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本編
五月雨とカサブランカ1
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*
6月22日。
梅雨は中頃に入り、線状降水帯の文字がネットニューストップ記事に上がるようになってきた。
(今日も雨宿りに来られるお客様が多かったなぁ)
雨の降り方に波があり、急な雷雨もやってくるこの時期のカフェは小一時間の滞在に向いている。
夏季限定のコールドブリューコーヒーもよく売れたし、キッズサイズのミルクやジュースの売れ行きも良かった。子ども連れのお客様が去年よりも多いので絵本を買い足してみようか……と、たった今夕紀と話し合っていたところである。
「じゃあ、これから英美学院さんの配達に行ってきますね」
朝香はそう言って焙煎室に入っていく夕紀に声を掛ける。
「うん、この時期は高校さんの方にも行ってもらって苦労かけるけどよろしくね」
「はい、こんな天気じゃ理事長さんも大学まで行けませんもんね」
今までなら大学カフェテリアだけ配達しに行けば良かったのだが、そもそも当店のコーヒーを欲しているのは学院の理事長で普段は高等部の建物で勤務をしている。理事長は通常勤務後にカフェへ行く感覚で大学を毎夕訪れ見回りのついでに雨上がりブレンドを飲んで帰宅するのだそうだが、流石にこの時季はそんな気も失せリモートで様子確認だけして済ませてしまいたいようだ。
(まぁ、大学では雨上がりブレンドよりもはなぶさブレンドの方が人気で配達量も違うし。高等部へ週一で配達した方が理事長さんにとっては確実だもんなぁ)
しかも夏場に入ったので軽やかな口当たりのホットコーヒーは学生の好みから外れてしまう。理事長が確実に雨上がりブレンドを手に入れるには高等部と大学二ヶ所を周ってあげた方が親切なのだ。
「じゃあ、また明日ね朝香ちゃん」
「はい、また明日お願いします」
いつものように「また明日」を告げる夕紀は、今からグアテマラアンティグアの豆選定作業に移る。まだ営業時間故に焙煎まで時間はかけられないのだが、毎月24日に出す特別なグアテマラを提供する為に接客を挟みながら焙煎の前段階作業を夕紀たった1人で行うのだ。
(22日の焙煎は夕紀さんが最も神経使うもんね……はなぶさブレンドに使う案も出たけどそうならなくて本当に良かったかも)
朝香は軽い溜め息をつきながら勝手口の扉を開け、傘を差して店を離れると
「あっ、朝香ちゃん! 遠野は焙煎室?」
商店街アーケードからバタバタと駆け寄ってくる健人と出会った。
「はい、今から豆のピッキングをするので」
朝香が夕紀の様子をそのまま健人に伝えると
「そっかそっか! なら今渡すのがベストタイミングだなっ。じゃあね朝香ちゃん」
そう言って『雨上がり珈琲店』へと走っていく。
そんな健人の腕を見れば毎月恒例の小菊を抱えており……
(あ、そうだ。後で夕紀さんに今年もお墓参りへ行くってメッセージ送っておこう)
今回のお参りは自分も一緒に行きたいと夕紀に告げなければと思った。
(皐月さんの名前、五月の旧称だけど五月雨って梅雨の意味なんだよね)
五月雨は「五月の雨」と勘違いしやすいのだが、この梅雨時期を指す。なので朝香は敬意を表する意味で6月24日の月命日参りには必ず夕紀と共に参ろうと決めているのだ。
(そういえば、あのカサブランカって毎月お供えされてるんだよね。本当に誰が皐月さんのお墓参りをしてくれているんだろう……)
遠野皐月の家族は姉の夕紀と実の父親。父親に至っては姉妹が幼い頃に失踪していて行方知らず。もしかしたら皐月が亡くなった事実すら知らない可能性もある。
(皐月さんのお友達かな? うーん……)
不思議なことに、月命日の早朝夕紀が墓参りに訪れると、花立に必ずカサブランカが一対生けられているのだ。年に数回ほど夕紀と参る朝香もその白くて大きな百合の花を何度も目にしている。
