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ようやく解放されて王城へと向かうことになった馬車の中で、アンネリザは短い生涯の中で最も打ちひしがれていた。
「やっと、やっと、お城に上がれるのね」
王城に上がることなど特には望んでいなかったはずなのに、今や王城だけがアンネリザの逃避可能な場所となっていた。
「良かったですね、お嬢様」
「ご立派でしたよ」
同じ馬車に乗っているコレトーとマツが慰め褒めてくれる言葉に涙ぐみながら、アンネリザは優雅な姿勢で小首を傾げて見せる。
「そうでしょう。自分でも人生で一番過酷な時を乗り切ったと思うわ」
指先までちゃんと意識されている仕草に、うちのお嬢様はやればできる子、という思いで侍従達が頷いていると、馬車の速度が変わる。
「城内に入ったようですね、まぁ、外門を一つ入っただけですが」
マツが目隠しの隙間から外の様子を確認して告げる。
アイデル王国の王城は、外門と呼ばれる門が三つある。王城正面にある第一外門と第二外門、王城の東にある第三外門だ。今、アンネリザ達が入って来たのは第三外門、通称東大門である。
外門の内側、国王が実際に生活している城館がある内門までの間には、広い庭園や国賓接待の館、各行政機関などがある。王城と呼ばれる敷地内でもっとも広い空間が占めている場所だが、それ故に、外門を入っても王城に入ったという感じはあまりしない。
「東から入ると建物もそうありませんね」
「あら、じゃあ、目隠し開けても良いんじゃない?」
他人の目が無いのなら窓から外が見たい、とアンネリザのつま先がそわそわしだす。コレトーとマツは目配せしあって、アンネリザが座っている側を残すように目隠しを半分開けた。
「あら、もう紅葉しているのね、ほら、あの辺り」
「色と葉の感じからして、ミツランモミジではないでしょうか。あれは新芽の時以外ずっとあの色ですよ」
アンネリザが示した場所を見たマツが告げる。ミツランモミジは、名前の通り主にミツラン州に生えている紅葉である。
「知ってるわ。常紅葉って呼ばれてるやつでしょう? そう、あれが、そうなのね。あ、あの池の花は、睡蓮? この時期に咲くものってあるの?」
「あれは睡蓮ではないですね、あの、横に立っている陽下籐の落花ですよ。咲いているの、見えますか?」
「確かに木にも同じ色の花が見えるわ。でも、形が違うような…」
「木に咲いている時は花が下に向いていますが、落下に際してがくが下になるので、水辺にあるとああして開いて浮かぶんです」
「知らなかったわ、美しいわね」
「ええ、でも、ちょっと厄介な花です」
「やっかい?」
「美しいんですが、腐り易くて、池の水が悪くならないように毎夕取り上げないといけないんです。水辺に置くことを好む方が多いですが、庭師には手のかかる花です」
「そうなの。マツって、植物に詳しいのね」
その後もあれこれと、植物学者の父を持つマツが教えてくれるのを聞いていると、楽しく時間が過ぎた。一時間近くかけてようやく内門に辿り着いたが、普段なら馬車の速度が遅いと不満顔になっていただろうアンネリザも満足気な顔である。
内門の前で更に馬車は速度が落ち、そのまま止まるかに思えたが、ゆるゆると進み続け、少ししてまた速度が上がった。赤ん坊の這う速度が、人が立って歩く程度の速さになっただけだが。
「外庭よりさらに遅いわね、道も、曲がってるのかしら?」
内門を通る際に再び目隠しが戻ったので、外の様子が解らず、アンネリザは体感速度と時折左右にかかる重圧を頼りに推察する。そっと目隠しの隙間から外を確認している侍従達が答えてくれる。
「そうですね、内庭は高い木立の九十九造りのようです」
「人だけなら直線的な小道もあるようですが、この速度ですから、内庭を抜けるまでも結構かかりそうですね」
