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一週間の猶予が与えられたにも関わらず翌日に出立となったアンネリザ主従の前には、支度金として渡された金貨の収められた箱が置かれている。
「支度金が出るとは思わなかったわ」
アケチ伯が応じる返答を使者にもたらした際に渡すことは決まっていた。だが親書同様アンネリザに直接渡すことが定められていたため、夜分に差し掛かっていた昨日ではなく今日渡す手筈だったのだ。だが、その後追いかけるように使者へ、翌朝出立可能であると連絡が入り、結局、出立後の昼休憩の際に渡されることとなった。
「まぁ、許嫁候補を召集なさってますからね、物入りだろうから使いなさいと」
「結納金とは違うのよね?」
「あくまで支度金との事でした」
コレトーが使用目的を確認したところ、急な召集であったため王城での生活に不足を来すこともあるだろうから、との配慮であるらしい。はっきり言ってとても有難い心遣いなのだが、ひどく困惑してしまうのも事実だ。
「………アリ姉様に文を書いて、ドレスとか仕立ててもらうのが良いと思う?」
先程蓋を開けて中は確認したが、アンネリザの経済感覚から言って、何を買おうと思えばその金額を消費し切ることになるのか解らない額が入っていた。
「どうでしょう…」
コレトーとしても、安易に提案はしかねた。今は何かを判断するには情報が少い。彼も使者を中心に話を聞いて回ったのだが、今回の異例の事態はどうやら彼等も把握しきれていないらしい。
当初の予定では見合いが行われ、そこで陛下が気に入った者だけが舞踏会に招待され、更に交流を深める手はずだった。そうして選別されていき、最終的には結婚相手が決まるというわけだ。
「そもそも陛下はお后を一人にしたいとお考えなのよね?」
「そう聞いています。だからこその国を挙げての見合い騒動ですから」
複数の王后による王位継承権争いの勃発は、レンフロにとって絶対に回避したい事態である。それは自分自身に起こった暗殺という悲劇を引き起こさせないためでもあるし、思いつめた第一王后が起こしてしまった我が子を手にかけた末の発狂という惨劇を回避するためでもある。
「私が産まれた頃の事だし、大っぴらに口にする類ではないから詳しくは知らないのだけど。王位争いで先の第一王后陛下が第二王子殿下共々お亡くなりになったのよね?」
「はい。当時噂になった内容でよければ、お話しましょうか?」
「どうかしら………王位争いが有った事。先の第一王后陛下と第二王子殿下がお亡くなりになった事。現国王陛下が暗殺の憂き目に遭った事。この三点の事実以外で私が聞いておくべきだと思う事が有りそうなら話して」
「所詮人の口が立てた噂ですからね、事実としてそれ以外に必要そうな事は無いかと」
「じゃあ良いわ。後は、お見合いに至る経緯かしらね。私も、初めは無関係の事として聞き流しちゃったからなぁ…確か、陛下のご結婚の話が持ち上がって、ご意向としてお后は一人で、となった。けれど、たった一人のお后の座を巡って争いが起きたら陛下のお気持ちに対してあまりにも情けない話だ、というわけで、全ての国王陛下との結婚を望む相手に平等に機会を与えるために見合いが行われた。合ってる?」
「はい」
「で、見合いを経て、舞踏会、個人的交流、婚約って流れになるはずが、何故か舞踏会後に王城へ複数人の召集がかかった」
「個人的交流をする機会を設ける為だとしても、王城召喚は行き過ぎてますね」
