりの女神」って呼んだ……あの綺麗な女性が)
(向日葵さんやお兄さんにとっての……「悪女」)
それは朝香にとって何よりもショッキングな「事実」であった。
(皐月さんが……向日葵さんの初めてにトラウマを植え付けた……そんな、そんな事って……)
信じられなかった。
あの時に出会った「女神」の美しき微笑は……その裏で中学生の少年を弄んだというのだから。
「誤解がないように、一から話すよ」
朝香の頭の中を読み取ったかのように、俊哉がそう発言する。
「えっ」
「亮輔と遠野皐月との色々はね。皆が断片的にしか知らないんだ。だから『女神』に感じたり『悪女』に感じたり『守らなきゃいけない存在』に感じたりする。
俺は真実を知りたいから、これまで独自に調べてきた。当時の警察関係者とも接触したし、遠野皐月に最も近しい人物の関係者からも話を聞いている」
「……え?」
「村川朝香さんが適任者なんだよ。この真実を一から全て伝えて理解してもらえる人物は……君しか居ないんだ」
コーヒーを飲み終えた俊哉の表情は真剣そのものだ。
「……はい」
朝香も心の奥底では知りたいと思っていたし覚悟もしていた。
そして、理解もしていたのだ。
(俊哉さんが今から話してくれる内容は、私じゃないとダメだ。夕紀さんだと主観が事実を隠してしまうから)
何より夕紀は4年半前、皐月の葬式に参列しようとした笠原亮輔に向かってこう言い放っている———
『あんたが関わらなかったら、皐月は死ななかった。あんたがこの世に存在したから、あの子は死ななければならなかったんだ』———と。
立ち聞きなんて行儀が悪い。と自覚しているが、自分の部屋に居たってポーッと座る事しか出来ないのだ。
(本当にあの少年が向日葵さんだったのなら……私もちゃんと知っておきたい)
階段を降り切る間もなく、彼の部屋の向こう側から大きな叫び声と何かが壁に当たる音が聞こえる。
「…………」
彼を宥めているのか、小さく「落ち着け」という俊哉の声も聞こえけれど、彼は全く耳に入っていない様子で叫び声を上げ続けていた。
「彼女にバレた」
「もうダメだ」
「やっぱり俺は人殺しだから」
「先生を殺したのは俺だから」
「先生を幸せに出来なかったのは俺だから」
「お姉さんから先生を奪ってごめんなさい」
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
彼の叫ぶ声、言葉全てが、4年半前に起きた皐月の死を連想するものばかり。
数分も経たないうちに朝香の頬は涙でびしょ濡れになっていた。
数十分ほどして、玄関扉が開き中から俊哉が出てくる。
「朝香さん……」
俊哉は悲痛な表情をしていたが、朝香を見るなり口角を上げて
「亮輔は眠ってるよ。叫び疲れたんだと思う」
そう言って朝香を安心させるべく言葉を選んでくれた。
「……俊哉さん、お忙しいのに無理してこちらへ来てくださってすみません」
朝香は深々と頭を下げだ。仕事中であったのに無理矢理呼び寄せてしまったからだ。
「いや、それはいい。警察を呼ばれる方がややこしい事になっていたからね」
謝る朝香に対し、俊哉は優しい笑みを向けてくれる。
「少し休憩させてもらってもいいかな?でっかい弟を宥めるのって体力いるんだよね。今回は5ヶ月ぶりだったから流石に疲れちゃって」
「えっ?」
俊哉の「5ヶ月ぶり」に驚いた朝香だったのだが、目の前の青年はそれをも見越したような表情をしており……
「朝香さんには詳しく話したい。すまないけどお部屋へ入らせてもらってもいいかな?」
「上の階でゆっくり話そう」と、人差し指を突き立て朝香に伺いを立てた。
「あ……はい、もちろん! コーヒーをお出ししますね」
朝香は首を縦に振るなり俊哉を自分の部屋へと連れて行き……
(あっ、コーヒーって言ったけどあの豆しかない)
先程使用したエスプレッソ用の豆はこの場にもう無く、代わりといったら数時間前に夕紀から受け取ったグアテマラの焙煎豆しかない事に気付く。
(何も出さないわけにはいかないし……)
予定外ではあったが、急いでネルを煮沸して丁寧に抽出を始めた。
「懐かしい香りだね」
店の客以外の人間にこのコーヒーを出したのは今回が初めて。なのに俊哉は「懐かしい」と評した。
「……」
「いただきます」
しかし、朝香はもう驚きの表情を俊哉に向けていない。
「うん……『森のカフェ・むらかわ』の味だね。さすが朝香さんだ、ご両親の味を忠実に受け継いでいらっしゃる」
もう気付いたからだ。
俊哉は以前、朝香の両親が営む店でこのグアテマラコーヒーを飲んだ経験があるという事を。
「……焙煎したのは貴方が『悪女』と表現した女性の姉である、遠野夕紀さんです。『森のカフェ・むらかわ』の味は遠野夕紀さんにとってとても大事で、修行を望んでまで手にしたかったコーヒーでしたから」
そして、あのファミレスで俊哉が発言した「悪女」が誰であったのか……朝香は今理解したのだ。
(私が「雨上がりの女神」って呼んだ……あの綺麗な女性が)
(向日葵さんやお兄さんにとっての……「悪女」)
それは朝香にとって何よりもショッキングな「事実」であった。
(皐月さんが……向日葵さんの初めてにトラウマを植え付けた……そんな、そんな事って……)
信じられなかった。
あの時に出会った「女神」の美しき微笑は……その裏で中学生の少年を弄んだというのだから。
「誤解がないように、一から話すよ」
朝香の頭の中を読み取ったかのように、俊哉がそう発言する。
「えっ」
「亮輔と遠野皐月との色々はね。皆が断片的にしか知らないんだ。だから『女神』に感じたり『悪女』に感じたり『守らなきゃいけない存在』に感じたりする。
俺は真実を知りたいから、これまで独自に調べてきた。当時の警察関係者とも接触したし、遠野皐月に最も近しい人物の関係者からも話を聞いている」
「……え?」
「村川朝香さんが適任者なんだよ。この真実を一から全て伝えて理解してもらえる人物は……君しか居ないんだ」
コーヒーを飲み終えた俊哉の表情は真剣そのものだ。
「……はい」
朝香も心の奥底では知りたいと思っていたし覚悟もしていた。
そして、理解もしていたのだ。
(俊哉さんが今から話してくれる内容は、私じゃないとダメだ。夕紀さんだと主観が事実を隠してしまうから)
何より夕紀は4年半前、皐月の葬式に参列しようとした笠原亮輔に向かってこう言い放っている———
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