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父からの文を読みつつ贅沢な馬車旅を満喫して五日。
いっかな進まない馬車はアケチ領は出たもののサッカイ州の半ばにも達さずにいた。
(まずい…)
ゆったりとした旅をしていると何かと立ち寄り先で金銭を使いたくなるものである。アンネリザは、そのことに気付くとコレトーを通して旅の速度を上げて欲しいと申し入れた。既に荷物には美しい紙とインクが増えた後だったが。
(まぁ、紙とインクは消耗品だし、王都で買うよりも安いから、これはしょうがない)
己にそう言い訳したアンネリザだが、他にも証拠の残らないお菓子の類も買い食いしていたりした。一応、父に持たされた軍資金とも言うべきものには手を着けず、自身のポケットマネーを使ったのだが。コレトーからそっと残金を耳打ちされるまで自分が使った額に思いが至らなかったのだ。まったく旅行というものは恐ろしい。
相変わらずゆっくりとした昼休憩に出歩いてはまたお金を使ってしまうと感じ、大人しくコレトーの戻りを待っていた。そして戻ってきて告げられたのは、驚きの言葉だった。
「二ヶ月かかる予定だったそうです」
コレトーの他誰も居ないので、遠慮なく呆れた顔を作ってしまった。
「冗談でしょう? 私達だけで王都に行った時だって一月とちょっとだったのに…急使扱いだから関所だって優先されるし、各領地でご挨拶もしなくて良いのでしょう?」
アンネリザの言葉にコレトーは苦笑を返す。その反応に、二ヶ月という旅程が妥当性のあるものなのだと悟り、今度は困惑に顔を歪めてしまう。
「えぇ…だって、二ヶ月って、なんでそんなにかかるのが普通なの?」
「基準となっているのが王都の御令嬢だからだそうです」
「よく解らないわ。王都の御令嬢って車酔いでもし易いの?」
アンネリザが考える旅程が遅れる最大の理由は速度と度重なる長時間の休憩だ。そしてそれらが必要な理由は、車酔い、という体調不良のためだと思っている。
「そう、言えると思います。王都では、御令嬢に乗馬の習慣がありませんから」
「ああ、そういえば言ってたわね」
スカートの下に馬術用の下履きをつけるだけだと言っていたコレトーの言葉が頭を過る。長時間乗馬をしようと思ったらそうした間に合せの格好ではなく乗馬服が必須だ。つまり、誰もが乗馬服が要らない程度にしか乗らないのだ。
地方領に住んでいる貴族令嬢は多くの場合乗馬の習慣がある。アンネリザのように山羊には乗らないが、馬で領内を移動することは普通の事だ。
(なるほど揺れることに慣れてない…ん? あれ、でも考えてみれば王都内じゃあ移動は全部馬車でしょう?)
馬に乗り慣れてなくても馬車にはむしろ乗り慣れているのでは、と思いその疑問をぶつける。
「王都内での移動では長距離になりませんし、道が整備されていますから」
言われてみれば王都で馬車に乗っていた時は実に振動が少なかった。
「地方育ちには逆な気遣いね」
長い旅程が基準をどこに置いているからなのかは理解したが、精神的には余計にうんざりした。王都の貴族は自分達が住んでいる所しか基準にものを考えられないのだろうか、と思ったからだ。もっともコレトーが旅程の見直しを提言したところ、使者は気遣いながらも喜ばしそうだったらしいので、全くの善意からだったのだろう。知らない以上は手探りでやるしかない、相手も苦心しているのだと理解できたので、口にはしないがこれから先が思いやられた。
翌日、コレトーが更に聞いてきた話では、対象者が男性であった場合、アンネリザが見合いに向かった時よりも短い旅程で進むという事が解った。
「王都の御令嬢って、いったいどれだけか弱いの?」
移動速度が上がっても特に問題を覚えていないアンネリザがげんなりと呟く。その呟きが聞こえた訳ではないだろうが、馬車の速度がゆっくりと落ち始め声がかかった。
途中立ち寄って欲しいと告げたキノヤ家に近付いたのだ。
「お土産一応買ったけど、よく考えたらアキもユキも家に居るのよね。テーナ姉様だけなのに、大きな箱を買ってしまったわ」
「今更ですね」
「私も今思い至ったのだもの。というか気付いてたでしょコレトーなら、どうして止めてくれなかったの」
「いえ、マツさん達のことも入れているのかと」
「そこを入れるとこれでは足りないのよ…キノヤ家は女性が多いから」