「絶対に何かあるわ。お話した人柄からして陛下ご自身はこういうことをする方には思えなかったもの」
アンネリザは、レンフロが一人を王后に望んでも、周りがそれを許容していないのだろうということは解る。それは、舞踏会に出席していた人間が、陛下が気に入ったという理由だけではなく、政治的な柵も含め呼ばれているように感じたからだ。そうでなければ、アンネリザが目晦ましとなる必要もない。
「家も含めて中央の政治とは関わりが薄いから、よく解らないわね。コレトーは今の中央の派閥は把握してる?」
「大まかな派閥は旦那様から伺っております。ただ、西殿様のご手配通り、アンスバッハの奥様にご助力をたまわって情報収集から入った方が良いでしょうね。キノヤの奥様の元にも立ち寄っておいた方が良いかもしれません。どちらにしろ道中ですし、一週間の猶予をいただけたところ一日で出てきたのですから、時間は有るでしょう」
「そうね、アリ姉様は当然として、テーナ姉様も商家の奥方様ですものね、情報はお持ちでしょう」
見合いの際にも行き帰り共に立ち寄ったコルテンタの家は大きな街道沿いにある。サッカイ州と王都を繋ぐ街道の中で最も大きいものなので、確認はしていないがその道が選択されるだろう。
「ええ、それに、もし可能であればマツさんを一時的にお嬢様の侍従として同伴できないかお伺いしたいですね」
マツというのはコルテンタがアケチ家から嫁ぐ際に一緒について行った侍従で、女性である。
「…それって、王城内にコレトーが入れないってこと?」
コレトーは普段通り淡々としているが、アンネリザは子供のようにむすっとしてしまう。不快はなるべく表情に出さないようにという社交術は今は無視だ。
「可能性はあると思いますよ」
「でも、私の侍従はずっとコレトーなのよ。それなのにそんなの」
「お嬢様にはそうでも他の姫様方からすれば見知らぬ男ですからね」
「なによそれ………コレトーがあと十、いや二十」
ぼそぼそと呟く声が聞き取れず、コレトーは首を傾げる。何を言っているのか聞き取ろうとすると、きりっとした顔でアンネリザが叫ぶ。
「そうよ! コレトー頑張ってあと二十歳くらい老け込みましょう! どこから見てもおじいちゃんに成っちゃえば気にする人も減るわよ!」
真剣な顔でそれを言われて、腕白な令息並に活発な主に付き合うために必死に保っている何かがぐらつく。コレトーは眉間をつまみつつ口早に呻く。
「いや、あの、本当にがっくりくるので勘弁してください久しぶりに芯が折れそう」
「良いわねそのままぐっと老け込んで!」
「嫌ですよ。老け込んだら働くのが嫌になるだけですから止めてください。道順と立寄りの件を使者の方と話し合ってきます。大人しくしていてくださいね」
「はーい」
不満顔のアンネリザを残してコレトーが部屋を出て行く。
(まぁ老けろなんて、冗談だけど…コレトーが一緒に入れないなら王城の中で生活なんてできないわよ私)
溜息を吐いて伸びをする。活発な街の喧騒が遠くに聞こえる二階の部屋は、宿の一室である。
(お昼ご飯のために部屋を借りるって、ちょっとどころじゃない贅沢よね。王家的にはこれって普通なのかしら)
昼食休憩に立ち寄った街は、アケチの本拠と王城を繋ぐ道の中でも大きめな街だが、本拠から一つ目の街でもある。ここまでの道中良い馬車に乗っているのであまりガタつかないのだと考えていたのだが、昼休憩だと言われて外に出て、あまりに進んでいないことに驚いた。午前九時頃に出発して、二時間強、もう一つ先のやや小さな街についているかと思っていた。
(このままだと私達が帰ってきた旅程より遅いわよね)