マツの言葉に、さっきまでの満足気な顔が薄れる。
「木立だけなら、また目隠しを開けても良い?」
「いけません。内門を過ぎた所から護衛と見張りで王城の騎士の方が付いていますから」
コレトーの言葉にぱちぱちとアンネリザが瞬く。
「騎士の方?」
「ええ、こちらにお一人」
「こっちは二人ですね」
迎えの使者に先導されている上に、三人も護衛が付くとは思えない。まして既に内門に入ったのだ。コレトーは護衛と見張りと言ったが、概ね見張りが主目的だろう。
「呼ばれたから来たのにこの扱い、って思っちゃいそうだけど、国王陛下の居られる場所ですものね、当然か。でも、外も見れないのに速度が落ちるなんて、退屈だわ」
途中、なまじ楽しい時間が有ったため、その後の退屈な時間はアンネリザからアリエーナとの特訓で得た令嬢の仮面を剥がしてしまった。
誰が見てもむっとしている、と解る顔で黙り込んだアンネリザは、警戒のために外を確認している侍従達を見ながらゆらゆらと左右に揺れ始める。
(なによなによ、私のためなのは解るけど二人だけ外を見てずるいわ。私だって外が見たい。どうせ木立の九十九造りなんてずっと木立が続くだけの単調な風景なんでしょうけど馬車の中よりはましよ。あれ、でも、こうやって改めて見るとコレトーの髪伸びたわね…あ、マツの耳たぶのところ黒子が有るわ)
自分達が観察されていることは解ったが、不満そうに揺れられるよりはましなので、侍従達は黙ってその熱視線を受け入れた。
外庭と同じように一時間近い時が経ち、ようやく木立を抜けたと侍従達から聞いたアンネリザは、馬車が止まったので城館に着いたのだと思った。だが、声を掛けられて解った事は、単に馬車移動が長いから休憩をどうぞということだった。
(そんなもの差し挟むくらいなら速度上げてさっさと館に入れてくれないかしら)
人前に出たので、アリエーナ仕込みの令嬢の仮面を被り直したアンネリザは、内心は欠片も漏らさずにっこりと頷いて、護衛となったディオに手を貸してもらって馬車を降りた。
今まで進んできた木立を背後に、右手に小川のせせらぎを聞き、左には手入れの行き届いた芝の庭、そして正面遠くに城館らしい建物を見ながら、美しい白亜の東屋で、お茶を出されそうになったが断った。
(今まで座り通しだったのだから、また座るより歩かせて欲しいわ。だいたい、またしばらく馬車に戻るのにお茶をすすめないでよ、憚るでしょうが)
瑞々しい空気を胸一杯に吸い込んで、吐き出して、一分ほどそうして堪能してから馬車へ戻る。気のせいか先導する使者の方が騒がしいようだが、さっさと馬車に乗り込んでしまう。休んで良いと言われても、人前では伸びの一つも出来ないのが令嬢だ。むしろ馬車の中で肩を回す方がよほど体が休まるというものである。
再び馬車が動き始めてから、遅れて乗り込んで来たコレトーやマツに声をかける。
「何かあったの?」
「ゆっくりご休憩されるものと想定していたそうです。お嬢様が無理をなさっているのではと訊かれました」
「無理をしていると言えばしてるけど、どう答えたの?」
「お心遣いに感謝をお伝えしておきました」
「そう。私、少し解って来たわ王都の御令嬢ってどういう方々なのか」
元々、社交の華麗な花々が咲き誇るアケチ家である、アンネリザも昔から姉達に様々な薫陶を受けてきた。
(社交界の令嬢達は常に過酷な競争社会を生き抜く兵だとか聞いてたから、勝手にお姉様達をより強くした人達を想像していたのが悪かったのよね、そも強さの基準が単純に身体能力に由来する訳も無し。認識を改めなくては)
百人斬りだの、百戦錬磨だの、社交界の浮名の中には戦場で付くようなものが偶に出てくる。そうしたこともあって、アンネリザの中ではなんとなく軍記物の登場人物達の様に都貴族を考えていた。例えは例えでしかなく、比喩表現は決してそのものを表していないというのに。
