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自分の背丈を超えて燃え盛る炎を前に、抑えきれぬ興奮で腕を振りながらアンネリザがはしゃいでいる。コレトーはその横で淡々とした態度で炎を見上げていた。
「こう、わくわくしてくるわね!」
「そうですか?」
夕暮れの空にたなびく煙の元は、アンネリザに届いた文、もといくず山の素だ。文としての体裁を保っていなかったそれらは、モーリが選別した段階で脅迫状、呪い文、不幸をもたらす札等だった。そこに、返事を出すに値しないと判断された中くらいの文の山からの合流物も加わっている。
ちなみに、きちんとした文の体裁を整えて出された文を燃やすわけにはいかない。なので、仲良くしましょうねという文の類は名簿を作って、後日父や姉に相談の上、簡単な挨拶という対応をするかしないか決めることになっている。宣戦布告の文の類については、アンネリザの一存で全てそっくりそのまま送り返す対応となった。ちなみに、アンネリザが返事をしたいと思えるような文は、三通だけ有った。
結局、文の選別には四日かかった。その四日の間にも次々と増え続けていたせいでもあったが。
「浄化の炎よ、燃え上がれ! って、こう湧き上がる感じがしない?」
拳を突き上げて得意満面な顔をコレトーに向けるが、返って来たのは苦笑だけだ。
「いや、ただの焚き火としか思いませんけど。なんでこんな大掛かりに木組みしたんですか? 竈で燃やせば良かったでしょうに」
コレトーの産まれはスエン州である。もっとも、サッカイ州に来たのは六歳の頃なので、生涯のほとんどはここで過ごしている。それでも、幼い頃からいまいち馴染まなかったのだ。サッカイ州人の焚き火好きだけは。
基本的に質実剛健の質で、どれだけ金をかけても本質を見失うようなものは無意味だと考える合理的な州民性があるのに、彼等はこと焚き火となると途端にそれを見失う。大きければ大きいほど、良い。派手に、ど派手に、燃え上がれば燃え上がるだけ、良い。というような訳の解らない情熱で焚き火を見つめて興奮する。
「モーリが、悪意ある物は大きな炎で燃やしなさいって言うから、アンジェに頼んだら組んでくれたの。この間とり壊した道具小屋の古材がちょうど有ったんですって」
「ああ」
モーリの言葉はコレトーも一緒に聞いていたし、サッカイ州では炎に潔めや浄化の意味を見出す考え方は周知のことなので納得もしていた。そして今、あの老人なら大いに張り切るだろうとも再び納得した。
このアケチ家の敷地で産まれ、物心ついた時からアケチ家に仕えている、庭番の老人は、とりわけお転婆な末の姫が大好きだ。アンネリザを呪おうとした文など盛大に燃やそう、と張り切ったに違いない。
「わぁ! すごーい!」
「アン姉様、それどうなさったの?」
しばらく二人で炎を見つめていると、背後からそう声がかかった。振り返ると、今朝到着したばかりの三女コルテンタの娘二人が立っていた。
姉の子なので、アンネリザとの関係は叔母と姪なのだが、三女アキコとは三歳、四女ユキコとは四歳しか離れていないため、二人はアンネリザを、アン叔母様ではなくアン姉様と呼ぶ。
「浄化の炎よ!」
炎を背に仁王立ちで、二人の姪達にも得意顔を見せる。
コレトーならば溜息か苦笑を返すところだが、素直な二人は父親譲りの柔和な顔立ちを感心の色に染めアンネリザを見つめている。
あまり関わらせてては教育上良くないと、数年前ならば思ったところだが、どうも彼女達の父親は意図してアンネリザに娘達を関わらせようとしているようなので、口を差し挟むのは辞めている。コレトーにできるのは、三人で手を取り合って踊りだした、さながら小さな収穫祭の様相に、手拍子をすることくらいだ。
姪達の父親は王都の出身だが、妻に馴染み深く子育てにも良いだろう、という理由でサッカイ州に住居を構えている。父親は商売の都合上、時折帰ってくるだけだが、妻子は一年のほとんどをそこで過ごしているし、時折離れても向かうのは妻の実家、つまりアケチ伯爵家だ。なので姪っ子達も生粋のサッカイ州人といって差し支えない。