(明後日も絶対に生けられているんだろうなぁ)
*
配達を終え、いつもより遅い時間に図書館で向日葵さんと待ち合わせる。
「ごめんね向日葵さん! 遅くなって!」
カフェテリアから駆け足で図書館まで向かうと、入り口前で向日葵さんが立って待っていた。
「ううん、確か今日は高等部にも寄ってたんでしょ。雨の中あーちゃんお疲れ様」
「もうね、足元びしょびしょだよ」
大雨の中電車利用のみで配達するとなると靴にも水が入ってくる。
「そっかぁそうだよね。じゃあ急いで帰らなくちゃ」
歩くと不快に感じてしまうが、向日葵さんの優しい笑みや背中撫でを得られると報われた気持ちになる。
「ありがとう、優しい気持ちが身に沁みるよ」
彼の優しい態度に朝香もにこやかな表情になったのだが
「じゃあ、頑張ったあーちゃんに帰ったらご褒美あげるね」
「えっ?! ご褒美ってなぁに?」
彼からの思いがけない「ご褒美」に朝香は目を丸くする。
「実はね、テレビで紹介されてたジェラート屋さんのカップアイスを授業前に買いに行ったんだよ」
「ジェラート!! もしかして並んだの?」
「いや~この雨だからそこまで並ばずに済んだんだよ。本当にラッキーだった」
この鬱陶しい天候の最中、有名店へわざわざ出向いてくれたのは凄く嬉しかったが
(ん? 確かジェラート屋さんって向日葵さんと一緒に見たテレビの情報番組だよね??)
向日葵さんの部屋にはテレビが置かれておらず、彼が観るとしたら朝香の部屋で過ごす時しか機会がない。となると、その「ジェラート屋さん」とやらは朝香も一緒に観た番組で紹介していた店となるのだが……
(確かあのお店ってここから相当距離が離れてて、電車だと交通が不便だったような……バスの停留所は近くにあるだろうけど)
朝香の記憶が確かならその店は自然豊かな高台にあり、皐月が眠る霊園の近くでもある。
(この大雨の中、バイクでわざわざ買いに行ってくれたのかな? 私を喜ばせる為に?)
向日葵さんなら大好きな彼女を喜ばせようと努力を惜しまないだろうが……少々の疑問が残る。
6月22日。
梅雨は中頃に入り、線状降水帯の文字がネットニューストップ記事に上がるようになってきた。
(今日も雨宿りに来られるお客様が多かったなぁ)
雨の降り方に波があり、急な雷雨もやってくるこの時期のカフェは小一時間の滞在に向いている。
夏季限定のコールドブリューコーヒーもよく売れたし、キッズサイズのミルクやジュースの売れ行きも良かった。子ども連れのお客様が去年よりも多いので絵本を買い足してみようか……と、たった今夕紀と話し合っていたところである。
「じゃあ、これから英美学院さんの配達に行ってきますね」
朝香はそう言って焙煎室に入っていく夕紀に声を掛ける。
「うん、この時期は高校さんの方にも行ってもらって苦労かけるけどよろしくね」
「はい、こんな天気じゃ理事長さんも大学まで行けませんもんね」
今までなら大学カフェテリアだけ配達しに行けば良かったのだが、そもそも当店のコーヒーを欲しているのは学院の理事長で普段は高等部の建物で勤務をしている。理事長は通常勤務後にカフェへ行く感覚で大学を毎夕訪れ見回りのついでに雨上がりブレンドを飲んで帰宅するのだそうだが、流石にこの時季はそんな気も失せリモートで様子確認だけして済ませてしまいたいようだ。
(まぁ、大学では雨上がりブレンドよりもはなぶさブレンドの方が人気で配達量も違うし。高等部へ週一で配達した方が理事長さんにとっては確実だもんなぁ)
しかも夏場に入ったので軽やかな口当たりのホットコーヒーは学生の好みから外れてしまう。理事長が確実に雨上がりブレンドを手に入れるには高等部と大学二ヶ所を周ってあげた方が親切なのだ。
「じゃあ、また明日ね朝香ちゃん」
「はい、また明日お願いします」
いつものように「また明日」を告げる夕紀は、今からグアテマラアンティグアの豆選定作業に移る。まだ営業時間故に焙煎まで時間はかけられないのだが、毎月24日に出す特別なグアテマラを提供する為に接客を挟みながら焙煎の前段階作業を夕紀たった1人で行うのだ。