「んー」
天井に当たらないよう組んだ腕をぐっと上に伸ばして、だらんと下げる。
「あーもう、あと何時間かかるのかしら」
「三十分とかからず着くそうですよ」
コレトーの言葉にアンネリザが思わず立ち上がりかける。侍従達の窘めるような視線を受けて静々と座り直した。
「………嬉しい情報だけど、なんでこんなとこで小休止が挟まったのかが疑問だわ」
「まぁ、庭の鑑賞を兼ねてというところでしょう。よくある事ですよ」
マツのおそらく正解であろう言葉に溜息を吐いて、背もたれに頭を付ける。
「お庭の鑑賞は目的地に到着して荷物を降ろした後の身軽な状態でしたいわ」
コレトーが聞いていた通り、三十分かからずに城館へと乗り付けた馬車から降りると、大きな客間へ案内され、しばらくお待ちくださいと告げられる。アンネリザとしてはこれ以上何を待てというのか、といった心境だったが。被った仮面を剥ぐことはなかったし、内心の冷静な部分では何故待たされるのかは理解していた。
部屋へ荷物を運び入れるなど生活環境が整うまでの間、侍従のコレトーと護衛のディオと共に、客間で大人しく待っている。筆頭女中と女中という扱いになっているマツとナナリスは部屋を設えに行っているため居ない。
王城の関係者が脇に控えていることもあって、アンネリザはお喋りもせず、時折お茶に口を付けるだけだ。
(ああもう、令嬢ってなんでこう窮屈なのかしら。舎人の方が居なかったら楽しく室内の調度を見て回れるのに。このソファの生地といい座り心地といい、もう絶対エンクス州の一級品よ。間違いないわ)
通常、客間で装飾品を見て回ることは無礼にはならない。ただ、アンネリザが観察したい対象が装飾品というより調度品に分類されるため、見て回れないのである。彼女としては、一級品の調度はもはや芸術作品として鑑賞するべき物である、と大いに主張したいのだが、令嬢仮面がそれを許してはくれない。
(机も、あちらの花台も、壁際の椅子も、絶対良いものだわ。ああ、見て触って確かめたい、職人の手仕事…はっ!)
脳裏に名案が閃いたアンネリザは、そっと小声でコレトーを呼び、広げた扇子で口元を隠しながら耳打ちする。もっとも、令嬢として普通のことをしようとしているだけなので、それを名案だと思っているのは彼女だけだ。
「こちらのタペストリーは―――」
舎人の説明に耳を傾けつつ室内の装飾品を見つ、そのついでに調度品を堪能しようという寸法である。十五という自身の年齢も最大限に活かし、姦しくならない程度に質問を投げかけて一品一品丁寧に見て回る。
そうして客間での待ち時間を思いの外堪能していると、数品の装飾品を残して、支度が整ったという報がもたらされた。調度品も残っていたので、名残惜しい思いではあったが、一度は自室になる場所を確認しておきたいという思いを優先することにし、すぐに部屋へ向かった。
まず、客間を出て建物の奥へ向かう。
「まぁ…」
美しい中庭に、思わず感嘆の声が漏れた。秋の花が所狭しと植えられ、だが目を煩わせるようなごちゃごちゃとした派手さはなく、かといってきっちりと揃えられているという訳でもない。素晴らしい庭だった。
「花の館の名に相応しく四季折々に花を楽しめるよう作られております」
案内をする舎人の女性の言葉に頷きつつ、その説明を聞く。
アンネリザがこれから生活していくことになるのは、王城の中では三番目に大きな建物で、花の館と呼ばれている建物だ。アイデル王国で建築王と呼ばれた国王の時代に建てられた、全部で八棟からなる少々入り組んだ作りの建物は、中央の中庭を囲むよう建物が配置され、上空から見た形が花になっている。
