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本編
過去の傷と、癒えていく心2
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「せっかくだから中に入って」
朝香は向日葵さんにそう呼びかけると
「うん……俺もあーちゃんと話したい事いっぱいあるんだ」
頷き、眉を下げたまま微笑む。
「っていうかね……今俺の部屋、グチャグチャで」
向日葵さんはいつも食事する位置に座りながら
「えっ?!」
「騒いで暴れて……俊哉くんに、モノぶつけたり、して。俊哉くんに無理矢理寝かされて、さっき起きたから……その」
バツの悪そうな表情をしている。
朝香はキッチンで飲み物をどうしようかと考えていたのだが、下の部屋が散らかってる理由を知り
「それは……私の、所為だよね。ごめんなさい」
こちらの方が申し訳ない気持ちになってしまい彼から目線を逸らす。
「ううん、あーちゃんは悪くないんだ。悪いのは俺……全部、全部俺の所為」
「……」
「遠野夕紀さんの言う通りなんだ……全部。俺が遠野夕紀さんから大事な妹さんを奪ってしまった。それは事実なんだよ」
「……」
朝香は「それは違う」と言いたかった。
なのに言葉が出てこない。
(私は……どうしたら…………)
ふと、珈琲豆が入った瓶が朝香の視界に入った。
(夕紀さんが大切にしているコーヒー……)
「雨上がりが苦手」の伝聞で、なんとなく避けてきていた焙煎豆。
朝香はネルの準備をして、丁寧に淹れ始める。
「私の店主……遠野夕紀さんは『一杯のコーヒーの味に救われた』って言ってたの。このコーヒーは家族の縁を繋いだ、大事な飲み物だって……そう言ってた」
朝香の両親が振る舞う、グアテマラ・アンティグアのコーヒーと陶器製のカップ。
朝香は自らの手で、それらを2杯分再現して……向日葵さんの前に差し出し
「良かったら飲んでみて……皐月さんは10歳の時からこのコーヒーを飲んでて『お姉ちゃんと珈琲店を開きたい』って夢見てたから」
遠野皐月が姉の夕紀に、無邪気な笑顔で語っていた内容を彼に明かす。
「えっ……?」
向日葵さんは信じられないといった表情で朝香を見つめ返していた。
「先生は……皐月、さんは……
紅茶じゃなくて、コーヒーが好きだったの?」
「えっ??」
思わず朝香も聞き返してしまった。
(皐月さんが……紅茶好き?!)
朝香が全く知らない情報だったからだ。
「…………違うの? あーちゃん」
朝香の驚き顔を見つめながら向日葵さんは自信なさげに問い掛ける。
「えっと……」
夕紀からも父からも「コーヒーが好き」という話しか聞いていなかった。紅茶を好んで飲んでいたのは知らない。
けれど
(…………もしかして)
「遠野皐月は未熟で寂しがりや」という俊哉の言葉がリフレインし
(皐月さんは『むらかわ』で修行する夕紀さんを応援してた……けど、実際修行がスタートして家に帰ってこないのを寂しがっていたとしたら)
「これは私の予想でしかないんだけど……皐月さんは敢えてコーヒーを我慢していたのかも。
本当はこのコーヒーの香りも味も大好きだったけど、1人で飲む事に耐えられなかったのかもしれない」
という仮説を立てた。
向日葵さんはそれを、呆然とした表情で聞き
「がまん……」
ポツリと呟き、コーヒーが注がれたカップへ目線を落とした。
「……そうだね、きっと、我慢してたんだね先生は」
向日葵さんはカップを指で包むように持ち、ゆっくりと香りを嗅いで
「いただきます」
囁くくらいの声を発した後に、中身を一口飲み込んだ。
「……」
その様子を、朝香は無言で見守る。
(私が言葉をかけるのは難しい。これは……向日葵さんや私達の身に起こった出来事は一言だけでは片付けられないから)
遠野皐月の死は誰が引き起こしたのか……。
初めは、あの医学生の男だと朝香は考えていた。
(けれど……それはきっと違う)
様々な要因によって、あのような結果になってしまったのだ。そしてそれは誰の所為でもなく、誰かがそれを多く背負って生きていくものでもないのだ。