(22日の焙煎は夕紀さんが最も神経使うもんね……はなぶさブレンドに使う案も出たけどそうならなくて本当に良かったかも)
朝香は軽い溜め息をつきながら勝手口の扉を開け、傘を差して店を離れると
「あっ、朝香ちゃん! 遠野は焙煎室?」
商店街アーケードからバタバタと駆け寄ってくる健人と出会った。
「はい、今から豆のピッキングをするので」
朝香が夕紀の様子をそのまま健人に伝えると
「そっかそっか! なら今渡すのがベストタイミングだなっ。じゃあね朝香ちゃん」
そう言って『雨上がり珈琲店』へと走っていく。
そんな健人の腕を見れば毎月恒例の小菊を抱えており……
(あ、そうだ。後で夕紀さんに今年もお墓参りへ行くってメッセージ送っておこう)
今回のお参りは自分も一緒に行きたいと夕紀に告げなければと思った。
(皐月さんの名前、五月の旧称だけど五月雨って梅雨の意味なんだよね)
五月雨は「五月の雨」と勘違いしやすいのだが、この梅雨時期を指す。なので朝香は敬意を表する意味で6月24日の月命日参りには必ず夕紀と共に参ろうと決めているのだ。
(そういえば、あのカサブランカって毎月お供えされてるんだよね。本当に誰が皐月さんのお墓参りをしてくれているんだろう……)
遠野皐月の家族は姉の夕紀と実の父親。父親に至っては姉妹が幼い頃に失踪していて行方知らず。もしかしたら皐月が亡くなった事実すら知らない可能性もある。
(皐月さんのお友達かな? うーん……)
不思議なことに、月命日の早朝夕紀が墓参りに訪れると、花立に必ずカサブランカが一対生けられているのだ。年に数回ほど夕紀と参る朝香もその白くて大きな百合の花を何度も目にしている。
(明後日も絶対に生けられているんだろうなぁ)
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配達を終え、いつもより遅い時間に図書館で向日葵さんと待ち合わせる。
「ごめんね向日葵さん! 遅くなって!」
カフェテリアから駆け足で図書館まで向かうと、入り口前で向日葵さんが立って待っていた。
「ううん、確か今日は高等部にも寄ってたんでしょ。雨の中あーちゃんお疲れ様」
「もうね、足元びしょびしょだよ」
大雨の中電車利用のみで配達するとなると靴にも水が入ってくる。
「そっかぁそうだよね。じゃあ急いで帰らなくちゃ」
歩くと不快に感じてしまうが、向日葵さんの優しい笑みや背中撫でを得られると報われた気持ちになる。
「ありがとう、優しい気持ちが身に沁みるよ」
彼の優しい態度に朝香もにこやかな表情になったのだが
「じゃあ、頑張ったあーちゃんに帰ったらご褒美あげるね」
「えっ?! ご褒美ってなぁに?」
彼からの思いがけない「ご褒美」に朝香は目を丸くする。
「実はね、テレビで紹介されてたジェラート屋さんのカップアイスを授業前に買いに行ったんだよ」
「ジェラート!! もしかして並んだの?」
「いや~この雨だからそこまで並ばずに済んだんだよ。本当にラッキーだった」
この鬱陶しい天候の最中、有名店へわざわざ出向いてくれたのは凄く嬉しかったが
(ん? 確かジェラート屋さんって向日葵さんと一緒に見たテレビの情報番組だよね??)
向日葵さんの部屋にはテレビが置かれておらず、彼が観るとしたら朝香の部屋で過ごす時しか機会がない。となると、その「ジェラート屋さん」とやらは朝香も一緒に観た番組で紹介していた店となるのだが……
(確かあのお店ってここから相当距離が離れてて、電車だと交通が不便だったような……バスの停留所は近くにあるだろうけど)
朝香の記憶が確かならその店は自然豊かな高台にあり、皐月が眠る霊園の近くでもある。
(この大雨の中、バイクでわざわざ買いに行ってくれたのかな? 私を喜ばせる為に?)
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