(花の館。確か、王城で妻妾が住める部屋数が一番多い城館。つまり、大分上等な部屋を割り当ててもらっているのね…まぁ、三十人居るっていう許嫁候補に優劣を付けないための配慮なんでしょうけど)
建築王は、その二つ名が示す通り、建築に情熱を傾けた国王であった。それと同時に、アイデル王国史上もっとも多くの妻妾を持った国王だった。最盛期には五十三人いたという妻妾達を住まわせるため、彼が城内に建てたのが花の館だ。全ての部屋を開ければ、五十六人が住める。無論、国王の妻の立場にある者が五十六人住むのだ、仕える人間の数も含めれば五百人近くが住める。
花びらにあたる各棟はそれぞれ花の名前を冠しており、アンネリザが案内されたのは、北側に位置する水仙の棟だ。驚いたことに、荷物は二階の一室に運び込まれたのだが、この棟には彼女以外誰もいないらしく、気に入った部屋があれば移動して構わないと言われた。しかも、隣接する黒椿の棟、銀藤の棟にさえ誰も入室していないらしく、水仙の棟と銀藤の棟の中間にある夏の間という饗応に使う大きな部屋も専有して構わないらしい。
(いやいや、意味が解らないわ。どういうことなの。謎の高待遇………いや、ある意味隔離という冷遇なのかしら、他の御令嬢方と絶対に顔を合わせないようにされてる? いや、でも中庭は共有なのだし、別に隔離ではない…そもそも三十人近い御令嬢が入城されているのだから、この棟に私しかいないって、おかしいわよね? しかも両側棟単位で空いてる? ああもう解らない。入城できれば陛下とお話できて疑問も何もかも解決すると思っていたのに、結局拝謁は明日以降らしいし。もう、とにかく今日は部屋で大人しくして、ナナリスと対策を練りましょう)
部屋への案内に従いながらそんな決意をしていたアンネリザだが、部屋の調度品にテンションが上がり、部屋から出はしなかったが、大人しくも対策を練ることもできなかった。
「やっと、やっと、お城に上がれるのね」
王城に上がることなど特には望んでいなかったはずなのに、今や王城だけがアンネリザの逃避可能な場所となっていた。
「良かったですね、お嬢様」
「ご立派でしたよ」
同じ馬車に乗っているコレトーとマツが慰め褒めてくれる言葉に涙ぐみながら、アンネリザは優雅な姿勢で小首を傾げて見せる。
「そうでしょう。自分でも人生で一番過酷な時を乗り切ったと思うわ」
指先までちゃんと意識されている仕草に、うちのお嬢様はやればできる子、という思いで侍従達が頷いていると、馬車の速度が変わる。
「城内に入ったようですね、まぁ、外門を一つ入っただけですが」
マツが目隠しの隙間から外の様子を確認して告げる。
アイデル王国の王城は、外門と呼ばれる門が三つある。王城正面にある第一外門と第二外門、王城の東にある第三外門だ。今、アンネリザ達が入って来たのは第三外門、通称東大門である。
外門の内側、国王が実際に生活している城館がある内門までの間には、広い庭園や国賓接待の館、各行政機関などがある。王城と呼ばれる敷地内でもっとも広い空間が占めている場所だが、それ故に、外門を入っても王城に入ったという感じはあまりしない。
「東から入ると建物もそうありませんね」
「あら、じゃあ、目隠し開けても良いんじゃない?」
他人の目が無いのなら窓から外が見たい、とアンネリザのつま先がそわそわしだす。コレトーとマツは目配せしあって、アンネリザが座っている側を残すように目隠しを半分開けた。
「あら、もう紅葉しているのね、ほら、あの辺り」
「色と葉の感じからして、ミツランモミジではないでしょうか。あれは新芽の時以外ずっとあの色ですよ」
アンネリザが示した場所を見たマツが告げる。ミツランモミジは、名前の通り主にミツラン州に生えている紅葉である。
「知ってるわ。常紅葉って呼ばれてるやつでしょう? そう、あれが、そうなのね。あ、あの池の花は、睡蓮? この時期に咲くものってあるの?」