行きもそれなりに時間はかかったが、王都からの帰りは、更に時間がかかったのだ。大した交流がなければちょっとした土産に文を添えて通りましたという挨拶をすれば良いが、交流がある場合は土産を持って自身で失礼でない時間を見計らって訪問しなければならないため、時間がかかるのである。
(急使扱いだから挨拶の必要は無いのになんでこんなに時間がかかるのかしら)
食休みの時間はそろそろ終わるだろうが、今までの進み具合からしてなかなかにゆったりした旅程が組まれていると解る。このままのペースなら今日はアケチ領の端の街での宿泊になるだろう。
(領内で宿泊してもらえるのは嬉しいんだけど…こんな速度の旅で良いのかしら)
目の前の箱に視線を落として腕を組んでしまう。
(根本から私の金銭感覚がおかしいのかしら。でも、確かに平民の生活に馴染みすぎているとは自分でも思うけど、家だって別に貴族は貴族よね。貧乏伯爵だとは思うけれど、別に落ちぶれているわけではないし)
アケチ家は余裕は無い家計事情であるが、所詮は貴族である。五人の娘の嫁入りに際し、嫁入り道具や持参金を持たせるために使ってしまい、単純な現金資産が少ないという事は事実だが。別に調度の質が悪いとか、屋敷がボロボロだとかいうことはない。見合いのために用意したドレスだって質の良い物であったし、その質を見極めるだけの目をアンネリザが養えているのは普段から目にしている物がしっかりしているからでもある。
(持たせていただいた分もあるし、まぁ、私が喚ばれた理由を陛下の口から聞くまでは手を着けない方が無難よね。服にしたって、変に見合うだけの気合を入れたら余計な敵をつくるかもしれないし。あーもう考えなきゃいけないことが多過ぎてぐちゃぐちゃになりそうだわ。向いてないのよねぇこういうの)
頭を抱えて机にへばりついていると、扉からノックの音が聞こえ、コレトーではない男性の声が入室を求めてきた。
(護衛の方かしら…)
「どうぞ」
扉が開くと、見覚えのある護衛の騎士が立っていた。軽く礼をして入室したところで、声をかける。
「今、侍従が外しておりますので、急ぎのご要件でしたら伺います」
言われて侍従の姿がないことに気付いたらしい。慌てて閉めようとしていた扉を開け放したままにし、扉付近に立ったまま声を上げた。
「では、こちらで失礼いたします。今しがた、アケチ伯の使いを名乗るイロ=ヴァリシャという女性が到着したのですが」
「赤い巻毛で目元のきりっとした長身でした?」
「はい、正にその通りで」
「では当家の女中の一人で間違いないかと、連れて来ていただけますか」
「畏まりました」
さっと礼をして出て行く。
(特徴は合ってたけど…ヴァリシャはレナ姉様とエリット家に行ってたはずよね?)
コレトーも戻ってこないし、騎士もなかなか現れないため、暇潰しにあれこれと妄想が始まった。
ヴァリシャはアンネリザのすぐ上の姉シレーナの侍従である。歳はシレーナより二つだけ上で、アンネリザが一歳の頃に侍従となった。なので、アンネリザにとってはずっと一緒に居た姉のような存在だ。幼い頃は何をするにもシレーナと一緒だったこともあり、当然の様にヴァリシャにも遊び相手をしてもらっていたものだ。
異国産まれの彼女の褐色の肌や金の目が、なんとも格好良く羨ましく思えて、目は無理でもせめてと肌を焼こうとしたこともあった。ちなみに、半日の間日向で過ごした結果、全身が真っ赤に腫れ上がり、しばらくの間痛くて仕方がなく、正に涙を飲んで日焼けは諦めたのだが。
(はっ! まさか、特徴の有る女中を装った暗殺者!)