人間の生と死は、単純なようで複雑である。
様々な風味が調和されているようなこのコーヒーのように、簡単には言い表せない。
「美味しい……あーちゃんが淹れてくれたコーヒーの中でも、特別な味がするし香りも豊かだ」
向日葵さんは半分ほど飲んだところでカップをテーブルの上に置き、長い指をカップからゆっくりと外していく。
「これね、ブレンドされた豆じゃないの。なのに、こんなに豊かな味や香りがするの」
夕紀はかつて、『むらかわ』のカウンター席で朝香にぼやいた言葉を思い起こしながら同じ内容を向日葵さんに告げる。
「『バラバラだった家族が一つになる力がこのコーヒーにある』って、夕紀さんは言ってたし皐月さんもその力を信じていた。
皐月さんは、夕紀さんがそのコーヒーを磨いてまたこの地に香りを漂わせて……色んな人の心が幸せになったら素敵だねって、それを願っていたんだよ」
朝香が『雨上がりの女神』と比喩した夜、皐月がコッソリと朝香の部屋にやってきて囁いた内容も共に添えて。
「家族を繋いだ香りや味」を、何故21歳の皐月が朝香にそれを告げ夕紀に委ね他者の幸せを夢見たのかは分からない。
(けれど、これだけは確かに言える……)
「このコーヒーを夕紀さんは自分の力で再現したかった。私の親が焙煎する様子を見て、美味しいコーヒーを淹れたい……その一心で皐月さんからほんの2年離れたの。
その2年を耐えたら、それからは幸せがずっとずっと続くと信じて」
遠野皐月の幸せは、長く続かなかった。
けれど、『雨上がりの女神』の微笑みを持つ彼女の姿は……姉の夕紀や彼女に恋した向日葵さんの心の中にずっとずっと生き続ける筈だ。
夕紀はまだ夢の途中。
朝香はそれを支えていきたいと思い、上京し彼女の側で見守る人生を選んだ。
その行動は、夕紀のみならず他者……巡り巡って初恋の少年が幸せになる事を願って。
(私の願いは今、ほんの少し叶えられたんだ……夕紀さんと皐月さんが愛したコーヒーの味や香りを、向日葵さんに届ける事が出来たから)
朝香は向日葵さんにそう呼びかけると
「うん……俺もあーちゃんと話したい事いっぱいあるんだ」
頷き、眉を下げたまま微笑む。
「っていうかね……今俺の部屋、グチャグチャで」
向日葵さんはいつも食事する位置に座りながら
「えっ?!」
「騒いで暴れて……俊哉くんに、モノぶつけたり、して。俊哉くんに無理矢理寝かされて、さっき起きたから……その」
バツの悪そうな表情をしている。
朝香はキッチンで飲み物をどうしようかと考えていたのだが、下の部屋が散らかってる理由を知り
「それは……私の、所為だよね。ごめんなさい」
こちらの方が申し訳ない気持ちになってしまい彼から目線を逸らす。
「ううん、あーちゃんは悪くないんだ。悪いのは俺……全部、全部俺の所為」
「……」
「遠野夕紀さんの言う通りなんだ……全部。俺が遠野夕紀さんから大事な妹さんを奪ってしまった。それは事実なんだよ」
「……」
朝香は「それは違う」と言いたかった。
なのに言葉が出てこない。
(私は……どうしたら…………)
ふと、珈琲豆が入った瓶が朝香の視界に入った。
(夕紀さんが大切にしているコーヒー……)
「雨上がりが苦手」の伝聞で、なんとなく避けてきていた焙煎豆。
朝香はネルの準備をして、丁寧に淹れ始める。
「私の店主……遠野夕紀さんは『一杯のコーヒーの味に救われた』って言ってたの。このコーヒーは家族の縁を繋いだ、大事な飲み物だって……そう言ってた」
朝香の両親が振る舞う、グアテマラ・アンティグアのコーヒーと陶器製のカップ。
朝香は自らの手で、それらを2杯分再現して……向日葵さんの前に差し出し
「良かったら飲んでみて……皐月さんは10歳の時からこのコーヒーを飲んでて『お姉ちゃんと珈琲店を開きたい』って夢見てたから」
遠野皐月が姉の夕紀に、無邪気な笑顔で語っていた内容を彼に明かす。
「えっ……?」
向日葵さんは信じられないといった表情で朝香を見つめ返していた。
「先生は……皐月、さんは……
紅茶じゃなくて、コーヒーが好きだったの?」
「えっ??」
思わず朝香も聞き返してしまった。
(皐月さんが……紅茶好き?!)