「あれは睡蓮ではないですね、あの、横に立っている陽下籐の落花ですよ。咲いているの、見えますか?」
「確かに木にも同じ色の花が見えるわ。でも、形が違うような…」
「木に咲いている時は花が下に向いていますが、落下に際してがくが下になるので、水辺にあるとああして開いて浮かぶんです」
「知らなかったわ、美しいわね」
「ええ、でも、ちょっと厄介な花です」
「やっかい?」
「美しいんですが、腐り易くて、池の水が悪くならないように毎夕取り上げないといけないんです。水辺に置くことを好む方が多いですが、庭師には手のかかる花です」
「そうなの。マツって、植物に詳しいのね」
その後もあれこれと、植物学者の父を持つマツが教えてくれるのを聞いていると、楽しく時間が過ぎた。一時間近くかけてようやく内門に辿り着いたが、普段なら馬車の速度が遅いと不満顔になっていただろうアンネリザも満足気な顔である。
内門の前で更に馬車は速度が落ち、そのまま止まるかに思えたが、ゆるゆると進み続け、少ししてまた速度が上がった。赤ん坊の這う速度が、人が立って歩く程度の速さになっただけだが。
「外庭よりさらに遅いわね、道も、曲がってるのかしら?」
内門を通る際に再び目隠しが戻ったので、外の様子が解らず、アンネリザは体感速度と時折左右にかかる重圧を頼りに推察する。そっと目隠しの隙間から外を確認している侍従達が答えてくれる。
「そうですね、内庭は高い木立の九十九造りのようです」
「人だけなら直線的な小道もあるようですが、この速度ですから、内庭を抜けるまでも結構かかりそうですね」
マツの言葉に、さっきまでの満足気な顔が薄れる。
「木立だけなら、また目隠しを開けても良い?」
「いけません。内門を過ぎた所から護衛と見張りで王城の騎士の方が付いていますから」
コレトーの言葉にぱちぱちとアンネリザが瞬く。
「騎士の方?」
「ええ、こちらにお一人」
「こっちは二人ですね」
迎えの使者に先導されている上に、三人も護衛が付くとは思えない。まして既に内門に入ったのだ。コレトーは護衛と見張りと言ったが、概ね見張りが主目的だろう。
「呼ばれたから来たのにこの扱い、って思っちゃいそうだけど、国王陛下の居られる場所ですものね、当然か。でも、外も見れないのに速度が落ちるなんて、退屈だわ」
途中、なまじ楽しい時間が有ったため、その後の退屈な時間はアンネリザからアリエーナとの特訓で得た令嬢の仮面を剥がしてしまった。
誰が見てもむっとしている、と解る顔で黙り込んだアンネリザは、警戒のために外を確認している侍従達を見ながらゆらゆらと左右に揺れ始める。
(なによなによ、私のためなのは解るけど二人だけ外を見てずるいわ。私だって外が見たい。どうせ木立の九十九造りなんてずっと木立が続くだけの単調な風景なんでしょうけど馬車の中よりはましよ。あれ、でも、こうやって改めて見るとコレトーの髪伸びたわね…あ、マツの耳たぶのところ黒子が有るわ)
自分達が観察されていることは解ったが、不満そうに揺れられるよりはましなので、侍従達は黙ってその熱視線を受け入れた。
外庭と同じように一時間近い時が経ち、ようやく木立を抜けたと侍従達から聞いたアンネリザは、馬車が止まったので城館に着いたのだと思った。だが、声を掛けられて解った事は、単に馬車移動が長いから休憩をどうぞということだった。
(そんなもの差し挟むくらいなら速度上げてさっさと館に入れてくれないかしら)
人前に出たので、アリエーナ仕込みの令嬢の仮面を被り直したアンネリザは、内心は欠片も漏らさずにっこりと頷いて、護衛となったディオに手を貸してもらって馬車を降りた。