上の二人は母親に似たが、下の二人は父親に似た。柔らかそうに巻いた栗色の髪も、濃い緑の瞳も、柔和な顔立ちも、算術に明るく利に敏い商才とも言うべき気質も父方から受け継いだ。だが、母譲りのたおやかさや教養、サッカイ州人気質とも言うべき質実剛健さも確かに持っている。アンネリザによく懐いているのも、サッカイ州人らしさ故だろう。
可愛らしい収穫祭も終え、夕日も沈み、炎も小さくなったところで家人に始末を頼む。アンネリザは、可愛い妹分の姪達と夕食の席へ向かった。
両親、長女夫婦も加わり、家族全員で楽しく食卓を囲み、姪達が持ってきてくれたお土産を使った料理に舌鼓を打った。食後は、文の返事についての相談をするため別室に行った両親と姉夫婦を除いて、ゆっくりとしたお茶の時間となった。
姪達の興味関心はもっぱら首無し王レンフロである。
「アン姉様は国王陛下にお会いしたのでしょう?」
「どのような方でした? 母上様に似たお美しい方だというのは本当ですか?」
首無し王という二つ名と共に有名なのが、先の王后、レンフロの母親に似ているという容貌である。
真珠の肌。黒曜石の髪。人を惹きつけてやまない魅惑の紫水晶の瞳。三日月のようと例えられるほっそりとした美しい横顔。冴えた空気を思わせる清廉な雰囲気。彼女を語る詩人達はその美貌をこぞって褒め称える。産まれる前から王后と成ることが定まっていた彼女は、社交の場にはほとんど出てくることがなかったことも、よく似ているというレンフロの容貌への関心が高まる所以であろう。
「そうね、残念ながら私は先の王后様のご尊顔は絵でしか知らないけれど、確かによく似ていらっしゃったわ。瞳は紫ではなく碧でいらしたけど。髪は艶のある黒ね、サッカイ州では黒髪はあまり見かけないからピンと来ないかもしれないけど、漆のような美しい黒よ。お顔立ちは、麗しくて、線の細い、優美な感じだったわ」
コレトーがお茶を持ってくるのを待ちながら、姪達に得意げに王都での話を披露する。口に出してレンフロの容貌を伝えながら、その首を手に持ったことを思い出す。
(そしてあの首。まるで彫像のように美しい首。温かく生きている生首。あぁ、できることならもう一度じっくり観察したいわ)
おませなユキコは、レンフロの容貌を語りながらうっとりとした目で物憂げな顔になるアンネリザに、はっとする。
隣のアキコとひそひそと話し始めたが、レンフロの首をガラス板の上に置いて下から眺める妄想に耽っているアンネリザは気付かない。
姪達としてはそんな自分達に気付かない陶酔した姿も、恋焦がれた国王の面影を思い出しているからだ、と映る。
とんでもない勘違いなのだが、今この場に、その勘違いを正せる人間は一人もいない。
常日頃から活発な姐御肌のアンネリザが、出会い頭の一言が山羊の乗り方を手ほどきしましょうかだったアンネリザが、父は面白がっているが母からは真似をするなと言われるあのアンネリザが、憂いを帯びた瞳で切なげに溜息を吐く。それは、彼女達にとって青天の霹靂ともいうべき衝撃だった。
しかも、アキコは社交界デビューを目前に控え、恋に夢見る歳頃だ。おませなユキコも、社交界デビューこそやや遠いが、他人の恋の話や物語はこれでもかというほど大好物。伯爵令嬢としての規格に沿ってはいなくとも、大好きな優しいお姉様だ。彼女達がアンネリザの恋を応援しないはずがない。
問題は恋ではないというところなのだが、生首を乞う様は恋うていると言えなくもないのが始末に負えないところである。まぁ、どうあってもレンフロを恋うているのではないところだけは確かなのだが。
「アン姉様の恋を応援するにはどうしたらいいかしら」
「お相手は国王陛下だもんね。でも、お見合い後の舞踏会に参加されてるし、国王陛下とお喋りだってなさってるんだもん。きっとお姉様に王都召喚状が届くはずよ」