「正に帯に短し襷に長しですね」
「ですねじゃなくて! どうしよう!」
「こちらも加えれば足りますか?」
「まぁ! さすがよコレトー!」
同じ大きさの箱をもう一つ示され、アンネリザは両手を上げて喜ぶ。実はコレトーがマツ達に買った物だが、一箱では足りないとは知らなかったのだ。内心主人と同じく焦っていたことは秘密である。
馬車の中でそんなやりとりが行われているとは知らない護衛の騎士に促され、止まった馬車から降りる。
気をきかせた使者が手を回して先触れを出していたため、玄関の外にコルテンタが立っているのが見えた。
「テーナ姉様!」
使者の目もあるので、走ることはしなかったが、早足で門からテーナの元へ向かう。
アキコやユキコとは違うアンネリザと同じ金髪をしているが、目は青ではなく緑に近い碧眼をしている。長姉のターターミーナに一番似ているが、どこか儚げでたおやかな印象を与えるコルテンタを飛び付く様に抱き締める。
ぎゅっと一度強く抱き締め合った後で身を離し、笑顔で見つめ合う。
「お久しぶり、ではないわね、アン。相変わらず元気そうで嬉しいわ」
「私も、まさかこんなに早く再会の時が来ようとは思いませんでしたが、テーナ姉様にお会いできて嬉しいです」
「お茶を飲む時間くらいはあるのでしょう?」
「はい。一時間ほどの滞在は可能です」
コレトーの返事に頷いて、コルテンタは二人を迎え入れる。傍らに控えていたマツにコレトーが土産を渡し、アンネリザとコルテンタ、コレトーの三人で客間へ向かう。
「お土産なんて気遣いができるなら」
どうしてお父様に気遣いをしてあげないの、という飲み込まれた言葉が聞こえた気がしたが、アンネリザは気のせいだなとその考えを振り払う。
コルテンタの手にはアケチ家からの急使が届けたアケチ伯の文がある。アンネリザに届いた物ほどではないが、文としてはだいぶ巻かれている。内容を要約すると、何も解らないがとにかくアンネリザが国王陛下の許嫁候補として王城召喚を受けたので力になってあげて欲しい、という要請が書かれていた。
ちなみにアキコとユキコからも一緒に文が届いており、アン姉様が国王陛下と上手くいくようにお母様も協力してね、と書かれていたが。コルテンタは、こちらについては黙殺することに決めた。
急使からの文が届いたのは三日前で、慌てて情報を集めたが、今コルテンタの元にある情報も大したことはない。婚約者候補が王城に召集されているのが事実であるという事。その人数がおよそ三十人である事。ほとんどが都貴族で、地方に出た召喚の使者はアケチ家に来た彼等だけだという事。
「え? では地方から呼び出されたのは私だけなのですか?」
「今確認できている情報ではね。ただ、アケチの領は国の端でしょう。時間を置いて他の場所にも出ていないとは言えないわ。ただ、どちらにしろ、アンが許嫁候補として王城に召喚された事は手違いや罠などではなく事実ということね」
「罠って…さすがにそれは」
「有り得ないと思う事態が起きたのなら、有り得ないと思う事態も有ると想定し対応しなくては駄目よ。まぁ、私もあの護衛の人数と紋章入りの馬車とかを見ていれば罠なんて考えはすぐ捨てたでしょうけどね。とにかく、王城に呼ばれた事は事実で貴方は王城で生活することになるわ。コレトーは優秀だけれど、一人で貴方の生活を支えることはできないわ。うちのマツを連れて行きなさい」
「ありがとうございます。でも、テーナ姉様は大丈夫ですか?」
アンネリザだってどこに行くにもコレトーが共にいるのが当たり前である。侍従とはそういう片腕とも言うべき存在だと彼女は思っている。たとえ可愛い妹分のアキコやユキコが相手であっても、長くコレトーを貸し出すというのは考えられないことだ。
「大丈夫よ。コレトーは使者の方にマツが加わることを伝えてきてくれる。マツは用意を。アンはちょっとこっちにいらっしゃい」
アンネリザが来る前にマツとは話し合っていた。コルテンタは不安そうな妹を安心させるように微笑んだ。
マツはコルテンタにとっては二人目の侍従であったが、初めての専属の侍従だった。社交界にデビューする一年前の十五歳の頃に付くこととなった三つ歳下の娘で、それからずっと共いる掛け替えのない存在だ。だが、彼女としては信頼できるマツだからこそアンネリザと共に行ってもらいたいと考えている。
コルテンタはそっとアンネリザを抱き締めた。
