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しおりを挟むふと、人の気配がないことに気づく。誰も側に侍っていない。
窓を開けると、王子の見送りに出たのか門番もいなかった。覚えたての浮遊魔法を使い、こっそりと地上に降りる。
夜露に濡れたスイセンの花が美しい。自分の屋敷だというのに、知らないことばかりだ。花を眺めること自体、ひどく久しぶりな気がする。
夜風が気持ちいい。夜空を見上げながら歩いていく。星座には詳しくはないが、日本のものとはずいぶん違って見えた。この世界には自分の知らない神話やおとぎ話があるのだろう。
何の形に見えるか想像を巡らせていると、何かにぶつかった。人だと気づいて、慌てたが今の未来は聖女の装いをしていない。
「……ちゃんと、前を見て歩かないと」
「ご、ごめんなさい」
低く、覇気のない男の声だ。
「星を見て歩いていたら、前を見ていなくて」
「ああ、今日は始祖の船がよく見えるからね」
「始祖の船?」
「……ずいぶんもの知らずなお嬢さんだな」
あんまりな言い分だが、腹は立たなかった。ここ最近、おべっかばかり聞いていたせいかもしれない。やることなすことに文句を言われるのもつらいが、すべて肯定されるのも悪寒がするほど気持ち悪かった。
「あなた、詳しいのかしら。じゃあ教えてくださる?」
「始祖の船は、神様がこの地に降り立った時に天を駆けてきたと伝わってる船だよ。ほら、あそこの明るい星をつなぐと、帆のように見えるだろう。だから教会と聖女さまのシンボルになってるんだ」
「へえ」
レオンはそんなことは教えてくれなかった。行事でしゃべるのももっぱら司祭長で、未来は奥に控えているだけ。尊い身分の方は簡単に口を開かないものだ、と言っていたが、純粋な気遣いでないことは明白だった。
男は夜目でもわかるくらい皺が目立つ服を着ていた。服装に頓着がないのか。顔も長い前髪に隠されてよく見えないので、見た目に興味がないのかもしれない。
人目を気にする未来には到底できない真似だ。
「そういえば、二ホンという異世界の国から聖女様が来たらしいね。先代の聖女様も確か二ホンの方だとか」
「……そうなの?」
「あちらでは学生をしていて、まだこちらに来た時には二十歳にもならぬ少女だったとか」
ずいぶんと年が近いし境遇も似ている。エルマの村に災難が降り注いだ時期から考えても、そこまで時代が離れているとは思えなかった。
日本の一般的な少女が権力を持って狂ったのだろうか、と考えるが決めつけるのは早計な気がする。
「先代の聖女様の話なんてはじめて聞いたわ」
男は一瞬黙り込んで逡巡したようだが、言葉を紡ぐのはやめなかった。
「初めのころはよかったんだ。聖女様は人のために働くことが苦になる性質じゃなかったし、そのおかげでずいぶんとこの国は発展したらしい。けれど、先王陛下、レオン様の父上と婚姻してから聖女様はおかしくなった」
「……ちょっと待って」
――レオン王子が先代聖女の息子だなんて初耳だ。
聖女の息子でありながら自分をひどく見下すレオン。未来はなにがなんだかわからなくなった。
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