「そうねそうね」
それぞれの方向で盛り上がる彼女達は、結局コレトーがお茶を持ってくるまでそれぞれで盛り上がっていた。
お互い心のすれ違いには気付かぬままお茶を終え、三人は湯浴みのために別れた。
一人で湯浴みを済ませ、寝台に入り、しばらくもぞもぞと動いていたアンネリザは、むくりと身を起こす。さっと寝台を抜け出し上着を羽織ると、素早い動作で続きの間の扉を開ける。
「コレトー! 全然眠れないの! 眠れそうなお茶ちょうだい!」
「畏まりました…あと、お嬢様、いちおうノックしてくださいね」
就寝間際にノックもせず押しかけては、うっかり着替えをしているかもしれない時など大惨事だ。これは、令嬢の侍従に異性があたるのは珍しいことなので、その辺は特別気を遣っていただきたい、というのではない。この部屋はコレトーが与えられている侍従の控えの間である。主であっても個人の私室に入る際はノックはするものだ。当然の礼儀である。
言われたアンネリザも、すぐにしまったという顔をしたので、その礼儀は弁えている。ただ、食後のお茶から続くレンフロの首に対する妄想が頭を占拠していてうっかりしたのだ。
「そうね、ごめんなさい。気を付けるわ」
仕事着のまま業務日誌をつけていたコレトーはさっと席を立つとお茶の用意を始めてくれた。用意といっても、もともと彼は寝る前に入眠を良くするハーブティーを飲む習慣があるので、ポットで温まっているものをカップに注ぐだけなのだが。
「焚き火の余韻ですか?」
「んー違うのよ。あれも確かに興奮する出来事だったけどね。その後。アキやユキと陛下のお話をしたでしょう。あれでね、色々思い出しちゃって………」
うっとりとした思案顔を見せるアンネリザを前に、さすがのコレトーは誤解しない。
(たぶん首をとったらどうなるかとか考えたら興奮してきたんだろうな)
と、考えていた。誤解はしていないが事実が誤認されているので、正解には辿りつけていなかったが。
「あれだけの文がうちに来るってことはよ。本命の方はその分身軽でいられるのじゃない。それって、私、結構役に立っていると思うのよ」
取っ手が付いておらず地の厚いカップを両手で包み込むように持って香りをかぎながら、アンネリザはぽつぽつと妄想を披露する。
「だから、結婚式に呼んで頂けないかしらね」
(いや、それは流石に無理だと思いますが)
コレトーは下手に口に出して反発を受けると、とろんとし始めたアンネリザの目がまた見開いてしまうと困るので、心で否定する。
「国王陛下の結婚式ですもの。他国からの来賓がいらっしゃるわ。そうしたら、陛下も首をお取りになるでしょう」
(国家来賓がいらっしゃる様な格式の場に、伯爵の娘でしかないお嬢様は呼ばれませんよ)
「そしたらよ。その首をね、責任を持って私が預かるの」
(いや、責任を持って侍従の方が管理されますよ。何故お嬢様に陛下の首を管理する責任を持たせるのですか)
「ガラスの板の上に置いてね、上からも下からもためつすがめつ舐め回すように観察するの」
(不敬罪で処罰されますよそんなことしたら)
「素敵よねぇ…」
(生首の話でなく国王陛下の話でうっとりして下さったらどんなに嬉しいか…)
昔は、可愛い娘に変な男が近付いたら蹴散らしなさいと言っていた旦那様、つまりアンネリザの父親であるアケチ伯爵に深く同意していた。最近では、そろそろお歳頃なお嬢様が初恋を知ってくれたら、少しは令嬢らしさが身に付くのではないだろうか、と考える毎日だ。
ちなみにアケチ伯爵の方は、最悪娘一人くらい嫁に行かずにずっと家に居たって問題無い、というスタンスで一貫している。
「うん…なんだかふわふわしてきたわ」
「おやすみになりますか?」
「そうするわぁ」
片手でカップを返しつつ、片手は欠伸を隠す。
「おやすみなさい、コレトー」
「おやすみなさいませ」
侍従控えの間を出て、寝室に戻ると、掛布の下に潜り込む。中で上着を脱いで、掛布の上に置いた。遠ざかる意識の中で、コレトーが部屋の鍵をかける音が聞こえた気がした。