アンネリザの楽しい妄想が現実味を無くし始めた頃、ノックと入室許可を求めるコレトーの声がした。
「どうぞ――なんだ、一緒だったの。久しぶりねヴァリシャ」
扉が開くと、コレトーと共に鴨居に届きそうなほどに長身のヴァリシャが入ってきた。
「ご無沙汰しておりますお嬢様。緊急事態だと使いに出されたので、お元気そうなお姿を拝見して安堵いたしました」
そう言ってヴァリシャが笑顔を浮かべる。長身にキリっとした目元のせいで無表情でいると怖い印象を与える彼女だが、笑うとなんとも言えぬ人懐こさがある。
「王命での旅行だもの快適よ。それで、何のお使いに出されたの? 貴方エリット家にいたはずよね?」
「ええ、奥様の使いで御屋敷に伺ったら、馬で文を届けてくれと頼まれまして。ここに、お持ちしました」
「お父様ったら…」
ヴァリシャの返事にアンネリザが額を押さえる。普段両親から呆れられる事の多いアンネリザだが、彼女からすれば自分は両親の子供である、当然両親にだって呆れる部分はある。そう思っているし、今は父に呆れていた。
ヴァリシャは、三ヶ月ほど前に結婚した姉と共に、エリット男爵の家に行った。つまり彼女は既にエリット家の家人である。例え彼女が足の速い良馬を持った馬術の達人でも、アケチ家が使いを頼んでは駄目だろう。
「契約の関係上まだ旦那様からお給料を頂いておりますので、大丈夫ですよ」
「あら、そうなの」
ヴァリシャから素木の文箱を受け取る。
「………なにこれ、素木作りなのに重い」
「中身が重いのでしょう」
「ええ、やだ、開けたくない」
「中身を確認していただかないと帰れないのでお願いします」
困った顔で笑うヴァリシャを姉のもとに帰すためと言い聞かせて文箱を開ける。みっしりと巻紙状の文が入っていた。簡易な糊付けが剥がれていない事と父の花押を確認する。
「確かに受け取ったわ」
「はい。では、これで、失礼いたします」
「ええ、ありがとう。道中気を付けてね、あと、姉様に御息災でって伝えて」
「はい。畏まりました。お嬢様も、どうか、道中の安全を祈念しております」
「ありがとう」
ヴァリシャが出て行くのと入れ違いで出立の連絡が来たため、父からの文は馬車の中で確認することとなった。
「ねぇコレトー…先に読んで要約してくれない?」
「ご自身でお読みください」
「やっぱり?」
アンネリザがかつて見たことのない長さの文は、結局その日の宿に着いても読み終わらなかった。
(お父様ったら、この短時間でよくもまぁ、こんな大作を書き上げたものね…)
「支度金が出るとは思わなかったわ」
アケチ伯が応じる返答を使者にもたらした際に渡すことは決まっていた。だが親書同様アンネリザに直接渡すことが定められていたため、夜分に差し掛かっていた昨日ではなく今日渡す手筈だったのだ。だが、その後追いかけるように使者へ、翌朝出立可能であると連絡が入り、結局、出立後の昼休憩の際に渡されることとなった。
「まぁ、許嫁候補を召集なさってますからね、物入りだろうから使いなさいと」
「結納金とは違うのよね?」
「あくまで支度金との事でした」
コレトーが使用目的を確認したところ、急な召集であったため王城での生活に不足を来すこともあるだろうから、との配慮であるらしい。はっきり言ってとても有難い心遣いなのだが、ひどく困惑してしまうのも事実だ。
「………アリ姉様に文を書いて、ドレスとか仕立ててもらうのが良いと思う?」
先程蓋を開けて中は確認したが、アンネリザの経済感覚から言って、何を買おうと思えばその金額を消費し切ることになるのか解らない額が入っていた。
「どうでしょう…」
コレトーとしても、安易に提案はしかねた。今は何かを判断するには情報が少い。彼も使者を中心に話を聞いて回ったのだが、今回の異例の事態はどうやら彼等も把握しきれていないらしい。
当初の予定では見合いが行われ、そこで陛下が気に入った者だけが舞踏会に招待され、更に交流を深める手はずだった。そうして選別されていき、最終的には結婚相手が決まるというわけだ。