「貴方の身に起きている事はきっと私達がしてきた事を抜きには起こりえない事。貴方のためにと思ってきたことは嘘偽りなく真実よ。でも、貴方の好きに生きる道を塞いでしまったのなら私はどうすれば良いのかしらね」
コルテンタの沈みきった声に、アンネリザは姉が何を心配しているのか悟った。
アケチ家の名声は、そのほとんどが素晴らしい先達の女性達によって築かれてきた。男性達が堅実に、だがそれ故にあまり目立たない役目を着実にこなしている間に、女性達が社交界で活躍したのだ。アンネリザの曾祖母、祖母、母、そして姉達。
コルテンタは社交の場に興味の無い末の妹が、自分達が築いてきたもののせいで望んでいない立場に追いやられようとしているのでは、と心配しているのだ。
温かな姉の体温と優しさに、アンネリザは笑みを浮かべる。
「お姉様達はいつだって私の自慢で誇りです。お姉様達の妹であること、深く深く幸いだと思っております。今回の事だって、どうぞご心配なさらないで、私はお姉様達の妹なのですから。アケチ家の末娘なのですから。女だとて道を切り開いてみせますわ!」
溌剌とした笑顔の妹を涙を浮かべた笑顔で見つめて、コルテンタはそっと身を離した。お転婆で心配ばかりかける可愛い妹が、これほど頼もしく見えるなんて、と感動していた。
アンネリザは、
(というか、私は陛下の首を堪能したら戻ってくるだけだし。お姉様達の心配も杞憂だものね。あんまり心労にならないように励ましておかないとね)
と、思っていただけなのだが。
アケチ家を出発する時といい、今といい、認識の違いによる温度差が酷かった。真剣に妹の身を案じている姉が気の毒である。
そんな姉とのやり取りを経て、アンネリザ、コレトー、マツの三人組となった一行は、その後は特に立ち寄る場所もなく。アケチ家を出てから一ヶ月と少しで、無事王都へ到着した。
いっかな進まない馬車はアケチ領は出たもののサッカイ州の半ばにも達さずにいた。
(まずい…)
ゆったりとした旅をしていると何かと立ち寄り先で金銭を使いたくなるものである。アンネリザは、そのことに気付くとコレトーを通して旅の速度を上げて欲しいと申し入れた。既に荷物には美しい紙とインクが増えた後だったが。
(まぁ、紙とインクは消耗品だし、王都で買うよりも安いから、これはしょうがない)
己にそう言い訳したアンネリザだが、他にも証拠の残らないお菓子の類も買い食いしていたりした。一応、父に持たされた軍資金とも言うべきものには手を着けず、自身のポケットマネーを使ったのだが。コレトーからそっと残金を耳打ちされるまで自分が使った額に思いが至らなかったのだ。まったく旅行というものは恐ろしい。
相変わらずゆっくりとした昼休憩に出歩いてはまたお金を使ってしまうと感じ、大人しくコレトーの戻りを待っていた。そして戻ってきて告げられたのは、驚きの言葉だった。
「二ヶ月かかる予定だったそうです」
コレトーの他誰も居ないので、遠慮なく呆れた顔を作ってしまった。
「冗談でしょう? 私達だけで王都に行った時だって一月とちょっとだったのに…急使扱いだから関所だって優先されるし、各領地でご挨拶もしなくて良いのでしょう?」
アンネリザの言葉にコレトーは苦笑を返す。その反応に、二ヶ月という旅程が妥当性のあるものなのだと悟り、今度は困惑に顔を歪めてしまう。
「えぇ…だって、二ヶ月って、なんでそんなにかかるのが普通なの?」
「基準となっているのが王都の御令嬢だからだそうです」
「よく解らないわ。王都の御令嬢って車酔いでもし易いの?」
アンネリザが考える旅程が遅れる最大の理由は速度と度重なる長時間の休憩だ。そしてそれらが必要な理由は、車酔い、という体調不良のためだと思っている。
「そう、言えると思います。王都では、御令嬢に乗馬の習慣がありませんから」
「ああ、そういえば言ってたわね」
スカートの下に馬術用の下履きをつけるだけだと言っていたコレトーの言葉が頭を過る。長時間乗馬をしようと思ったらそうした間に合せの格好ではなく乗馬服が必須だ。つまり、誰もが乗馬服が要らない程度にしか乗らないのだ。
地方領に住んでいる貴族令嬢は多くの場合乗馬の習慣がある。アンネリザのように山羊には乗らないが、馬で領内を移動することは普通の事だ。
(なるほど揺れることに慣れてない…ん? あれ、でも考えてみれば王都内じゃあ移動は全部馬車でしょう?)