「こう、わくわくしてくるわね!」
「そうですか?」
夕暮れの空にたなびく煙の元は、アンネリザに届いた文、もといくず山の素だ。文としての体裁を保っていなかったそれらは、モーリが選別した段階で脅迫状、呪い文、不幸をもたらす札等だった。そこに、返事を出すに値しないと判断された中くらいの文の山からの合流物も加わっている。
ちなみに、きちんとした文の体裁を整えて出された文を燃やすわけにはいかない。なので、仲良くしましょうねという文の類は名簿を作って、後日父や姉に相談の上、簡単な挨拶という対応をするかしないか決めることになっている。宣戦布告の文の類については、アンネリザの一存で全てそっくりそのまま送り返す対応となった。ちなみに、アンネリザが返事をしたいと思えるような文は、三通だけ有った。
結局、文の選別には四日かかった。その四日の間にも次々と増え続けていたせいでもあったが。
「浄化の炎よ、燃え上がれ! って、こう湧き上がる感じがしない?」
拳を突き上げて得意満面な顔をコレトーに向けるが、返って来たのは苦笑だけだ。
「いや、ただの焚き火としか思いませんけど。なんでこんな大掛かりに木組みしたんですか? 竈で燃やせば良かったでしょうに」
コレトーの産まれはスエン州である。もっとも、サッカイ州に来たのは六歳の頃なので、生涯のほとんどはここで過ごしている。それでも、幼い頃からいまいち馴染まなかったのだ。サッカイ州人の焚き火好きだけは。
基本的に質実剛健の質で、どれだけ金をかけても本質を見失うようなものは無意味だと考える合理的な州民性があるのに、彼等はこと焚き火となると途端にそれを見失う。大きければ大きいほど、良い。派手に、ど派手に、燃え上がれば燃え上がるだけ、良い。というような訳の解らない情熱で焚き火を見つめて興奮する。
「モーリが、悪意ある物は大きな炎で燃やしなさいって言うから、アンジェに頼んだら組んでくれたの。この間とり壊した道具小屋の古材がちょうど有ったんですって」
「ああ」
モーリの言葉はコレトーも一緒に聞いていたし、サッカイ州では炎に潔めや浄化の意味を見出す考え方は周知のことなので納得もしていた。そして今、あの老人なら大いに張り切るだろうとも再び納得した。
このアケチ家の敷地で産まれ、物心ついた時からアケチ家に仕えている、庭番の老人は、とりわけお転婆な末の姫が大好きだ。アンネリザを呪おうとした文など盛大に燃やそう、と張り切ったに違いない。
「わぁ! すごーい!」
「アン姉様、それどうなさったの?」
しばらく二人で炎を見つめていると、背後からそう声がかかった。振り返ると、今朝到着したばかりの三女コルテンタの娘二人が立っていた。
姉の子なので、アンネリザとの関係は叔母と姪なのだが、三女アキコとは三歳、四女ユキコとは四歳しか離れていないため、二人はアンネリザを、アン叔母様ではなくアン姉様と呼ぶ。
「浄化の炎よ!」
炎を背に仁王立ちで、二人の姪達にも得意顔を見せる。
コレトーならば溜息か苦笑を返すところだが、素直な二人は父親譲りの柔和な顔立ちを感心の色に染めアンネリザを見つめている。
あまり関わらせてては教育上良くないと、数年前ならば思ったところだが、どうも彼女達の父親は意図してアンネリザに娘達を関わらせようとしているようなので、口を差し挟むのは辞めている。コレトーにできるのは、三人で手を取り合って踊りだした、さながら小さな収穫祭の様相に、手拍子をすることくらいだ。
姪達の父親は王都の出身だが、妻に馴染み深く子育てにも良いだろう、という理由でサッカイ州に住居を構えている。父親は商売の都合上、時折帰ってくるだけだが、妻子は一年のほとんどをそこで過ごしているし、時折離れても向かうのは妻の実家、つまりアケチ伯爵家だ。なので姪っ子達も生粋のサッカイ州人といって差し支えない。