「そもそも陛下はお后を一人にしたいとお考えなのよね?」
「そう聞いています。だからこその国を挙げての見合い騒動ですから」
複数の王后による王位継承権争いの勃発は、レンフロにとって絶対に回避したい事態である。それは自分自身に起こった暗殺という悲劇を引き起こさせないためでもあるし、思いつめた第一王后が起こしてしまった我が子を手にかけた末の発狂という惨劇を回避するためでもある。
「私が産まれた頃の事だし、大っぴらに口にする類ではないから詳しくは知らないのだけど。王位争いで先の第一王后陛下が第二王子殿下共々お亡くなりになったのよね?」
「はい。当時噂になった内容でよければ、お話しましょうか?」
「どうかしら………王位争いが有った事。先の第一王后陛下と第二王子殿下がお亡くなりになった事。現国王陛下が暗殺の憂き目に遭った事。この三点の事実以外で私が聞いておくべきだと思う事が有りそうなら話して」
「所詮人の口が立てた噂ですからね、事実としてそれ以外に必要そうな事は無いかと」
「じゃあ良いわ。後は、お見合いに至る経緯かしらね。私も、初めは無関係の事として聞き流しちゃったからなぁ…確か、陛下のご結婚の話が持ち上がって、ご意向としてお后は一人で、となった。けれど、たった一人のお后の座を巡って争いが起きたら陛下のお気持ちに対してあまりにも情けない話だ、というわけで、全ての国王陛下との結婚を望む相手に平等に機会を与えるために見合いが行われた。合ってる?」
「はい」
「で、見合いを経て、舞踏会、個人的交流、婚約って流れになるはずが、何故か舞踏会後に王城へ複数人の召集がかかった」
「個人的交流をする機会を設ける為だとしても、王城召喚は行き過ぎてますね」
「絶対に何かあるわ。お話した人柄からして陛下ご自身はこういうことをする方には思えなかったもの」
アンネリザは、レンフロが一人を王后に望んでも、周りがそれを許容していないのだろうということは解る。それは、舞踏会に出席していた人間が、陛下が気に入ったという理由だけではなく、政治的な柵も含め呼ばれているように感じたからだ。そうでなければ、アンネリザが目晦ましとなる必要もない。
「家も含めて中央の政治とは関わりが薄いから、よく解らないわね。コレトーは今の中央の派閥は把握してる?」
「大まかな派閥は旦那様から伺っております。ただ、西殿様のご手配通り、アンスバッハの奥様にご助力をたまわって情報収集から入った方が良いでしょうね。キノヤの奥様の元にも立ち寄っておいた方が良いかもしれません。どちらにしろ道中ですし、一週間の猶予をいただけたところ一日で出てきたのですから、時間は有るでしょう」
「そうね、アリ姉様は当然として、テーナ姉様も商家の奥方様ですものね、情報はお持ちでしょう」
見合いの際にも行き帰り共に立ち寄ったコルテンタの家は大きな街道沿いにある。サッカイ州と王都を繋ぐ街道の中で最も大きいものなので、確認はしていないがその道が選択されるだろう。
「ええ、それに、もし可能であればマツさんを一時的にお嬢様の侍従として同伴できないかお伺いしたいですね」
マツというのはコルテンタがアケチ家から嫁ぐ際に一緒について行った侍従で、女性である。
「…それって、王城内にコレトーが入れないってこと?」
コレトーは普段通り淡々としているが、アンネリザは子供のようにむすっとしてしまう。不快はなるべく表情に出さないようにという社交術は今は無視だ。
「可能性はあると思いますよ」
「でも、私の侍従はずっとコレトーなのよ。それなのにそんなの」
「お嬢様にはそうでも他の姫様方からすれば見知らぬ男ですからね」
「なによそれ………コレトーがあと十、いや二十」
ぼそぼそと呟く声が聞き取れず、コレトーは首を傾げる。何を言っているのか聞き取ろうとすると、きりっとした顔でアンネリザが叫ぶ。
「そうよ! コレトー頑張ってあと二十歳くらい老け込みましょう! どこから見てもおじいちゃんに成っちゃえば気にする人も減るわよ!」