馬に乗り慣れてなくても馬車にはむしろ乗り慣れているのでは、と思いその疑問をぶつける。
「王都内での移動では長距離になりませんし、道が整備されていますから」
言われてみれば王都で馬車に乗っていた時は実に振動が少なかった。
「地方育ちには逆な気遣いね」
長い旅程が基準をどこに置いているからなのかは理解したが、精神的には余計にうんざりした。王都の貴族は自分達が住んでいる所しか基準にものを考えられないのだろうか、と思ったからだ。もっともコレトーが旅程の見直しを提言したところ、使者は気遣いながらも喜ばしそうだったらしいので、全くの善意からだったのだろう。知らない以上は手探りでやるしかない、相手も苦心しているのだと理解できたので、口にはしないがこれから先が思いやられた。
翌日、コレトーが更に聞いてきた話では、対象者が男性であった場合、アンネリザが見合いに向かった時よりも短い旅程で進むという事が解った。
「王都の御令嬢って、いったいどれだけか弱いの?」
移動速度が上がっても特に問題を覚えていないアンネリザがげんなりと呟く。その呟きが聞こえた訳ではないだろうが、馬車の速度がゆっくりと落ち始め声がかかった。
途中立ち寄って欲しいと告げたキノヤ家に近付いたのだ。
「お土産一応買ったけど、よく考えたらアキもユキも家に居るのよね。テーナ姉様だけなのに、大きな箱を買ってしまったわ」
「今更ですね」
「私も今思い至ったのだもの。というか気付いてたでしょコレトーなら、どうして止めてくれなかったの」
「いえ、マツさん達のことも入れているのかと」
「そこを入れるとこれでは足りないのよ…キノヤ家は女性が多いから」
「正に帯に短し襷に長しですね」
「ですねじゃなくて! どうしよう!」
「こちらも加えれば足りますか?」
「まぁ! さすがよコレトー!」
同じ大きさの箱をもう一つ示され、アンネリザは両手を上げて喜ぶ。実はコレトーがマツ達に買った物だが、一箱では足りないとは知らなかったのだ。内心主人と同じく焦っていたことは秘密である。
馬車の中でそんなやりとりが行われているとは知らない護衛の騎士に促され、止まった馬車から降りる。
気をきかせた使者が手を回して先触れを出していたため、玄関の外にコルテンタが立っているのが見えた。
「テーナ姉様!」
使者の目もあるので、走ることはしなかったが、早足で門からテーナの元へ向かう。
アキコやユキコとは違うアンネリザと同じ金髪をしているが、目は青ではなく緑に近い碧眼をしている。長姉のターターミーナに一番似ているが、どこか儚げでたおやかな印象を与えるコルテンタを飛び付く様に抱き締める。
ぎゅっと一度強く抱き締め合った後で身を離し、笑顔で見つめ合う。
「お久しぶり、ではないわね、アン。相変わらず元気そうで嬉しいわ」
「私も、まさかこんなに早く再会の時が来ようとは思いませんでしたが、テーナ姉様にお会いできて嬉しいです」
「お茶を飲む時間くらいはあるのでしょう?」
「はい。一時間ほどの滞在は可能です」
コレトーの返事に頷いて、コルテンタは二人を迎え入れる。傍らに控えていたマツにコレトーが土産を渡し、アンネリザとコルテンタ、コレトーの三人で客間へ向かう。
「お土産なんて気遣いができるなら」
どうしてお父様に気遣いをしてあげないの、という飲み込まれた言葉が聞こえた気がしたが、アンネリザは気のせいだなとその考えを振り払う。
コルテンタの手にはアケチ家からの急使が届けたアケチ伯の文がある。アンネリザに届いた物ほどではないが、文としてはだいぶ巻かれている。内容を要約すると、何も解らないがとにかくアンネリザが国王陛下の許嫁候補として王城召喚を受けたので力になってあげて欲しい、という要請が書かれていた。
ちなみにアキコとユキコからも一緒に文が届いており、アン姉様が国王陛下と上手くいくようにお母様も協力してね、と書かれていたが。コルテンタは、こちらについては黙殺することに決めた。