上の二人は母親に似たが、下の二人は父親に似た。柔らかそうに巻いた栗色の髪も、濃い緑の瞳も、柔和な顔立ちも、算術に明るく利に敏い商才とも言うべき気質も父方から受け継いだ。だが、母譲りのたおやかさや教養、サッカイ州人気質とも言うべき質実剛健さも確かに持っている。アンネリザによく懐いているのも、サッカイ州人らしさ故だろう。
可愛らしい収穫祭も終え、夕日も沈み、炎も小さくなったところで家人に始末を頼む。アンネリザは、可愛い妹分の姪達と夕食の席へ向かった。
両親、長女夫婦も加わり、家族全員で楽しく食卓を囲み、姪達が持ってきてくれたお土産を使った料理に舌鼓を打った。食後は、文の返事についての相談をするため別室に行った両親と姉夫婦を除いて、ゆっくりとしたお茶の時間となった。
姪達の興味関心はもっぱら首無し王レンフロである。
「アン姉様は国王陛下にお会いしたのでしょう?」
「どのような方でした? 母上様に似たお美しい方だというのは本当ですか?」
首無し王という二つ名と共に有名なのが、先の王后、レンフロの母親に似ているという容貌である。
真珠の肌。黒曜石の髪。人を惹きつけてやまない魅惑の紫水晶の瞳。三日月のようと例えられるほっそりとした美しい横顔。冴えた空気を思わせる清廉な雰囲気。彼女を語る詩人達はその美貌をこぞって褒め称える。産まれる前から王后と成ることが定まっていた彼女は、社交の場にはほとんど出てくることがなかったことも、よく似ているというレンフロの容貌への関心が高まる所以であろう。
「そうね、残念ながら私は先の王后様のご尊顔は絵でしか知らないけれど、確かによく似ていらっしゃったわ。瞳は紫ではなく碧でいらしたけど。髪は艶のある黒ね、サッカイ州では黒髪はあまり見かけないからピンと来ないかもしれないけど、漆のような美しい黒よ。お顔立ちは、麗しくて、線の細い、優美な感じだったわ」
コレトーがお茶を持ってくるのを待ちながら、姪達に得意げに王都での話を披露する。口に出してレンフロの容貌を伝えながら、その首を手に持ったことを思い出す。
(そしてあの首。まるで彫像のように美しい首。温かく生きている生首。あぁ、できることならもう一度じっくり観察したいわ)
おませなユキコは、レンフロの容貌を語りながらうっとりとした目で物憂げな顔になるアンネリザに、はっとする。
隣のアキコとひそひそと話し始めたが、レンフロの首をガラス板の上に置いて下から眺める妄想に耽っているアンネリザは気付かない。
姪達としてはそんな自分達に気付かない陶酔した姿も、恋焦がれた国王の面影を思い出しているからだ、と映る。
とんでもない勘違いなのだが、今この場に、その勘違いを正せる人間は一人もいない。
常日頃から活発な姐御肌のアンネリザが、出会い頭の一言が山羊の乗り方を手ほどきしましょうかだったアンネリザが、父は面白がっているが母からは真似をするなと言われるあのアンネリザが、憂いを帯びた瞳で切なげに溜息を吐く。それは、彼女達にとって青天の霹靂ともいうべき衝撃だった。
しかも、アキコは社交界デビューを目前に控え、恋に夢見る歳頃だ。おませなユキコも、社交界デビューこそやや遠いが、他人の恋の話や物語はこれでもかというほど大好物。伯爵令嬢としての規格に沿ってはいなくとも、大好きな優しいお姉様だ。彼女達がアンネリザの恋を応援しないはずがない。
問題は恋ではないというところなのだが、生首を乞う様は恋うていると言えなくもないのが始末に負えないところである。まぁ、どうあってもレンフロを恋うているのではないところだけは確かなのだが。
「アン姉様の恋を応援するにはどうしたらいいかしら」
「お相手は国王陛下だもんね。でも、お見合い後の舞踏会に参加されてるし、国王陛下とお喋りだってなさってるんだもん。きっとお姉様に王都召喚状が届くはずよ」
「そうねそうね」
それぞれの方向で盛り上がる彼女達は、結局コレトーがお茶を持ってくるまでそれぞれで盛り上がっていた。