真剣な顔でそれを言われて、腕白な令息並に活発な主に付き合うために必死に保っている何かがぐらつく。コレトーは眉間をつまみつつ口早に呻く。
「いや、あの、本当にがっくりくるので勘弁してください久しぶりに芯が折れそう」
「良いわねそのままぐっと老け込んで!」
「嫌ですよ。老け込んだら働くのが嫌になるだけですから止めてください。道順と立寄りの件を使者の方と話し合ってきます。大人しくしていてくださいね」
「はーい」
不満顔のアンネリザを残してコレトーが部屋を出て行く。
(まぁ老けろなんて、冗談だけど…コレトーが一緒に入れないなら王城の中で生活なんてできないわよ私)
溜息を吐いて伸びをする。活発な街の喧騒が遠くに聞こえる二階の部屋は、宿の一室である。
(お昼ご飯のために部屋を借りるって、ちょっとどころじゃない贅沢よね。王家的にはこれって普通なのかしら)
昼食休憩に立ち寄った街は、アケチの本拠と王城を繋ぐ道の中でも大きめな街だが、本拠から一つ目の街でもある。ここまでの道中良い馬車に乗っているのであまりガタつかないのだと考えていたのだが、昼休憩だと言われて外に出て、あまりに進んでいないことに驚いた。午前九時頃に出発して、二時間強、もう一つ先のやや小さな街についているかと思っていた。
(このままだと私達が帰ってきた旅程より遅いわよね)
行きもそれなりに時間はかかったが、王都からの帰りは、更に時間がかかったのだ。大した交流がなければちょっとした土産に文を添えて通りましたという挨拶をすれば良いが、交流がある場合は土産を持って自身で失礼でない時間を見計らって訪問しなければならないため、時間がかかるのである。
(急使扱いだから挨拶の必要は無いのになんでこんなに時間がかかるのかしら)
食休みの時間はそろそろ終わるだろうが、今までの進み具合からしてなかなかにゆったりした旅程が組まれていると解る。このままのペースなら今日はアケチ領の端の街での宿泊になるだろう。
(領内で宿泊してもらえるのは嬉しいんだけど…こんな速度の旅で良いのかしら)
目の前の箱に視線を落として腕を組んでしまう。
(根本から私の金銭感覚がおかしいのかしら。でも、確かに平民の生活に馴染みすぎているとは自分でも思うけど、家だって別に貴族は貴族よね。貧乏伯爵だとは思うけれど、別に落ちぶれているわけではないし)
アケチ家は余裕は無い家計事情であるが、所詮は貴族である。五人の娘の嫁入りに際し、嫁入り道具や持参金を持たせるために使ってしまい、単純な現金資産が少ないという事は事実だが。別に調度の質が悪いとか、屋敷がボロボロだとかいうことはない。見合いのために用意したドレスだって質の良い物であったし、その質を見極めるだけの目をアンネリザが養えているのは普段から目にしている物がしっかりしているからでもある。
(持たせていただいた分もあるし、まぁ、私が喚ばれた理由を陛下の口から聞くまでは手を着けない方が無難よね。服にしたって、変に見合うだけの気合を入れたら余計な敵をつくるかもしれないし。あーもう考えなきゃいけないことが多過ぎてぐちゃぐちゃになりそうだわ。向いてないのよねぇこういうの)
頭を抱えて机にへばりついていると、扉からノックの音が聞こえ、コレトーではない男性の声が入室を求めてきた。
(護衛の方かしら…)
「どうぞ」
扉が開くと、見覚えのある護衛の騎士が立っていた。軽く礼をして入室したところで、声をかける。
「今、侍従が外しておりますので、急ぎのご要件でしたら伺います」
言われて侍従の姿がないことに気付いたらしい。慌てて閉めようとしていた扉を開け放したままにし、扉付近に立ったまま声を上げた。
「では、こちらで失礼いたします。今しがた、アケチ伯の使いを名乗るイロ=ヴァリシャという女性が到着したのですが」
「赤い巻毛で目元のきりっとした長身でした?」
「はい、正にその通りで」
「では当家の女中の一人で間違いないかと、連れて来ていただけますか」
「畏まりました」
さっと礼をして出て行く。
(特徴は合ってたけど…ヴァリシャはレナ姉様とエリット家に行ってたはずよね?)