朝香が全く知らない情報だったからだ。
「…………違うの? あーちゃん」
朝香の驚き顔を見つめながら向日葵さんは自信なさげに問い掛ける。
「えっと……」
夕紀からも父からも「コーヒーが好き」という話しか聞いていなかった。紅茶を好んで飲んでいたのは知らない。
けれど
(…………もしかして)
「遠野皐月は未熟で寂しがりや」という俊哉の言葉がリフレインし
(皐月さんは『むらかわ』で修行する夕紀さんを応援してた……けど、実際修行がスタートして家に帰ってこないのを寂しがっていたとしたら)
「これは私の予想でしかないんだけど……皐月さんは敢えてコーヒーを我慢していたのかも。
本当はこのコーヒーの香りも味も大好きだったけど、1人で飲む事に耐えられなかったのかもしれない」
という仮説を立てた。
向日葵さんはそれを、呆然とした表情で聞き
「がまん……」
ポツリと呟き、コーヒーが注がれたカップへ目線を落とした。
「……そうだね、きっと、我慢してたんだね先生は」
向日葵さんはカップを指で包むように持ち、ゆっくりと香りを嗅いで
「いただきます」
囁くくらいの声を発した後に、中身を一口飲み込んだ。
「……」
その様子を、朝香は無言で見守る。
(私が言葉をかけるのは難しい。これは……向日葵さんや私達の身に起こった出来事は一言だけでは片付けられないから)
遠野皐月の死は誰が引き起こしたのか……。
初めは、あの医学生の男だと朝香は考えていた。
(けれど……それはきっと違う)
様々な要因によって、あのような結果になってしまったのだ。そしてそれは誰の所為でもなく、誰かがそれを多く背負って生きていくものでもないのだ。
人間の生と死は、単純なようで複雑である。
様々な風味が調和されているようなこのコーヒーのように、簡単には言い表せない。
「美味しい……あーちゃんが淹れてくれたコーヒーの中でも、特別な味がするし香りも豊かだ」
向日葵さんは半分ほど飲んだところでカップをテーブルの上に置き、長い指をカップからゆっくりと外していく。
「これね、ブレンドされた豆じゃないの。なのに、こんなに豊かな味や香りがするの」
夕紀はかつて、『むらかわ』のカウンター席で朝香にぼやいた言葉を思い起こしながら同じ内容を向日葵さんに告げる。
「『バラバラだった家族が一つになる力がこのコーヒーにある』って、夕紀さんは言ってたし皐月さんもその力を信じていた。
皐月さんは、夕紀さんがそのコーヒーを磨いてまたこの地に香りを漂わせて……色んな人の心が幸せになったら素敵だねって、それを願っていたんだよ」
朝香が『雨上がりの女神』と比喩した夜、皐月がコッソリと朝香の部屋にやってきて囁いた内容も共に添えて。
「家族を繋いだ香りや味」を、何故21歳の皐月が朝香にそれを告げ夕紀に委ね他者の幸せを夢見たのかは分からない。
(けれど、これだけは確かに言える……)
「このコーヒーを夕紀さんは自分の力で再現したかった。私の親が焙煎する様子を見て、美味しいコーヒーを淹れたい……その一心で皐月さんからほんの2年離れたの。
その2年を耐えたら、それからは幸せがずっとずっと続くと信じて」
遠野皐月の幸せは、長く続かなかった。
けれど、『雨上がりの女神』の微笑みを持つ彼女の姿は……姉の夕紀や彼女に恋した向日葵さんの心の中にずっとずっと生き続ける筈だ。
夕紀はまだ夢の途中。
朝香はそれを支えていきたいと思い、上京し彼女の側で見守る人生を選んだ。
その行動は、夕紀のみならず他者……巡り巡って初恋の少年が幸せになる事を願って。
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