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しおりを挟む霧が晴れ、見渡せるようになった谷の奥には――
岩陰に、半ば崩れた廃屋のような建物が見えた。
「……誰か、いたかもしれないぜ」
「いや、もしかして……今もいるのかもな」
静かに、風が吹き抜けた。霧イタチとの戦闘が終わったばかりなのに、妙な緊張感が再び俺たちを包んでいく。
「どうする、卓郎?」明が、ちらりと俺を見た。
俺は短く息を吐いて、答える。
「――行こう。あそこに何かがあるなら、見過ごせない」
俺たちは武器を構え直し、廃屋へと向かって歩き出した。
廃屋に近づくにつれ、空気が重たく、湿り気を帯びていく。
苔むした壁、割れた窓、崩れた屋根の隙間から草が伸び、どこかこの世のものではない気配が漂っていた。
俺たちは、崩れかけた廃屋の前で足を止めた。
霧はさっきよりも濃くなっている。まるで俺たちが近づくのを拒むように、じっとりとまとわりついてきた。
「……ここだな。霧イタチが妙に集まってた場所」
明が周囲を警戒しながら呟く。俺たちは頷き合い、廃屋の扉を押し開けた。
中は薄暗く、長年放置された気配が漂っていた。床には落ち葉や枯れ枝が積もり、隅には壊れた棚や机が乱雑に転がっている。
――ただ、奇妙なことに。
「……誰か、最近までここ使ってたわね」
純子が指さしたのは、隅に置かれた錬金用のガラス器具と、小さな加熱皿。そして、湿った薬草の束。
「これ……昨日か、一昨日かってくらい新しい」
さらに、有紗が壁際の棚を調べて、紙片を拾い上げた。半ば焼け焦げたメモだったが、薬草の名前と、謎の記号が並んでいる。
俺はそれを覗き込みながら、眉をひそめた。
「これは……薬? じゃないか?。でも……霧イタチが暴れてたのと、関係あるかも」
「じゃあ、誰かが魔物を意図的に暴れさせてるってこと?」
沙耶が息を呑む。
その時――
「……う……っ」
有紗が額を押さえた。
「ど、どうした?」
「なんか……頭の奥が、ぐわって……目眩みたいなの……」
次の瞬間、俺たちの周囲の霧が――不自然に、動いた。
風もないのに、霧がこちらに向かって流れてくる。
「っ……構えて! 何か来る!」
叫んだ俺の声が響いた刹那、廃屋の入り口に――
誰か が立っていた。
真っ黒なローブにフードを深く被った人影。
顔は見えない。だが、確かに俺たちを見ていた。
「……ッ!」
思わず一歩後ずさる。得体の知れない威圧感。殺気じゃない、けど、胸の奥が凍りつくような寒気。
「誰だ、あんた……!」明が低く唸る。
だがフードの男は、何も答えない。
代わりに、笑った。
ほんの一瞬。口元だけが、にやりと。
霧が一気に渦巻くように広がり、視界を包み込んだ。
「っ!? みんな、離れるな――!」
俺の声も虚しく、視界は完全にホワイトアウトする。
世界が、歪む。
足元の感触が消え、音も、匂いも、すべてが――
静寂 に飲み込まれた。
――気がつくと、俺は一人だった。
さっきまでの霧に包まれた廃屋は消え、周囲は真っ白な空間。
空も地面も存在しない。ただ、白だけで構成された世界に、俺の体だけがぽつんと浮かんでいる。
……いや、浮かんでるわけじゃない。立っている感覚はあるのに、地面が見えない。
「……ここ、どこだよ……」
呟いても、音は吸い込まれるように消える。
目を凝らしても何も見えない――
そう思った、その時。
「よぉ、卓郎」
背後から、聞き慣れた声がした。
振り向くと――そこにいたのは、俺自身だった。
「……は?」
目の前の俺は、同じ顔、同じ服。だけど、どこかが違う。
背筋が伸びてて、表情に迷いがなくて、目に光がある。
――まるで、理想的な自分をそのまま形にしたような奴。
「何驚いてんだよ」
もうひとりの俺は、にやっと笑った。
「なあ、卓郎。お前さ――ホントに選ばれし主人公気取りでいいのか?」
「……なんだよ、いきなり」
俺、そんな風にみえてるのか? あまり目立たないようにしているつもりだったのだが?
「だってさ、まぐれで『百点カード』ってチートもらっただけだろ?」
ぐさり、と胸を刺すような言葉。確かにそれはその通りだ。『百点カード』の使い方がわかるまでは、みんなのお荷物で、幾多のパーティを首になってきたのだから。
「周りに助けられて、守られて、何もかもたまたま上手くいってるだけ。……怖くないのか? もし誰かが、お前のカードを真似できたら? 同じスキルを持つ奴が現れたら? ……お前に、何が残る?」
「……やめろよ」
別に俺は、世界で唯一無二である必要はないし、そうなりたいとも思っていない。ただ役立たずから脱したかっただけだった。今は、みんなを助けることが、できるようになってきて、それが嬉しいだけなのだ。本当の意味で、みんなから、頼りにされる存在になれればいいと思っている。
「お前のせいで、誰かが死んだら?」
空間が、じわじわと暗く染まり始める。
純子が倒れている――明が叫んでいる――でも声が聞こえない。血だまり。動かない仲間たち。俺の足元には、カードが落ちていて――
「それでも、俺は間違ってないって言えるのか?」
俺が、すぐ目の前まで顔を近づけてくる。
「答えろよ、卓郎。お前は――」
「――黙れよ」
俺は、ぐっと拳を握った。
胸の中に、確かにあったはずの迷い。それが、ぶわっと燃えるような怒りに変わる。
「……そうだよ。俺は運が良かっただけかもしれねぇ。たまたまスキルが特殊で強かっただけかもしれねぇ。でもな――それを言い訳にして逃げるくらいなら、仲間にバカにされたほうがマシだ」
俺の笑みが、ふっと消える。
「俺は、俺のスキルを使って、みんなを守る。それが俺の選んだ道だ。……誰に笑われようが、知らねぇよ」
次の瞬間、空間がパリンとガラスのように割れた。
俺の姿も、白い世界も、音を立てて崩れていく。
そして――俺は、再び霧の中で目を覚ました。
さっきまでの光景が幻だったことは分かってる。けど、胸の中に残る感触だけは、やけにリアルで。
「……試されてた、ってことかよ」
小さく呟きながら、俺は周囲を見渡した。
仲間の姿は――まだ、見えない。
「みんなも……同じような目にあってるってことか」
なら、俺が先に立ち上がって、助けなきゃならないよな。
「……行くぞ、俺」
そう言って、俺は濃い霧の中へと、一歩を踏み出した。
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