コレトーも戻ってこないし、騎士もなかなか現れないため、暇潰しにあれこれと妄想が始まった。
ヴァリシャはアンネリザのすぐ上の姉シレーナの侍従である。歳はシレーナより二つだけ上で、アンネリザが一歳の頃に侍従となった。なので、アンネリザにとってはずっと一緒に居た姉のような存在だ。幼い頃は何をするにもシレーナと一緒だったこともあり、当然の様にヴァリシャにも遊び相手をしてもらっていたものだ。
異国産まれの彼女の褐色の肌や金の目が、なんとも格好良く羨ましく思えて、目は無理でもせめてと肌を焼こうとしたこともあった。ちなみに、半日の間日向で過ごした結果、全身が真っ赤に腫れ上がり、しばらくの間痛くて仕方がなく、正に涙を飲んで日焼けは諦めたのだが。
(はっ! まさか、特徴の有る女中を装った暗殺者!)
アンネリザの楽しい妄想が現実味を無くし始めた頃、ノックと入室許可を求めるコレトーの声がした。
「どうぞ――なんだ、一緒だったの。久しぶりねヴァリシャ」
扉が開くと、コレトーと共に鴨居に届きそうなほどに長身のヴァリシャが入ってきた。
「ご無沙汰しておりますお嬢様。緊急事態だと使いに出されたので、お元気そうなお姿を拝見して安堵いたしました」
そう言ってヴァリシャが笑顔を浮かべる。長身にキリっとした目元のせいで無表情でいると怖い印象を与える彼女だが、笑うとなんとも言えぬ人懐こさがある。
「王命での旅行だもの快適よ。それで、何のお使いに出されたの? 貴方エリット家にいたはずよね?」
「ええ、奥様の使いで御屋敷に伺ったら、馬で文を届けてくれと頼まれまして。ここに、お持ちしました」
「お父様ったら…」
ヴァリシャの返事にアンネリザが額を押さえる。普段両親から呆れられる事の多いアンネリザだが、彼女からすれば自分は両親の子供である、当然両親にだって呆れる部分はある。そう思っているし、今は父に呆れていた。
ヴァリシャは、三ヶ月ほど前に結婚した姉と共に、エリット男爵の家に行った。つまり彼女は既にエリット家の家人である。例え彼女が足の速い良馬を持った馬術の達人でも、アケチ家が使いを頼んでは駄目だろう。
「契約の関係上まだ旦那様からお給料を頂いておりますので、大丈夫ですよ」
「あら、そうなの」
ヴァリシャから素木の文箱を受け取る。
「………なにこれ、素木作りなのに重い」
「中身が重いのでしょう」
「ええ、やだ、開けたくない」
「中身を確認していただかないと帰れないのでお願いします」
困った顔で笑うヴァリシャを姉のもとに帰すためと言い聞かせて文箱を開ける。みっしりと巻紙状の文が入っていた。簡易な糊付けが剥がれていない事と父の花押を確認する。
「確かに受け取ったわ」
「はい。では、これで、失礼いたします」
「ええ、ありがとう。道中気を付けてね、あと、姉様に御息災でって伝えて」
「はい。畏まりました。お嬢様も、どうか、道中の安全を祈念しております」
「ありがとう」
ヴァリシャが出て行くのと入れ違いで出立の連絡が来たため、父からの文は馬車の中で確認することとなった。
「ねぇコレトー…先に読んで要約してくれない?」
「ご自身でお読みください」
「やっぱり?」
アンネリザがかつて見たことのない長さの文は、結局その日の宿に着いても読み終わらなかった。
(お父様ったら、この短時間でよくもまぁ、こんな大作を書き上げたものね…)
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でも周りは全くハッピーじゃないです。
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