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番外編
爬虫類の眼(夕紀side)2
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「お久しぶりです、遠野夕紀さん」
翌日。
いつものように朝香を閉店時間に帰らせ、シャッターを下ろそうとしていたところに突然上原俊哉が目の前に現れた。
「もう閉店時間になってしまったんですけど」
180㎝はあろうかという高身長。
肩まで伸ばした黒髪のワンレンストレートヘア。
品の良さそうな丸眼鏡に上質な生地の服装。
それから……爬虫類のような鋭い目付き。
「一杯のコーヒーも叶いませんか? ご無理を申し上げているのを承知ではあるのですが」
「……」
出立ちや口調は4年7ヶ月前とほとんど変わらない。
(ヘアスタイルは以前と違うか……あの頃はこんなに髪を伸ばしていなかったから)
夕紀は警戒を強めながら口を開き
「まだシャッターを閉めておりませんでしたので……良かったら、どうぞ」
と、俊哉を店内に招き入れた。
(シャッターを閉めるタイミングで来るなんて……)
閉店時間ピッタリにお客様が来店された際、シャッターを閉めているか否かでこの商店街の人達は判断する事が多い。
(なんで今月は売り切れになってないのよ、もうっ! いつもより多めに焙煎するんじゃなかった……)
店に豆の在庫があるなら招き入れる事そのものは可能である。そして毎月24日に限定で出しているグアテマラアンティグアの豆があと少し残っていて、締め作業が終わったら自分が払って持って帰ろうとちょうど思っていたところだったのだ。
いつも焙煎している量なら今日まで残ったりはしない。この夏は学生客の需要が高まっていたのでつい多めに焙煎してしまったという目測の誤りを今になって後悔していた。
俊哉は入店するなり店内をグルリと見渡し、ニコッと微笑む。
「カウンター席、座っても良ろしいですか?」
そして、夕紀がいつも作業する立ち位置のちょうど向かいとなる席を指差しながらそう訊いてきた。
夕紀はカウンターの中央より一つ右にずれた位置で毎日作業している。常連客で開店当初からお世話になっている『長岡金物店』の主人長岡宗幸が座る席の向かいで作業したいという夕紀の思いが含まれていたからだ。
「……どうぞ」
(私の立ち位置も把握済みって訳ね)
朝香から店主の普段の立ち位置を予め聞いたとはちょっと思えない。恐らく彼は今まで入店しなかっただけで、店の様子は日頃から伺っていたのだろう。
(「初めてここに来たけれどその位置を以前より把握している」……と言いたいわけか)
「どのようなコーヒーがお好みでしょうか?」
仕方なく夕紀は彼の席の向かい側に立ち、いつも通りの接客を始める。
「普段はインスタントしか飲まないんで、銘柄は全く分からないんですよ。
ですが先日朝香さんの部屋で飲んだコーヒーはとても美味しかったなぁ……確か」
俊哉は記憶を手繰り寄せるような表情や仕草を取り、メニュー表に視線を向ける。
「……あっ、これです♪ グアテマラ産のコーヒーでした♪」
そしてすぐに明るいトーンの声で「グアテマラ」の文字を指差して私にその銘柄を伝える。
「……かしこまりました」
夕紀は事務的に頷くと、かろうじて2杯分残っていたグアテマラアンティグアの焙煎豆を取り出してネルを煮沸し、準備に取り掛かる。
「あれっ? 『抽出は3種類から選べます』とメニューに明記されてますけど?」
すると、わざとらしく背後から俊哉の声が口撃してきた。
「当店の従業員がグアテマラアンティグアを淹れる時は必ずネルドリップを使うんです。それがこだわりの一つですから」
なので夕紀がそう言い返すと、俊哉はすぐに
「なるほど」
と小声で言い返す。
(何よ、わざとらしい……貴方、4年半前にわざわざ村川家に来て同じ珈琲豆を同じ抽出で飲んだでしょう?)