お互い心のすれ違いには気付かぬままお茶を終え、三人は湯浴みのために別れた。
一人で湯浴みを済ませ、寝台に入り、しばらくもぞもぞと動いていたアンネリザは、むくりと身を起こす。さっと寝台を抜け出し上着を羽織ると、素早い動作で続きの間の扉を開ける。
「コレトー! 全然眠れないの! 眠れそうなお茶ちょうだい!」
「畏まりました…あと、お嬢様、いちおうノックしてくださいね」
就寝間際にノックもせず押しかけては、うっかり着替えをしているかもしれない時など大惨事だ。これは、令嬢の侍従に異性があたるのは珍しいことなので、その辺は特別気を遣っていただきたい、というのではない。この部屋はコレトーが与えられている侍従の控えの間である。主であっても個人の私室に入る際はノックはするものだ。当然の礼儀である。
言われたアンネリザも、すぐにしまったという顔をしたので、その礼儀は弁えている。ただ、食後のお茶から続くレンフロの首に対する妄想が頭を占拠していてうっかりしたのだ。
「そうね、ごめんなさい。気を付けるわ」
仕事着のまま業務日誌をつけていたコレトーはさっと席を立つとお茶の用意を始めてくれた。用意といっても、もともと彼は寝る前に入眠を良くするハーブティーを飲む習慣があるので、ポットで温まっているものをカップに注ぐだけなのだが。
「焚き火の余韻ですか?」
「んー違うのよ。あれも確かに興奮する出来事だったけどね。その後。アキやユキと陛下のお話をしたでしょう。あれでね、色々思い出しちゃって………」
うっとりとした思案顔を見せるアンネリザを前に、さすがのコレトーは誤解しない。
(たぶん首をとったらどうなるかとか考えたら興奮してきたんだろうな)
と、考えていた。誤解はしていないが事実が誤認されているので、正解には辿りつけていなかったが。
「あれだけの文がうちに来るってことはよ。本命の方はその分身軽でいられるのじゃない。それって、私、結構役に立っていると思うのよ」
取っ手が付いておらず地の厚いカップを両手で包み込むように持って香りをかぎながら、アンネリザはぽつぽつと妄想を披露する。
「だから、結婚式に呼んで頂けないかしらね」
(いや、それは流石に無理だと思いますが)
コレトーは下手に口に出して反発を受けると、とろんとし始めたアンネリザの目がまた見開いてしまうと困るので、心で否定する。
「国王陛下の結婚式ですもの。他国からの来賓がいらっしゃるわ。そうしたら、陛下も首をお取りになるでしょう」
(国家来賓がいらっしゃる様な格式の場に、伯爵の娘でしかないお嬢様は呼ばれませんよ)
「そしたらよ。その首をね、責任を持って私が預かるの」
(いや、責任を持って侍従の方が管理されますよ。何故お嬢様に陛下の首を管理する責任を持たせるのですか)
「ガラスの板の上に置いてね、上からも下からもためつすがめつ舐め回すように観察するの」
(不敬罪で処罰されますよそんなことしたら)
「素敵よねぇ…」
(生首の話でなく国王陛下の話でうっとりして下さったらどんなに嬉しいか…)
昔は、可愛い娘に変な男が近付いたら蹴散らしなさいと言っていた旦那様、つまりアンネリザの父親であるアケチ伯爵に深く同意していた。最近では、そろそろお歳頃なお嬢様が初恋を知ってくれたら、少しは令嬢らしさが身に付くのではないだろうか、と考える毎日だ。
ちなみにアケチ伯爵の方は、最悪娘一人くらい嫁に行かずにずっと家に居たって問題無い、というスタンスで一貫している。
「うん…なんだかふわふわしてきたわ」
「おやすみになりますか?」
「そうするわぁ」
片手でカップを返しつつ、片手は欠伸を隠す。
「おやすみなさい、コレトー」
「おやすみなさいませ」
侍従控えの間を出て、寝室に戻ると、掛布の下に潜り込む。中で上着を脱いで、掛布の上に置いた。遠ざかる意識の中で、コレトーが部屋の鍵をかける音が聞こえた気がした。
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