今まで進んできた木立を背後に、右手に小川のせせらぎを聞き、左には手入れの行き届いた芝の庭、そして正面遠くに城館らしい建物を見ながら、美しい白亜の東屋で、お茶を出されそうになったが断った。
(今まで座り通しだったのだから、また座るより歩かせて欲しいわ。だいたい、またしばらく馬車に戻るのにお茶をすすめないでよ、憚るでしょうが)
瑞々しい空気を胸一杯に吸い込んで、吐き出して、一分ほどそうして堪能してから馬車へ戻る。気のせいか先導する使者の方が騒がしいようだが、さっさと馬車に乗り込んでしまう。休んで良いと言われても、人前では伸びの一つも出来ないのが令嬢だ。むしろ馬車の中で肩を回す方がよほど体が休まるというものである。
再び馬車が動き始めてから、遅れて乗り込んで来たコレトーやマツに声をかける。
「何かあったの?」
「ゆっくりご休憩されるものと想定していたそうです。お嬢様が無理をなさっているのではと訊かれました」
「無理をしていると言えばしてるけど、どう答えたの?」
「お心遣いに感謝をお伝えしておきました」
「そう。私、少し解って来たわ王都の御令嬢ってどういう方々なのか」
元々、社交の華麗な花々が咲き誇るアケチ家である、アンネリザも昔から姉達に様々な薫陶を受けてきた。
(社交界の令嬢達は常に過酷な競争社会を生き抜く兵だとか聞いてたから、勝手にお姉様達をより強くした人達を想像していたのが悪かったのよね、そも強さの基準が単純に身体能力に由来する訳も無し。認識を改めなくては)
百人斬りだの、百戦錬磨だの、社交界の浮名の中には戦場で付くようなものが偶に出てくる。そうしたこともあって、アンネリザの中ではなんとなく軍記物の登場人物達の様に都貴族を考えていた。例えは例えでしかなく、比喩表現は決してそのものを表していないというのに。
「んー」
天井に当たらないよう組んだ腕をぐっと上に伸ばして、だらんと下げる。
「あーもう、あと何時間かかるのかしら」
「三十分とかからず着くそうですよ」
コレトーの言葉にアンネリザが思わず立ち上がりかける。侍従達の窘めるような視線を受けて静々と座り直した。
「………嬉しい情報だけど、なんでこんなとこで小休止が挟まったのかが疑問だわ」
「まぁ、庭の鑑賞を兼ねてというところでしょう。よくある事ですよ」
マツのおそらく正解であろう言葉に溜息を吐いて、背もたれに頭を付ける。
「お庭の鑑賞は目的地に到着して荷物を降ろした後の身軽な状態でしたいわ」
コレトーが聞いていた通り、三十分かからずに城館へと乗り付けた馬車から降りると、大きな客間へ案内され、しばらくお待ちくださいと告げられる。アンネリザとしてはこれ以上何を待てというのか、といった心境だったが。被った仮面を剥ぐことはなかったし、内心の冷静な部分では何故待たされるのかは理解していた。
部屋へ荷物を運び入れるなど生活環境が整うまでの間、侍従のコレトーと護衛のディオと共に、客間で大人しく待っている。筆頭女中と女中という扱いになっているマツとナナリスは部屋を設えに行っているため居ない。
王城の関係者が脇に控えていることもあって、アンネリザはお喋りもせず、時折お茶に口を付けるだけだ。
(ああもう、令嬢ってなんでこう窮屈なのかしら。舎人の方が居なかったら楽しく室内の調度を見て回れるのに。このソファの生地といい座り心地といい、もう絶対エンクス州の一級品よ。間違いないわ)
通常、客間で装飾品を見て回ることは無礼にはならない。ただ、アンネリザが観察したい対象が装飾品というより調度品に分類されるため、見て回れないのである。彼女としては、一級品の調度はもはや芸術作品として鑑賞するべき物である、と大いに主張したいのだが、令嬢仮面がそれを許してはくれない。
(机も、あちらの花台も、壁際の椅子も、絶対良いものだわ。ああ、見て触って確かめたい、職人の手仕事…はっ!)