夕紀は知っている。彼の舌の記憶が生半可ではなく、皐月の死後1ヶ月程して彼が村川家を訪れた際に裕美が淹れたこの珈琲豆の味と「朝香の部屋で飲んだ」と言っていた珈琲豆の味が限りなく近い事を認識しているという事を。
今でも『森のカフェ・むらかわ』では一杯ずつ丁寧にネルでハンドドリップしており、夕紀も幼少期からこの抽出法が大好きなのだ。そしてこの男はそれすらも何らかの手段で情報を得ている……そういう男なのだ、上原俊哉という名の男は。
「グアテマラアンティグアのブラックコーヒーです。どうぞお召し上がり下さい」
夕紀がコーヒーカップを差し出すと、俊哉は目を細めて喜び口にカップを押し当てる。
「うん……やっぱり好きです、この香りも味も」
彼は高くスッと伸びた鼻で芳醇な香りを吸い込み、コーヒーを口に含んだ後は紅く高揚した唇から恍惚的な息をゆったりと長く吐いた。
夕紀にとっては気色悪い人格に感じるけれど、一般的に評すれば顔のパーツは綺麗に整っているし所謂「違いの分かる男」でもある。
「お久しぶりです、遠野夕紀さん」
翌日。
いつものように朝香を閉店時間に帰らせ、シャッターを下ろそうとしていたところに突然上原俊哉が目の前に現れた。
「もう閉店時間になってしまったんですけど」
180㎝はあろうかという高身長。
肩まで伸ばした黒髪のワンレンストレートヘア。
品の良さそうな丸眼鏡に上質な生地の服装。
それから……爬虫類のような鋭い目付き。
「一杯のコーヒーも叶いませんか? ご無理を申し上げているのを承知ではあるのですが」
「……」
出立ちや口調は4年7ヶ月前とほとんど変わらない。
(ヘアスタイルは以前と違うか……あの頃はこんなに髪を伸ばしていなかったから)
夕紀は警戒を強めながら口を開き
「まだシャッターを閉めておりませんでしたので……良かったら、どうぞ」
と、俊哉を店内に招き入れた。
(シャッターを閉めるタイミングで来るなんて……)
閉店時間ピッタリにお客様が来店された際、シャッターを閉めているか否かでこの商店街の人達は判断する事が多い。
(なんで今月は売り切れになってないのよ、もうっ! いつもより多めに焙煎するんじゃなかった……)
店に豆の在庫があるなら招き入れる事そのものは可能である。そして毎月24日に限定で出しているグアテマラアンティグアの豆があと少し残っていて、締め作業が終わったら自分が払って持って帰ろうとちょうど思っていたところだったのだ。
いつも焙煎している量なら今日まで残ったりはしない。この夏は学生客の需要が高まっていたのでつい多めに焙煎してしまったという目測の誤りを今になって後悔していた。
俊哉は入店するなり店内をグルリと見渡し、ニコッと微笑む。
「カウンター席、座っても良ろしいですか?」
そして、夕紀がいつも作業する立ち位置のちょうど向かいとなる席を指差しながらそう訊いてきた。
夕紀はカウンターの中央より一つ右にずれた位置で毎日作業している。常連客で開店当初からお世話になっている『長岡金物店』の主人長岡宗幸が座る席の向かいで作業したいという夕紀の思いが含まれていたからだ。
「……どうぞ」
(私の立ち位置も把握済みって訳ね)
朝香から店主の普段の立ち位置を予め聞いたとはちょっと思えない。恐らく彼は今まで入店しなかっただけで、店の様子は日頃から伺っていたのだろう。
(「初めてここに来たけれどその位置を以前より把握している」……と言いたいわけか)
「どのようなコーヒーがお好みでしょうか?」
仕方なく夕紀は彼の席の向かい側に立ち、いつも通りの接客を始める。
「普段はインスタントしか飲まないんで、銘柄は全く分からないんですよ。
ですが先日朝香さんの部屋で飲んだコーヒーはとても美味しかったなぁ……確か」
俊哉は記憶を手繰り寄せるような表情や仕草を取り、メニュー表に視線を向ける。
「……あっ、これです♪ グアテマラ産のコーヒーでした♪」
そしてすぐに明るいトーンの声で「グアテマラ」の文字を指差して私にその銘柄を伝える。
「……かしこまりました」
夕紀は事務的に頷くと、かろうじて2杯分残っていたグアテマラアンティグアの焙煎豆を取り出してネルを煮沸し、準備に取り掛かる。
「あれっ? 『抽出は3種類から選べます』とメニューに明記されてますけど?」
すると、わざとらしく背後から俊哉の声が口撃してきた。
「当店の従業員がグアテマラアンティグアを淹れる時は必ずネルドリップを使うんです。それがこだわりの一つですから」
なので夕紀がそう言い返すと、俊哉はすぐに
「なるほど」
と小声で言い返す。
(何よ、わざとらしい……貴方、4年半前にわざわざ村川家に来て同じ珈琲豆を同じ抽出で飲んだでしょう?)
夕紀は知っている。彼の舌の記憶が生半可ではなく、皐月の死後1ヶ月程して彼が村川家を訪れた際に裕美が淹れたこの珈琲豆の味と「朝香の部屋で飲んだ」と言っていた珈琲豆の味が限りなく近い事を認識しているという事を。
今でも『森のカフェ・むらかわ』では一杯ずつ丁寧にネルでハンドドリップしており、夕紀も幼少期からこの抽出法が大好きなのだ。そしてこの男はそれすらも何らかの手段で情報を得ている……そういう男なのだ、上原俊哉という名の男は。
「グアテマラアンティグアのブラックコーヒーです。どうぞお召し上がり下さい」
夕紀がコーヒーカップを差し出すと、俊哉は目を細めて喜び口にカップを押し当てる。
「うん……やっぱり好きです、この香りも味も」
彼は高くスッと伸びた鼻で芳醇な香りを吸い込み、コーヒーを口に含んだ後は紅く高揚した唇から恍惚的な息をゆったりと長く吐いた。
夕紀にとっては気色悪い人格に感じるけれど、一般的に評すれば顔のパーツは綺麗に整っているし所謂「違いの分かる男」でもある。
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