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16歳のリョウとチワワの僕と、白い花
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しおりを挟む樹くんに連れられたカスミさんの背中を見送った僕は大きな息を吐いて、部屋じゅうに立ち込めているシトラスの香りを外へ逃そうと窓を開けた。
「はは……掃除機で吸い込めるかなぁ、これ」
次に床に落ちた瓶や包装紙を拾い上げ、散らばったポプリの中身を片付ける。
「今、顔下向けたらやばい……」
消臭剤を振りかけて拭き掃除をしていたら、涙がじんわりと滲んできた。
「泣いちゃいけないのに……」
すぐに洗面台に向かい、カスミさんのファンデーションやオイルが染みてしまった首輪や衣服を予備のものに着替え、白毛のカツラや犬耳をちょいちょいと直す。
最後に目尻のホクロ隠しを丁寧に施したところで、丁度二枠目の時間がやってきて、ドアをノックする音が聞こえた。
「やばっ……窓閉めなきゃ!!」
僕の足音がバタバタするのを、扉の奥で待っているスズさんに聞こえているだろうか?
申し訳ないと思いつつ慌てて部屋じゅうを駆け回り、数分遅れで僕は扉を開けた。
「ごめんなさい、スズさん!」
遅刻した僕の迎えにスズさんはニッコリと微笑んだまま
「気にしてないよ」
と優しい言葉をかけてくれた。
「……ありがとう」
スズさんは毎週この店を訪れるお客様ではないからカスミさんの金銭やり取りに直接関わっていなかったんだけれど、今回の件は樹くんの口から伝えられている。
「久しぶりだよねリョウくん。3月以来かな?」
知っていてもこうしていつものように話しかけてくれるのはとても嬉しいし
「そうだよね、結局ゴールデンウィークはバカンス行けた?」
「行けた行けた!! もー! すっごく楽しかった♪」
「背中をしっかりほぐしてあげるから、お話聞かせてよ♪」
……とても、大人だと感じ胸がいっぱいになる。
(スズさんがお客様で居てくれて良かった……僕のオイルを好んでくれていて良かった……)
「はー……終わったぁ」
定刻通りに仕事を全うした僕は深呼吸をする。
「さぁて、リネン回収とゴミ回収っと……」
僕は4枠目のお客様であるランさん見送りの笑顔をキープしたまま、後片付けを始めた。
「リョウくん」
バスタオルやゴミ袋で両手が塞がったところで扉が開き、樹くんが入ってきた。
「あっ、樹くんちょっと待ってて! これを持っていったら片付け完了だから!!」
「リョウくんはもう事務室へ上がりなよ。これは俺が持っていく」
樹くんは真顔で僕の両手に抱えていたものをヒョイと持ち上げ、僕を退室させようとしてくる。
「別に大丈夫だよ、このくらい何とも」
「大丈夫じゃない顔をしているから言ってるんだよ、太地くん」
僕の言葉を遮り尚も真顔でそう言ってきた樹くんの優しさが、2枠目からずっとキープしていた作り笑顔を容易に解く。
「っ……!!」
堰き止めていた涙が頬を伝わり、一気に恥ずかしくなった。
そんな僕に樹くんはエレベーターの方向を指差しすぐ上がるようにとクイッと顎で僕に指示をして、リネンとゴミの回収場所へと歩を進めた。
急いでエレベーターに乗り込み、事務室のドアを勢いよくバタンと開けると……
「っ……く…………」
流れる涙を止められないまま、リョウから太地に外見を戻していく。
潤んだ視界で何とかスマホを掴み、花ちゃんに電話をかけた。
『もしもし、どうしたの太ちゃん』
電話の向こうで不思議そうな声を出す花ちゃん。
それもその筈だ。仕事終わりにメールする事はあっても電話は初めてなのだから。
「うっ……うう」
時間的にもうすぐコウくんが休憩を取りにここへ入ってきてしまう。
『どうしたの太ちゃん! ……泣いているの?』
「っく……ぐすっ」
それよりも樹くんの入室の方が先だろうか?もうエレベーターでこちらに来ている筈だから。
『仕事で辛い事があったのね。今からちゃんと帰れる? タクシーで直接家まで帰ってきた方がいいんじゃない?』
この電話を長引かせたら花ちゃんにもコウくん樹くんにも余計な心配をかけてしまう。そんな事、頭の中では理解している筈なのに。
「っ……はなちゃん……花ちゃあん」
リョウの姿から戻ったら余計に泣けてきて、電話で大好きな花ちゃんの声を聞いたら更に甘えてしまっている。
「抱き締めたい……」
『うん』
「玄関についたらすぐき花ちゃんを抱きしめたいよ」
『うん……うん』
突然な僕の甘えに、花ちゃんは相槌を打ってくれた。
『じゃあ、今夜も太ちゃんの事待ってるから」
「うん」
『外、大雨なんだ。公園まで迎えに行けなくてごめんね』
「ううん」
『電車から降りたら必ずメッセージ入れてね』
「うん」
『いっぱいギューッてしようね』
「うん」
何故僕がこんな風に甘えてきたのか理由が分からず、花ちゃんは戸惑っているに違いなかった。
「会いたい……抱き締めたい」
『うん、抱き締めしようね』
それなのに、僕に寄り添うような声かけをして僕を落ち着かせようとしてくれる。
「ごめんね……でも、ありがとう」
泣きじゃくる僕に、花ちゃんは
『当たり前だよ、だって私は太ちゃんのパートナーなんだから』
変わらず温かな言葉をかけ続けてくれていて……
「ありがとう……ありがとう」
とめどなく涙を流しながら、花ちゃんという大きな存在に感謝すると共に
改めて己の無力さ小ささに辟易してしまったのだった……
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