急使からの文が届いたのは三日前で、慌てて情報を集めたが、今コルテンタの元にある情報も大したことはない。婚約者候補が王城に召集されているのが事実であるという事。その人数がおよそ三十人である事。ほとんどが都貴族で、地方に出た召喚の使者はアケチ家に来た彼等だけだという事。
「え? では地方から呼び出されたのは私だけなのですか?」
「今確認できている情報ではね。ただ、アケチの領は国の端でしょう。時間を置いて他の場所にも出ていないとは言えないわ。ただ、どちらにしろ、アンが許嫁候補として王城に召喚された事は手違いや罠などではなく事実ということね」
「罠って…さすがにそれは」
「有り得ないと思う事態が起きたのなら、有り得ないと思う事態も有ると想定し対応しなくては駄目よ。まぁ、私もあの護衛の人数と紋章入りの馬車とかを見ていれば罠なんて考えはすぐ捨てたでしょうけどね。とにかく、王城に呼ばれた事は事実で貴方は王城で生活することになるわ。コレトーは優秀だけれど、一人で貴方の生活を支えることはできないわ。うちのマツを連れて行きなさい」
「ありがとうございます。でも、テーナ姉様は大丈夫ですか?」
アンネリザだってどこに行くにもコレトーが共にいるのが当たり前である。侍従とはそういう片腕とも言うべき存在だと彼女は思っている。たとえ可愛い妹分のアキコやユキコが相手であっても、長くコレトーを貸し出すというのは考えられないことだ。
「大丈夫よ。コレトーは使者の方にマツが加わることを伝えてきてくれる。マツは用意を。アンはちょっとこっちにいらっしゃい」
アンネリザが来る前にマツとは話し合っていた。コルテンタは不安そうな妹を安心させるように微笑んだ。
マツはコルテンタにとっては二人目の侍従であったが、初めての専属の侍従だった。社交界にデビューする一年前の十五歳の頃に付くこととなった三つ歳下の娘で、それからずっと共いる掛け替えのない存在だ。だが、彼女としては信頼できるマツだからこそアンネリザと共に行ってもらいたいと考えている。
コルテンタはそっとアンネリザを抱き締めた。
「貴方の身に起きている事はきっと私達がしてきた事を抜きには起こりえない事。貴方のためにと思ってきたことは嘘偽りなく真実よ。でも、貴方の好きに生きる道を塞いでしまったのなら私はどうすれば良いのかしらね」
コルテンタの沈みきった声に、アンネリザは姉が何を心配しているのか悟った。
アケチ家の名声は、そのほとんどが素晴らしい先達の女性達によって築かれてきた。男性達が堅実に、だがそれ故にあまり目立たない役目を着実にこなしている間に、女性達が社交界で活躍したのだ。アンネリザの曾祖母、祖母、母、そして姉達。
コルテンタは社交の場に興味の無い末の妹が、自分達が築いてきたもののせいで望んでいない立場に追いやられようとしているのでは、と心配しているのだ。
温かな姉の体温と優しさに、アンネリザは笑みを浮かべる。
「お姉様達はいつだって私の自慢で誇りです。お姉様達の妹であること、深く深く幸いだと思っております。今回の事だって、どうぞご心配なさらないで、私はお姉様達の妹なのですから。アケチ家の末娘なのですから。女だとて道を切り開いてみせますわ!」
溌剌とした笑顔の妹を涙を浮かべた笑顔で見つめて、コルテンタはそっと身を離した。お転婆で心配ばかりかける可愛い妹が、これほど頼もしく見えるなんて、と感動していた。
アンネリザは、
(というか、私は陛下の首を堪能したら戻ってくるだけだし。お姉様達の心配も杞憂だものね。あんまり心労にならないように励ましておかないとね)
と、思っていただけなのだが。
アケチ家を出発する時といい、今といい、認識の違いによる温度差が酷かった。真剣に妹の身を案じている姉が気の毒である。
そんな姉とのやり取りを経て、アンネリザ、コレトー、マツの三人組となった一行は、その後は特に立ち寄る場所もなく。アケチ家を出てから一ヶ月と少しで、無事王都へ到着した。
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