脳裏に名案が閃いたアンネリザは、そっと小声でコレトーを呼び、広げた扇子で口元を隠しながら耳打ちする。もっとも、令嬢として普通のことをしようとしているだけなので、それを名案だと思っているのは彼女だけだ。
「こちらのタペストリーは―――」
舎人の説明に耳を傾けつつ室内の装飾品を見つ、そのついでに調度品を堪能しようという寸法である。十五という自身の年齢も最大限に活かし、姦しくならない程度に質問を投げかけて一品一品丁寧に見て回る。
そうして客間での待ち時間を思いの外堪能していると、数品の装飾品を残して、支度が整ったという報がもたらされた。調度品も残っていたので、名残惜しい思いではあったが、一度は自室になる場所を確認しておきたいという思いを優先することにし、すぐに部屋へ向かった。
まず、客間を出て建物の奥へ向かう。
「まぁ…」
美しい中庭に、思わず感嘆の声が漏れた。秋の花が所狭しと植えられ、だが目を煩わせるようなごちゃごちゃとした派手さはなく、かといってきっちりと揃えられているという訳でもない。素晴らしい庭だった。
「花の館の名に相応しく四季折々に花を楽しめるよう作られております」
案内をする舎人の女性の言葉に頷きつつ、その説明を聞く。
アンネリザがこれから生活していくことになるのは、王城の中では三番目に大きな建物で、花の館と呼ばれている建物だ。アイデル王国で建築王と呼ばれた国王の時代に建てられた、全部で八棟からなる少々入り組んだ作りの建物は、中央の中庭を囲むよう建物が配置され、上空から見た形が花になっている。
(花の館。確か、王城で妻妾が住める部屋数が一番多い城館。つまり、大分上等な部屋を割り当ててもらっているのね…まぁ、三十人居るっていう許嫁候補に優劣を付けないための配慮なんでしょうけど)
建築王は、その二つ名が示す通り、建築に情熱を傾けた国王であった。それと同時に、アイデル王国史上もっとも多くの妻妾を持った国王だった。最盛期には五十三人いたという妻妾達を住まわせるため、彼が城内に建てたのが花の館だ。全ての部屋を開ければ、五十六人が住める。無論、国王の妻の立場にある者が五十六人住むのだ、仕える人間の数も含めれば五百人近くが住める。
花びらにあたる各棟はそれぞれ花の名前を冠しており、アンネリザが案内されたのは、北側に位置する水仙の棟だ。驚いたことに、荷物は二階の一室に運び込まれたのだが、この棟には彼女以外誰もいないらしく、気に入った部屋があれば移動して構わないと言われた。しかも、隣接する黒椿の棟、銀藤の棟にさえ誰も入室していないらしく、水仙の棟と銀藤の棟の中間にある夏の間という饗応に使う大きな部屋も専有して構わないらしい。
(いやいや、意味が解らないわ。どういうことなの。謎の高待遇………いや、ある意味隔離という冷遇なのかしら、他の御令嬢方と絶対に顔を合わせないようにされてる? いや、でも中庭は共有なのだし、別に隔離ではない…そもそも三十人近い御令嬢が入城されているのだから、この棟に私しかいないって、おかしいわよね? しかも両側棟単位で空いてる? ああもう解らない。入城できれば陛下とお話できて疑問も何もかも解決すると思っていたのに、結局拝謁は明日以降らしいし。もう、とにかく今日は部屋で大人しくして、ナナリスと対策を練りましょう)
部屋への案内に従いながらそんな決意をしていたアンネリザだが、部屋の調度品にテンションが上がり、部屋から出はしなかったが、大人しくも対策を練ることもできなかった。
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